バーバーのレビュー・感想・評価
全20件を表示
【今作は、口数の少ない平凡な理髪師が、退屈な日々から脱走しようとした事で、次々に起こる負の連鎖を、見事な脚本と演出によるシニカルコメディなタッチで淡々と描いた逸品である。】
■三席しかない小さな”良く喋る”義兄フランクが営む理髪店に勤めているエド・クレイン(ビリー・ボブ・ソーントン)。
妻のドリス(フランシス・マクドーマンド)は勤め先の百貨店オーナー”良く喋る””ビッグデイヴ”(ジェームズ・ガンドルフィーニ)と不倫関係にある事を薄々知りつつ、妻には何も言い出せずに、入浴中の妻のすね毛を指示の元に剃る日々。
ある日、エドは調子のよいセールスマン・クレイトン・トリヴァー(ジョン・ポリト)からドライクリーニング店のチェーン化の話を聞く。
彼は妻の不倫相手・デイヴに脅迫状を送り、一万ドルの現金を手にするが、そこから悲喜劇が始まって行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・物語全体が、抑制したトーンで流れていく。そこに被せられる諦観漂う声のエド・クレインを演じたビリー・ボブ・ソーントンのモノローグが、凄く良い。
彼は、冒頭では人生に何の希望も夢もない平凡な男として描かれている。
咥え煙草を燻らしながら、子供の髪を見て”何故、髪は伸びるのだろう・・。”などとボンヤリと考えている。この男からは、覇気が全く感じられないのである。
・ある日、客に来た禿げ頭に鬘を付けたインチキ臭い”良く喋る”セールスマン・クレイトン・トリヴァーの言葉に乗せられて、ドライクリーニング店のチェーン化のために、”ビッグデイヴ”に匿名で妻との浮気をチラつかせ、一万ドルを得て投資をする。
だが、案の定、それは詐欺で彼は表情を崩さないまま”俺は馬鹿だ。”と呟くのである。そこに、”ビッグデイヴ”から呼び出しがあり、掴みかかられた時に、彼はビッグデイブの葉巻切の小刀で彼の頸動脈を突き刺し、殺してしまう。
・だが、警察は彼の妻ドリスを会計不正と殺人容疑で逮捕し、ドリスは”良く喋る”優秀だとされるウォルター・アバンダス(チャード・ジェンキンス)を付けながらも、アッサリと絞首刑にされてしまう。
実にシニカルな展開である。
登場人物も、寡黙なエド・クレインとは対照的に”良く喋る軽薄な男”が多く、その対比も面白いのである。
・”ビッグデイヴ”の妻アン(キャサリン・ボロウィッツ)が、”全ては宇宙人の仕業である”と真面目な顔でわざわざエドの元に言いに来るシーンなども、コーエン兄弟のがシニカルな笑いが見えるようである。
■今作では、物凄く若いスカーレット・ヨハンソンが、唯一エドの心の慰めになっているピアノ好きな少女バーディとして、登場する。
エドは、彼女に自分と違う人生を送らせたくて、フランス人のピアノ教師に才能を見て貰ったりするのだが、教師からはバッサリと才能はないと言われてしまい、バーディも帰りの車中で、全く気に留める様子もなく、彼にキスをし、あろうことか彼の股間に口を近づけて来るのである。そして、驚いたエドは運転操作を誤り、道路から飛び出してしまうのである。空を飛ぶタイヤのホイールがUFOの様である。
実にシニカルコメディな展開である。
・目を覚ますと、ベッドに横たわる彼の顔の上には3名の顔があり、彼はナントインチキ臭い”良く喋る”セールスマン・クレイトン・トリヴァーの殺害犯として逮捕されるのである。実はクレイトン・トリヴァーを殺したのは、”ビッグデイヴ”であるにも関わらず。そして、エドはその事を薄々知っているのに、それを言わずに裁判に掛けられ、最初はウォルター・アバンダスに弁護してもらうも棄却され、次は無能な弁護士に弁護してもらうがアッサリと死刑判決を受けて、電気椅子に送られるのである。
ー 凄いシニカルで、見事な脚本と演出である。ー
<今作は、口数の少ない平凡な理髪師”正に、原題のように”The Man Who Wasn’t Thereなる男である。”が、退屈な日々から脱走しようとした事で、次々に起こる負の連鎖をシニカルコメディなタッチで淡々と描いた逸品なのである。>
奇妙な雰囲気が魅力
人物像が非常にしっかりしているおかげで 比較的 スローテンポな内容でもじっくり見れた。そして奥さんとの関係が リアリティであるようでもファンタジーであるようにも見えて面白かった。映画 全体から奇妙なものが醸し出されており そこに 監督の個性が感じられた。何と言っても これほど ストーリーが変でも最後まで見れた のが 演出の妙のおかげだというものだ。 そして白黒が美しかった。 現代でも白黒の映画が大いに作られれば良いと思った
