ミュンヘンのレビュー・感想・評価
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永遠に解決しない
パレスチナ 、イスラエル問題に、私としてはイーブンな目線で全体が貫かれておりその他の勢力や権力含め、どこにも与しない、映画の中でいうと、象徴的でカリスマ的なパパに近いだろうか、そんな立場と目線を感じた。そしてそれゆえか、自分の立場を問わず顧みずというか、自分の立場信条に関わらず冷静に鑑賞できた。いろいろ物議を醸し双方から批判や抗議があっだとのことだが、当事者にはそれなりの立場や大義があるだろうが一般の鑑賞者については、非常にイーブンに観られるだろう点そしてこのような、大衆ウケしなさそうな、アンタッチャブルな内容を、スピルバーグというbig name が、エンディングには堂々たるジョンウィリアムズの音楽というところがまたすごい。作品自体に意義があり公開されただけで、スピルバーグは目的を達していると思う。
主人公アブナーの心の揺れ、変化。
アブナーたちも、また、ブラックセプテンバーやその他のいわゆるテロリストたちもみな葛藤の中で自分が大義のためには正しいとおもうことを、そこに付随する正しくなさに悩み立ち止まりつつも進めていくのだ。
国がなかったものたちが国を手に入れあらゆる手段で守る、国、というより土地という方がしっくりするが、土地があったものたちがそこを追われまたあらゆる手段で取り戻そうとする。
その過程での殺戮やさまざまな暴力。
アブナーは1人リーダーを殺しても次の人が来る、その繰り返し。彼自身や作戦が殲滅されても同じ、この繰り返しの先には何もないということを悟り強く守るべきであった国を捨てる。
子どもが、娘が生まれる。
パレスチナ 側のリーダーの家にはピアノが上手な娘がいる、危うく娘も爆弾で吹き飛ばしそうになる場面の臨場感。
情報提供者ルイがおそらくわざと二重に提供した汚い隠れ家、セーフハウス。そこで鉢合わせるイスラエルとパレスチナ 。互いを守。互いの作戦継続のため、双方咄嗟の判断で銃を下ろし、互いにセーフだと協定して一夜を共に過ごす、緊張の中、ラジオの音楽取り合い争うが、双方納得の、アルグリーンのlet’s stay together に思わずクスッと笑いが漏れる、このような人間的、普通に生きる人としての当たり前の感情、小さな喜びやユーモアや子どもへの愛情など、と、実際行わねばならない凄惨な殺人行為の対比が常に現れ、
1人の個人としてどうすべきを常に問うてくる。
問題は永遠に解決しない、
パパが手作りの腸詰やチーズを2回もオファーする。そこには多くの子どもがいて大家族が自然の中に暮らしている。
パレスチナ の人々も失い
イスラエルの人々も失っているものなのかもしれない。
ラストのニューヨークのシーン、事件の時にはあったが撮影時にらないはずのツインタワー。暗く曇天のざらついた映像。奇しくも鑑賞した今日は911だった。
プライベート・ライアンとは違い過ぎる
報復
実話だから恐ろしい。
そっちの話?
