インファナル・アフェアIII 終極無間 : 映画評論・批評
2005年4月15日更新
2023年11月3日より109シネマズプレミアム新宿、 グランドシネマサンシャイン池袋ほかにてロードショー
やがて観る者は慄然とするだろう
なんとまぁ大胆な作品として完結したもんだ。少なくとも香港的スターシステムの範疇では、あまり例のない冒険といって間違いない。まず題名のとおり、救いのカケラもない「無間(地獄)」を押し通したこと。さらに「I」で生き残ったラウのその後の姿と、殉職半年前のヤンの行動をわざと混濁したかたちで描いていくという構成そのものが。
本作の軸となるのはあくまでラウなのだが、彼は「I」で保留された真実を求めるうち、明らかに精神状態が常軌を逸していく。ついには殉職したヤンと自分を、完全に合わせ鏡として認識するようになる。“善”に目覚め、無間の闇から必死で抜け出そうとするラウの妄想が、ただでさえ時制が錯綜する映画の中にごっちゃに絡んでくるのだ。やがて観る者は慄然とするだろう。……混濁した物語形式そのものが、ラスト・シーンにおけるラウの脳内風景を写したものなのだと。
いわゆる作家主義とは無縁と思われた(というか今もそうだと思うが)アンドリュー・ラウのような人物が、こんな実験的作劇を行ってしまうのが驚きである。これは香港映画の未来にとって無間の闇どころか、ひと筋の光明ではないのか?
(ミルクマン斉藤)