17歳のカルテのレビュー・感想・評価
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【精神病棟の思春期少女たちの正気と狂気の狭間で揺れ動く心を描いた作品。アンジェリーナ・ジョリーの狂気性、哀しみを帯びた演技が圧倒的な作品でもある。】
■1967年。高校を卒業直前の17歳のスザンナ(ウィノナ・ライダー)は精神不安からアスピリンとウオッカを一瓶飲み薬物自殺を図る。
そして、精神病院「クレイモア」に収容される。
そこで同じく心を病みながらも、生きようとしている同世代の少女たちと知り合い、様々な形での交流を深めるなかで、スザンナは徐々に心を取り戻していく。
◆感想
・今作は、当時人気絶頂だったウィノナ・ライダーが原作の「思春期病棟の少女達」に惚れこみ製作総指揮をした映画だそうであるが、精神病棟に8年居る物凄くエキセントリックだが、繊細な心を持ったリサを演じたアンジェリーナ・ジョリーの物凄い演技が圧倒的な作品である。
・他には、クレア・デュヴァル、エリザベス・モス、残念乍ら早逝したブリタニー・マーフィなどの物凄く若い姿と、その演技合戦が見応えがある作品である。
・これは、全く結果論であるが、この作品でのウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーの演技を見ると、その後の二人の辿る道筋が何となく分かる気がしてしまうのである。
あ、エリザベス・モスの現在の演技は物凄いですがね。
<けれども、当時スザンナと同じ”境界性パーソナリティー障害”の経験があるが若きウィノナ・ライダーが映画化権を取らなければ、この作品はもしかしたら出来ていなかったかもしれない事を考えると、彼女の貢献は素晴らしいのである。
そして、長らく低迷していたウィノナ・ライダーが近年復活して来た事は、嬉しいモノだなあ、と今作を観ながら思ったモノである。>
タイトルなし(ネタバレ)
結末が父がコックのその父が調理したチキンしか食べない、その精神病院に入院しているその娘がベッド下に隠していたその父が調理した、何日間かたったそのチキンが見つかり、またその部屋がそれで匂って、また肉ばかり食べてると便秘になると思いますが、それをそのアンジョリーナジョリーに指摘され、別の部屋へ逃げて首を吊り、その娘が自殺ですが、その父とその娘ができていたと思いますが、それが近親相姦というのですが、現在の皇室が以前の天皇が生前退位で、海外の来賓が来日してましたが、昭和天皇の崩御の際ほどに著名な来賓がいなく、またタイでは以前に首相をしたタクシン元首相が逮捕やそのタイ王室の王が駐タイドイツ大使館で暮らしているそうで、また東南アジアにブルネイという国があり、そのブルネイ王室がそのブルネイから原油が出て、儲けてるそうで、石油で儲けてるひとを石油王と一般的にいいますが、日本が50年ほど前に米国に戦争で敗けて、裕仁天皇が人間宣言をしましたが
心の殻を破るティーンエイジ 自由とは?境界とは? どこまで正常でど...
悩める若者に見てほしい映画
周囲に馴染めない辛さ
体型コンプレックス
襲ってくる寂しさ
親からの性被害
自身のなさ
この映画は少女達と同じ気持ちになった経験があるかないか、そして今まさにその時かどうかで感想が変動する作品です。
「どうして皆無視するの!」リサの苦しみが爆発したシーン。
原作ではリサの親は面会に来ない。そして誰も自分を恐れて本音を言ってくれない。
スザンナとリサの本音の喧嘩のシーンはいつも涙が溢れます。
ウィック先生がとても良いですね。スザンナの心のズルさ、甘えを見事に言い当てる。
そしてその後はあたたかく見守る。
「ライ麦畑でつかまえて」は悩める少年向けなら、こちらは悩める少女達へのエールです。
『ここはナチスの拷問場よ』 『ここはまだ五つ星ホテルの様な所よ』
『ここはナチスの拷問場よ』
『ここはまだ五つ星ホテルの様な所よ』
正にその通り。ここに居られる事に文句は言えない。楽しそうじゃん。こんな話で本が書けて、ついでに映画化されて、印税が入ってくる。最高に幸せ。五つ星以下で苦労している有色人種の方々やこういった施設にも入れない貧困層はどうしているのだろうか。
カッコウの巣の上でを大いに意識して作った映画。但し、こちらの方がノンフィクションらしきの原作があるゆえ、現実的だろうが。
心理カウンセリングは受けた事ないが、なんだかんだ言わずに医者の言う事を聞く以外にないと思う。医療ミスの事を指摘する人もいるだろが、その場合、セカンド・オピニオンを利用して、医者を替えれば良い。どちらにしても、医者の言う事を聞く以外ないと理解する他ない。
恵比寿ガーデンシネマで当時観ました
もう、20年以上前に妹と恵比寿ガーデンシネマで
観て衝撃的で見終わった後余韻に浸って
考えさせられたのを覚えています
何回も観ました。音楽が昔のオールディーズで
名曲ばかり 映画の雰囲気が重いですが
入り込みやすいので 精神的にきますが…
アンジの演技力は凄かった!
