ミュンヘンのレビュー・感想・評価
全9件を表示
暗殺の裏にある二つの心情。
◯作品全体
「祖国のため」という職務上の責務と「妻子のため」という家族への想いに揺れるジレンマが印象に残る作品だった。
殺された祖国選手団の報復という大役を任された、主人公・アヴナー。当初は誇りと栄誉をもって暗殺任務を進めていたが、上司との対立や仲間の離脱があって徐々に孤立していく。暗殺任務がアヴナーにとって慣れない任務というのもあって、序盤は作戦の不安定さが緊張感を作り出していたが、だんだんと無事に元の生活に戻ることができるのか、という危機感が緊張感を生み出す中心になる。一人ずつ暗殺していく序盤の時点では「暗殺という事象自体に焦点を当て続けるのか」と思いながら見ていたけれど、危機感の元凶が少しずつ変わっていくことで、アヴナーの心情に焦点を変えていたのが巧いと感じた。
さらに巧いと思ったのは、アヴナーの心情を職務上の責務から家族への想いへと簡単に移さなかったことだ。アヴナーの心にとどまっている「祖国のため」という心情は、ミュンヘンでの襲撃シーンを随所に挿入することで表現されている。理不尽に暴力を振るわれ、最後は後ろ手で縛られ銃殺されていく選手たち。イスラエル国民に焼き付いた彼らの無念さとパレスチナへの敵対心の象徴でもあるこのシーンは、単なる作品の導入シーンではない。アヴナーたちの暗殺を肯定する「正義心」でもあり、簡単に任務から降りられない「呪縛」としてミュンヘンの出来事は存在している…そう思わせる演出が巧かった。
自身を育ててくれた「過去」を象徴する「祖国」と、これからの「未来」を印象付ける「妻子」の存在。「正義心」も「呪縛」も感じられなくなったアヴナーは「未来」を選択したはずだが、祖国でない土地でかつての上司と話すアヴナーからは、心の空白という傷が痛々しく残って見えた。
〇カメラワークとか
・駅で玩具職人がチームから抜けるシーンをシルエットで見せていたのが印象的。ベンチで殺された仲間のシーンとか自身の暗殺におびえるアヴナーのシーンもシルエット調だったけど、正義心に溢れていた心が空っぽになったというような印象を受けた。
◯その他
・アヴナーの心情の変化に必要だったからというのはわかるけど、ちょっと長い気がしないでもない。パレスチナ側を「血の通ってないテロリスト」にしないために割かれる時間が多かったような。
国家的であれ殺人は殺人である。
パレスチナ人がのたまう。
『祖国あっての事だ』と。この言葉はシオニズムの理念と同じだ。
さて。
ミュンヘンオリンピックだから、1972年の事。
争いは過剰な正義感から始まる。その後、正義感の争い。
つまり、殺人に良心などあるはずも無い。
PLOやIRAのテロと比較される事があるが、モサドの行ったテロは独立闘争と言った内容でもない。一方、PLOやIRAは宗教を含んだ独立闘争の傾向が強いと思う。肯定は出来ないが。
ネタバレあり
結末は、殺人を行った後に、どの面下げて子供に会いに来たのか?当然、そんな目に合うでしょ。
と思う。
国家ぐるみの犯罪を、一人の男の良心でオブラートしたフィクションであろう。
『モサドは怖いぞ』と副担任の世界史教師が言っていた。しかも、当時は反ベトナム戦争運動の時代であった。また、模倣犯も多々あった。
最後のワールドトレードセンターはCGなのだろうネェ。
スピルバーグらしくない米国政府に異議を唱える野心作
スティーブン・スピルバーグ監督による2005年製作のアメリカ映画。
原題:Munich、配給:アスミック・エース。
アメリカ同時多発テロ事件が2001年なので、その4年後に製作された映画。プライベート・ライアン(1998年製作)で敵を殺せることを成長の様に描いたスピルバーグが何か開眼したのか、暴力の連鎖は何も生み出さないという強いメッセージを発していて驚かされた。
最後は、9.11ターゲットとなったニューヨーク世界貿易センタービルの遠景で終わるので、イスラエルではなく寧ろ米国社会・政府に向けての主張なのだろう。日本人的には暗殺はダメというのは当たり前であるが、米国映画の世界では西部劇からトップガン・マーヴェリックに至るまで、敵は先制攻撃も厭わず破壊すべき存在。リベラルと目されるオバマ大統領がビン・ラディン殺害を成果として誇る社会。スピルバーグ製作総指揮のバック・トゥ・ザ・フューチャーでも、ガキ大将をぶん殴ることで未来が良くなるという暴力を肯定する様な描写がなされていた。
