「「盲目の居合の達人×北野武」の魅力がもう少し足りない。」座頭市 すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
「盲目の居合の達人×北野武」の魅力がもう少し足りない。
○作品全体
「静寂から飛び出てくる暴力」は、間違いなく北野作品の魅力の一つだ。
盲目、そして居合の達人という「静寂」を活かすのに十分な主人公がその魅力をさらに爆発させてくれるのか…と期待したのだけど、正直そこまでではなかった。
点在する、間合いを詰めるようなカットはさすがだった。
座頭市と用心棒が居酒屋で初めて邂逅するカットは北野武演じる座頭市の不気味さと秘めた暴力が一気に溢れ出る。ヘラヘラと笑いつつ「こんな狭いとこで刀そんなふうに掴んじゃダメだよ」と呟く座頭市の芝居はさすがだった。すでに冒頭のシーンで座頭市の実力を見せてるけど、不気味さの説得力という意味ではこのカットが随一だった。
ただ、他のシーンでは音楽がうるさいところが多い。
いつ訪れるかわからない暴力や狂気が、音楽によって補助線を引かれてしまっている。それが場面や物語の抑揚であったり、盛り上げる一役を担っていれば良いのだけど、全くそうではないのが残念だ。
農具や工具を使ったリズムやラストのタップダンスは悪い意味で浮いている。時代劇に新しい風を、という意図が見え透いているし、タップダンスというアイデア先行で世界観から逸脱している。
この作品だけでなく、この頃の北野武の「悪い癖」が出てしまっていると感じた。
終盤で明かされる、金髪であり碧眼であることを社会から隠すための盲人であったという真実はとても面白かった。「都合よく」社会で暮らすために自身の異常を別の異常で隠す。ウィークポイントとなるはずの異常を、相手をあざ向く長所として活かす、というのもまた面白い。懐にしまった暗器のような特徴は、北野作品にある隠した狂気とよく似合う。
物語は復讐劇としてシンプルな分、玉石混合な演出群が目に付く。あの頃の北野武であればさらに「玉」を作れたのでは…そんなことを視聴後に考えてしまう作品だった。
○カメラワークとか
・血飛沫の演出とかグロテスクな表現をCGで表現しているけれど、正直出来がイマイチだ。2000年当時に見ていれば印象は違ったのかもしれないけれど、とてもチープに見える。きっと今までの時代劇から脱却する新しい部分としての表現だったんだろうけど、今だとむしろ古臭く見えるのが悲しい。
○その他
・この頃の北野作品にとって「他の芸術を取り入れた演出」というのは『HANA-BI』の絵だったり『菊次郎の夏』の夢のシーンで見せたモダンダンスだったり『dolls』の文楽だったりと、まあ色々あるんだけど、どれもアイデア先行で、「とりあえずこれ使ってみたい」っていう感情があまりにも剥き出しになっていて、正直辛い。
周りの人が誰も指摘できなかったんだろうな、と思ってしまう。今まで音楽を担当していた久石譲を使わなくなったの理由が「音楽に注目が集まりすぎた」という北野武の判断らしいけど、映像との相乗効果があった分、そっちの方が良かったんじゃないかと思ってしまう。
・ガダルカナルタカの評価に悩む。新吉っていう人物ではなくただのガダルカナルタカみたいな演技だし。なんかコントで新吉っていう役をやっているような、そんな中途半端な存在。でもコメディのシーンの反応が面白い。