つい自分と重ねてしまう
物語において寡黙な人は、思慮深く慎重な人物ばかりだ。その思い込みでずるずると進んでしまう。そして、ピアノの少女の一言でハッとする。そしてこれまでの自分の経験から、主人公の心境が手に取る様に見えてくる。次にそこにいるのは自分かもしれない。そんな可能性が現実味を持って突き付けられる。
後からじわじわきた
全編陰気で、
せっかく見つけたと思った希望も思い込みだったり…。
と書いてしまうと観たくなくなるかもしれません。
これは純愛映画です。
淡々としてはいるけれど、
深く流れる切ない愛がある。
主人公がそんな自分に向き合ったのは
絶望的な状況でなのですが。
観終わったあと、ジワジワときました。
何日か余韻が抜けなくてなんとも言えない感覚を味わいました。
好きなタイプのコーエン兄弟作品。
劇場公開時鑑賞。
一見平凡な日常が、ちょっとしたことでズブズブの底なし沼になって、主人公を飲み込んでいく。自業自得? 自己責任? みんなが常に正しい選択ができるなら、誰も苦労しない。どこで踏みとどまれば良かったのか。
まあ、ウッカリにも程があるが。
コーエン選手らしい作品
この兄弟の何とも形容しがたいブラックな雰囲気について考察してみました。
この人の映画は、セリフのやり取りや画面転換のテンポがズルッと外れます。言い換えれば間が悪い。つまり、話かけられた相手が答えるタイミングが1秒くらいズレるんです。そしてまた、その答えがふるってない。
この作品も、お話自体はかなり怖いと思いますが、このテンポのズレによって観る者は力を入れたいところで入れられないので、変にしらけてしまって登場人物に感情移入できず、滑稽味だけが残ります。この滑稽味をブラックと言っているわけです。
登場人物が基本ポーカーフェイスで自慢そうな顔をしているのも、この傾向に拍車をかけていると思われます。
この作品は上述のコーエン選手らしさが非常にわかり易く発揮されていると感じました。
ちょっと合わなかったな
冴えない床屋の元にふって沸いた投資話。ふとした出来心から便乗したら…というお話。モノクロ映像ではじめは画面に引き込まれたが、ストーリーに盛り上がりがなく、何度も寝てしまい、観るのに二日かかってしまった。真面目にコツコツ働きなさいという教訓を伝えたかったのかな?
What kind of man are you?
初老の床屋の理髪師がとある投資話に興味を抱き、妻の不倫相手を脅して大金を手に入れようとするが、事態は思わぬ展開になっていく。
ミステリーものではあるけれど、主人公が無口で諦観しながらも情熱的な人物で興味深い。全編モノクロ映像で美しい。
最後までどのような展開になるのか読めないミステリーとしても秀逸だが、コーエン監督の人生観を編んだような映画。すばらしい!!
髪型を変えるように・・・
人生を少し変えたかっただけなのに、何が起こるかわからないと言いますか、上手くこなしていく運の強い人もいれば、一歩踏み外し転落してしまう人もいます。 ドライクリーニングなんかに手を出さなければこんな事には・・・僕は脳足りんの人間なので
深く理解することはできませんが(笑)、この映画何か好きなんですよねえ(^-^)
ちょっとした欲と転落。「悪」としてではなく、人間の性質の1つとしての犯罪
『ファーゴ』(1995)では狂言誘拐,『バーバー』(2001)では脅迫。コーエン兄弟が描いたのは,ちょっと欲を出して簡単に大金を得ようとした結果,想定外の事態が発生し,金持ちになるどころか家族や自分の命まで失う人々だった。「こんなことになるなら、今まで通りの生活をしていればよかった」
『バーバー』の主人公の仕事は,床屋である。
「ちょっと欲を出して全てを失う」
「1日に0.3mmしか伸びないが,待っていれば必ず伸びる髪の毛」
劇中で明言されることはないが,この2つが対比されているようにも思える。
『ファーゴ』や『バーバー』における犯罪は,「正義」「悪」と言った観点から,断罪されることはない。登場人物たちは,しばしば「犯罪」という語によって示唆するような悪意を持たない、もっと素朴な人々だ。素朴な人間のちょっとした工夫,「欲」の延長として"犯罪"が描かれるのだ。
モノクロ版もカラー版も共にたまらなく美しい。
なぜかカラー版で見てしまった
現金で1万ドルを支払ったのに、最後では小切手になっていて、理解できない点もあった。
それにしてもベートーベンの「悲愴」がいい。しかし、主人公が音楽に関して全く無知であるのが微笑ましいですよね。気持ち良かったです。
抑制の効いたモノローグ。時代設定となっている50年代のアメリカの馬...
