さらば、わが愛 覇王別姫のレビュー・感想・評価
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京劇の歴史 または中国の近代史
一番悲しかったのは一生を決められた主人公は最後まで自分の運を受け入れなく 自分は本物の姫 如何せん前の覇王は偽の覇王。
京劇の歴史から見ると 二人主人公の感情を表した。それをと共に中国の満州時期→中日戦争→政府と国民の内輪もめ→文化大革命という悲しい背景が同情し 新たな観点が出来られた。
20数年ぶり?に再鑑賞
30年前の公開時は、映画館では観ておらず、確かその後にレンタルビデオで観たような‥
京劇役者二人の幼少時から50年に渡る人生のドラマ。
意外とストーリー、忘れているものですね‥💦芸能世界の厳しさ、伝承の難しさ、目まぐるしく変化する社会情勢の中で、翻弄される人生、人を愛すること、裏切ること、、。歴史上の話ではなく、今の中国はどうなんだろう?日本はどうなんだろう?世界はどうなんだろう?と思いながら観ていました。
しかし、とにかく、レスリーチャンが、美しく、強く、儚かった。どうしてもレスリー自身の人生も想像し、重ねてしまいました。30年経った今もスクリーンで出会えたことに感謝。
人も芸術も本来の姿を失う中、彼は本物の姫になった
出だしから中国の貧困というものを見せつけられ、金のない者、女、子供の生きて行く手段が限られていく中、レスリーチャン演じる小豆子が京劇という芸術に心身、全てを捧げて生きて行く決心をする。
反対に兄の石頭は石頭は現実というものを分かっているのか遊郭にも足を運んで舞台と私生活を割り切っている、二人の姿が対照的です。
女郎と結婚した石頭ですが、そのことで弟と決別してしまい、京劇、舞台からは離れられない。
「俺は役者だ」という男は大人になって別れても弟のことが大事なのはわかる、けれど、それが蝶衣とってどれくらい残酷なことかわかっていないのではと思うのだ。
蝶衣が行き場のない小四を引き取って、かっての師匠と同じように折檻、いや、修行して罵られる姿に似ていると思ったのだが。
でも同じではない、蝶衣には誇りがあった、別姫を演じ、京劇に対する自分に。
世の中が変わり、妻は自殺、一人になった段小楼、そして再び、二人で舞台に立つ日が来る。
でも、昔と同じではない、衰えを感じる小楼とは反対に蝶衣は美しい。
軍に捕まり、酷い目に遭い、アヘンで身を滅ぼしかけても立ち直って再び舞台に。
もしかしたら蝶衣は小楼の衰えを、これ以上、見たくないと思ったのかもしれない。
いや、自分の気持ちが変わっていくことを恐れたのかもしれない。
だから自分だけで逝くことにしたのかもしれない、そこには小楼がいる、現実ではないが、自分の記憶の中の彼が舞台の上で待っている。
彼は本物の姫になったのかもしれない。
芸の道
去年のリバイバル上映で当分鑑賞できないと聞いていたので、まさかの復活上映(配信もないので)
とにかくレスリー・チャンに尽きる映画
男が見惚れる女形
BLありジャ○ーズ要素あり
グッドフェローズみたいにサクサクいくのでクドくないし、今の香港中国では絶対作れない作品
覇王別姫、別格!
傑作すぎて、もはや言葉で語るものではない。
素晴らしすぎて、人が作り出したとはとても思えない。
名作はたぶん偶然、生まれるんだと思う。どんな人材、材料がそろっても歴史に名を残す作品はなかなか生まれない。奇跡的に何かのピースがはまった時に名画が生まれる。
劇場を夢見心地で出た。
何度見ても傑作で、スクリーンで見て打ち震えてしまった。個人的にかな...
