アメリカン・サイコのレビュー・感想・評価
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裁かれない辛さ、それはSNS時代にも通ずる
裁かれない辛さ、それはSNS時代にも通ずる
00年代初期特有のまだ古き良きアメリカ臭と言いますか、我々ニッポン人が憧れていた頃のアメリカの感じがプンプンに漂うこの頃特有のアメリカ臭のする作風にまずはノスタルジーを感じる事でしょう。
そして本編。正直ミソ気味の僕でも引くぐらいの超男尊っぷりを披露してくんですが、まあそれは良いとして何だか宙に浮いたようなセリフがずっと続くんです。
いくら昔の映画とはいえ流石にセリフ臭い箸にも棒にもかからないような ”セリフらしいセリフ” が紡がれているだけのようなシーンの連続。この違和感は何なのか?気の所為では・・・・無かった。
そう、最後の最後の大どんでん返しとして、実は今までの行為は全部実在しない、妄想だったのではないか?という事が示されるのです!!何かトム・クルーズのバニラ・スカイだとかゲームのEver17みたいにこの頃は流行りだったんですかね(ネタバレ気味に)。
でも面白い事に、『『やっぱり現実だったんじゃないか』』ってそんな感じで終わるんです。そして最後までそこは明確にされないまま、この物語は終わります。
一体この狂気の男の私生活を見せられ続けた二時間は何だったのか?この男は何故罰を受けていないのか?疑問が疑問を呼ぶので鑑賞後が非常に楽しい作品でした。
結論から言いますと、制作陣曰く事実だったそうです。じゃあ何故彼は無事なのか?それは当時のアメリカの特権階級を皮肉っているからなんだとか。序盤で主人公がとある人物と勘違いされてるけどそのままにしてる、みたいな件が有りましたがアレがまさに本作の本質のソレで、みんな他人に関心が無いのです。
だから殺人を真正面を向いて告白された弁護士も取り合わない、関わらない方向性に舵を切っていましたし、同僚達もジョークの延長線か事実だとしても聞かなかった事にしてるのか取り合わない。
普段から関わり合っているのに、本質的にはどうでも良いんです。でもこれって今の社会では普通じゃないでしょうか?????
思えば自分も人の顔をちゃんと覚えていなかったり、名前は何だったっけ?なんて日常茶飯事です。会社の同僚で名前は知らないけど一部分の作業でずっと付き合いが長い、みたいな人くらい居るのではないでしょうか?現代社会ではむしろこのアメリカン・サイコの社会が普遍的になっているとも言えるのです。もしかすると公開当時には既にそうだったのではないでしょうか。
人々は充実し、恵まれていくと共に人の助けを必要としなくなるが為、他人に本当の関心を寄せなくなる。だから表面上の関わりしか無いのが、まさに現代社会にグッサリと刺さっている内容だったとは言えるのでは無いでしょうか。
話題を戻しまして、本作ややこしいのがやっぱり非現実も混ざっているという点です。チェーンソウが命中したり警察官と撃ち合って勝利を収めてるようなシーンはどうやら妄想らしいのです。まあ弾倉に何発装填されてるんだ?って不思議なシーンなのでそこはジョーカーよろしく古くからの手法なんだなあと学べたり。
主人公の彼女に殺人を打ち明けても取り合ってくれなかったのも恐らく殺人関係についての言及は現実ではしていなかったというところでしょう。流石に彼女がそこをスルーするのはありえないはず。。。。
つまり、本作の結論として見えてくるのは自らの特権階級によって手に入れた富や名声と引き換えに、人々からの無関心その終わらない地獄。主人公が刺激を求めていたのも元々はそういった生活に生き甲斐を感じなかったからで、一方で裁かれる事も望んでいた。
そこに救いが有ると信じて、ある種今の現実が一種の地獄だった彼なのですが、最後の最後でそこらも抜け出せない事を悟るのです。
普通なら悪いことをすれば罪に問われますが、現代社会でもSNSなんかで陰口を叩いたり誹謗中傷をしたり、バイトテロなんて可愛いもんでセカンドレイプや詐欺と千差万別ですよね。
別にそこまで露骨な犯罪ではなくとも、例えば女性なら性を売って金儲けをしている方が多いはずです。そこに少しでも罪悪感を感じていて、でも裁かれる事は無い、もしくは裁かれなかった。。。。。
そのときに感じる虚無感や終わらない”何か”を、明確な区切り無く日常と共に狂気が続いていく今のSNSネット社会全盛の空気を、20年以上も前に描いていたのが、このアメリカン・サイコの本質だったと言えるのかもしれません・・・・・・・・。
共感してしまった
人は誰しもが殺人を犯しているのでは?