そういう社会の中で、対テロの暴力的闘いに異議を唱える姿勢には、敬意を覚えた。9.11テロとイスラエル政府主導の暗殺と一緒にするなとの批判も数多く受けたらしい。その回答が、プロジュース作品で戦争映画の大傑作「父親たちの星条旗・硫黄島からの手紙」二部作(2006年製作)とすると、スピルバーグが意外な硬骨漢にも思えてきた。
ただ、主人公たち(エリック・バナ、ダニエル・クレイグ等)が敵を殺すが、そのやり方がかなりリアル且つ克明に描かれ、驚かされた。そして、暗殺グループの一員(キアラン・ハインズ)を色仕掛けで殺害したマリ=ジョゼ・クローズへの復讐的殺し方が何ともえげつない。彼女の美しい裸体に特殊な銃で小さな穴が幾つか開けられ、少し時間経てそこから真っ赤な血が溢れ出す。CG画像だと思うが、未だかつて見たことがない惨虐な映像で、オリンピック村でのイスラエル選手の死亡映像も含めて、本当のところ、スピルバーグはこの斬新な殺害される映像が撮りたかったのかとも少し勘繰ってしまった。
ボロボロ状態で休暇で家庭に帰ってきたエリック・バナは愛妻(イスラエル女優のアイェレット・ゾラー)とセックスしながら、ミュンヘン・オリンピック事件の襲撃犯及び人質となったイスラエル選手の惨死の映像を想い浮かべている。イスラエル側だけでなく、長い苦悩故か独警察・軍に騙されたパレスチナ襲撃犯達の悲劇も、彼は感じ取れている。そんな彼を妻は愛していると抱擁する。まるで聖母の様なアイェレット・ゾラー。こんな妻現実には皆無だし、射精描写が露骨で自分好みの表現では無いが、彼の罪と魂は救われた様である。まあスピルバーグが映像的に大胆にチャレンジしているのは感じ取れた。
主人達の殺しのターゲットに関する情報をもたらしてくれたフランスの組織、その長であり情報提供者ルイ(マチュー・アマルリック)のパパ、マイケル・ロンズデールの演技は随分と印象に残った。レジスタンスでドイツ軍と闘ったらしいが、今は大家族と共に緑に囲まれた豊かな環境で暮らす。入手困難な情報を種々の人間に売ることで生計をたてている様だが、国家組織は大嫌いの独立的なファミリー。主人公達のバックにモサドがいることは知っている様であるが、イスラエル民族の苦難には比較的理解を抱いている様で、幾つかの貴重な情報を売ってくれたし、命が狙われていると警告も発してくれた。原作にも登場するらしいが、米国映画的な白黒とは割り切れない存在で、欧州世界の奥深さを教えてくれる様な存在で、映画に随分と深みを与えていた。
製作スティーブン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、バリー・メンデル、 コリン・ウィルソン。
原作ジョージ・ジョナス『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』、脚本トニー・クシュナー、 エリック・ロス、撮影ヤヌス・カミンスキー、美術リック・カーター、衣装ジョアンナ・ジョンストン、編集マイケル・カーン、音楽ジョン・ウィリアムズ。
出演、エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソビッツ、ハンス・ジシュラー、ジェフリー・ラッシュ、アイェレット・ゾラー、マチュー・アマルリック、モーリッツ・ブライブトロイ、バレリア・ブルーニ・テデスキ、イバン・アタル、マリ=ジョゼ・クローズ、マイケル・ロンズデール。
永遠に解決しない
パレスチナ 、イスラエル問題に、私としてはイーブンな目線で全体が貫かれておりその他の勢力や権力含め、どこにも与しない、映画の中でいうと、象徴的でカリスマ的なパパに近いだろうか、そんな立場と目線を感じた。そしてそれゆえか、自分の立場を問わず顧みずというか、自分の立場信条に関わらず冷静に鑑賞できた。いろいろ物議を醸し双方から批判や抗議があっだとのことだが、当事者にはそれなりの立場や大義があるだろうが一般の鑑賞者については、非常にイーブンに観られるだろう点そしてこのような、大衆ウケしなさそうな、アンタッチャブルな内容を、スピルバーグというbig name が、エンディングには堂々たるジョンウィリアムズの音楽というところがまたすごい。作品自体に意義があり公開されただけで、スピルバーグは目的を達していると思う。
主人公アブナーの心の揺れ、変化。