何度見ても傑作で、スクリーンで見て打ち震えてしまった。個人的にかなり納得行ったのは、男が男に惚れる理由。凡百ある「だってゲイなんだモーン」映画とは格が違う。美しさ、芸術性、歴史描写、全て完全。
【謝罪、センシティブです】※(おそらく)ニッチに向けて書きます
努力なんか馬鹿馬鹿しい。
天才だからできるんだ。
どうせ自分はできないから、何もしないでいいや。
そう思っている方々に聞いて欲しい、
いや、
観てほしい映画。
主人公の同期の子が首つり自○してしまうシーンあると思いますが、
あの子が生前、言っていた言葉を、
とにかく、
頭の中に刷り込ませて聴いていただけたら、と思います。
……主人公に肩車されて、涙をたくさんこぼしながら
『あの人は、どれだけ多くの、鞭を食らって、今、ここに立っているんだろう……』
今。
現在、陽の目を浴びている、同い年くらいの人がいて。
嫉妬したとします。
でも。
でも、
その裏には、冗談ではなく、
血反吐を吐くような努力をした…
その、結果を披露してくれている事が、
往々にあるかもしれません。
この時点で認めることが困難な人がいるかもしれませんが、事実です。
結局、努力、努力なんです。
なにかしようとしたら……。
『は? 今更、なに当たり前のこと言ってんの?』
そういう声もたくさん聞こえてきそうですが、
それが出来ない人も一定数、います。
います。
その人たちに言いたい。
陽の目を浴びるとは、こういう事です…。
結局、努力しかないんです…。
天才だからラクに物事をそつなく出来ている、
訳ではないんす…。
おかしな道に進もうかどうしようか
悩んでいる方々がいたら、
一度、
この映画を観て欲しい。
そして、
自分と、大変だけど
向き合って欲しいです。
(目標、選択、戦略、といったことも大事ですし、
努力していく中で失敗していくこともあります。
それらを、踏まえた上で
)
がんばれ。
おかしな道に、
進まないで。
この映画は、あなたを追い詰める最悪の映画じゃない。
【倫理や人の道にはずれない、最良の道】
を教えてくれる映画、のはず。
エグい
久々に鑑賞
京劇の覇王と虞姫を演劇の世界に身を投じた男2人が演じる
弟は男を捨て女と化した。もう片方は夜の世界の女と結婚する。ただ弟はそれを許せない。兄とずっといたい
最後の方に文化大革命が起こった際に、弟が夜の世界の女の過去を言ってしまう。その時に結婚していた兄が、このそこを認めてしまうのは裏切りと感じた。最後まで守るべきであろう。大きな力にびびってしまったか、、、
まだそこに生きている
チェン・カイコーは歴史を憎まない。それを谷間を抜ける風や浜辺に寄せるさざ波のように、自然的なものとして受け入れる。たとえそれが屋根を吹き飛ばし大地を抉るほど強大で残酷なものであっても。
彼の人生は、有り体に言えば波瀾万丈だ。映画監督の父の家に生まれ、経済的にも文化的にも恵まれた幼少期を過ごすが、反右派闘争や文化大革命の過激化に伴い次第に凋落。反共的で穏健派の父親に失望し、遂には自ら紅衛兵となる。文化大革命末期には雲南省の山奥に下放され、そこで幾年もの間過酷な農作業に従事する。毛沢東主義が下火になると北京へ戻り、北京電影学院で中国映画第5世代もう一人の英雄、チャン・イーモウと出会う。彼と組んだ『黄色い大地』は国外批評で大成功を収め、以降チェン・カイコーは(そしてチャン・イーモウも)中国屈指の名監督へと成り上がっていく。センシティブな主題を取り上げることも多い彼が中国国内で日の目を見ることができたことには、当時の中国が文化大革命と天安門事件の間の政治的に凪の時代だったことも大いに関係している。ちなみにこのあたりの話は彼の自伝『私の紅衛兵時代(講談社現代新書)』に詳しい。
