どろろ : 映画評論・批評
2007年1月23日更新
2007年1月27日より有楽座ほか全国東宝系にてロードショー
作家主義と大衆娯楽の乖離に陥っていた塩田作品の結節点
流行りの“マンガ原作もの”とあなどってはいけない。時代に拮抗するフィクションを目指して衝撃的な手塚治虫作品を選び取り、重いテーマを娯楽のオブラートに包んで見せることに挑んだしたたかな大作である。
骨格は、父の天下取りの代償として、全身に欠損を持って生まれた青年が、失われし体を取り戻す旅。ニュージーランドの大地を背景に神話的世界を目指し、香港からワイヤーワークの達人を招いてケレン味たっぷりの大立ち回りで魅せる。ただし、画的な統率感に欠けるのが残念だ。本編、アクション、特撮のタッチが遊離しすぎ、塩田明彦はスタイルを確立できなかった。難点を救って余りあるのが、主演の2人による掛け合いの妙。陰を背負った妻夫木と饒舌な少年キャラに扮した柴咲が、それぞれ身体を張って個人技をフル稼働させ、反発し合いながらも寄り添っていく様を生き生きと演じている。
結果的には作家主義路線と大衆娯楽路線の乖離に陥っていた塩田作品の結節点になっている。なぜなら「どろろ」とは、親の欲望によって予め異形となり、社会から見捨てられ居場所を見出そうともがく若者のドラマ。そう、地下鉄サリン事件後の現代日本が生んだ、魂の孤児の彷徨を見つめた塩田の問題作「カナリア」を、エンターテインメントに昇華させた変奏曲になっているのだ。
(清水節)