眉前の前髪がとても良い 笑
スキーター・デイヴィスのこの世の果てまで
大好きな音楽ですが シーン的に印象深いので
聞く度に思い出されます。
シネマで見終わった後、無性にタバコが吸いたくなり
ガーデンプレイスの喫茶店で余韻に浸りながら
妹と話しながらお茶したのを覚えてます☺️
たまに見たくなる映画の1つです⭐
なぜ高評価?感じるものがなかった
演技とはいえあの目から感じる狂気が凄い
まるで昔の自分を見ているようだった。
強制的に施設に入れられて、社会から切り離されて、そこのルールに従わないと永遠に出られない。
青い人が見えなくなったといえば退院できるように、異常とは?正常とは?本当の意味での回復とは何か、、、
ラストの「快復した境界性人格障害」というのは、まともなふりして生きていけることが大人になるってことなのかなと思う。
流れに身を任せて何も考えないってすごく楽だけど「この一年無駄だった」と言えるほど現実に向き合えたスザンナは強い。
あんな所に入ったら、まさに人生の中断。
そんなところに8年もいた
リサ(アンジェリーナジョリー)の
狂気から孤独が痛いほど伝わる。
スザンナもリサも名演技。
言葉がなくても
目線や眉毛の動き、表情から感情が伝わる。
普通と病の境界は?
この時代にすでにボーダー(境界性人格障害)という言葉があったことに...
興味深い作品
こういう世界のお話はなかなか知ることができなかったりするのでそういう意味で見始めました。
印象的になセリフでどこに行っても(辛さ)は同じ
というようなことをセザンヌが言っていました。
看護や介護、保育する側や保護者や家族などは
病気を治して欲しくて施設や病院に行ってもらうけど
本人からしたら隔離されるとか、孤独だとか、変人扱い、病人扱いをされていると感じたり
より辛い気持ちになるのだろうなと思う。
「帰りたい」と言う気持ち,
病院や施設は家ではないから
帰るためのリハビリなんだよっていうことをとても感じさせられる。
施設や病院などに入居している人たちは「かわいそう」とか
偏見を持つのではなくて、それぞれがその場所で楽しく辛く生きている。
仲間と向き合うこと。心と向き合うこと。
開き直ると出られない。
エリート社交界的な中に身を置いていたから、異質に見えるのかな?と最初はウィノナライダー演じるスザンナを見て感じる。幻覚や不安、自殺未遂や同級生の父親と関係をもったりと確かに不安定な面は感じられるが、精神病棟に入れられるほど?と。妙に引っかかる、タクシードライバーの、「馴染むなよ」の言葉。
着いた精神病棟には明らかに言動が病んでいる女子がたくさん。馴染めるはずもない。劇中最も存在感があり展開を引っ張っていくリサも初めて見るとその言動の荒さに驚く。
ところが1人1人をよく見てみると、それぞれにそうなった背景があり理解もできるもので、病院側の監視・管理する見方は患者に寄り添ってはいないのかもと思い始める。どこからが精神病という境界線ってなんなのだろうかと考えさせられる。
スザンナも初日には違和感を覚えたリサが、実は仲間思いで情に厚い面があると知り、2人の距離はどんどん近付いていく。自然と他の患者達とも仲良くなり、薬を飲んだフリしてみんなで連れ立って管理された空間から夜中に抜け出して、息抜きしたり、自分のカルテを読んだり、自由を味わう。
過去に関係を持った同級生の兄が出征間近で、逃げるついでにスザンナを病院から連れ出そうと迎えに来てくれても、ここに友達がいるから、と残るほど。ただ、みんなが容易にお見通しの場でも、部屋にその男性を連れ込んだりする。
それでも病棟内ではかなり正常者に見えるのだが、スザンナには境界性人格障害という病名がはっきりついている。大きなトラウマやトラブルというきっかけを持っていないスザンナの病は登場人物の中でもっとも理解するのが難しい。極端な思考の現れとして、反政府象徴のフランスたばこを持っていたくらい?