さて、このように彼は歴史に散々振り回されてきたわけだが、「政治が悪い」「国が悪い」といった論調からは慎重に距離を置く。もちろんそれは中国共産党の主導する現代中国の政治体制に賛同することを意味しない。そうではなく、彼は主語を肥大化させることで問題が政治・社会批判の次元に抽象化されてしまうことを危惧している。彼が描きたいのは、歴史のダイナミズムにひたすら耐え続ける個々人の尊厳なのだ。
レスリー・チャン演じる蝶衣は京劇『覇王別姫』の虞美人役を務める女形役者。相手役の項羽を務めるのは小さい頃から兄貴分の小楼。幾度となく修行と公演を重ねるうちに、蝶衣は次第に小楼のことが好きになっていく。彼が虞美人という役柄に入り込み過ぎてしまったがゆえの恋慕か、それとも単なる同性愛か、そのあたりはよくわからない。重要なのは、男が男を好きになってしまったという客観的事実だ。中国は今なお同性愛に厳しく、そうしたテーマの文芸作品は基本的に製作を禁じられている。ましてや日清戦争から文化大革命の時代にそうした「自由主義的思想」を持つことは国賊の謗りを免れ得なかったに違いない。蝶衣の感じた孤独や閉塞感は計り知れない。
また、彼らが演じる京劇という文芸も、時代の変遷に伴い徐々にその足場を狭めていく。映画冒頭、1920年代においては「いまだかつてこれほど隆盛を極めたことはない」と言われていた京劇は、文化大革命の折には反共的なブルジョワ趣味と見なされ、大衆に顧みられなくなる。蝶衣と小楼が紅衛兵率いる群衆の前で総括を迫られるシーンは胸が締め付けられる。小楼は蝶衣を裏切り、彼の日中戦争時代の親日的態度や阿片中毒に陥った過去を暴露する。追い詰められた蝶衣は小楼に向かって反撃に出るかと思いきや、なぜか小楼の妻、菊仙の悪辣を大声で暴き立てはじめる。そのさまはほとんど八つ当たりに近い。
思えば蝶衣と小楼の蜜月関係にヒビを入れたのは他ならぬ菊仙だ。もちろん彼女に悪意があったわけではない。小楼と菊仙はただ運命の導きによって惹かれ合ったに過ぎない。しかし蝶衣にとっては残酷すぎる日々だった。最愛の彼を女郎屋の女に取られ、しかも彼もまた彼女を愛している。
同性愛嫌悪、京劇の衰退、そして愛の否定。蝶衣は歴史がもたらすさまざまな不条理に押し潰され、遂には壊れてしまった。ゆえに彼は舞台上での凜として美麗な立ち振る舞いとは真逆の、八つ当たり的な絶叫に及ぶ。「その女を殺せ!」
波乱の文化大革命は終了を迎え、中国にひとときの平和が戻るが、けっきょく蝶衣は自ら命を絶ってしまう。冒頭のタイトルカットの背景が自刃する虞美人だったことを思い返せば、彼の自殺は予め運命づけられたものであるといえる。
しかし我々には、彼がただ単に歴史に翻弄され、弱々しく蹲りながら絶命していったようには到底思えない。やはり思い出されるのは、舞台で舞い踊る蝶衣の凛と透き通った、それでいて芯のあるふたつの眼だ。その双眸は京劇という枠を超越し、今や映画史に深く刻み込まれた。
彼はまだそこに生きている。
これこそ『四面楚歌』だ
『師匠、時代が違うんだ』
さて、今の中国はどんな時代なのか?