頭の中でなら。毎日のようにそれは起こる。
思い通りにならない店員に、ライバルの同僚に。それらの不満は視界に映る不潔な路上生活者、娼婦、野良猫にも向けられる。
私の解釈では、彼の吐く汚い言葉は、殆どが妄想である。よく漫画などで妄想カットが挟まれ、後に主人公が我に返り実際は何も起きてないという演出があるが、この主人公は我に返らない。
そのため、どれだけ暴言を吐いても相手には聞こえてないか無視されているように見える。心の声だからだ。
本人も述懐しているように、殺人がアイデンティティになってしまっているのだ。親のレールで成功しただけの中身のない退屈な自分の。
名前よりも名刺が大事で、中身よりも見た目が大事。他人の名前で呼ばれても動じない、自らも他人の名前を騙る。自分の名前で呼ばれたときは「人違いです」病的に自分がないのだ。
婚約者は言う「お父様が社長で働かなくても暮らせるのになぜ仕事するの?」彼は答える「仲間になりたいからだ」ある種のカテゴリにはまった生活様式や服装をすることで辛うじて人としての輪郭を保っている。
冒頭で完璧なスキンケアを施しながら自分語りが入るが、そこで彼は透明なパックをする。そのパックが色つきでなく透明なのが1つの暗喩に見える。
マスクを被っているが、ひと皮向いても、同じ。
途中まで騙されかけたが、彼はサイコパスとは違うと思う。
幼い頃から周りが期待する型に添った自分を演じるうちに、本当の自分が分からなくなってしまったのだ。育む機会がなかったというほうが正しいかもしれない。
だから自分が『ほんとうに』好きなことや楽しいことが分からない。人を愛することもできない。人より秀でていることや、自分が不快にならないことだけが重要。完璧なボディメンテナンスにそれが現れている。
男が…という人もいるけど、女にもこういう人はいる。
自分にしか関心がなく、セックスの最中も気になるのは自分のボディーライン。噛み合わない会話。ステータス自慢。
音楽は聴くけれど、感想は何かの丸暗記のようで、一方的に語るだけで人と共有できず、好みも支離滅裂。ただ雑音を遠ざけるだけの装置のようにも映る。一方で必死に人間的な感受性に触れたがっているようにも見える。
安定剤漬けのセックスフレンドは、いかにも空虚さを抱えたニューヨークの上流階級の娘で、どこかしら彼と波長が合っている。
彼はすぐ嘘をつく。しかもすぐにバレる嘘だ。虚言癖のように。後半、自分でも何が嘘か本当か分からなくなっている様子が、刑事への受け答えに現れる。
仕事の書き込みが皆無の、女の名前と暴力的お絵描きまみれの手帳を発見した秘書は、恐怖よりも哀しみを浮かべている。子供が病んでいるのを発見した親のように。
彼は電話やエクササイズをしながらビデオを流しているが、1つは3PのAV、2つ目はチェーンソーを振り回す男のホラー。私はこれがヒントだと思う。
創作(妄想)と現実の区別がなくなっていく。
この映画はその境界線が分からないように出来ている。
もちろん実際にやっている可能性もゼロではない。
でも重要なのは、彼や我々が「本当の自分」などというとき、「本当」なんて存在するのか?そんなものは最初からどこにもないのではないか。薄っぺらい現実に嫌気が差した時、本当を作り上げ、現実を偽りにするのかもしれない。
いくらなんでも。
いくらHBS出身で親の経営する会社だとしてもちゃんとした金融機関で27歳で個室と秘書を持てるか?主人公も同僚も全く仕事をせず飲んだくれてばかり。何人殺しても警察は動かない。全てあり得ない。リアリティがなさすぎ、と思ったら全てが現実ではなかった?というオチ。これはないだろう、、、
考察が楽しめる映画
クリスチャン・ベール。
なんですか?この男から見てもセクシーな俳優さんは?シャワー浴びるシーンなんか、かっこいいし、いちいち真似したくなっちゃうじゃぁ、ありませんか。エンディングは、あれっ!ここまでの流れは全て主人公の妄想なの??となるが、実は世間は他人に対してそれほど関心を持っていないということを指摘した風刺映画なんじゃないかな。SNS全盛の今、スマホすらない20年以上も前に未来を予言しているようで、考察も楽しめるいい映画だった。
タイトルなし(ネタバレ)
80年代、アメリカのプレッピー?
