チョコレートのレビュー・感想・評価
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人生を変えた一発の銃弾
総合:80点
ストーリー: 80
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 70
音楽: 65
伝統的に差別の強い保守的な地域において代々差別をしてきた家に生まれ、その場所で傲慢な態度のまま全てを自分の思うがままに動かしある程度の成功を収めてきたビリー・ボブ・ソーントン演じるハンク。刑務所の看守ともなれば囚人に対して強い姿勢と態度が求められることもあり、そもそも彼にはそんな自分に疑問を持ったことも持つ必要もなかった。自分は強くて正しくて、だから黒人や囚人を力でねじ伏せ見下すという価値観が生活の一部として普通に機能していた。
だがそのような傲慢な態度は周囲の人々にとっての不幸でもあった。だがその彼の行動が招いた一人息子の悲劇は同時に彼にとっての悲劇。その一発の銃弾は彼の今までの全てを否定し彼の人生を全て変えてしまうには充分すぎた。自分の息子が自分のせいで追い詰められ、自分への愛を最後に残して目の前で自決する。これほどの悲劇に直面してようやく彼は初めて自分の人生の間違いを悟る。初めて人の痛みを理解する。
彼の喪失感があまりに大きかったからこそ、その後の彼の大きく方向転換した人生が生きてくる。それは夫を失った直後に、貧困の中に唯一残された息子を失ったハル・ベリー演じるレティシアも同様。当初は同情や貧困からの救済というものだったかもしれないが、結局その大きな喪失感が二人を結びつけた。
お互いに傷と喪失感を抱えて、それを埋めあい慰めあい支えあえる存在。そこに至る過程の描写と孤独・喪失感の描写がよく出来ている作品だった。不幸の中にもほんの少しの癒しと希望が見えた。
「チョコレート」という邦題、なかなかよく考えたと思う。貧困でチョコすらまともに買えない家庭環境、それなのにチョコばかり食べて太っていく子供はどうにもうまくいかない人生を象徴しているし、そして差別を象徴する肌の色でもある。原題よりもいいくらいなのでは。
人生はビタースイートのチョコレートの味?チョコは味わう為にある。
昨年『Dr,パルナサスの鏡』を観て面白かったのと、『ブロークバック・マウンテン』が大ヒットして、こちらの映画も満員の渋谷の映画館で観て、凄く気に入っていたその、ヒース・レジャーが亡くなってからも、中々彼の初期の作品を観るチャンスが無かったのだが、ぶらりとレンタル屋へ行くと10年も前の作品であったがこの『チョコレート』を見つけ出し観てみると、題名やパッケージの写真からは程遠い、ビターなビターな涙の味のする映画だった。映画の舞台は、多分アメリカ南部に近い片田舎なのだろう。時代はこの作品が制作された2000年頃なのか定かではない。(もしも、何処かで時代を判別出来るシーンがあったらごめんなさい)
大半が多くの移民から始まった合衆国アメリカで、ごく最近までこの様な人種差別がまかり通っていたとするならば、これは、余りにも悲しい負の遺産である。『ミシシッピーバーニング』『フライドグリーントマト』は現代の話しでは無いし、確かに少し前の時代の事として、考えると気持ちが少しは救われる気がする。
しかし、この映画で描かれている様な、親子の葛藤や、3世代同居に絡むジェネレーションギャップは、今の私達の生活する日本の中にも歴然と存在し続けているし、自分の心の内を覗けば、全く誰に対しても、一切の差別的偏見など無いと、胸をきっぱりと張って神に否、仏であろうと誰にでも自分は一切の偏見を持っていないと言い切る事が出来ない自分の弱さを見せ付けられる作品だった。自分は老若男女に、他民族に、障害者に、セクシャルマイノリティーに、ホームレスに対して、同じ優しさで接する事をしているだろうか?
ある種の職業に就いている人に対して偏見や、差別意識を抱いていないのか?私をとても不安にさせ、尻込みをしたくなる迫力がこの作品の根底には静かに横たわる映画だ。
しかし、この映画は、愛する家族に、愛を真正面から、中々伝える事が出来ない事が起因する悲劇と、個人の力だけでは解決しきれない、差別社会のタブーも人は失敗と言う経験を踏む事で、新たに再生する事が出来、改善して行くその道が例え、困難であっても必ず同時に改善の方法は存在している事を指示してくれる、魂の再生の映画だ。
昔から「神様は乗り越えられない苦労を試される事は決して無い」と言う。本当に誰もが、そう信じて、あらゆる運命の困難な局面に対しても、常に前向きに、明るく偏見の無い、柔和な心で生きて行く事が出来たら素晴らしいと思う。人が人生を行くのは、ビターな事だが、ビターであれば在るほど、スイートを欲するものだ。
今のこの日本でも、学校で、会社で、社会でいじめが存在している。政治家も、互いにあげ足取りばかりしている。そして年間3万人以上の自殺者を10年以上も生んでいる社会が、他の国で有るだろうか?これは、政治家だけの解決出来る問題では決して無い。
一人一人の心の中に、チョコレートアイスの様な甘い香りを持てたなら、思いやりの気持ちを育てる事が出来るなら、優しく生きる事は、強くなければ出来ない。
優しさは、弱い事では決して無い、最も柔軟な心の弾力が必要で忍耐を要する物かも知れないが、その心を沁み込ませねば決して甘い人生を楽しむ事は出来ないと思う。
是非、貴方の人生も、とろける様な甘い香りの素敵な人生になる事をこの映画を観ながら
願うばかりだ!!
心を癒す手段、それが「チョコレート」
映画「チョコレート」(マーク・フォスター監督)から。
原題「モンスターボール」(処刑前夜のパーティのこと)が
どうして、このタイトルに変わったのか・・
私の興味は、そこにあった。
話題になった人種差別や、セックスシーンは、
あまり私のアンテナには引っ掛からなかった。
映画の中では、チョコレートが出てくるシーンが二つ。
ひとつは主人公の二人が
「チョコレート・アイスクリーム」を注文し、
「プラスチックのスプーンでね」と会話をするシーン。
そしてもうひとつは、黒人の子どもが
肥満になることも気にせず「チョコレート」を食べ続けるシーン。
和訳を考えた人が、タイトルを変えて私たちに伝えたかったこと。
それは、後者ではなかったのかと思う。
死刑になるほどの事件を起こした父親を持った、彼のストレスは、
私には想像が出来ないくらい大きなものだろう。
そんな彼のストレス解消法が「チョコレート」などの甘いものを
食べることだったのかもしれない。
そして彼は、食べることにより、心を癒していたのだろう。
誰でも抱えている、ストレスとの付き合い方と解消法。
それは、食べることであったり、セックスすることであったり、
人によって違う。
私たちは他人の奇怪な行為に対して
「どうしてやめられないの?」と責めてしまいがちだが、
「もしかしたら、この人なりのストレス解消法かもしれない」と
考える余裕を持って接してみたい。
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