文化大革命を打倒したからと言って、今の中国が民主的な国とは言えない。
無骨で融通の利かない男の話と言うよりも、やはり、3人の愛の形の話なのだと思う。毒々しくも純愛だ。
政治的な話を語っているのだと思うが、それをあえて指摘するのは、無粋かなぁって思った。兎に角、
凄い愛憎のストーリー展開だ。思い出すと泣けてくる。
大傑作。
言うなら、これこそ『四面楚歌』だ
美しい映画
久しぶりに鑑賞しました。
中国の激動の時代を生きた京劇役者の話です。幼少期〜壮年期?までを描いた3時間ほどの映画ですが、まったく長さを感じさせません。
静かなシーンが多いですが、その映像や役者の細かい表情が台詞だけではない感情、退廃美を感じさせます。京劇のシーンでは一変、あの独特の音楽が大音量で流れ、それもまたいい‼︎
華やかな京劇の世界と、現実のギャップを思い知らされます。
蝶衣の小楼、演じる京劇への執着と愛、京劇のなかでしか生きていけない姿、決していい方向へ向くことはない人生を生きる姿は、美しく魅力的です。
話の途中まで、あまりいい印象のない菊仙でしたが、恋敵である蝶衣が阿片におぼれた際の献身的な姿、弟子に自分の役を取られてしまった蝶衣を思いやるような表情…言葉ではいい表せられない関係ですね。同じ人を愛した者同士憎しみもあるのですが、だからこそ、蝶衣をよく見て弱さを分かっているのは菊仙なのかなと思います。
今年6月頃に日本での上映権が終了したようで、映画館で観ることができず残念ですが、これからも観たいと思う映画です。
<追記>
4K上映されていたため映画館で鑑賞。
待ってました、映画館上映‼︎
自宅のテレビで観るより作品に没入できたことと、自分自身、中国近代史について少し知識がつき、以前観た時よりも時代背景を理解できたので、新鮮な気持ちで鑑賞しました。
映像が鮮明になったことで、これまで気づけていなかった演出があっことがショックでした。
大人になった蝶衣の化粧前に、子供の頃、指を隠すために使っていた手袋?が置いてあること等…
それに気づいた後に阿片を抜こうともがく蝶衣が母親を恋しがる姿を見ると、つらかったです。
そして、レスリーチャン美しすぎる。
普遍的ですね。
あのなで肩で衣装を着るとより女性的な体型に見えます。
この美しさは女性では出せませんね。
大きなスクリーンで拝むことができて、幸せでした。
恐るべき傑作 映画史上屈指の名作だと思います 「ラストエンペラー」より数段は上です
物語は1924年から、1977年頃までの50年以上もの中国の物語
冒頭の体育館のようなところのシーンが1977年のこと
22年前とは1956年頃の「百花斉放・百家争鳴」という、知識人が共産党の政策を批判することを毛沢東が奨励した頃のこと
結局「百花斉放・百家争鳴」は罠で、批判した55万人もの人々は「反右派闘争」によって全て追放されています
現代劇について主人公が意見を述べるシーンはそれを表現しています
11年前とは1966年の文化大革命のこと
11年後の1977年に四人組が失脚して文化大革命が終結して、京劇も踊れる世の中になり、二人はまたコンビを組もうとしていたようです
四人組とは文化大革命を主導した、中国共産党の幹部4名のこと
江青(中国共産党中央政治局委員、中央文革小組副組長、毛沢東夫人)
張春橋(国務院副総理、党中央政治局常務委員)
姚文元(党中央政治局委員)
王洪文(党副主席)
文化大革命については、劇中にあるとおりの凄まじい政治的ヒステリーで、決して誇張されていません
筆舌に尽くし難いことが本当にあったのです
ラストシーンの1977年は、主人公の蝶衣と小楼はそれぞれもう60代のはず
それ故に美しい姿のままで記憶の中に生きようとしたのだと理解しました
2022年8月3日
米国の下院議長が台湾に政府専用機で降り立ち、台湾の総統に面会したという大ニュースが流れています
二つの中国、大陸と台湾
中国はひとつだと中国共産党は怒り心頭で今にも戦争を起こしそうな雲行きです
大陸と台湾、なぜこうなったのかも本作の物語の背景として描かれます
台湾、正式には中華民国
中国の長い長い数千年の歴史初めての民主主義共和国
美しい理想
しかし中華民国は大陸の内戦に敗れ台湾に逃れてきたのです
確かに第二次大戦頃の中華民国政権は腐敗していたようです
しかし中国の民主主義共和国なのです
大陸は中国共産党が支配しています
皇帝のように一人の人物が君臨して人民を支配しているのです
ラストシーンのテロップにこうでます
「1990年北京では、京劇一座北京入城200周年を記念する祝賀上演が行われた」と
1990年は天安門事件があった翌年です
大陸と台湾
どちらが本当の中国なのでしょうか?
