飼育(1961)のレビュー・感想・評価
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ただただ怖ろしい。
原作既読。……ほとんど覚えていませんが。
観終えた後「あれ?こんなに濃い内容だったかしら?」と思い本棚に手を伸ばしたわけですが、ページ数の少なさにびっくり。原作をヒントに物語を広げていった映画のようですね。
冒頭からホラーのような演出で始まり、終始重苦しい雰囲気で展開していくストーリーは、浅ましさ、愚かさ、醜さ、嫉妬、虚栄、憎しみ等、人間の嫌な部分だけを切り取ったかのようで狂気すら感じさせます。
音楽が恐怖を煽り、役者の迫真の演技が緊張感を生み出しております。ただし、方言がきついため、セリフはほとんど聞き取れませんでした。なので正確にレビュー出来ないので星4です。すみません。
後味は非常に悪いです。鬱エンドと言って差し支えないでしょう。まぁ、大江作品は大体後味悪いし、そこは原作通りといったところ。
終戦間際のお話ですし、本作製作当時の時代背景も全く知らないので、社会風刺があったのかは分かりませんが、とにかく村社会の暗部を抉るような作品でした。
敵国の黒人兵の存在が、「ムラ」社会に混乱をもたらす人間の暗部。
1961年(昭和36年)、戦後16年目に公開されたモノクロ映画。
1958年(昭和33年)に芥川賞を受賞した大江健三郎の同名小説の映画化。
「太平洋戦争の末期、米軍機が山中に墜落し、黒人兵士が村人に捕らえられる。村に巻き起こる混乱を捕虜のせいにして収拾しようとする村人たちの姿に、戦時下の庶民の心の暗部を浮かび上がらせる。」(広島市映像文化ライブラリーフライヤーより引用)
田舎の山奥に暮らす人々が鬼畜米英の黒人兵を捕まえたところから物語が始まる。捕虜の対応は定められており適切に対応しなければならない。そこで暮らす多くの農民たちは自らも生きるのが精一杯の中、敵国の兵隊に食事を与え、世話すること自体大問題。
「ムラ」の組織としての町内会長、負傷した軍人の町役人がそこを仕切る。黒人兵は縛られたままにもかかわらず、その兵士がそこにいることで、村人たちにさまざまな葛藤や怒りがほとばしっていく。
「ムラ」を構成するのは、本家であり裕福な町内会長とそこで働く人たち、多くの貧しい農民、町役人、疎開で身を寄せる家族、親戚の娘、何でも興味を示す男の子たち、徴兵を拒否する男、息子を戦争にやった家族。
異質なものが、ムラに来たらどうなるのか。直接は黒人兵とは全く関係のない、ドロドロとした上下関係、女性関係などがむき出しになることの恐ろしさ。そしてそれを止めようとするのは誰なのか。また、ケリを付けるのは?良識のある人もいるが、多数の人は、暴力的価値観で物事を見ている。
何事も隠蔽の道を選んでしまう日本の社会の闇の部分を見た。
それにしてもこの時代の役者の迫力の演技に圧倒される。
広島市映像文化ライブラリー「生誕100年・三國連太郎特集」。
大江健三郎さんを偲んで
大江健三郎さん
2023年3月3日老衰のため88歳で他界
芥川賞受賞作家
ノーベル文学賞受賞作家
そのためか権威に弱い人たちは大江健三郎を高く評価しない奴を馬鹿だと断定するわけだが彼らもまた大江健三郎の良さをきちんと理解できていないだろう
権威を否定する大江健三郎が左翼界隈には権威になっている皮肉
反戦主義はいいが皇室制度廃止論者故に保守派からは大いに反感を買った
日本的な左翼が大嫌いな僕だが皇室制度存続を支持しているわけではないので保守でもないんだけどね
中共から日本の良識と称賛されるのも複雑な思い
外人がいくら褒めても決して喜べるものでは無い
とりあえず村上春樹の『1973年のピンボール』のタイトルの元ネタになった『万延元年のフットボール』読破再挑戦しますか
改めて合掌
原作未読
原作は『静かな生活』の大江健三郎
