七人の侍

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

数多くの傑出した黒澤監督作品の中でも、特に観客のみならず世界中の映画人に多大な影響を与えた代表作。これ以降「荒野の七人」「宇宙の七人」など、この映画を手本とした作品が多く作られたのは周知の事実。時は戦国時代のとある貧しい農村。農民たちは野盗と化した野武士たちの襲撃を恐れ、おののいていた。そこで村を守るために用心棒を雇うことを決意、食うに窮する七人の侍を探し出し、彼らとともに野武士に対抗すべく立ち上がる……。複数のカメラワークによる迫力ある立ち回りのシーンは見事。

1954年製作/207分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1954年4月26日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第29回 アカデミー賞(1957年)

ノミネート

衣装デザイン賞(白黒) 江崎孝坪
美術賞(白黒)  
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写真:Album/アフロ

映画レビュー

5.0何度観ても感動する、素晴らしい名画!

2025年1月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

日本が世界に誇る大傑作中の大傑作!!
207分の長尺が体感2時間程度のあっという間、70年前の作品とは思えない、見応え満点の“人間を描いた”スペクタクルアクション巨編!!

前半分は傭兵のリクルート、後半分は村を挙げての野武士との死闘、というグイグイ引き込まれる見事な脚本で3時間半まったく飽きさせないのが驚異的

野武士達も酷いけど、農民の方も生きるために残酷・残虐だったり、姑息だったり、貪欲だったり、するというシニカルなメッセージは納得がいくし現代にも通じる普遍的なテーマ

キャスティングも素晴らしい
島田勘兵衛を演じる志村喬さんがめちゃくちゃシブい、菊千代を演じる三船敏郎さんがめちゃくちゃエネルギッシュ、そのほか 千秋実さんや加東大介さん等々の最高のアンサンブルキャストが最高です

1ショット1ショットにこだわりを感じる、大巨匠 黒澤明監督の画力に圧倒されます
特に馬に乗って村を襲撃する野武士達や火を放たれた家屋の燃え盛る炎、そしてクライマックスの雨の中でのバトルシーンは大迫力、さすが世界の映画史に刻まれる大傑作の風格を備え、本作を観ること自体が素晴らしく意義のある体験でした

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共感した! 2件)
Jett

5.0いまさら

2025年1月6日
PCから投稿

無駄なシーン、ショットが皆無、全てのシーン、ショットが「シャシン」として完璧で、且つ全てのシーン、ショットが有機的に関連し合った上に核爆弾並みの爆発力を生み出した奇跡の作品です。

因みに東京物語と全く同じ評価です。

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越後屋

5.0破格な面白さ! これはリメイクしたくなる。部分的にも、全体通してでも。

2025年1月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

興奮

萌える

でも、日本ではリメイクしないでね。これだけの役者を揃えられないから。

とにかく、侍が格好良くて、気持ちよい。
そこに惹かれる。
 人格者の知将・勘兵衛。外から戻った勘兵衛に、七兵衛が当然の如く「すすぎを」と立ち上がるだけで、元は格のある家の出と知らせる。
 とはいえ、人格者といえど、リーダーは時に敬われ持ち上げられるかと思えば、些細なことで恨まれ背かれる。そこを絶妙にフォローするもう一人の人格者の知将・五郎兵衛。この五郎兵衛が、勘兵衛の人柄に惹かれていて、出すぎないのが良い。
 勘兵衛の古女房・七郎次。勘兵衛からこの戦いに誘われて、仔細も聞かずに応じる。「今度こそ死ぬかもしれぬ」にも、一瞬真顔の沈黙はあれど、笑ってほほ笑むだけ。格好いい!!! それだけでなく、自分が率いる農民チームを常に気遣い、元気づける。怖気ることは即、死だから。竹槍練習よりも、「走れなくなったら死だ」という心構えを教えるのが、歴戦の兵であり、農民を思うアドバイスで心に沁みる。
 対して、青臭さの残る勝四郎。子犬のようだ。一番弟子を自認しているが、七郎次には後れを取ってしまう。弟子の役目を果たしきれない、豊かな郷士の末っ子という甘さ・自由さも残している。初めて、人が死ぬ時を見た時の反応、人を殺してしまった時の反応が初々しい。
 求道者・久蔵。己の能力に求められる役目を黙々とこなす。勘兵衛が勝四郎に郷土に変えるように諭すシーンでの台詞を聞いている表情が何とも言えない。そして、勘兵衛に心酔していた勝四郎から絶賛された時の反応がかわいい。
 ムードメーカー・平八。「子どもだって、大人扱いしてやれば、へたな大人以上に働く」と勝四郎の仲間入りを、「なんとかと鋏は使いよう」と菊千代の仲間入りを助ける。菊千代とは別の意味で頓智が効いている。菊千代が家系図を出したときに、勘兵衛の後ろで、指を折って、菊千代の年を確かめているところがかわいい。
 トリックスター・菊千代。その破天荒なふるまいで、活路を開いたり、窮地に陥ったり、大切なメンバーを失ったり。勝四郎よりオミソ扱いされるが、侍仲間に入れただけで、嬉しいのか。彼なりに一生懸命ではある。感情表出も派手。他の侍たちが感情に封印して勝ち目を考えていることとのバランスが良い。勘兵衛に叱られてシュンとするところもかわいい。