まるで蝶衣と小四です
蝶衣が、小四に主役の座を追われたシーンは1971年に台湾が国連から脱退させられたことを思いださせます
劇中劇の覇王別姫の物語
クライマックスは四面楚歌となり、残ったのは、一頭の馬と一人の女のみ
もはやこれまでと、馬を逃がそうとしたが馬は動こうとせず
愛姫も王のそばにとどまった
愛姫は王に酒を注ぎ剣を手に王の為に最期の舞を舞ってそのまま我が喉を突き王への貞節を全うした
京劇一座の師匠はこう言います
「この物語は我々になにを教えているか
人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬということだ」
蝶衣は老いて醜くなり、そして舞も出来なくなる自分の運命を受け入れたのだと思います
責任を負うとは、彼にはこういう事であったのです
そして大陸と台湾
四面楚歌なのは台湾?
それとも中国共産党?
運命に責任を負わねばならないのはどちらなのでしょうか?
「かっては絶大の権勢を誇った楚王
如何なる英雄といえども定められた運命にはさからえないのだ」
20年ぶり?
21年ぶり?いや22年ぶりか。
子供のころはよくわからなかったが、蝶衣と菊仙の愛憎がすごかった。小楼かすむ。なんだかんだ菊仙と小楼が長年連れ添っていたのが意外。菊仙はすごく小楼のために動いてるし。しかしあの裏切り…。恋敵として憎まれ役だけど、強かさと優しさと哀しさをコンリーがうまく演じていたと思う。あとはレスリーチャンの美しさ。身のこなし。
鏡越しの視線、赤などモチーフに注目してもう一度みたい。
93年当時、今の中国みたいになるとは思わなかったな。前半の子供たちの過酷な暮らしが現代で見ると殊更きつい。
大作で名作
映画好きな方や海外では有名なのかもしれないけど、私は全然知らなかった作品。
壮大な歴史物で、恋愛映画でもあり、
今でいうLGBTもじっくり描かれた内容。
普遍性のある大作で名作です。
映画を漁り始めて少し経つと、
好きなジャンルで知らない大作なんて
まだあるんだろうかとか思い始めるけど、
まだまだあったなあ。
霸王别姬胶片版东京重映,去看了。我买的位置不好,第一排中间偏右,两...
霸王别姬胶片版东京重映,去看了。我买的位置不好,第一排中间偏右,两小时40分钟感觉脖子要断。但是正因如此才如此近距离的欣赏到这部影片,胶片的每一处划痕,镜头的每一次抖动,每一处光影交错都看得清清楚楚。电影本身看过很多次,已经很难再有新的想法,唯有小赖子自杀时,扑面而来的尘土,让我揪心。另外我旁边坐了两个日本辣妹,剧终鼓掌的时候,她俩都惊了,不知道看懂了没。
切なくてやり切れない
ずっとずっと昔に見たけど、見た時の切なさとやり切れなさは今でも記憶の隅に残っている。
信頼していた人の裏切りとそれによる絶望感。
レスリーチャンがとにかく可哀想で仕方がない。
見たらまた胸が潰されそうになりそうだけど、何十年ぶりかにまた見てみようと思う。
レスリー・チャン
「男として生まれ」なのか、「女として生まれ」なのかわからなくなってきた(笑)。しかし、これだけ長時間の映画なのに時間を感じさせないくらいに京劇に魅入ってしまうという一大叙事詩なのだ。日本の占領、国民党、共産党と時代が変わる中で、芝居の中で生き続ける二人。中国近代史の勉強にもなる。
文化大革命の後は、台詞さえも変えられてしまったのかな?よくわからないが。
全103件中、61~80件目を表示