ミュンヘンのレビュー・感想・評価
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スピルバーグらしくない米国政府に異議を唱える野心作
スティーブン・スピルバーグ監督による2005年製作のアメリカ映画。
原題:Munich、配給:アスミック・エース。
アメリカ同時多発テロ事件が2001年なので、その4年後に製作された映画。プライベート・ライアン(1998年製作)で敵を殺せることを成長の様に描いたスピルバーグが何か開眼したのか、暴力の連鎖は何も生み出さないという強いメッセージを発していて驚かされた。
最後は、9.11ターゲットとなったニューヨーク世界貿易センタービルの遠景で終わるので、イスラエルではなく寧ろ米国社会・政府に向けての主張なのだろう。日本人的には暗殺はダメというのは当たり前であるが、米国映画の世界では西部劇からトップガン・マーヴェリックに至るまで、敵は先制攻撃も厭わず破壊すべき存在。リベラルと目されるオバマ大統領がビン・ラディン殺害を成果として誇る社会。スピルバーグ製作総指揮のバック・トゥ・ザ・フューチャーでも、ガキ大将をぶん殴ることで未来が良くなるという暴力を肯定する様な描写がなされていた。
そういう社会の中で、対テロの暴力的闘いに異議を唱える姿勢には、敬意を覚えた。9.11テロとイスラエル政府主導の暗殺と一緒にするなとの批判も数多く受けたらしい。その回答が、プロジュース作品で戦争映画の大傑作「父親たちの星条旗・硫黄島からの手紙」二部作(2006年製作)とすると、スピルバーグが意外な硬骨漢にも思えてきた。
ただ、主人公たち(エリック・バナ、ダニエル・クレイグ等)が敵を殺すが、そのやり方がかなりリアル且つ克明に描かれ、驚かされた。そして、暗殺グループの一員(キアラン・ハインズ)を色仕掛けで殺害したマリ=ジョゼ・クローズへの復讐的殺し方が何ともえげつない。彼女の美しい裸体に特殊な銃で小さな穴が幾つか開けられ、少し時間経てそこから真っ赤な血が溢れ出す。CG画像だと思うが、未だかつて見たことがない惨虐な映像で、オリンピック村でのイスラエル選手の死亡映像も含めて、本当のところ、スピルバーグはこの斬新な殺害される映像が撮りたかったのかとも少し勘繰ってしまった。
ボロボロ状態で休暇で家庭に帰ってきたエリック・バナは愛妻(イスラエル女優のアイェレット・ゾラー)とセックスしながら、ミュンヘン・オリンピック事件の襲撃犯及び人質となったイスラエル選手の惨死の映像を想い浮かべている。イスラエル側だけでなく、長い苦悩故か独警察・軍に騙されたパレスチナ襲撃犯達の悲劇も、彼は感じ取れている。そんな彼を妻は愛していると抱擁する。まるで聖母の様なアイェレット・ゾラー。こんな妻現実には皆無だし、射精描写が露骨で自分好みの表現では無いが、彼の罪と魂は救われた様である。まあスピルバーグが映像的に大胆にチャレンジしているのは感じ取れた。
主人達の殺しのターゲットに関する情報をもたらしてくれたフランスの組織、その長であり情報提供者ルイ(マチュー・アマルリック)のパパ、マイケル・ロンズデールの演技は随分と印象に残った。レジスタンスでドイツ軍と闘ったらしいが、今は大家族と共に緑に囲まれた豊かな環境で暮らす。入手困難な情報を種々の人間に売ることで生計をたてている様だが、国家組織は大嫌いの独立的なファミリー。主人公達のバックにモサドがいることは知っている様であるが、イスラエル民族の苦難には比較的理解を抱いている様で、幾つかの貴重な情報を売ってくれたし、命が狙われていると警告も発してくれた。原作にも登場するらしいが、米国映画的な白黒とは割り切れない存在で、欧州世界の奥深さを教えてくれる様な存在で、映画に随分と深みを与えていた。
製作スティーブン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、バリー・メンデル、 コリン・ウィルソン。
原作ジョージ・ジョナス『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』、脚本トニー・クシュナー、 エリック・ロス、撮影ヤヌス・カミンスキー、美術リック・カーター、衣装ジョアンナ・ジョンストン、編集マイケル・カーン、音楽ジョン・ウィリアムズ。
出演、エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソビッツ、ハンス・ジシュラー、ジェフリー・ラッシュ、アイェレット・ゾラー、マチュー・アマルリック、モーリッツ・ブライブトロイ、バレリア・ブルーニ・テデスキ、イバン・アタル、マリ=ジョゼ・クローズ、マイケル・ロンズデール。
国民の存在を抹消して殺人者に仕立てあげる国家
