「浮遊せよ、乙女」ゴーストワールド abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
浮遊せよ、乙女
イーニドとレベッカの二人組をみにいきましたよ~
『ナインハーフ』をみたことが果たしてよかったのか、よくわかりませんがーというかワンシーンだけやんー、ちゃんと笑いました。
けれど高校卒業直後にみていたら、死にたくなっていたと思う。『ナインハーフ』と同様に死への雰囲気が漂っている。
誰にだって人生や他者に対して斜に構えたくなるときはあるはずだ。素性の悪い同級生のクソみたいな改心スピーチとかくだらないと思うし、いけいけなクラスメイトはバカやっているだけと思ってしまう。美術の授業で言われる「自己実現」なんて碌でもない。将来もよく分からないが退屈だ。大学行っても働いてもどうせたいしたことはない。家族も男も最悪だ。なんで父は母と再婚したいのかよく分からないしー母はイーニドそっくりだけどー、同級生もロックを囓る若者もどうしようもない。なんで「個性的な」私をみてくれないの?なんで私の人生は最悪で、家族も男もしょうもないの?と。
だからイーニドは同じ心持ちのレベッカとつるんで、中年のレコードオタクのジョシュに惹かれるのだと思う。ジョシュには「大人の余裕がある」。けれどオタクでモテそうにない。だからレベッカより「可愛くない」私でもイケる、と。
けれどイーニドの周りの人は「居を構えている」のですよね。みんな自己実現のために働いているわけではないけれど、ちゃんと働いて自分で生計を立てている。それはジョシュもレベッカも彼女の父も、同級生もそうだ。みんな現実的な判断をして生きている。そしてレコード集めたり、新居のためにインテリアを買ったり準備している。彼女を思って料理をつくったり再婚の決断をしている。車を運転している。十分立派な大人だ。
イーニドが大人の域に達していないのは明らかだ。彼女がジョシュに恋人ができたことへの腹いせで色恋を仕掛けるも恋敵にさえ思われない。これは悲惨だ。彼女がいくら胸元を開けた服を着ようともその「大人らしさ」は見向きもされない。
だから彼女の移動は断絶する。彼女が懸命に自分らしく生きようと、レベッカやジョシュ、バイト先や美術の先生の元へ移動しようとも、彼らの大人の様によって「生」が断絶される。その時、イーニドはゴーストのように彼らとの人生から浮遊していく。
こんな浮遊の最中にいたら自分も死にたくなってしまうと思う。イーニドには希望はない。レベッカに謝って同居を始めることも、ジョシュと恋仲になることも、仕事を得るか大学に進学する未来もすれ違いによって失われる。
彼女がひかれる人物がいる。ホームレスの男だ。彼は廃線になったバスのベンチでひたすら座り「留まり」続ける人物だ。彼は「居を構える」わけでも「斜に構える」わけでもない。ただ移動の契機を失って「死」を待ち続ける男だ。では彼女の運命は?ホームレスの元にはなぜかバスがやってきて、イーニドにも同じバスがやってくる。それは彼女の誰にも知られず旅に出る希望のように思える。しかし私にはどうしても彼女が死へと逃避行したようにしか思えない。
お先が真っ暗だ。イーニドにはその選択肢しか考えられなかったろうし、私もそうしたはずだ。けれどやっぱり彼女には生きていてほしいと今の私は思う。だから必要なのは旅ではなく再会だ。謝ればみんな許してくれる。みんな大人なのだから。そしてもういっかい移動を始めればいい。断絶がある行き先もあるかもしれない。けれど、イーニドのファッション・センスは悪くないと思うし、その道はまだ途絶えていない。