2002年の作品
制作時との時間差があるものの、まったく古さを感じさせない。
1945年という時間軸に、当時の考え方や社会的背景が込められている。
この物語は、霊であっても人間だったことで、その思考や風習はそのまま残ってしまうことと、その悲惨さから他の霊が手を差し伸べるという概念による。
通常我々の立場は人間であり、その視点から霊的なものを思考する。
しかしこの物語は、霊が当時の強い強迫観念からどうしたら抜け出すことができるかを描いている。
そしてそれそのものを大どんでん返しにしている。
面白い。
霊が霊に介入する。
さて、
そもそもグレースは非常に隔離的な生活の中にある。
その一つが戦争であり、すでに死んだと思うしかない夫チャールズのことを、まだ戦地で戦っているとしか子供たちに言えないことが、彼女の最大のストレスでありジレンマなのだろう。
この彼女のストレスは、聖書や神という絶対的なものにしがみつくしかなくなっていた。
「神であれば、主であれば、この状況からきっと開放してくださるに違いない」
しかし結果はすでに告げられていた。
夫なしで二人の子供を育てなければならない。
子どもたちは光アレルギーで日光がダメ。
使用人を雇い、子供たちの教育を自身がする。
隔離され多様な生活は子供たちだけにとどまらず、グレース自身も外に出掛けることはできない。
濃霧は、彼女自身の心の闇の深さであり、自身を閉じ込めておかなければ居られない証。
部屋の鍵も同じような意味があり、表向きには光アレルギーの子供を守るためだと言っているが、実際には「この場所」に閉じ込めておくためのもの。
「この場所」とは、グレースの心だろうか?
強迫観念に満ちてしまった場所
そして、霊であっても夫と「邂逅」できること。
神父を求め、外に出たことが夫の霊を招いたのだろう。
しかし夫はそこに長くいれない。
それは、グレースが変われないからだろう。
この物語の意味が解ってもなお、グレースの心の闇の深さに感じる強迫観念
この人間の心というのは霊であってもなおコントロールできないほど難しいものなのだろう。
母の考えこそ正しいと考えている息子ニコラス
母の考えに賛同できない娘アン
アンは母に概ね従っているが、肝心な個所で袂を分かつ。
これが、アンには霊が見えることに繋がるのだろう。
交霊会
盲目の交霊者が降ろしたかったのがラスボスの霊 つまりグレース
この交霊者に協力していたのが、ミルズたちだったのかもしれない。
結核で亡くなってしまった3人
声が出せないほどショックを受けたリディア
リディアの悲しみは今も続くが、恐ろしいほどの脅迫観念に憑りつかれたグレースほど悲しいものは無いのだろう。
そして、
この人間と霊との逆転物語
私自身、何らかの情報によって、人間であれば「変化」できるが、霊となれば変えることができないと思っていた。
しかし、
どこにでも救いがあるならば、霊もまた霊によって救われることがあるのかもしれない。
モチーフの「光」
そこに感じる「正しい知識」
グレースの、一見正しいような思考
決してその他を信じないとする強迫観念 「光」
この光を遠ざけるように生きているグレース
最後に彼女は自分がしたことを思い出した。
そしてようやく昇華を迎えることができた。
ビクター一家は幽霊屋敷から引っ越したが、除霊は成功した。
2002年 まだ霊を信じる人々がたくさんいた。
TVでも取り上げられていた。
そんな世界があるならば、きっとこんな感じなんだろう。
自分の過ちを認めず、それが正しいと信じ続けること。
地獄とはまさにこのことで、光を一番必要とする人が、光を遠ざけてしまう。
ミルズは、現世のビクター一家らと「共存」するしかないと言ったが、何もかも受け入れられないというグレースには、それしか方法はなかった。
昇華
これこそ、日々我々が求められていることなのかもしれない。