本当に、なんて重たいものを背負った民族なんだろう
民族全体としての「自分たちの国」を持つことに対する情熱は、私の理解の及ぶ範囲ではない。
あれこそ世代を超えた「悲願」なんだろう。
主人公とアリの不思議な対話の中で、そんなことを考えた。
敵を殺すことで祖国のヒーローになれるとしても、なぜ彼らはそこにそこまでのエネルギーをかけられるのか。
何もかもが信じられず、自分の存在を消された状況で生きることで、混乱をきたした主人公。
祖国よりも、家族の安全と幸せを願った主人公。
彼の思考回路は、民族の存続や、悲願達成を願う文化の中では受け入れられるものではないのかもしれないが、私は彼の考え方のほうが自然に感じられる。
スピルバーグは、911があってこの映画を撮ったらしいが、彼の結論は「こんなことをしていても何の解決にもならないし、永遠に殺し合いは終わらない」ということだろう。
私もそう思う。
そして、自分の夫がこんな仕事をしていなくて本当に良かった。
あんな状態で体を重ねられたら、私はそれを吸収しきれない。
世の中にはきっと、とんでもない仕事をさせられている夫を支えている女性が沢山いるんだろうな……。
ユダヤ系のスピルバーグがこの映画を撮ったのは、シンドラーのリストと同じく、自身のルーツを考えるためもあったのではないだろうか。
また爆弾の量を間違えちゃったよ・・・ってシャレにならないんですけど・・・
イスラエルとパレスチナの仁義なき戦い。復讐が復讐を呼び、際限なき憎しみが連鎖する。ご存知のとおり、スピルバーグ監督はユダヤ人であるけど、どちらが悪いなどといった次元の映画ではないことは確かだ。1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるパレスチナの“黒い九月”というテロリスト・グループは引鉄となり、報復合戦がはじまったという実話であり、国同士の諍いが一般人を巻き込んでいく様子はまさに戦争の縮図です。
イスラエル政府は諜報機関“モサド”に5人の暗殺指令を出すのですが、「契約などはなかった」という契約書に署名させる。完全に切り捨ての暗殺者。雇われたメンバーの人間性などは無視したかのような、単なる国策の道具にすぎない5人。爆弾専門家のロバート(マチュー・カソヴィッツ)などは爆弾処理しかしたことないおもちゃ屋さんなのに爆弾製造のプロとして扱われる(笑)。爆薬の量とか、不発手榴弾とか、笑うに笑えない設定によって果敢にも作戦の中枢をなすなんて・・・シリアスな中にも笑える場面が用意してあるのですが、重すぎるテーマのため場内は静かだったです。
報復の連鎖というテーマであるため、リーダーを命ぜられたアヴナー(エリック・バナ)はミュンヘン事変での悲惨な場面のトラウマを持ってしまったかのような描写。特に、自分たちがベッドや電話に爆弾を仕掛けたことから、ベッドに横たわるのも怖くなったかのようなアヴナーはリアルな演技でした。素人っぽい臨時の暗殺集団であることから、コミカルなスパイ映画のような雰囲気もあったのですが、そんな娯楽映画ではありません。イスラエルとパレスチナ、ユダヤとアラブの争いが今でも続いているんだ、と色々考えさせられる映画でした。
テロリストが“黒い九月(Black September)”にかけてあるのか、バンドが演奏している曲はサンタナで有名な“Black Magic Woman”だった。いい曲です。苦悩するエリック・バナは良かったですね。坂道の上では、ハルクに変身するかと思っちゃった・・・
【2006年1月映画館(試写会)にて】
正義という名の報復行為
ユダヤ人であるS. Spielberg監督が72年のミュンヘンオリンピック事件後の諜報機関モサドの一連の報復行動を描いた作品。
1948年イスラエル建国にはじまる、イスラエル人とパレスチナ人の血で血を洗う闘争。日本映画の「仁義なき戦い」をイメージしたら分かりやすいかも(いわば「カナン」の地をめぐる縄張り争い)。
ミュンヘンオリンピック事件に関わった重要人物を次々に暗殺しても、新たな指導者が出てきてイスラエルへの報復活動を実行させる。それを受けイスラエルがさらに次の報復措置をとる。憎しみと恐怖の連鎖。これはもう「戦争」としか言いようがない。
イスラエル国家の安全保障のためには、暗殺も容認されうるという考え方がイスラエル政府や軍、モサドのなかに存在する。
「敵」を殲滅し、命をかけて守るべき祖国とは何なのか。帰れる祖国の地が無いという経験がない日本人には本当に理解できないことかもしれない。
ユダヤ人であるS. Spielbergは本作品において決してイスラエルの正義を訴えるわけではなく、一歩引いた視点でイスラエルの暗殺チームリーダーの精神的苦悩を描いている。
スパイというより復讐劇に近く、とても観てて辛い、勘弁してください、それが人間だと思いたい
題名からミュンヘン事件のことをするのかと思ったのですが、その後のイスラエルの復讐というよりはイスラム社会への反撃だつたのですね。