抑制の効いたモノローグ。時代設定となっている50年代のアメリカの馬鹿げたSF観を再現するかのようなモノクローム。悪人ではないけど、決して善人とは言えない、どこにでもいるような人間の不条理な悲劇。そういう奇妙さがコーエン兄弟作品特有のなんとも言えない感触を醸している。
金をだまし取ろうとしたり、意図せずに人を殺してしまったり。それらはもちろん弁解の余地なんてないほど悪いことなんだけど、そのことに至る原因や動機があまりに淡々としたもので、なんか悪い夢でも見た気分になる。
まるでそこにたまたま不運が転がっていて、そのほんの小さな段差に躓いて崖から落ちてしまったみたいな後味の悪さを感じる。
終始沈着冷静
50年代(49年)の雰囲気がまず堪らない。
エドの野暮ったいスーツの着こなしもアノ時代だからこそのセンスで床屋の店内に子供達の髪型もナイスでまだロックンロールの洗礼を受けていないフィフティーズに比べると明るさが無い時代描写も良い。
B・B・ソーントンがハマり役でエドに愛着が湧くが何てつまらなさそうな人生ってか人間的に。
何が楽しくて日々を生きているのかって位に無愛想だし基本的に笑いもしない。
悪気も後悔も死ぬことへの恐れすら無いのか?てな無感情で無表情な掴み所が皆無だが魅力はある。
ある意味で感情が表現された事柄が変態的でもある。
何が起きてもどんなオチになろうとも一切乱れず感情のまま突き進むエドに哀愁と渋さが。
人生、何がどうやることやら
何事もなく過ぎてきた人生があるきっかけで想定していなかった方向に転がり出す…といった良くある感じでもなく、冒頭で殺人を犯し、結局は裁かれる、ちょっと寄り道した因果応報の話と感じた。
ビリー・ボブ・ソーントンはラブ・アクチュアリーの米大投票役しかまともに観たことなかったけど、無口だけど無視しておけないような、何とない存在感があるなぁと(本件では主役だから当たり前だけど)。
フランシス・マクドーマントはコーエン作品常連だけど、本当に色々なキャラクターを自然に演じ切るのが何時も凄い。
主人公の顔の渋さが面白い。
たいして悪い人間でもなく、なんとか夫婦でやりすごせそうだったのに弁護士にひっかきまわされてひどい事になったようにも見えるんだけど、よくよく考えると人に努力させて自分の人生に価値を持たせようとする人間て一番嫌な人種かもしれないので納得。
コーエン兄弟らしい演出
人間臭さを前面に押し出しながら
淡々とした中に、主人公の悲哀を表現した作品。
実際には正当防衛ながら、強請を隠すために殺人の事実を黙っていたが
結果、妻が逮捕され 自分が殺したと告白しても信じてもらえず ことが進んでいき
最終的に、自分が騙された詐欺師の死によって電気椅子に送られてしまうという何とも言い難い結末だが
実際には、事故死してるのかなー?って印象。
因果応報じゃないけど、結局は自分に返ってくるんだなーって。
主人公(ビリー・ボブ・ソーントン)に感情移入しちゃう作品だけに
納得させられますね。
誰もが陥る
素晴らしい。この言葉に尽きる。コーエン兄弟は人間の本質を描くのが上手い。
毎日同じ事の繰り返し。これを少しだけ外見(髪型)を変えるように少しだけ人生の道筋を変えたいという感情のために何か嘘くさい話でも乗ってしまうのは誰もがあり得る話。
そしてそれが成功するも失敗するもわからない。しかしそれが人生である。こんなことを教えてくれた。
そして最後まで話の最後が読めない。こんなに考えさせられる映画は久しぶり。名作。
入り込まずには要られない
DVDの音声解説でもコーエン兄弟が語るように彼らの作品は頭を空にして観るべきなのかもしれない。 とは言っても、細部まで作り込まれた映像や40年代フィルム・ノワールに捧げられたオマージュを目の当たりにして深く入り込まずには要られない。
映画芸術の世界では昔から映像に組み込まれる比喩表現によって多くを語って来た。そして、コーエン兄弟はこうした比喩表現の巧みさに於いてトップクラスだ。
映画だけでなくこの世界で生産されるもの全ては"人間に"よって"人間"の為に作られる。
だから、映画に於いても例えSFでも、ミステリーでも、壮大なファンタジーでも、突き詰めれば向かう先は"人間"や"人生"の本質であると思う。
そして、彼らの作品も例外ではなく"如何に人間を描くか"、"どんな人生を表現するか"であり、その表現力が素晴らしいのである。
全20件を表示