ゴーストワールドのレビュー・感想・評価
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浮遊せよ、乙女
イーニドとレベッカの二人組をみにいきましたよ~
『ナインハーフ』をみたことが果たしてよかったのか、よくわかりませんがーというかワンシーンだけやんー、ちゃんと笑いました。
けれど高校卒業直後にみていたら、死にたくなっていたと思う。『ナインハーフ』と同様に死への雰囲気が漂っている。
誰にだって人生や他者に対して斜に構えたくなるときはあるはずだ。素性の悪い同級生のクソみたいな改心スピーチとかくだらないと思うし、いけいけなクラスメイトはバカやっているだけと思ってしまう。美術の授業で言われる「自己実現」なんて碌でもない。将来もよく分からないが退屈だ。大学行っても働いてもどうせたいしたことはない。家族も男も最悪だ。なんで父は母と再婚したいのかよく分からないしー母はイーニドそっくりだけどー、同級生もロックを囓る若者もどうしようもない。なんで「個性的な」私をみてくれないの?なんで私の人生は最悪で、家族も男もしょうもないの?と。
だからイーニドは同じ心持ちのレベッカとつるんで、中年のレコードオタクのジョシュに惹かれるのだと思う。ジョシュには「大人の余裕がある」。けれどオタクでモテそうにない。だからレベッカより「可愛くない」私でもイケる、と。
けれどイーニドの周りの人は「居を構えている」のですよね。みんな自己実現のために働いているわけではないけれど、ちゃんと働いて自分で生計を立てている。それはジョシュもレベッカも彼女の父も、同級生もそうだ。みんな現実的な判断をして生きている。そしてレコード集めたり、新居のためにインテリアを買ったり準備している。彼女を思って料理をつくったり再婚の決断をしている。車を運転している。十分立派な大人だ。
イーニドが大人の域に達していないのは明らかだ。彼女がジョシュに恋人ができたことへの腹いせで色恋を仕掛けるも恋敵にさえ思われない。これは悲惨だ。彼女がいくら胸元を開けた服を着ようともその「大人らしさ」は見向きもされない。
だから彼女の移動は断絶する。彼女が懸命に自分らしく生きようと、レベッカやジョシュ、バイト先や美術の先生の元へ移動しようとも、彼らの大人の様によって「生」が断絶される。その時、イーニドはゴーストのように彼らとの人生から浮遊していく。
こんな浮遊の最中にいたら自分も死にたくなってしまうと思う。イーニドには希望はない。レベッカに謝って同居を始めることも、ジョシュと恋仲になることも、仕事を得るか大学に進学する未来もすれ違いによって失われる。
彼女がひかれる人物がいる。ホームレスの男だ。彼は廃線になったバスのベンチでひたすら座り「留まり」続ける人物だ。彼は「居を構える」わけでも「斜に構える」わけでもない。ただ移動の契機を失って「死」を待ち続ける男だ。では彼女の運命は?ホームレスの元にはなぜかバスがやってきて、イーニドにも同じバスがやってくる。それは彼女の誰にも知られず旅に出る希望のように思える。しかし私にはどうしても彼女が死へと逃避行したようにしか思えない。
お先が真っ暗だ。イーニドにはその選択肢しか考えられなかったろうし、私もそうしたはずだ。けれどやっぱり彼女には生きていてほしいと今の私は思う。だから必要なのは旅ではなく再会だ。謝ればみんな許してくれる。みんな大人なのだから。そしてもういっかい移動を始めればいい。断絶がある行き先もあるかもしれない。けれど、イーニドのファッション・センスは悪くないと思うし、その道はまだ途絶えていない。
いたい
出町座さんが『卒業などで、もうじき京都を出る方に捧げる1作。』と紹介されていたので、ちょうど今月末に卒業式(とは言っても学部と変わらず京都の大学院に進学する)を控えいる私としては観るっきゃないと思い立ち、友人を誘い、最終日の今日観てきた。
