アメリカン・サイコのレビュー・感想・評価
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原作のエッセンスを1ミリも表現できてない愚作
原作小説はブレット・イーストン・エリスの衝撃作。1980年代後半の空前の好景気時代のニューヨークで、ウォール街に勤める親が金持ちのヤッピー──エリートビジネスマンの主人公が語り手の一人称小説である。仕事をしてるんだかしてないのかもよくわからないが、異常なほどブランドとトレンドにこだわり、異様に鍛えた自身の肉体さえ主人公にとってはある種のブランドに過ぎない。友人らしき人間たちともマウントの取り合いに終始し、無内容な(読者にとっては)どうでもいい会話を繰り広げる。それが夜になると一転して、主人公は夜な夜な猟奇的で残虐な凶悪殺人を繰り返す。殺すのはもっぱらホームレスや売春婦といったエリートビジネスマンである自分より下の人間だ。そのような昼間のブランドの羅列と夜の残虐殺人の描写が主人公自身の語りによって微に入り細に渡って描かれるが、異常な主人公自身の語りが後半混乱してきて、どこまでが事実でどこからが妄想や幻覚なのかも不分明になってくる。主人公の中身のない空疎で空虚な人間性は、80年代後半のいわゆるバブル景気の中身のない空疎で空虚で虚無的な時代のメタファーである。一見華やかなバブル時代の醜悪な本質を凝縮した人物が主人公のパトリック・ベイトマンというわけだ。村上春樹も「作品としての評価は完全にわかれているけれど、社会的状況資料としてこれくらい自己犠牲的にシニカルで本質的な小説はちょっとない」と述べている。
しかし映画は原作の表層をなぞるばかりで、原作の言わんとする本質に少しも迫れていない。原作の衝撃的なラストも変えられてしまった。エリスが不満を表明したのもよくわかる。映画化されると知って、どんなすごい映画になるのかと期待したが、全くの期待外れで本当にがっかりした。再映画化の動きがあるようなのでそちらに期待したい。
情報と消費の本質的な空虚さ
雰囲気を味わう
名刺を自慢し合う件が大好きで、久しぶりに見たのだけど、アマプラには吹き替えしかなくて、
しかもその吹き替えが、
コントなどで見るイケてるアメリカ人の喋り方
の演出が入っててハッキリ言ってそれが寒かった。
でももしかしたらオリジナルでもそう言うイケ好かない
演出が入ってたのかもしれない。
英語が分からないのでなんとも言えないが。
名刺交換のシーンはやっぱり面白かった。
吹き替えで見て思ったのは、サイコホラーではなくて
サイココメディなんじゃないか?と言う事。
とにかくイケ好かなくて、台詞にもあるように
外見だけで中身がない。
結局本質も分からない。
この物語自体も特にテーマもなく、
淡々と頭の良いバカたちが内容のない話で盛り上がり
セックスでも興味あるのは自分の外見だけ
自分は大したヤツだと思ってるけど、
誰も主人公に興味がない。
オチも虚しさだけが残るものとなっている。
真剣に見るとなんじゃこりゃだけど、
コメディと思って観たらムカついてそして笑えました。
なんかたまに思い出して観たくなる作品です。
トランプ大統領就任記念だそうです…
某有名手描き紙芝居youtubeの動画を見て、興味を持ったので鑑賞しました。
一見でこの作品を理解できた人は、相当の洞察力の持ち主とお見受けします。
ネタバレを知らないと、私にはまったく理解できない作品。
一筋縄ではいかない作品であることは、一見でもでわかりますが、
その複数の縄の一筋でも紐解こうと思うことは私にはありません。
どのくらい繰り返しみれば、あのような解説ができるのか、
そうとうな映画愛好家ではければ、無理でしょう。
一瞬の画像のなかに、製作者のこだわりが、ぎゅっと込められていることなど、
わかりようがないではないか。
おおいに誤解される作品だと思う。
それでも、この作品が、かなりヒットしたとのこと。
公開された時代の空気の中で見れば、共感することもあったのかもしれないけど
なんの知識もなしに、見るとだまされた(悪い意味で)と後悔してしまうでしょう。
【脳にこびり付く!!最高のサイコ・ショー】
一時間四十分程、この映画に魅せられてしまいました。
コンマ数秒まで緻密に計算されまくっている今作。
登場人物のキャラクター性は無駄がなく作られており、深堀すればする程、この映画の旨みが染み出てきます。
一見ただのサイコ野郎に見えるパトリック。類似する事に一生懸命な同僚、又は上流社会。普通に生きる事とは何なのかという、最後は哲学的な問題すら感じさせられます。
「してはいけない事」をする事によって満たされていた快楽が、ラストシーンで自尊心までも破壊されるパトリックの不憫さ…。沢山の人間を殺害してきた鬼畜野郎なのにも関わらず、悲劇の主人公の様に描かれるラストは傑作です。
因みに、今作は言わずもがな、沢山の考察がされていますね。パトリックの妄想だったのか?であったり、パトリックの罪は揉み消された!であったり…。
僕の鑑賞後直ぐの考察は、事実も含まれているが、断片的な妄想も含まれている。というどっちつかずの印象でした。鑑賞後に頭に疑問符が浮かんだまま解説動画等を散見すると、色々な発見が出来て楽しいですね。
色々な考察を纏めると、正解は無いのかなと言う結論に至りました。現実なのか、はたまた非現実(妄想)なのか…。鑑賞者にこの様な疑問を持たせる事こそが、この映画の作られた理由なのかも知れません。少しJOKERに似てる部分があるかも知れませんね。
離れて見ればジョーク映画、深堀すればエッジの効いた皮肉映画。様々な見方ができる、素晴らしい映画です。
色んな見方ができる映画
クリスチャン・ベール。。。いいわ、やっぱイイ!!