西ドイツオリンピックでイスラエル選手団がテロによって殺害されたことは当時はあまりに子どもで全くわかっていなかった。その後パレスチナとイスラエル問題であることは知ったが報復が続いたことはこの映画で初めて知った。「シンドラーのリスト」は見ていないがこの映画ではどちらかに肩入れするということもなく、CIAやKGBも絡んでいるとかモサドは絶対入っているのに実働構成員は存在のない立場にさせられる。諜報機関の冷酷さと胡散臭さにぞっとした。
ドイツはイスラエルに優しすぎる、という言葉があったけれど、それは本当に仕方ないと思う。70年代頃だろうか、ドイツの若者(高校生?大学生?)が数週間か数カ月イスラエルのキブツに滞在して、という話はよく聞いた。農家に滞在して農作業をしたりなど。それがドイツのalternativeな生活様式にも影響与えたと思う。その「キブツ」もセリフの中にあってリアルさを感じた。
一方でヨーロッパ各地の多様な個性が映像によく出ていた。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、ヘブライ語(もあったかな?)、そして国や街の特性。フランス郊外は太陽光が柔らかく穏やかな自然、一方街ではジャン=ポール・ベルモンドの顔のポスターが円柱広告塔(リットファス・ゾイレ)に貼ってあった。オランダでは運河、移動は自転車。ロンドンでは雨降る夜の街。人を殺す男達は特に子どもや女性には注意するが、だんだん鈍感にならざるを得なくなる。そんな自分に絶望して自死を選ぶ仲間達を見て苦しむ。
バナが適役でとても良かった。静かで冷静な彼がだんだんと大胆に冷徹になり更に疑心暗鬼になり自分自身がベッドでなくクローゼットの中に寝るようになる。料理が上手でテーブルいっぱいの食事場面、自分の子どもが話せるようになってその声を電話で聞いて泣くバナ。若くて声も若々しい金髪ダニエル・クレイグ、青い瞳の美しいこと!そしてほんの少しだけれどブライプトロイ、テデスキとドイツ、イタリアの俳優も出ていて嬉しかった。ジョン・ウィリアムスの音楽に派手さはなくエンドロールに流れる音楽は悩みと苦しみと辛さと優しさが溢れていた。
永遠に解決しない
パレスチナ 、イスラエル問題に、私としてはイーブンな目線で全体が貫かれておりその他の勢力や権力含め、どこにも与しない、映画の中でいうと、象徴的でカリスマ的なパパに近いだろうか、そんな立場と目線を感じた。そしてそれゆえか、自分の立場を問わず顧みずというか、自分の立場信条に関わらず冷静に鑑賞できた。いろいろ物議を醸し双方から批判や抗議があっだとのことだが、当事者にはそれなりの立場や大義があるだろうが一般の鑑賞者については、非常にイーブンに観られるだろう点そしてこのような、大衆ウケしなさそうな、アンタッチャブルな内容を、スピルバーグというbig name が、エンディングには堂々たるジョンウィリアムズの音楽というところがまたすごい。作品自体に意義があり公開されただけで、スピルバーグは目的を達していると思う。
主人公アブナーの心の揺れ、変化。
アブナーたちも、また、ブラックセプテンバーやその他のいわゆるテロリストたちもみな葛藤の中で自分が大義のためには正しいとおもうことを、そこに付随する正しくなさに悩み立ち止まりつつも進めていくのだ。
国がなかったものたちが国を手に入れあらゆる手段で守る、国、というより土地という方がしっくりするが、土地があったものたちがそこを追われまたあらゆる手段で取り戻そうとする。
その過程での殺戮やさまざまな暴力。
アブナーは1人リーダーを殺しても次の人が来る、その繰り返し。彼自身や作戦が殲滅されても同じ、この繰り返しの先には何もないということを悟り強く守るべきであった国を捨てる。
子どもが、娘が生まれる。
パレスチナ 側のリーダーの家にはピアノが上手な娘がいる、危うく娘も爆弾で吹き飛ばしそうになる場面の臨場感。
情報提供者ルイがおそらくわざと二重に提供した汚い隠れ家、セーフハウス。そこで鉢合わせるイスラエルとパレスチナ 。互いを守。互いの作戦継続のため、双方咄嗟の判断で銃を下ろし、互いにセーフだと協定して一夜を共に過ごす、緊張の中、ラジオの音楽取り合い争うが、双方納得の、アルグリーンのlet’s stay together に思わずクスッと笑いが漏れる、このような人間的、普通に生きる人としての当たり前の感情、小さな喜びやユーモアや子どもへの愛情など、と、実際行わねばならない凄惨な殺人行為の対比が常に現れ、
1人の個人としてどうすべきを常に問うてくる。
問題は永遠に解決しない、
パパが手作りの腸詰やチーズを2回もオファーする。そこには多くの子どもがいて大家族が自然の中に暮らしている。
パレスチナ の人々も失い
イスラエルの人々も失っているものなのかもしれない。
ラストのニューヨークのシーン、事件の時にはあったが撮影時にらないはずのツインタワー。暗く曇天のざらついた映像。奇しくも鑑賞した今日は911だった。
プライベート・ライアンとは違い過ぎる
報復
実話だから恐ろしい。
そっちの話?
