「ジュディ・グリアの名演技にシャマランの真髄を見る。」ヴィレッジ(2004) 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
ジュディ・グリアの名演技にシャマランの真髄を見る。
クリックして本文を読む
シャマランの発言に「観客の気持ちを宙ぶらりんにしたい」というのがあって、なるほどと膝を打ったことがある。いま観ている映画が、どこに向かっていてどんなジャンルであるのかを、シャマランは巧妙に混ぜっ返す。どうしても「どんでん返し」(もしくは「どんでん返さず」)を軸に語られることが多いシャマランだが、むしろどっちに転ぶのかわからないまま人を惹きつける演出の強さが魅力であり、ストーリー上のギミックはあくまでもそのためのツールにすぎない。
で、ジュディ・グリアの話だ。本作では盲目の主人公を演じたブライス・ダラス・ハワードが注目を浴び、彼女の存在感と演技からすれば当然だと思うのだが、姉役を演じたジュディ・グリアが脇役ながらも素晴らしい。
思い出してほしい。彼女が長々とホアキン・フェニックスに愛を告白するシーンを。両思いだと信じて疑わない彼女の気持ちが突っ走って、ホアキンにもう気持ちを隠さないでいいんの!と宣言するあの確信に満ちた姿と、その後で恋が敗れたのであろう自室で号泣する落差のコントの呼吸を。
シャマランは「で、これなんの映画なんだっけ?」と思わせる仕掛けを随所に仕掛けてくる。しかもそこには大抵ねじれたユーモアがあって、この映画ではジュディ・グリアが上記の大熱演で、この映画がどこに飛んでいくかわからない暴れん坊であることを宣言する役目をみごとに果たしている。あとはこっちがチャンネルを定めようとせず、アンテナを開きっぱなしにすればいい。
コメントする