マルホランド・ドライブのレビュー・感想・評価
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名匠デヴィッド・リンチ監督のカルト・サスペンスの大傑作!
初見は2002年の劇場公開時 突き抜けた難解加減が逆に気持ちよく、何とは明確に言えませんが自分にとって中毒性があって、なぜかすごく好きな作品、たぶん5回ぐらいは観ていると思います で、この度フィルマークスさんの企画で4Kソースでのリバイバル上映、この作品を再び劇場のスクリーンで観られる事に感謝、それだけで素晴らしい体験だと思いました 4Kソースだけあって映像がすごくきれい、20年以上前の作品とは思えない、全く古さを感じない最高の没入感を味わうことができ大満足でした ストーリーはいろんなこと忘れてて、やっぱり複雑で難しかったけど、徐々に思い出してきてまあまあ楽しめました 初見の人はホントにわけがわからないと思いますが、恐らく殆どの人がそのはずなので、それで正解です、安心してください 本作はかなり語り甲斐のある作品なので世の中たくさんの人が研究・解説します、ネットで直ぐに見られるのでそれを参考にしたらいいと思います 逆にこれが一発で理解できたなら相当にアブない人、精神的にかなり心配です(苦笑) 私にとっての本作の最大の魅力はめくるめくまやかしの世界を彩る2人の女優さん ベティを演じるナオミ・ワッツさんとリタを演じるローラ・ハリングさんがメチャクチャ綺麗、この2人を観るだけでも価値ある作品 ナオミさんは綺麗なだけでなく、可愛らしいところや荒んだところなども見せる高難易度のキャラクターを演じ分けていて見事、スタイル抜群でタイトスカートのスーツ姿もとても似合ってて素敵でした ローラさんももの凄く妖艶でメチャクチャ色っぽくて綺麗、最高にセクシーで目が離せませんでした しかもこの2人の“絡み”まであって、強烈なインパクトにヤラれます と、ストーリーは難解だけど魅力的なキャストとデヴィッド・リンチ監督のこだわりの映像世界に酔いしれる146分、最高の体験でした
夢と現実、虚構と妄想が入り混じるリンチの世界
この、いかにも「見た人の数だけ解釈の仕方がある」と言わせたい作り方には賛否両論あるのは当然。まあ、あえてリンチの仕掛けた、夢と現実、虚構や妄想が混沌と入り混じる不可解な世界に遊び、フロイト的な夢の解釈をするもよし、フローチャートでも書いて独自の解釈をするも良し、という楽しみ方をするのが本道でしょう。 こうした作品は、単に一方的にストレートな情報を与えられて、老若男女、何も考えなくても泣いたり笑ったり出来るような作品とは違い、作品に仕掛けられた複雑で雑多な情報から重要なピースを探し出し、時にはパズルのように組み合わせて、自分から積極的に作品の謎を解いたり、テーマを解釈していこうとする意欲や遊び心が無いと楽しめないタイプの作品であるのは間違いない。 確かにあまりにも展開が不可解で不親切なので万人向けではないですが、少なくともそうした謎解きを楽しめる程度には色々と「情報」が与えられている作品ではあります。破綻していそうで破綻していない、解釈できそうで解釈できない、そんなギリギリの内容が、ある種の人間の好奇心を刺激して止まない怪作。
他の方々のレビューをみて考察が進む
初見で読み解くのは、難しかった。1回見て分からないので、レビューを見てなるほどと思った。その見方に従って、少し振り返ってみて見たが、少し腑に落ちない所があった。
冒頭、赤いシーツに寝ている人物がいて、白いブーツが見える所から始まる。その人物の夢の中の物語なのだろうと推測されるが、これは後半のダイアンの自室のシーツと同一のようだ。ベティ(ダイアン)の夢ということになる。また、前半の最後、青いキーを差し込んで回して、部屋の中にあった青い箱もリタも消えている。それから、後半のダイアン部分に入っていく。部屋を交換していたため、212号室の女性が217号室に預けていたものを取りにくるが、「3週間もの間どこにいたの」とか灰皿を取りにきたりとか、前半部分と上手く繋がるような流れになっていた。夢部分と現実部分が繋がっているかのような描き方だった。夢部分が、現実部分の後の方で見たということになるのだろうか。それとも予知夢?