ノーカントリーに代表されるような単なる人殺しではなく、心のある人間の苦しい心の様を観るにつけ、戦争やテロ、スパイ、抗争は非人間的だと感じさせられた点では、少しは救いもあったのだと、辛い中でも感じることが出来ました。
やはり、実話でないと共感が得られないのは、ハリウッドの殺人鬼映画がいかに異質なものなのかを物語っています。
ある意味現代のアメリカに対するアンチテーゼ、イスラエルは苦しんでいる、そういうことでしょうか。
神は人間の心の中にある、全ては人間次第、そう考えさせられた、deepな映画でした。
スピルバーグ嘆きの映画
東京オリンピックを控え気になるテロ事件ものと知って観る気になったがテロは冒頭だけでその後の報復がメインなので見当違いだった、加えて、ダニエル・クレイグが出ているからと言って007並みのスパイアクション映画を期待すると見事に裏切られる。
ミュンヘン・オリンピック(1972)で起きたパレスチナのテロ組織「黒い9月」によるイスラエル選手団襲撃事件とその報復工作を描いている。原作ジョージ・ジョナスは実際の元モサド工作員から聞いた話を基に書いたと言っているが真相は分からない。報復の暗殺部隊はモサドの精鋭ではなく面の割れていないセミプロ級を集めたので手際の悪さに疲弊する、実際に人違いで一般人を殺す悲劇もあったらしいが映画ではネグられている。ユダヤ系のスピルバーグだから原作に興味を持ったのだろうがアメリカで平和に暮らす彼から見たらテロと復讐の連鎖に一言「虚しい」と言いたかったのだろう。客観性を持たす為かパレスチナ人の言い分まで盛り込んではいるが映画ごときでは解決しないことはスピルバーグ自身も分かって作っていたのだろう、歯切れの悪い嘆きの映画になってしまった。
覚悟はしていたがヘヴィだった
2005年のスピルバーグ監督作品。
物語の枠組みは知っていて(実話ベースなので)覚悟して観たけれどずっしりと重かった。
サスペンス演出も流石の一級品。殺しをするのが素人臭さのあるチームでスマートでないところが恐ろしい。エグイ描写ありあり。(特に人が死ぬ様)
スピのショック演出が際立ってた。
復讐の連鎖は何も生まない、ということを体感で見せてくる映画。良かったがグッタリした。
知らない事だらけ!( ̄Д ̄;)
報復の報復の報復
ミュンヘンオリンピック事件と、その後のモサドによる報復を描く。
スピルバーグは、『シンドラーのリスト』も作ってるし彼自身ユダヤ系だからなんとなくイスラエル寄りなのかなと思っていたがこの映画ではどちらでもない。
専門家が集まった暗殺チームがブラックセプテンバーの幹部を爆弾などで暗殺していくところはスリリングで良い。
何故か暗殺しなくてはいけないパレスチナ人は知識人でいい人にみえる。それがリーダーのアヴナーを苦悩させる。
後半は、次第に追い詰める側から追い詰められる側になっていく。
結局は報復の報復、その報復の為の報復、終わりがない。
国のない悲しみは、私にわからない。
1972年の事件だが2018年の現在でもイスラエルとパレスチナの関係は、変わっていない。
イスラエルとパレスチナの対立。長い歴史の中で流されてきた夥しい血。...
イスラエルとパレスチナの対立。長い歴史の中で流されてきた夥しい血。被害者感情に訴えれば、控えめに言っても、"自分たち"を正当化するだけの犠牲はいくらでもある。
しかし、被害者意識に駆られた報復は、なんの解決にもならない。暴力が生むのは暴力だけなのだ。暴力は被害者を新たな加害者にするばかりか、加害者自身から人間性をも奪ってゆく。
国家や民族、信仰、組織のために奪い合う命。その闘争は遠くから眺めれば、誇り高い英雄譚として人の心を惹きつけるものになるんだろう。でもその闘争の当事者になった時、人は初めて気づく。そこには何もないと。
親イスラエルであるアメリカ、特に映画産業において、イスラエル、およびユダヤに批判的であることは、容易なことではないだろう。とくにユダヤ系アメリカ人、つまり完全に当事者であるスピルバーグ監督が、反ユダヤ的な作品をつくるということは、日本人が考える以上に覚悟のいることだということは想像に難くない。
暴力で解決できることはなにもない。しかし、現実の脅威に対抗する手段としての軍事オプションという暴力装置が必要なのも事実。問題は装置が装置として機能しない時。アメリカが撤退したイラクは崩壊し、イスラム国が壊滅したはずのシリアでは今日もなお空爆が行われている。トランプが首都発言をしたイスラエルのエルサレムでは、デモ隊と警察との衝突が激化し、パレスチナ市民が数十人殺害された。
ミュンヘンオリンピックから46年。北朝鮮が平昌で微笑み外交をする裏では、いよいよ米朝の軍事衝突が懸念されている。暴力で解決できることはなにもない。それでも暴力を選ぶ覚悟が僕らにあるのだろうか。
スピルバーグならでは
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