ヤンエグ世代。
名刺のデザインや人気レストランの予約が取れるかでマウントしあい、恋愛も友人付き合いも表面だけの空っぽ。
風刺が効いて真剣にマウントする姿は滑稽で笑えた。
裸でチェーンソー振り回す姿も
怖いんだけれどどこか笑える。。。
ホラー、スリラーとは一線を変えたムービー
クリスチャン・ベール。。。いいわ、やっぱイイ!!
シネマート新宿さんの企画で鑑賞。良い機会だから「植物系」以外を全部観ようと決めて。
まず、まず!とにもかくにも、クリスチャン・ベールがピッカピカに光ってます。いーなー。いーなー。
いい塩梅で狂ってる・・・いや、狂う寸前の綱渡り状態をなんとまぁ素晴らしく演じ切っていることか。
目の泳ぎ方、取り繕い方、エリート然とした立居振る舞い、程よくビルドアップした身体、ちょっとした心の動きが読み取れそうな表情。
いい!この作品の緊迫感、緊張感、人間の危うさ・・・彼の演技がなければこれほどの説得力は生まれなかったのでは?さえ思っちゃうほどでした。
ただの殺人ではなく「ちょっと尋常じゃない人」の殺人のプロセスは見ものです。殺さなくてもヒリヒリします。
ストーリー・演出も面白く、よくできているなぁと思います。
殺人シーンで怖くなるというよりも、ヒタヒタとそこに至っていくプロセスに恐ろしさを感じますし、人間が壊れていく内面の恐怖みたいなものが伝わってくる・・・精神的な怖さがうまく描かれていたかなって思います。わかりやすい異常シーンもありますが・・・主人公がどんどん怖くなっていく感じがいいですね。
また、ストーリーもよく練られていると思います。現実?虚構?な見せ方含め。
主人公のみにスポットライトを当てて「サイコ」な人を、そうなっていく人を描く・・という単純なものではなく(と思いますが)、そもそも1980年台後半のエリート金融マン達の人間味の無い、表面的な人間付き合い、判を押したように同じようなライフスタイルを競うような人間達の薄気味悪さ・・・そこから生まれてきたサイコな主人公・・・当時は生まれてきた土壌自体を皮肉っているように感じましたし、作品内でも、うまいこと人間味を感じさせない演出がなされていると思いました。
けど、こーいう世界が好きな人も沢山いらっしゃるんでしょうね。それを否定するつもりは無いですが、僕はちょっと気味が悪かったです。出てくる人物、全員嫌いです。
そんな世界で精神破綻していく主人公は一番人間味があったのかな?とさえ思いました。
精神破綻しないと若くして成功者(経済的、社会的)になれないのかなぁ?
探偵役のウィリアムデフォーが天使に見えました(笑)
あと、ネタバレっぽくなってしまいますが・・・・フィルコリンズとヒューイルイス&ザニュースが気の毒になりました。あんなに印象深いシーンで曲を使われるなんて。。。。本当に気の毒です。
ススーディオ、とっても大好きな曲だったのに・・それは変わりませんが・・・聴く度に思い出しちゃうなぁ・・・罪な作品です(笑)
ホイットニー側は許してくれなかったのかな?
秀作です!
現実と妄想の狭間で狂気が滲みだす
80年代ならではのブラックジョーク感、時計仕掛けのオレンジ的なノリ...
こんなにも仕事してないのかね。
名刺バトルにテーマを込めて
あなたはどっちがお好み?
パトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベイル)はウォール街で、働くエリート。高収入でイケメン、高級アパートに住む彼は連続殺人鬼のサイコ野郎だった!!