前半部分を夢とすると、後半の現実部分のどの部分で見た夢なのか?現実があって夢を見たと考えれば、カミーラ殺しが終わって、鍵を見つめている辺りか。そうなれば、それほど矛盾はなさそうだ。しかし、前半の夢部分が、後半の最後の近くに挿入されるという分かりづらい構造になる。
ただ、もう一つの可能性に気づいた。前半のベティ部分も、後半のダイアン部分も、実はすべてが夢・妄想・幻覚という解釈だ。または、彼女が、麻薬中毒者だとすると(後半の小人の侵入、最後自殺の後の煙立ち等から類推)、現実と夢・妄想・幻覚が混じり合っているとも見ることができるかもしれない。最後のシーンが、前半最後と同じ劇場で、派手な女の「シレンシオ(静寂)」で終わっているからだ。
後からじわじわ好きになった映画
映画を観終わっても謎が残ってよくわからなかった。デヴィッドリンチの映画らしく変な人ばかり出てきて奇妙な感じを楽しんだけど、理解できなかった。ネットで検索して、解説ページを読んで「ああ、なるほど!」ってなった。それでもう一度観なおして、ただの雰囲気映画じゃ無くて設定がすごく細かく作り込まれているのを確認して満足した。 主演の女優2人が溌剌とした美人と妖艶な美人で対照的な美しさに迫力があって引き込まれた。映画の中で演技をするシーンでは、俳優の凄さがわかって感動した。 夢と現実の違いが残酷で、でも共感できて、好きな映画が増えて嬉しい。 主人公の夢の中と現実の見た目の印象のギャップに衝撃を受けた、メイクとか髪型がいかに大切かわかった。前半の溌剌美人と後半は同じ人と思えない貧相でやさぐれた感が出ていて、身だしなみに気をつけようって考えさせられもした。
スターに憧れる女優。自分探しの女。両方の世界が衝突する...
『マルホランド・ドライブ』の謎解きは、映像をシュールなベールで包む癖のあるD・リンチが露骨かつ難解に提示していますが、実はじっくり観ると意味が分かってくるんですよ。 私は13歳の時にこの映画を観たのですが、頭が真っ白になりました(笑)。 10回観てもわからないから、20回、30回と、おぼろげながらでもいいから観てください。世界でも有数の難解な映画ですが、私なりにこの実験の秘密が解けたと思っています。ヒントは「おばさん」です。
最初は「ループしてるの?」などトンチンカンな方向で考えてたけど
2002年劇場公開時鑑賞。 混乱しながら「どういうこと?」とあれこれ考えるのは楽しかったですけどね。考察サイトに直行しても、「あ、そう」で終わってしまうだけだと思うんですよね。 ちょっと頑張れば手が届きそうな絶妙な感じ。早々に諦めてワッツさん鑑賞に絞るのも一つの手かも。
私の頭はどうかしてる
環を描くストーリー
【前半】
カナダの田舎からハリウッドにやってきたベディ、明るい性格で周りからも好かれ演技も認められている
何者かに狙われているところを交通事故に遭ったリタ
老夫婦の家に忍び込み休息をとる
次のシーンではリタはベティの家にリタは記憶を失っておりベティはその世話をすることに
管理人のココにはリタを不審に思われるがなんとかその場をやり過ごす
映画監督のアダム、上には散々な扱いをされ主演女優をカミーラにするよう脅される
妻は間男に寝取られ、家を追われるもカウボーイに呼び出され念を押される
ベティはオーディションの後、アダムのもとに案内され期待の眼差しを向けられるがリタとの約束を思い出しその場を離れる
ベティと共にダイアンの家を訪ねたリタは何者かの死体を発見する
どこかに行きたいと言った先で観劇する
全ては録音、オーケストラも楽団も存在しない
家に戻るとリタはいなくなり
ベティのバッグから箱を発見し鍵を使って開ける