アブナーたちも、また、ブラックセプテンバーやその他のいわゆるテロリストたちもみな葛藤の中で自分が大義のためには正しいとおもうことを、そこに付随する正しくなさに悩み立ち止まりつつも進めていくのだ。
国がなかったものたちが国を手に入れあらゆる手段で守る、国、というより土地という方がしっくりするが、土地があったものたちがそこを追われまたあらゆる手段で取り戻そうとする。
その過程での殺戮やさまざまな暴力。
アブナーは1人リーダーを殺しても次の人が来る、その繰り返し。彼自身や作戦が殲滅されても同じ、この繰り返しの先には何もないということを悟り強く守るべきであった国を捨てる。
子どもが、娘が生まれる。
パレスチナ 側のリーダーの家にはピアノが上手な娘がいる、危うく娘も爆弾で吹き飛ばしそうになる場面の臨場感。
情報提供者ルイがおそらくわざと二重に提供した汚い隠れ家、セーフハウス。そこで鉢合わせるイスラエルとパレスチナ 。互いを守。互いの作戦継続のため、双方咄嗟の判断で銃を下ろし、互いにセーフだと協定して一夜を共に過ごす、緊張の中、ラジオの音楽取り合い争うが、双方納得の、アルグリーンのlet’s stay together に思わずクスッと笑いが漏れる、このような人間的、普通に生きる人としての当たり前の感情、小さな喜びやユーモアや子どもへの愛情など、と、実際行わねばならない凄惨な殺人行為の対比が常に現れ、
1人の個人としてどうすべきを常に問うてくる。
問題は永遠に解決しない、
パパが手作りの腸詰やチーズを2回もオファーする。そこには多くの子どもがいて大家族が自然の中に暮らしている。
パレスチナ の人々も失い
イスラエルの人々も失っているものなのかもしれない。
ラストのニューヨークのシーン、事件の時にはあったが撮影時にらないはずのツインタワー。暗く曇天のざらついた映像。奇しくも鑑賞した今日は911だった。
スピルバーグ嘆きの映画
東京オリンピックを控え気になるテロ事件ものと知って観る気になったがテロは冒頭だけでその後の報復がメインなので見当違いだった、加えて、ダニエル・クレイグが出ているからと言って007並みのスパイアクション映画を期待すると見事に裏切られる。
ミュンヘン・オリンピック(1972)で起きたパレスチナのテロ組織「黒い9月」によるイスラエル選手団襲撃事件とその報復工作を描いている。原作ジョージ・ジョナスは実際の元モサド工作員から聞いた話を基に書いたと言っているが真相は分からない。報復の暗殺部隊はモサドの精鋭ではなく面の割れていないセミプロ級を集めたので手際の悪さに疲弊する、実際に人違いで一般人を殺す悲劇もあったらしいが映画ではネグられている。ユダヤ系のスピルバーグだから原作に興味を持ったのだろうがアメリカで平和に暮らす彼から見たらテロと復讐の連鎖に一言「虚しい」と言いたかったのだろう。客観性を持たす為かパレスチナ人の言い分まで盛り込んではいるが映画ごときでは解決しないことはスピルバーグ自身も分かって作っていたのだろう、歯切れの悪い嘆きの映画になってしまった。
空が血で染まる時
元となった小説の題名は"Vengeance"
内容そのまんまです。
ミュンヘンオリンピックの惨劇への報復を命じられる主人公。当初は、娘のため、祖国のためと身を投じたものの、最後は死神に取り憑かれた脱け殻のようになり、結果的には家族を危険に晒すことになってしまいます。
パレスチナとイスラエル間だけでなく、民族の独立を掲げた過激集団が世界中にあることを、改めて気付かされます。みんな自分の祖国/独立国家が欲しいし、同胞・家族を守りたい…自分の家族が助かれば、他人の家族は犠牲になっていいのか、他人の生命を犠牲にして自分の家族を養っていいのか。善悪は立場と状況により入れ替わり、終わりの見えない報復の世界です。豪勢な食事の支えは何なのか…何度か描かれる豪華な食卓のシーンも印象的です。
最後の911を彷彿させる終わり方もいいです…が、対立するどちらかが報復を止めただけでは、この戦争は終結しません。
そして何かと政治利用されてしまうオリンピック。
この期間くらい、国境を越えた清々しいスポーツマンシップだけを堪能したいです。
今では007のイメージが強いCraigの、陽気でおしゃべりなムードメーカーというキャラがちょっと新鮮でした。Banaは渾身の演技。
長いけれど、見応えたっぷりでした。
いつまで続くの?