そして、菊千代を除く侍の立ち振る舞いがこれまたキレッキレである。
 全力疾走しているときも、陸上選手のように前かがみでなく、上半身はきちんと立て、目の前の状況を判断しながら、腰を落とし、腰のものがぶらつかないように支えながら走る。
 勘兵衛演じる志村氏も、動くとなると機敏で驚いた。剣や弓の扱いも堂に入ったものである。驚いたが、まだ未見だが『姿三四郎』を演じられていたなと思い出す。
 七郎次をを演じる加東氏。まだ、『羅生門』『用心棒』『早春』『ここに泉あり』『浮雲』くらいしか拝見していないが、大変失礼ながら、こんなに格好いい加東氏は初めて。
 対して、菊千代演じる三船氏。わざと大ぶりで泥臭い演技をする。『羅生門』の時にもライオンとかの動物を意識して演じられたと聞くが、この映画もその延長であろうか。尤もライオンと言うより、孫悟空であるが。佐々木小次郎かくやという長い刀を持ち歩くが、実際の戦闘には、落ち武者狩りや敵から奪った普通の刀を何本も用意して対戦。『羅生門』と違うのは、今回はコメディセンス全開。そして、ふんどし姿に甲冑をまとい、その足の長さ、お尻を始めとする肌に美しさ、体操選手?と言いたくなるような体の動きに目が奪われる。

 こんな侍集団だが、こんな不利で益にもならぬ戦いに力を貸すだけあって、”侍”然としてふんぞり返っていないのがすごい。ちゃんと目の前の相手の意見をきく。辛酸舐めつくして生き抜いてきた心の広さなのだろうか。
 利吉達に相談されて勝ち目がないと勘兵衛が断った時に、人足から、利吉達が用意した報酬の意味を聞き、その価値と村人の願いに、はっとして、考え直す。
 せっかく来てやった村なのに、その村の歓待にむっとするところもかわいい。儀作が一生懸命言い訳するのも「これで、何をしろというのだ(守れない)」と突っぱねる。なれど、半鐘(板木)が鳴るや、侍達の機敏なこと。惚れてしまう。そして、菊千代と儀作のやりとりに笑い、村を守ることにする。
 そして、村人の落ち武者狩りを知って…。久蔵の言葉も当然であろう。久蔵たちの同胞を殺して奪ったものなのだから。そして彼ら自身の忘れられぬ記憶。だが、この時も、菊千代の言葉に思い直す。
 村人が約束した報酬でさえ、村の現状を見て、弱きものに分け与える。勝四郎の行いからの流れが良い。
 ”侍”はこうあるべきと言うのにも、とらわれない。トリックスターである菊千代の言動は、自分を大きく見せたいのか、とても大げさで騒がしい。そしてその大言壮語にも関わらず、できていないことも。できていないだけでなく、手抜きすることも。正直、近くに居たらはた迷惑でもある。だが、勘兵衛たちは命令違反やさぼりには叱咤するが、平八のリフレーミング的な意味づけの助けもあり、菊千代のことを許容してしまう。排除するのではなく、受け入れる。笑いに変える。懐の大きさよ。
 侍達は、そんな場面が多い。状況だけを見れば、不安で先行き真っ暗なのに、常に笑いを忘れない。おおらかな勘兵衛・五郎兵衛・平八だけではない。生真面目そうな久蔵・七郎次も大口を開けて、村人と一緒に笑う。決戦前でカチコチになっている村人に対しては「(勝四郎も)夕べからもう大人だ」といじって、笑いを取って、わざと緊張を緩める。菊千代も、彼らにいじられても、すねることもあるが、許容している。不思議な輪ができている。