っていうサイコスリラーと言うよりはブラックコメディでしたねー。
結構グロいのかなと思いきや、直接的なシーンはあんまりなく、わりと観やすかったです。
なんせ、クリスチャンベイルのぶっ飛んだ演技が最高でした!
主人公のベイトマンは見た目は完璧だけど、全然満たされてなくて、常にピリピリしてる。
エリート仲間との間で繰り広げられる名刺マウンティングは本当に意味不明だし、高級レストランの予約が取れないくらいで怒るなよとも思うけど、見栄の張り合いで見た目重視の人エリートたちにとっては最重要事項らしい。
自分より先に高級レストラン予約するやつ、自分よりセンスのいい名刺作ってくるやつは、そっこーでベイトマンの餌食になるのですが、恐ろしいシーンのはずなのになんか笑える。
くだらないことに一生懸命になって、イライラピリピリしているベイトマンはとても滑稽だけど、こう言うことって日常生活の中にわりとあったりする。
他人から見たらどうでもいいことでも、自分にとっては重要なことってある。
それが、傷つけられたり、バカにされたりするとやっぱり嫌だなと思う。
そんな気持ちをかなり誇張して描いてるだけなのかも。
ラストの意味はどっちの解釈もできる。
本当は全てベイトマンの妄想でしたor本当に殺人鬼だったけど、周りの人の無関心によりベイトマンの罪は無視されるの2パターン。
私的には後者のラストに一票。
自分の商売のために殺人現場をリフォームして素知らぬ顔でお客様に売りに出す不動産業者。
友人の名前もろくに覚えないエリート仲間や弁護士。
ベイトマンの必死の叫び声も他人の無関心の前にはなすすべも無く、殺人の告白すら相手にされない。
文書で読むと狂気に満ちたどうしようもない世の中で、なんか暗い作品のように思うけど、あくまでコメディなので、なんか笑えてしまう。
すごく不思議な作品でした。
残酷描写に多少の免疫があれば、楽しめる作品です。
ひとり残らず
最後、存在を無視され、それでもなお「オレの苦しみをひとり残らず味あわせてやりたい」と、周囲を見渡す主人公。
ひとり残らず殺して、地球上にひとりぼっちになりそう。
ポール殺しを追ってた刑事が、主人公の存在を認めてくれる人物なのかも。
その刑事ですら、「ポールとロンドンで食事した」という証言のせいで離れていくんでしょうけど。
そう考えると、秘書と、別れたくないと泣く女の子の存在が中途半端だな。
それにしても、映画前半では、名刺ですら見栄を張り豪勢な暮らしを見せつけるバブル男たちの薄っぺらい姿を、笑いながらもどこか羨ましく見てしまったが、ラストシーンでは、よりくだらない井戸端会議のオバちゃんぐらいに見えてしまう。
主人公が弁護士に存在の希薄なツマラナイ人間と言われた瞬間に、映画の観客の目まで変えさせる演出いいね、と思った。
序盤、名前沢山出てきてついていけないかも??って思ったけど、前半に人物・レストラン・ブランドの名前をこれでもかというぐらい出すことで、ラストシーンがより効いてるんだな。
勉強になりました。
流行り、もてはやされるもの、仲間、会社…共同幻想で構築されるものは、いきつくところはひとりぼっちなんですかね。
わたし個人は友だちがめっちゃ少なくダンナぐらいしか心許せる人いないから、そんな関係でも羨ましいと思ったり。
「この後も捕まらないのか、やっぱり逮捕されるのか」までは描かないクールな映画。
意外と(失礼!)面白かったアタリ映画でした★
音楽のセンス
結果、全てが彼の妄想だったのか!?
完璧主義を貫き通すのは実に大変で、誰の為に?自分の為に?一体全体、何の為に生きているのだろう?
あれだけ完璧でいて音楽の趣味が悪いのは、敢えてなのだろう?って個人的問題!?
TVに「悪魔のいけにえ」が映って、オマージュのようにチェーンソーを狙い定めて落とすシーンは、しっかり描写しても良かった?
C・ベイルの鍛えた体を見ると、"ブルース・ウェイン"が日々のストレスでトチ狂ったが如く、殺人衝動を起こしているように思える!?
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