「いたい」ゴーストワールド ブールドネージュさんの映画レビュー(感想・評価)
いたい
出町座さんが『卒業などで、もうじき京都を出る方に捧げる1作。』と紹介されていたので、ちょうど今月末に卒業式(とは言っても学部と変わらず京都の大学院に進学する)を控えいる私としては観るっきゃないと思い立ち、友人を誘い、最終日の今日観てきた。
『愛すべきボンクラな街の日々をスクリーンでぜひ。とのことだったので、メインビジュアルの2人の少女がひっちゃかめっちゃかバカをやりながら幽霊退治でもする話かと思っていたが、そこにファンタジー要素はなく、ひたすらに現実が映し出されていた。どうやらゴーストというのは失われたアメリカの古き良き町並みや文化のことを指していたらしい。
主人公であるイーニドは、そんなサブと成り果てたカルチャーを好む。この点、サブカルが好きな自分に酔っている節も少し感じつつ、とにかくこのイーニドを見ていると私の心の奥底が「いたたたた」と呻くのだ。こうやって夜な夜なひとりで映画のレビューを書くような女にとって、イーニドはまさに自分の痛痒いところが煮詰まっていた。周りとは違って「本物の」カルチャーが好きで、商業化されたメインカルチャーを好みマニュアル化された社会に馴染む大衆を冷笑する。この辺は購入したパンフレットでも概ねのライターさんが触れていたが、私としてはもうひとりの主人公であるレべッカに対するねたみも共感出来た部分である。
レベッカはおそらくルーツ(あまり詳しくないが、イーニドはユダヤ系でレベッカはアイルランド系?)やその容姿のために異性からモテるが、イーニドには誰も異性として近寄ってこない。そしてイーニドは家にも問題を抱えていることもあり、おそらく本人も気づいていないうちに大きくなった孤独や寂しさで性的な欲求不満に繋がっていった。私が思うに、イーニドは確かに、最初はおふざけ100%だったとしても徐々にシーモアに惹かれていっていた。しかしそれは性的な欲求不満のさなかで生まれた気持ちであり、シーモアと気持ちが通じ合って一晩を一緒にし、性欲や承認欲求が満たされたことで、感じていたシーモアへの好きが何か違うことに気づいたのではないだろうか。こういった感情には私も覚えがあるため、顔を歪ませながら観ることとなった。どうか隣に座っていた友達には気づかれていませんように。
私自身、イーニドの苦悩や葛藤、青さを経験済みであり、今なお継続中でもある。そんな自分を少しでも変えようと、この春休みは形態を問わずいろいろな作品に触れることを目標としている。実際、少し心の波が穏やかになったように感じるし、受かっている大学院を休学して再受験することを決断するなど、まさに変化を遂げている最中である(まだまだやわらかい蛹のようなものだが)。そんな中出会ったこの一作は、自分の「青春」を見つめ直すきっかけを確かに与えてくれた。しかも公開年は2001年と、私の生まれ年である。今回は22年ぶりのリバイバル上映とのことであったが、今からさらに22年後、もしまた本作がリバイバル上映されたとして、私はこの映画を心穏やかに観ることができているのであろうか。まだまだ尖り、拗らせ盛りの学生であるが故、そうなった自分は本当に自分と言えるのか、などと疑念を抱く部分もあるが、どうか自分自身納得のいく人生を歩んでほしい。23歳、20代前半、もう少しがんばってみよう。