劇中のウーピーゴールドバーグに言わせれば「あなたはまともな方。殻を破ろうともがいてる子供。」との事。
それって病気なの?!と感じるけれど、作家になりたいスザンナには、この病棟での経験は素晴らしい題材になる!と思う。実際この作品を作ったのもスザンナ本人で、立派に作品として昇華させている。
でもある日、リサと共に脱走し、退院した患者デイジーを訪ねたところから話は変わっていく。洞察力に富んで機転がきくリサだが、相手が最も言われたくない事に気付き追い詰める習性がある。治癒していないが退院し、父親から囲われ性暴力を受け、自傷行為や過食、下剤依存のデイジーはリサの発言が引き金を引き翌朝自殺。
それでも心が傷まず逃亡するリサ。「誰もが死の瀬戸際にいて、自分ではなかなかできないから背中を押してほしいだけ」とのこと。
理解に苦しんだスザンナだけは病棟に戻り、リサと離れてみると刺激やスリルはないけれど落ち着くと気付く。
そして、デイジーの死をきっかけに、もしも正常な人ならなんとかできていたのではないかと思い始め、自己と向き合い始める。
「自分のどこが異常かわからない病気が回復すると思う?」とウーピーゴールドバーグ演じる婦長に相談したところ、
「理解できている。今はっきりと口にした。それをドクターに話しなさい。書き留めなさい。」
と告げられる。
そこから他の患者の事も客観的に観察し始めると、皆、さまざまな背景やきっかけを持つが、いつまでもその事柄にすがりついて変わることから目を逸らしていると感じる。
「あなたはここでしか生きられないの。哀れね。」とリサに物申すシーンもある。
リサも、周りと同様そんな自分が嫌で死にたいけど、誰かの死への背中を押すばかりで、「なぜ誰も私の背中は押してくれないの」と泣き崩れて本音を吐露。
病院のカリキュラムに真面目に取り組み退院を決めるスザンナ。そのあと、1970年台にはリサ含め他の患者達も殆どは退院したとのこと。
60年台のアメリカ、外にいてもキング牧師暗殺などただでさえ多感な年齢なうえ普通より心の揺らぎの大きい患者達にとって、バランスを崩しやすい環境下だったのかもしれない。そう思うと、入院環境は、その時はいるべき最善の場所だったのかもしれない。
ただし、正常か異常かの境界線がかなり曖昧な精神病において、境界の基準は、「自分を根本から好きで愛せているか」なのだと思う。それは精神病ではないとされていても同じ。おかしいと言われてしまうのなら、話に耳を傾けてみる、誰かのせいで傷つけられてそうなっていたとしても、再び自分を愛するには、傷を癒さないといけない。周りの環境で、傷ついた自分を認めて受け入れられるようになったりと変化はあっても、傷そのものを癒すのは、心の傷であっても自らから出す自然治癒力。目を背けたり、他責にしていては治らない。
でも、いきなり逃げずに向き合うなんて誰しもできなくて、まず馴染んで受け入れる過程も必要なんだろうと思う。ただ、そのぬるま湯に安住していては次のステップに行かれないよと言うことなのだろう。
異常と正常の違いってなんだろう?
正常ってどういうこと?
様々考えさせられ、他人事と思いがちな病名達を自分事として近しく感じさせてくれる作品。
それぞれ傷を抱えそれがえぐられたりしながらも、ある意味不完全な患者達同士で癒しあったり、ウーピーゴールドバーグが適度な距離感で真実を温かく優しく指摘してくれたり、楽しさやあたたかみもある作品だった。
アンジーの存在感
10代で観てもらいたい作品
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