そんな侍と村人のアンサンブル。
一見、ドンパチのアクション/戦争映画に思える。
そういうふうに、楽しむのもありだ。

でも、侍の生き様を描くとともに、村を始めとする社会を描いた映画だと思う。

村人の談合から始まる。
爺様・儀作の提案で侍探しが始まる。
 一番積極的なのは利吉。そのわけは、映画の中盤の明かされる。
 侍頼みにしたいのに、父とはしては当然と言えば当然の不安から、村を侍拒否に陥れるのは万造。
 その間を取り持つ茂助。村を守る作戦上、自分の家が犠牲になると知った時は反発するが、実際に野武士が襲来、家を焼かれた時には、村人に持ち場に戻るように叱咤する。個人的には次期村長に推したい。
 与平はコメディリリーフ。がちがちの3人に対して、ドジをしたり、泣き言を言ったりして、なんだかんだ言って中を取り持っている。演じるのは左卜全氏。集団訓練時の、あの間の外し方が芸術的。侍への報酬を盗まれたりするが、村では唯一?馬を持っている。落ち武者狩りで手に入れた槍を持ってきて、落ち武者狩りをばらしてしまうという、物語が動くきっかけを作る。
 その4人を中心に、その他大勢の、戦乱の世での生き様を描く。
 生き方が違い、意見が分かれても、爺様を始めとする仲裁の力を借りて、その時なりの落としどころを見つけて共存。
 婆様の言動。野武士との取引・犠牲。
 村人の仲裁をしていた儀作とその息子夫婦の最期。譲れぬもの。
 常に、したたかに、自分たちが生きていく方法を模索し実行する。決戦の前、「菊千代のいうとおりだな」と言うように。

物語の展開も秀逸。
 前半はこんな無理な願いに応えてくれる人はいるのか、いても烏合の衆では戦えない。どんな人が集まってくるのか。どう集めるのか。どう見極めるのかに心躍らされる。また、村内部の分断と結束もどうなっていくのかにハラハラさせられる。
 後半は、利吉の秘密、野武士の隠れ家襲来という派手なシーンはあれど、斥候、作戦遂行、ロマンスと地道な場面が続く。そしてためにためて、壮絶な決戦、エンディングと流れが良い。

ラスト。
村の様子と、侍の姿。
未来に続く慶びと、達成感はあるものの、失ったものも大きい。その時感じるのは虚無感か?
しのの決断。
有名なラストの言葉が心に沁みる。

でも、私は以下のようにも思うんだ。

★ ★ ★

≪以下、ちょっとネタバレに触れています≫

オープニングの、戦乱に巻き込まれ、窶れはてた村人の表情と、

ラストの、自信に満ち溢れ、喜びに満ちた村人の表情の違い。

単に、野武士がいなくなって、平和に農作ができる喜びだけではないと思うんだ。
侍達とのやり取りの中で、侍たちも農民に対する意識が変わったであろうが、
農民の方にも、侍にもいろいろな人がいると意識が変わったであろうが、
ただ、侍に守ってもらったのではなく、一緒に戦って野武士をやっつけたという自信も得たのではないか。
この村人の自信に満ちた表情は、侍と過ごした日々の賜物であると思うんだ。
自分たちには絶対にできないという思いにとらわれていた人々が、できたんだという自信を得た表情だと。そんな自信を村人に与えたのは侍達。
 もし、侍たちが野武士を追い払う手助けをしなかったら、村人は怯えた表情で田植えをしていたはずだから。
だから、勝ったのは村人と侍達だと私は思う。

尤も、もう一つの考え方として、農民の雑草の如くの生命力を「勝ったのは農民」と言っているのかもしれない。
 ついこの前まで、怯えていたのに、気持ちを切り替えて、村総出で田植えをしている。祝い唄を歌いながら。村人にも、犠牲者は出ているのに。その逞しさを言っているのだろうか。

何かを生み出すことのできる農民。生きるために、したたかな農民。
奪うことしかできない侍。
その生業のことを言っているのだろうか。

いろいろな複合的な意味に捉えられ、心地の良い迷宮をさまよってしまう。

それでも、明るい村人の顔や歌が一つの達成感と始まりを感じさせてくれ、
鑑賞後にすぐにリピートしたくなる。

(台詞は思い出し引用。日本語字幕なしとありとを見たけれど、大方の感想は変わらなかった)

コメントする 3件)
共感した! 13件)
とみいじょん

3.5農民を知るための映画でしょうか。

2025年1月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

難しい

言わずと知れた名作だか、いかんせん邦画はセリフが聞き取りづらく、更に年代物はまったく何を言ってるか、であったが、字幕、という便利な機能を知り、3回目にしてようやく全編見れました。余談であるが、この機能なら羅城門も観る気になれる。

さて、肝心の内容は、、
ハリウッドリメイク含め、7人ものはある程度観ており好きな映画ではある。そして本家本元。

物語、それぞれの侍のキャラ、というより気になるのは農民のボンクラ、無知能さぶり。そこの描写にただならぬこだわりを感じる。

当時の農民の無教養と、愚かさ、恍惚さと、侍の対比を通じた時代描写が裏テーマなんだろうか。ラスト、一夜の契はなかったものとして、農民に戻る娘。うむ、士農工商の壁はれっきとして越えられず、何人失おうとも、また田んぼを陽気に耕す。

最後に何人か侍は死ぬが、そこの死は必要なかったのかなあ。

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ho