報復に報復を重ねると人はどうなるのか。報復に国家が関わると世界はどうなるのか。
ラストのあのビルは、911後の世界を暗喩している。私達はいつまで続ければ気が済むのだろうか、と。
「スピルバーグ映画に見る物なしの
食わず嫌いをやめて、この作品だけは観ておいても良いかもしれない」
スピルバーグにしてはよくできた作品。主人公はエリック・バナ。まだボンドになる前で髪を伸ばしているダニエル・クレイグも意外と好演。1972年のミュンヘンオリンピック事件と、その後のイスラエル諜報特務庁(モサド)による黒い九月に対する報復作戦を描く。自身がユダヤ人故の僻み根性からスピルバーグの政治モノは大抵一方的視点からの穿った描写で観ていて途中何度も嫌気が差すのが当たり前だが、この作品では冒頭のシーン以外で敵が悪いことをする描写がなく、結果的に「悪いことをしていないように見える一般人を一人ずつ順に殺して行く」シーンの積み重ねになり、戦争に善悪がないことを浮き彫りにしているという点、更には「どうやって捜すかか」「どうやって殺すか」「どうやって逃げるか」といったクライムアクションのような見せ方をしているという点で、最後まで違和感なく進行して行く。
アカデミー賞5部門にノミネートされたが全て逃しているので、やはりスピルバーグ映画に見る物なしとも思うが、この作品だけは観ておいても良いかもしれない。
平和なオリンピック、その平和が今朝5時頃破られました
映画「ミュンヘン」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
史実に基づいているというので、鑑賞を中断し、
ちょっとインターネットで事件の流れを調べてから再開した。
映画の冒頭、テレビニュースが流れる。
「平和なオリンピック、その平和が今朝5時頃破られました」
ミュンヘンオリンピックは、1972年開催(40年前)で、当時私は14歳。
恥ずかしい話、この事件のことは、あまり記憶に残っておらず、
体操男子の金銀銅メダル独占と塚原が考えた「月面宙返り」に驚いたり、
テレビ番組「ミュンヘンへの道」で、男子バレーボールに夢中だったし、
水泳、マーク・スピッツ(アメリカ)の7種目の金メダル獲得に湧いた。
当時、中学でバスケット部だった私は、男子バスケットボール決勝
(アメリカ対ソ連)で、アメリカが残り3秒で逆転された記憶は蘇った。
そんなミュンヘンオリンピック会期中に起きた事件だったとは・・。
パレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃し大惨事、
そしてこの事件後、イスラエル政府はパレスチナゲリラの暗殺を命じる。
ハムラビ法典の「目には目で、歯には歯で」は
「やられたらやりかえせ」という意味ではないにも関わらず、
「報復には報復を」と考えてしまう民族の争いの怖さを改めて実感した。
脳裏に浮かんだのは「ロンドン五輪の韓国サッカー選手の竹島領土問題」、
オリンピックって「国の威信をかけた戦い」の性格が強いからなぁ。
一歩間違えると、大惨事になることを、この作品から学んだ気がする。
今、近隣諸国と難しい関係に置かれている日本、報復には意味がないので、
挑発に乗り、間違っても変な行動をしないで欲しいと願うひとりである。
全9件を表示