『愛すべきボンクラな街の日々をスクリーンでぜひ。とのことだったので、メインビジュアルの2人の少女がひっちゃかめっちゃかバカをやりながら幽霊退治でもする話かと思っていたが、そこにファンタジー要素はなく、ひたすらに現実が映し出されていた。どうやらゴーストというのは失われたアメリカの古き良き町並みや文化のことを指していたらしい。
主人公であるイーニドは、そんなサブと成り果てたカルチャーを好む。この点、サブカルが好きな自分に酔っている節も少し感じつつ、とにかくこのイーニドを見ていると私の心の奥底が「いたたたた」と呻くのだ。こうやって夜な夜なひとりで映画のレビューを書くような女にとって、イーニドはまさに自分の痛痒いところが煮詰まっていた。周りとは違って「本物の」カルチャーが好きで、商業化されたメインカルチャーを好みマニュアル化された社会に馴染む大衆を冷笑する。この辺は購入したパンフレットでも概ねのライターさんが触れていたが、私としてはもうひとりの主人公であるレべッカに対するねたみも共感出来た部分である。
レベッカはおそらくルーツ(あまり詳しくないが、イーニドはユダヤ系でレベッカはアイルランド系?)やその容姿のために異性からモテるが、イーニドには誰も異性として近寄ってこない。そしてイーニドは家にも問題を抱えていることもあり、おそらく本人も気づいていないうちに大きくなった孤独や寂しさで性的な欲求不満に繋がっていった。私が思うに、イーニドは確かに、最初はおふざけ100%だったとしても徐々にシーモアに惹かれていっていた。しかしそれは性的な欲求不満のさなかで生まれた気持ちであり、シーモアと気持ちが通じ合って一晩を一緒にし、性欲や承認欲求が満たされたことで、感じていたシーモアへの好きが何か違うことに気づいたのではないだろうか。こういった感情には私も覚えがあるため、顔を歪ませながら観ることとなった。どうか隣に座っていた友達には気づかれていませんように。
私自身、イーニドの苦悩や葛藤、青さを経験済みであり、今なお継続中でもある。そんな自分を少しでも変えようと、この春休みは形態を問わずいろいろな作品に触れることを目標としている。実際、少し心の波が穏やかになったように感じるし、受かっている大学院を休学して再受験することを決断するなど、まさに変化を遂げている最中である(まだまだやわらかい蛹のようなものだが)。そんな中出会ったこの一作は、自分の「青春」を見つめ直すきっかけを確かに与えてくれた。しかも公開年は2001年と、私の生まれ年である。今回は22年ぶりのリバイバル上映とのことであったが、今からさらに22年後、もしまた本作がリバイバル上映されたとして、私はこの映画を心穏やかに観ることができているのであろうか。まだまだ尖り、拗らせ盛りの学生であるが故、そうなった自分は本当に自分と言えるのか、などと疑念を抱く部分もあるが、どうか自分自身納得のいく人生を歩んでほしい。23歳、20代前半、もう少しがんばってみよう。
ビッグマックとナイキじゃ満足できない
これはシスターフッドもの…でいいんだろうか。
冒頭イーニドだけを映すことで、あくまで彼女が主役だと分かりやすく明示してくれる。
正直、イーニドの捻くれ具合は拗らせでは済まない。
社会をナナメに見て、何にでも文句もつけ、そのくせ高卒の資格は欲しいし、かといって何をするでもない。
上を見下すような態度は滑稽さと不快さが常に付き纏う。
自分からレベッカを蔑ろにしたにも関わらず、彼女の自立に苛立つなど、自分勝手な面も目立つ。
そんなイーニドが唯一惹かれたのがシーモアだが、ここの感情もよく分からない。
恋人をアテンドしようとしたにも関わらず、いざ上手くいくと不満を見せる。
単純に自分が最優先でないことが嫌なのかと思えば、ガッツリ寝ちゃうもんだから理解不能。
シーモアも、広告を出すほど焦がれていたデイナからあっさり乗り換えるし…
共感できたのは自立し始めたレベッカ(客を殺したくなるというのも含めて)のみ。
実在するかも曖昧なバスに乗るラストもスッキリしない。
あの世に逝ったというよりは劇中で語っていた旅に出たという流れな気はするが…