本当に、なんて重たいものを背負った民族なんだろう
民族全体としての「自分たちの国」を持つことに対する情熱は、私の理解の及ぶ範囲ではない。
あれこそ世代を超えた「悲願」なんだろう。
主人公とアリの不思議な対話の中で、そんなことを考えた。
敵を殺すことで祖国のヒーローになれるとしても、なぜ彼らはそこにそこまでのエネルギーをかけられるのか。
何もかもが信じられず、自分の存在を消された状況で生きることで、混乱をきたした主人公。
祖国よりも、家族の安全と幸せを願った主人公。
彼の思考回路は、民族の存続や、悲願達成を願う文化の中では受け入れられるものではないのかもしれないが、私は彼の考え方のほうが自然に感じられる。
スピルバーグは、911があってこの映画を撮ったらしいが、彼の結論は「こんなことをしていても何の解決にもならないし、永遠に殺し合いは終わらない」ということだろう。
私もそう思う。
そして、自分の夫がこんな仕事をしていなくて本当に良かった。
あんな状態で体を重ねられたら、私はそれを吸収しきれない。
世の中にはきっと、とんでもない仕事をさせられている夫を支えている女性が沢山いるんだろうな……。
ユダヤ系のスピルバーグがこの映画を撮ったのは、シンドラーのリストと同じく、自身のルーツを考えるためもあったのではないだろうか。
また爆弾の量を間違えちゃったよ・・・ってシャレにならないんですけど・・・
イスラエルとパレスチナの仁義なき戦い。復讐が復讐を呼び、際限なき憎しみが連鎖する。ご存知のとおり、スピルバーグ監督はユダヤ人であるけど、どちらが悪いなどといった次元の映画ではないことは確かだ。1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるパレスチナの“黒い九月”というテロリスト・グループは引鉄となり、報復合戦がはじまったという実話であり、国同士の諍いが一般人を巻き込んでいく様子はまさに戦争の縮図です。
イスラエル政府は諜報機関“モサド”に5人の暗殺指令を出すのですが、「契約などはなかった」という契約書に署名させる。完全に切り捨ての暗殺者。雇われたメンバーの人間性などは無視したかのような、単なる国策の道具にすぎない5人。爆弾専門家のロバート(マチュー・カソヴィッツ)などは爆弾処理しかしたことないおもちゃ屋さんなのに爆弾製造のプロとして扱われる(笑)。爆薬の量とか、不発手榴弾とか、笑うに笑えない設定によって果敢にも作戦の中枢をなすなんて・・・シリアスな中にも笑える場面が用意してあるのですが、重すぎるテーマのため場内は静かだったです。
報復の連鎖というテーマであるため、リーダーを命ぜられたアヴナー(エリック・バナ)はミュンヘン事変での悲惨な場面のトラウマを持ってしまったかのような描写。特に、自分たちがベッドや電話に爆弾を仕掛けたことから、ベッドに横たわるのも怖くなったかのようなアヴナーはリアルな演技でした。素人っぽい臨時の暗殺集団であることから、コミカルなスパイ映画のような雰囲気もあったのですが、そんな娯楽映画ではありません。イスラエルとパレスチナ、ユダヤとアラブの争いが今でも続いているんだ、と色々考えさせられる映画でした。
テロリストが“黒い九月(Black September)”にかけてあるのか、バンドが演奏している曲はサンタナで有名な“Black Magic Woman”だった。いい曲です。苦悩するエリック・バナは良かったですね。坂道の上では、ハルクに変身するかと思っちゃった・・・
【2006年1月映画館(試写会)にて】
正義という名の報復行為
ユダヤ人であるS. Spielberg監督が72年のミュンヘンオリンピック事件後の諜報機関モサドの一連の報復行動を描いた作品。
1948年イスラエル建国にはじまる、イスラエル人とパレスチナ人の血で血を洗う闘争。日本映画の「仁義なき戦い」をイメージしたら分かりやすいかも(いわば「カナン」の地をめぐる縄張り争い)。
ミュンヘンオリンピック事件に関わった重要人物を次々に暗殺しても、新たな指導者が出てきてイスラエルへの報復活動を実行させる。それを受けイスラエルがさらに次の報復措置をとる。憎しみと恐怖の連鎖。これはもう「戦争」としか言いようがない。
