シャドー・メーカーズのレビュー・感想・評価
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オッペンハイマー観とけば充分
原題からして、『オッペンハイマー』よりこっちの方がよっぽど日本の被爆状況を描写しなきゃダメじゃん。デーモンコア事件はあくまで放射線被爆であって原子爆弾の被害じゃないし(事件の悲惨さに優劣つけてるわけじゃないよ)。
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何より、ナチス敗戦後もグローヴス将軍が狂気の独断で計画実行したことになってて、スターリン/ソ連との緊張状態がまったくドラマに出てこないのはあまりにもお粗末。
That'sハリウッドなメロドラマも増しましでマジいらな~い("□")。
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私はノーラン映画ニガテなんだけど、『オッペンハイマー』の劇中の空気感...競争と好奇心と恐怖がないまぜになってどろりと漂ってるロスアラモス街の方が迫真だと感じました。トリニティ実験の描写はこちらの方が怖かった。
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さておき、黄色いオープンカーを乗り回すオッピーに爆笑wめっちゃ陽キャ。
密談のためにでっかい飛行機のエンジン作動させるグローヴスの滑稽さよw。
「原爆の父」と後に呼ばれたオッペンハイマー達をコントロールするレズ...
「原爆の父」と後に呼ばれたオッペンハイマー達をコントロールするレズリー・グローヴス陸軍将校をポール・ニューマンが演じる日本では劇場未公開の原子爆弾開発物語。
『オッペンハイマー』(2023)ではグローブスをマット・デイモンが演じる。
ジョン・キューザックが演じたマイケル・メリマンはルイス・スローティンをモデルとしていて、同じルイスでも『オッペンハイマー』でロバート・ダウニー・Jr演じるルイス・ストローズでは無い。
アルフレッド・B・ノーベルがダイナマイトを作って「死の商人」と後に呼ばれた事を思い出した。
イタリア人化学者アスカニオ・ソブレロが合成に成功したニトログリセリンは、大きな爆発力があることが分かっていたが、どうやって安全に取り扱うことができるかが課題になっていた。
スウェーデン人化学者ノーベルは1863年30歳の時にニトログリセリンを大量かつ安全に製造することに成功し特許を取得。その後も資金調達に苦労しながらも完成させ、ダイナマイトとして製品化した。
はじめから兵器開発と知ってて原子爆弾の開発をして後に後悔するオッペンハイマーと、はじめは便利な道具としてダイナマイトを開発して後に兵器としての運用に取り組んだノーベルは対象的か?
死の商人も原爆の父も人類の歴史を変えてしまう発明をしたが、この二人がいなくても別の誰かが後で開発しただろう。
もし日本が先に原爆を完成させてたらどうなったのだろう?
第二次世界大戦下の1942年。 ヒトラー率いるナチスドイツの欧州で...
第二次世界大戦下の1942年。
ヒトラー率いるナチスドイツの欧州での勢いは凄まじい。
欧州大戦の決着をつけるべく米国は原子爆弾の開発に着手する。
いわゆる「マンハッタン計画」である。
統括管理者は工科出身のグローブス大佐(任官後、准将に昇進。ポール・ニューマン扮演)。
ニューメキシコ州のロス・アラモスに研究施設を設立。
当初は先進的なシカゴ派学者を中心に考えていたグローブスだったが、その思想背景から彼らを拒絶。
新進の科学者ロバート・オッペンハイマー(ドワイト・シュルツ)を中心にチームが組まれた・・・
といったところからはじまる物語は、「マンハッタン計画」のダイジェスト・・・といえばいいのかしらん。
特に前半はそんな感じがする。
オッペンハイマーは以下の若い研究員メリマン(ジョン・キューザック)のモノローグで物語は進むのだが、彼が知らないオッペンハイマー夫人(ボニー・ベデリア)のエピソードや、オッペンハイマーが夫人と結婚前から通じていた若き夫人ジーン(ナターシャ・リチャードソン)とエピソード、またオッペンハイマーとグローブスとの確執などがえがかれるので、純然たる狂言回しというわけではない。
そもそもの原爆開発の経緯は、ナチスドイツも開発着手の情報を得、それに先んじることが重要。
戦争の成否への決め手という側面が大きかった。
(つまり、開発当初は日本への投下が念頭に置かれていたわけはない、というところが重要)
前半は開発秘話、苦労話なのだが、それほど面白くない。
面白くなる(興味深くなる)のは、ナチスドイツ降伏後。
ナチスには原爆開発の技術もあったが、残る劇国日本には原爆など開発する余裕などない(技術的・その他の資源的にみて)。
つまり、このままの戦況が続いたとしたなら、遅くとも1945年秋には降伏する可能性が大きい。
降伏を促すカードとして、開発中の原爆の公開実験を日本に示すという手段もある・・・
が、降伏のそぶりを見せる日本に対して、公開実験が失敗の報が届けば、日本の降伏は後ろ倒しになる。
さらに、大戦終結後の世界覇権を握るためには、強大な兵器の力を誇示する執拗がある・・・
いくつもの思惑が絡んでの開発。
そこにあるのは、人知を超えた何かの筋書きのようなもの。
開発者オッペンハイマーも、殺戮兵器としての原爆については懐疑的なのだが、「装置の開発と、使用とは別物」と最終的には、科学者・開発者の欲望に負けてしまう。
被爆国日本人としては観ていて気持ちのいい映画ではないのだけれど、人知を超えた何かに屈してしまう姿は観るに値する。
人知は、ヒューマニズムや理性や愛などと言い換えてもいいのだけれど、人知を超えた何かを上手く言い表す術がない。
なお、映画後半には、人知の部分を若い研究員メリマンと彼が思いを寄せる看護婦(ローラ・ダーン)が演じており、エンニオ・モリコーネの音楽とともに甘美で切ない雰囲気を醸し出しています。
撮影はヴィルモス・ジグモンド。
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