展示会で問題になったあの絵のどこがダメなのかも分からなかったので、文化的な理解が足りないのか。
あの美術の補修はむしろ楽しそうだった。
【少し背伸びした、エキセントリックなハイティーン女子のモラトリアムの中での恋とモラトリアムからの旅立ちを描いたオフビートで、ポップカルチャーな世界感も良き作品。】
■幼なじみで親友のイーニド(17歳のソーラ・バーチ)とレベッカ(15歳のスカーレット・ヨハンソン)は高校を卒業したものの、進路も決めず町をぶらつき、面白い事を探す気ままな毎日を過ごしている。
そんなある日、2人は悪戯心から、新聞の出会い広告欄に載っていた冴えない中年男シーモア(スティーブ・ブシェーミ)を呼び出して尾行する。
イーニドはダサくても自分の世界を持っているシーモアに興味を抱き、彼の理解者として、親交を深めていく。
一方、レベッカはアパートを借りるために珈琲ショップで働き始め、自立しようとする。
同居生活を計画していた、イーニドとレベッカは次第にすれ違うようになっていく・・。
◆感想
・前半はイーニドとレベッカの背伸びし、大人ぶった態度が可愛い。
- スカーレット・ヨハンソンって、15歳からハスキーボイスだったんだ!-
・主役はソーラ・パーチが演じた眼鏡女子イーニドである。彼女は最初はダサいと思っていたシーモアが、ブルースを愛する姿に、徐々に引かれて行く。
- だが、彼女はストレートに想いを伝えられず、彼が興味を持った女性を紹介するのである。-
・イーニドは、幾つかバイトをやっても口が悪い為に直ぐ首。一方レベッカは珈琲店に就職し、アパートを借りる為に働く。そして同居生活を夢見ていた二人の間に、徐々に距離が出来る。
<今作品のラストが秀逸である。バス路線が廃止されたバス停留所でバスをずっと待っていた初老の男性の前にナントバスが来るのである。それを見たイーニドもバス停に座り、来たバスに乗り込んで街を去るのである。今作品はモラトリアムを過ごした少しエキセントリックなハイティーン女子の恋と旅立ちをオフビートでポップカルチャー溢れるテイストで、描いた作品なのである。>
<2024年1月7日 刈谷日劇にて鑑賞>
どうも初見だったようで
主人公イーニドのもがきっぷりが面白かった。
オシャレだけど終始どことなくばらばらなファッションセンス
髪を染めたり戻したり、無二の親友(だったはず)もいつの間にか距離ができる
シーモアへの同情か尊敬か恋慕か、ゆらいで定まらない感情
無軌道で周囲を冷めて見ていそうだが内情は七転八倒しているような主人公。
そんな彼女がどんどん孤立していくところが秀逸。
周囲を掻き回しながら自分を見つけようとするイーニドになんだか共感できる。
よくいわれるような自分探し? ってやつに自分もみに覚えはある。
ちゃらけていて冷めたように見える彼女にポイントで現れる赤が印象的で、
そこにそこはかとない熱情が垣間見れる。
自分から出店したはずのガレージセールで何一つ売ろうとしなかったイーニドが
ラストはカバン一つ、赤をまとって街を脱出する。
っていうか、あの足取からして何かが定まりやっと入り口に辿り着いた姿に見えた。
─求めよさらば与えられん。
だから「鈍行」か「特急」かは知らないが、何かを求める者だけに与えられる「バス」、
とゆー解釈に勝手にしとく
全く合わなかった、ごめんなさい。
青春ドラマと言えば聞こえがいいのですが
重度の厨二病映画で
おしゃれでPOPな作品が好きな人には
どはまりするのでしょう。
レビューサイトの評価がのきなみ高くて
正直大変驚きました(苦笑)
実を言うと、まったく興味なかったのに
ある勝負に負けたくなかったのと
まぁ評価高いから観てみるぅ?みたいな感じで
挑んだのが大失敗です。
こんなやつに評価されたら本作に悪い気が
してきましたw
そうです、己の六感をやはり信じなくてはなりません🤣
10代に観ていればもっとイーニドに共感できたのか
否✋
自分はそういうtypeではないので
同世代時に観たとしても共感は出来ず
終始イライラしていただろうと思います。
初めて観たけど懐かしい
ブシェミが若い!
