シン・シティ : インタビュー
「シン・シティ」生みの親であり、共同監督でもあるフランク・ミラー。これまで頑なに自作の映画化を拒んできた彼が、自ら監督まで務めて作り上げた映画「シン・シティ」とは? フランク・ミラーへのインタビュー第1弾は、ミラー本人と映画へのかかわりについて聞いた。
フランク・ミラー インタビュー
【Part1】フランク・ミラーと映画「シン・シティ」
聞き手:町山智浩
「シン・シティ」は軟弱なハリウッド映画へのアンチ・テーゼ
フランク・ミラーが「シン・シティ」を発表したのは91年。それから何度も映画化のオファーはあったが、彼は頑なに拒否し続けていた。
「『シン・シティ』を描いたのは映画に失望したからだ。私はハリウッドに招かれて『ロボコップ2』の脚本を書いたが、嫌な思い出になった」
ミラーの脚本は2つに切られて、「ロボコップ2」と「3」になった。最近もミラーはワーナー・ブラザースから彼が原作の「バットマン/ザ・イヤー・ワン」の脚色を依頼されたが、途中で降ろされた。
「しょせんバットマンはボブ・ケインが創造したもので、どう映画化されようと私は文句を言えないさ。でも、『シン・シティ』は私が生んだ子供なんだ。他人にいじられたくなかった」
ミラーが映画化を拒否した理由のひとつは、「シン・シティ」の強烈なバイオレンスを弱められると思ったからだ。
「『シン・シティ』は軟弱になった最近のハリウッド映画へのアンチ・テーゼだ。これを気楽なハッピーエンドのアクション映画にされちゃたまらん」
ところがある日、ロバート・ロドリゲス監督が、ミラーの自宅を訪れた。
「ロバートはノートPCを出して、自分で加工した『シン・シティ』風のモノクロ映像を見せて、『あなたの絵柄のまま映画にできますよ』と口説き始めたが、私はただ首を横に振った」
するとロドリゲスは「あなたが自分で監督するんですよ。とりあえず試しにやってみてください」と、テキサスの自宅の向かいに建てた「トラブルメイカー・スタジオ」にミラーを招待した。
「スタジオに着くと、マリー・シェルトンとジョシュ・ハートネットが待っていた。彼らを演出して『シン・シティ』のオープニングを撮影した。美しいマリーが『先生、演出してください』って私をじっと見つめてくるんだぞ(笑)。すぐに私はロバートに言った。『さっさと始めようぜ』」
ミラーはたちまち映画監督の快楽に取り付かれてしまった。
「当たり前だよ。ハリウッドのスターたちが自分が創造したキャラクターになりきって、何でも私の言うとおりにするんだぞ」
フランク・ミラーが一番のお気に入りなのは寡黙な女剣士ミホだった。
「デボン青木を演出してミホにしていく過程は、ペンでミホを描くような感じだった。デボンは私の厳しい要求に必死で応えてくれた。私が彼女に入れ込むのを見てロバートが笑ったよ。『まるで娘に夢中の教育パパみたいだね』って」
監督初体験でいちばんつらかったのは?
「撮影が終わっちまった時さ」
すでに「シン・シティ2」の準備は始まっている。
「『2』は、『シン・シティ』第2巻の『Dame to Kill For』がメインになるが、ジェシカ・アルバのために彼女がヒロインの話を書き足そうかと思っている。『シン・シティ3』もやる気だ。第5巻の『Family Values』を中心にしてな。これはミホが大活躍するんだ。早く撮り始めたくてたまらないよ。ロバートの奴に映画の虫を感染されちまったのさ(笑)」