監督は『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』『御法度』の大島渚
脚本は『瀬戸内少年野球団』の田村孟
昭和二十年初夏大東亜戦争末期の長野県のとある村
日本の農村に米軍機が墜落しパイロットは無事脱出に成功したが猪の罠にかかり足を負傷してしまう
村人に捕獲され村でしばらく「飼育」されることに
村人たちからすればほんの短期間だと思っていたのに憲兵の文書による命令でそれは半年以上になりそう
農村とはいえ食糧に余裕などさほどなく鬼畜米英の余所者は厄介者でしかない
それでも子供たちは興味本位で近づき優しかった
だが村人のストレスは頂点に達して一正が黒人兵を殺してしまう
戦争は終わり進駐軍にバレるのを恐れた村人は無かったことにしようと目論む
まず一正を演じた三国の髪型があまりにも変だ
髪型に気を取られたがよく見たらちょび髭だ
原作に忠実なのか三国のアイデアなのかそれは定かではない
ただ鷹野一正こそが俳優三国連太郎の本領発揮であり『釣りバカ日誌』でお馴染みのスーさんは全くの紛い物である
黒んぼ
完全な差別用語でありテレビの生放送で出演者が失言したら代行して局アナが謝罪する案件
最近の東京発のメディアではなかなか見聞きする言葉ではないがそれでもまだまだ混じりっけ無し純度100%の生きている日本語だ
昭和初期の農村風景の描写がとてもリアルだ
とは言っても自分の生まれるずっと前だし親でさえ生まれる前の話でこの空気感は想像でしかない
何かといえば誰かのせいにしたがるものだ
それは多くの場合的外れだったりする
とはいえあの時代なら殺すかもしれない
黒だろうが白だろうが黄色だろうがヘチマだろうが鬼畜米英なら殺すだろう
大人を見つめる子役の皆さんの表情が良い
棺桶を埋めるシーンと終盤の火のシーン好き
映画で使用された鷹野家の家は近藤春菜の母方の祖父が住んでいた古民家らしい
「豚小屋じゃねーよ」って言いそう
ちなみに俳優浜村純はあの浜村淳とは全くの別人である
配役
地主の鷹野一正に三國連太郎
一正の妻の鷹野かつに沢村貞子
一正の長男の嫁に中村雅子
疎開してきた一正の姪の幹子に大島瑛子
鷹野家の百姓番頭の秋さんに浜村純
百姓の塚田伝松に山茶花究
伝松の妻の塚田ますに岸輝子
伝松の息子の妻の塚田幸子に三原葉子
百姓の小久保余一に加藤嘉
余一の息子の小久保次郎に石堂淑朗
疎開してきた石井弘子に小山明子
役場で書記をしている義足で跋扈の男に戸浦六宏
巡査に小松方正
操縦していた米軍爆撃機が墜落し捕虜になった黒人兵にヒュー・ハード
大江健三郎でも大島渚の世界でも無く、脚本の田村孟が描くザ日本の村社会
日本のムラ社会の嫌らしさ、汚なさ、理不全性を容赦無く描き出した社会的なメッセージ性有する問題作と思えた。後年の田村孟脚本の作品群と重なる部分が大とも感じた。
舞台は戦争末期。生捕した黒人パイロットを村民達、実際には子供達が世話している。ムラにはいざこざが絶えないが、それもこれも全てクロンボのせいにして、殺すことに決めてしまう。子供達は救おうとするが、本家の長である三国連太郎に結局殺されてしまう。
敗戦後、脱走兵も帰って来たが、争いの中で死んでしまう。黒人兵殺しは、脱走兵がやったことにすると、皆で示し合わせる。全てのやばいことは無かったことにしようとする村落社会の住民達の有り様が、今も根強く存在する、ザ、日本社会。この映画での唯一の救いは、子供達がそんな大人を怒りの目で見てたことなのだが。
大江文学の絶妙な映画館
人間の本質をえぐる大江文学の名作を、大島渚監督がしっかりと映画化。この時期の大島作品はどれもそうですが問題提起の手法が当時はさぞ若いインテリ層に受けたんだろうなと感じました。「ジョニーは戦場へ行った」のように戦闘のない戦争映画の名作ともとれます。
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