マイフレンドフォーエバー以外のブラット・レンフロ初めてかも!L.I.P
2001年、わたしは二十歳になる年で、大学生だった。ゴーストワールドはもっと後年知った。公開時に知るほどの感度がなかった。なので2023年に初見です。
ソーラ・バーチ演じるイーニドの、不機嫌な顔や、人を小馬鹿にするところや、反抗的なところ、何かを待っているところは、かつてのわたしににも確かにあった部分だなって思った。いや、今もか。なので、イーニドの言動は痛くて懐かしかった。
世間とずれてて寂しい男として描かれるシーモアは、2023年に見るとそんなに悪くない同世代の男だなぁと思った。若い娘であるイーニドとヤッてからの言動はキモいけど。
スカヨハはそんなに内面を描かれるわけではなく、高校時代が終わって自然と道が分かれる幼馴染として描かれてた感じ。
イーニドのお父さん、かわいかったw
美術クラスの先生と、その先生に気に入られようとする生徒もおもしろかった。
シーモアの勤務先と、KKKの関係がよく読み取れなかった。
自室にある電話いいなぁ。あーゆうの憧れたなー。
カセットテープに詰め込んだ自意識が懐かしいなぁ。とかもおもった。
イーニドはラスト街を出たっこと?
いつもいるはずだった老人が、廃線のはずだったバスに乗って旅立った。そのベンチには「not in service」って書かれてる。待てば来ると老人は言ってた。それに倣ったのかな?
若い人もたくさん見にきてて、なかなか盛況だった。
題名の
意味は何だろう? イーニドが今居る世界なのか、バスに乗って行ける世界なのか、自分には自殺したとは思えなかった。
説明の出来ない焦燥感から一人抜け出せない主人公、親友はいち早く進んで行った。でもジョシュくーんと呼び出すのはどうなの? にしても二人とも豊体だなぁ(感嘆)
今観たからこその面白さもあると思う
スカーレットヨハンセンとかさ、スティーヴブシュミとかさ、見知った俳優の過去を見るのいいよね。
スティーヴブシュミってさ、「レザボアドックス」の冒頭で、チップを出すの渋る人だよね。あの時は結構ちょいワル系だったけど、今回は冴えないおじさん役。どっちもあってる
スカーレットヨハンセンのレベッカは最初こそイーニッドと同じようにはっちゃけてるけど、中盤以降モラリストっぽくなっちゃって少しパンチが弱まったかな?イーニッドの変人ぶりとバランスとったのかな?とも
主人公イーニッドの
なーんとなく、イラつく
って感じのアンニュイさと周りに合わせられない個性的なキャラで、結構いいよね。こういう映画って出だしからドンドン女優が魅力的になるのが不思議!ま、スカーレットヨハンセンは最初から美女すぎるけど😅
2001年製作らしいけど、当時だったらまた違った印象感想なんだろうな。観る側だって歳とって感性変わってるしね。スカーレットヨハンセン、当時15歳?色気ありすぎだよね😅
ゼロ世代のアメリカングラフティ的なテイストだよね。こういうのはどの年代でも結構いいんだよね。同世代の時に観たら、と考えると少し面白い。今回のように★4つけるかはわからないけどね。
十人十色 皆それぞれの道を歩んでいく👣
「きちんと」物事をこなすことが出来るのはとても凄いことなのである。
世の中には、社会に適応できる人・できない人がいる。
また、誰かが期待した能力を発揮できない人、予想通りの成果をあげられない人もいる。このような人を見かけたとき、つい陰口を言ってしまったり、場合によっては「なにやってんだ!」と怒りたくなることもある。このような時も一度冷静になって、「この人も自分なりに努力をしているのかもしれない」や「世の中が定めた"普通"に到達しようと必死なのかもしれない」と自答することを決しては忘れてはいけないと考えた。
どうしても視覚情報から物事や人を判断してしまうことが多いが、人は見た目だけでは判断してはいけない。見えてるものは氷山の一角に過ぎないのかもしれない。
良い作品に出会えた。
変わる関係性。
幼なじみで親友イーニドとレベッカの話。
高校卒業し、進学、就職せず遊んでた二人の女子、ある日悪戯心で新聞に掲載されてる出会いの広告欄から中年男シーモアを呼び出し尾行…後に遊びで呼び出したシーモアの趣味と彼自身に惹かれてくイーニド…一方レベッカはカフェでバイト始め…いつも仲良く一緒にいた二人がすれ違い始めるストーリー。
わがまま、独占欲、いつまでも大人になれないイーニド、飲み屋で声掛けた女性をシーモアに紹介するも上手くいき始めると邪魔しちゃったり、金欠で私物を自宅前で売り出してもいざ買い手がつきそうになると売らなかったりと、どういう感情!?と、少しずつ大人へ変わっててしまうレベッカって感じ。
私も高校卒業後、バイトしながら2年位遊んでた時期があったけど、この時はホントにこんな生活でいいのか?!って、毎日焦ってたな!(笑)
超名作。ラストの来ないはずのバスに乗るのはGhost Worldに...