イスラエル国家の安全保障のためには、暗殺も容認されうるという考え方がイスラエル政府や軍、モサドのなかに存在する。
「敵」を殲滅し、命をかけて守るべき祖国とは何なのか。帰れる祖国の地が無いという経験がない日本人には本当に理解できないことかもしれない。
ユダヤ人であるS. Spielbergは本作品において決してイスラエルの正義を訴えるわけではなく、一歩引いた視点でイスラエルの暗殺チームリーダーの精神的苦悩を描いている。
スパイというより復讐劇に近く、とても観てて辛い、勘弁してください、それが人間だと思いたい
題名からミュンヘン事件のことをするのかと思ったのですが、その後のイスラエルの復讐というよりはイスラム社会への反撃だつたのですね。
ノーカントリーに代表されるような単なる人殺しではなく、心のある人間の苦しい心の様を観るにつけ、戦争やテロ、スパイ、抗争は非人間的だと感じさせられた点では、少しは救いもあったのだと、辛い中でも感じることが出来ました。
やはり、実話でないと共感が得られないのは、ハリウッドの殺人鬼映画がいかに異質なものなのかを物語っています。
ある意味現代のアメリカに対するアンチテーゼ、イスラエルは苦しんでいる、そういうことでしょうか。
神は人間の心の中にある、全ては人間次第、そう考えさせられた、deepな映画でした。
スピルバーグ嘆きの映画
東京オリンピックを控え気になるテロ事件ものと知って観る気になったがテロは冒頭だけでその後の報復がメインなので見当違いだった、加えて、ダニエル・クレイグが出ているからと言って007並みのスパイアクション映画を期待すると見事に裏切られる。
ミュンヘン・オリンピック(1972)で起きたパレスチナのテロ組織「黒い9月」によるイスラエル選手団襲撃事件とその報復工作を描いている。原作ジョージ・ジョナスは実際の元モサド工作員から聞いた話を基に書いたと言っているが真相は分からない。報復の暗殺部隊はモサドの精鋭ではなく面の割れていないセミプロ級を集めたので手際の悪さに疲弊する、実際に人違いで一般人を殺す悲劇もあったらしいが映画ではネグられている。ユダヤ系のスピルバーグだから原作に興味を持ったのだろうがアメリカで平和に暮らす彼から見たらテロと復讐の連鎖に一言「虚しい」と言いたかったのだろう。客観性を持たす為かパレスチナ人の言い分まで盛り込んではいるが映画ごときでは解決しないことはスピルバーグ自身も分かって作っていたのだろう、歯切れの悪い嘆きの映画になってしまった。
覚悟はしていたがヘヴィだった
2005年のスピルバーグ監督作品。
物語の枠組みは知っていて(実話ベースなので)覚悟して観たけれどずっしりと重かった。
サスペンス演出も流石の一級品。殺しをするのが素人臭さのあるチームでスマートでないところが恐ろしい。エグイ描写ありあり。(特に人が死ぬ様)
スピのショック演出が際立ってた。
復讐の連鎖は何も生まない、ということを体感で見せてくる映画。良かったがグッタリした。
知らない事だらけ!( ̄Д ̄;)
報復の報復の報復
ミュンヘンオリンピック事件と、その後のモサドによる報復を描く。
スピルバーグは、『シンドラーのリスト』も作ってるし彼自身ユダヤ系だからなんとなくイスラエル寄りなのかなと思っていたがこの映画ではどちらでもない。
専門家が集まった暗殺チームがブラックセプテンバーの幹部を爆弾などで暗殺していくところはスリリングで良い。
何故か暗殺しなくてはいけないパレスチナ人は知識人でいい人にみえる。それがリーダーのアヴナーを苦悩させる。
後半は、次第に追い詰める側から追い詰められる側になっていく。
結局は報復の報復、その報復の為の報復、終わりがない。
国のない悲しみは、私にわからない。
1972年の事件だが2018年の現在でもイスラエルとパレスチナの関係は、変わっていない。
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