シネマート新宿さんの企画で鑑賞。良い機会だから「植物系」以外を全部観ようと決めて。
まず、まず!とにもかくにも、クリスチャン・ベールがピッカピカに光ってます。いーなー。いーなー。
いい塩梅で狂ってる・・・いや、狂う寸前の綱渡り状態をなんとまぁ素晴らしく演じ切っていることか。
目の泳ぎ方、取り繕い方、エリート然とした立居振る舞い、程よくビルドアップした身体、ちょっとした心の動きが読み取れそうな表情。
いい!この作品の緊迫感、緊張感、人間の危うさ・・・彼の演技がなければこれほどの説得力は生まれなかったのでは?さえ思っちゃうほどでした。
ただの殺人ではなく「ちょっと尋常じゃない人」の殺人のプロセスは見ものです。殺さなくてもヒリヒリします。
ストーリー・演出も面白く、よくできているなぁと思います。
殺人シーンで怖くなるというよりも、ヒタヒタとそこに至っていくプロセスに恐ろしさを感じますし、人間が壊れていく内面の恐怖みたいなものが伝わってくる・・・精神的な怖さがうまく描かれていたかなって思います。わかりやすい異常シーンもありますが・・・主人公がどんどん怖くなっていく感じがいいですね。
また、ストーリーもよく練られていると思います。現実?虚構?な見せ方含め。
主人公のみにスポットライトを当てて「サイコ」な人を、そうなっていく人を描く・・という単純なものではなく(と思いますが)、そもそも1980年台後半のエリート金融マン達の人間味の無い、表面的な人間付き合い、判を押したように同じようなライフスタイルを競うような人間達の薄気味悪さ・・・そこから生まれてきたサイコな主人公・・・当時は生まれてきた土壌自体を皮肉っているように感じましたし、作品内でも、うまいこと人間味を感じさせない演出がなされていると思いました。
けど、こーいう世界が好きな人も沢山いらっしゃるんでしょうね。それを否定するつもりは無いですが、僕はちょっと気味が悪かったです。出てくる人物、全員嫌いです。
そんな世界で精神破綻していく主人公は一番人間味があったのかな?とさえ思いました。
精神破綻しないと若くして成功者(経済的、社会的)になれないのかなぁ?
探偵役のウィリアムデフォーが天使に見えました(笑)
あと、ネタバレっぽくなってしまいますが・・・・フィルコリンズとヒューイルイス&ザニュースが気の毒になりました。あんなに印象深いシーンで曲を使われるなんて。。。。本当に気の毒です。
ススーディオ、とっても大好きな曲だったのに・・それは変わりませんが・・・聴く度に思い出しちゃうなぁ・・・罪な作品です(笑)
ホイットニー側は許してくれなかったのかな?
秀作です!
現実と妄想の狭間で狂気が滲みだす
80年代ならではのブラックジョーク感、時計仕掛けのオレンジ的なノリ...
ヤッたの? ヤッてないの?
面白いとは聞いていたものの、先延ばしにしていて、Netflixの配信が終わるタイミングに駆け込みて鑑賞。
あーおもしろかった!
し、めちゃウケる。
こんなにウケたのは「未来世紀ブラジル」以来かも知れない。
とにかく終始皮肉が効いててこちらをくすぐってくる。
ウォールストリートに生きるヤンエグたちの暮らしを当時のカルチャーとともに描くブラックコメディ。
オリバー・ストーンの「ウォール街」ではまだ食うか食われるかの騙し合いが描かれていたが、本作では仕事をしている気配そのものがない。
形式的に出社はするけど、頭にあるのは他人から見て自分がイケてるか、イケてないか、ただそのうわべだけ。
そのマウンティング合戦はほんとトレーディングカードとか、メンコの強さを競う小5男子と変わらないノリ。
白人・男性・エリートのみが参入できる戯れ。
町山智浩の評論本にも取り上げられていたけど、まあこういう連中はバブル日本にも実在したらしい。
ただ、彼らに「好きなものがない」というのはどうだろう?
空虚さを自覚するゆえに売れ筋のポップソングに過剰に移入する主人公は、「好き」とは言えないのだろうか。
その歌が好きなんじゃなく、投影された自己像を愛しているのだとしても、ほとんどのエンタメなんてそういうものでは?
自分の分身だから特別な思い入れがある。というのが愛ではないとしたら、「タクシードライバー」のトラビスに自分を重ねる秘宝界隈も同罪なのでは?
果たして自己愛の強い人間にはなにかを愛することはできない?
真の愛か否かなど、誰が何を基準に決めるのだろう?
こんなにも仕事してないのかね。
名刺バトルにテーマを込めて
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