超名作。ラストの来ないはずのバスに乗るのはGhost Worldに行ってしまった。のではなく、Ghost World(上手くつながることが出来なかった世界)から抜け出したんだと思う。新しい現実世界へ向かう為に。
悩ましい
立川シネマシティで12月2日
新潟シネウインドで12月30日に改めて鑑賞
初見の記憶を辿ると、バスでどこに向かっていったのだろう、だった。その記憶が強くて、内容がこんなに短かったっけ?と思った。もっと長かった気がした。
改めて思ったのは、イーニド、イーニドのような人の生きづらさだった。自分らしく振る舞っていけばいくほど社会から外れていく寂しさ、合わせなけばいけないというマイナスなのかプラスなのか悩ましくなる努力を要求されてるイーニドの痛々しさが自分と重なって辛くなる時と、いきすぎてて笑える時とが振り子のようにいったりきたりする。親友のレベッカが、ラスト近くにアイロン台を自慢する姿が、マジョリティの象徴に見えて、それを肯定しなければならなくなっているイーニドの苦しさが辛い。
イーニドはあの世界に居場所を見出せなかったのか、見出しかけた世界の虚無感に耐えられなかったのか。自分を変える、というと肯定的なイメージがあるけど、ゴーストワールドをみると、変えられない人もいていいはずなのにな、とか思う。
シーモアは、イーニドにとって、結局なんだったんだろう。気まぐれだったのだろうか。
ラストにバスに乗ってどこかへと向かっていく。初見の際、年一とかの特別便があったんだろうと解釈してて、新たな居場所を探しに行ったのだろうか、と思ったけど、解釈によってはあの世へのバスらしく、そう思ってみると、とても寂しく見えた。と、もしかしたら、どこかで幽霊バスが走っているのかもしれないな、と思った。
最高傑作
主人公のイーニドは他人のはしゃいだり、わざとらしく振る舞っている様子を嘲るような性格の悪いタイプで、常に世間を批判的に見ている。しかしだからと言って自分に何ができるわけでも、褒められるような何かがあるわけでもなく、そのギャップに苦しんでいる。感情を押し殺したような無表情はそういった思いの表れなのだろう。
彼女はおしゃれでメガネや洋服に気合を入れ、奇抜な装いをする一方、可愛らしい顔の割にだらしない体型で、そういったところも面白くないと感じているのではないだろうか。
高校を卒業し、最後の休みが終わろうとしていた。現実と向き合わねばならないタイムリミットが迫ってくる。結局彼女は周囲をかき回し、何をすることも選ばず幽霊バスで旅立ってしまう。どこかの町で暮らしているのだろうか。それとも死んでしまったのだろうか。
イーニドは処女ではないようだったのだが、描いている精神は童貞そのもので、女版の童貞映画だ。童貞漫画家の大家と言われるオレがそう思うのだからそう認定したい。
孤独な心に寄り添うような素晴らしい映画だった。公開当時シネウィンドで見たのかDVDかビデオのレンタルで見たのか、記憶があやふやなのだが、何度か見ている。こうしてイオンシネマのシネパスで改めてスクリーンで見れて嬉しかった。
(追記)
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