「子供のため、とはどういうことか」I am Sam アイ・アム・サム ke_yoさんの映画レビュー(感想・評価)
子供のため、とはどういうことか
ビートルズファンの私は、劇場で初めて予告編を観た瞬間に観に行くことを決めた。
公開当時はまだ若く、素直に感動したに過ぎなかったが、今回は感じ方が当時と異なり、より深くこの作品を理解することが出来たように思う。
子供のため、とは便利な言葉で、虐待している親も子供のために躾をしていると思っていたりもする。
親の思うままにしようと何かを押し付けるときも、子供のためと言えば周りも本人も否定しづらい。
経済的に満たされた環境や社会からの目に拘るあまり、不仲なのに両親が揃っていることにばかり囚われる人もいる。
こんな風に大人の都合を子供のためと言うことの多くは間違ってると思う。
育てる能力が不足してると判断される知的障害者が一方的な欲を満たすために子供に執着することも、
一方で子供が望まないのに知的能力が不足しない環境で育つことを押し付けることも、どちらも違う。
でも、この作品はそのどちらでもない。
育てる能力が不足していようと、親子共に本当に愛と絆で結ばれているし、引き裂こうとしてるように見えるソーシャルワーカーや判事も、全員が心から子供のためを真剣に考えている。だから悪人がいない。
だから作品全体があったかくて、気持ち良い。
産み捨ててしまった母親だけが、ルーシーを愛せなかった…悲しいことに。だけど彼女もまた、子供のためになる決断をしたんだと思う。結果論だけど。
愛もないのに無理に育てようとして、結果不幸にも虐待死を遂げる子供がいたりする現実があるのだから、無理なら手放す勇気も必要なんだと思う。
そういう複雑さを、当時は理解出来ていなかった。
この作品は、社会が子供を育てるということをまるで教育的にではなく、フワフワとした暖かな物語に詰め込んでいる。そんな素晴らしい作品です。
俳優陣がどの方も本当に素晴らしくて、芝居だと感じる瞬間が全くないままずっと物語に入り込んで観ていられました。
ラストの描き方だけが、当時からどういう意味か理解出来ないとアチコチから指摘を受けてきたこの作品の不足点で、それは意味を理解した今回ですら、もう少し分かりやすくても良かったと感じたので、そこがマイナス0.5点です。
当時は観客に解釈を委ねてるのかと思っていたけど、監督の音声解説を聞くとそうではないみたいなので、それならばもう少し分かりやすくて良かったと思う。