箱の中に吸い込まれるようにシーンが切れる
【後半】
恋人のような関係のダイアンとカミーラ
ダイアンはカミーラに関係の終わりを告げられる
悲しみに暮れるなか電話で呼び出された先はアダムのホームパーティー、そこでアダムとカミーラが婚約を発表
絶望したダイアンはカミーラの殺害を依頼する
何かの鍵を渡され、ホームレスのような男から箱を渡される
その中にはおそらく殺害の証拠
その箱から現れる幻覚に耐えきれずダイアンは自殺する
難解なストーリー
前半の夢には後半の現実に現れた人物が様々な形で現れる
全ては録音、つまりダイアンの夢であり
劇中にあったように主役が倒れても音楽は続く
【ハリウッド女優に夢を抱く娘の、栄光と挫折、感情の裏表を描いた、類稀なる脚本で描き出した作品。鬼才の仕掛けたトリックに陥ることなく、この作品が訴える本質を見極めたい作品である。】
■闇に覆われたハリウッド郊外の山道“マルホランド・ドライブ”。 ある晩、車の衝突事故が起こり、生き残った美女(ローラ・ハリンズ)は記憶をなくした。 彼女は女優ルース(彼女は不在・・)の留守宅に身を潜めるが、カナダの田舎からハリウッドにやって来た女優を夢見る娘・ベティ(ナオミ・ワッツ)に見つかってしまう。 事故により、記憶のない彼女は壁に貼ってあった、リタ・ヘイワースの画を見て、咄嗟にリタと名乗るが…。 ◆感想<ヤヤ、ネタバレ・・。だが、個人的感想であるので、諸説ある事はご承知おき頂きたい。> ・序盤の、カナダの田舎からハリウッドにやって来た女優を夢見る娘ベティ(ナオミ・ワッツ)の晴れやかな表情。 ・その後、突如描かれる、謎の美女(ローラ・ハリンズ)が“マルホランド・ドライブ”を護衛付きでドライブしている際に、護衛から銃を突きつけられるシーン。そして、何故か突如やって来る、チンピラたちが運転する車が、激突する。 ー 余りに唐突な展開である。だが、後半このシーンの真実が明らかになっていく。- ・ベティは、映画のリハーサルでも、見事な演技を見せる。だが、その作品の監督アダムには何の権限も持たされていない。全てはハリウッドシステムによって、映画は成り立っている事が暗喩される。 ■前半から、後半の映画の流れが、見事である。 ベティは、将来性豊かな女優ではなく、端役の身。一方、謎の美女リタだったのは、カリーナ・ローズというハリウッドの頂点女優(ローラ・ハリンズ)であることが分かる。 つまりは、多くの今作の評論で、書かれている通り、前半はベティの叶わなかった夢であり、後半は現実が描かれている。 カリーナ・ローズというハリウッドの頂点女優(ローラ・ハリンズ)を暗殺しようとしたのは、ナオミ・ワッツ演じるベティである。 正に、天国と地獄であり、ベティが夢破れて行く姿も哀切である。 故に、ベティの保護者である高名な女優ルースは、一切姿を見せず、ルースの留守を守るココの前半とは違う姿にも納得出来るのである。 ・前半とは違い、端役で苦労を重ねるナオミ・ワッツ演じるベティの、やさぐれ感が凄い。一方、カリーナ・ローズというハリウッドの頂点女優との対比。 ー 故に、前半の謎の美女(ローラ・ハリンズ)が“マルホランド・ドライブ”を護衛付きでドライブしている際に、護衛から銃を突きつけられるシーンの黒幕が誰であったかが、容易に分かるのである。- <ご存じの通り、デイヴィッド・リンチ監督は、今でも過去作の編集をしていると言われる、自作偏愛監督である。更に、彼は今作を含めて、謎の仕掛け大好き監督である。 個人的には、わざわざ謎かけをしなくとも、充分に面白いのになあ、と思ってしまうのである。 因みに、今作ではデイヴィッド・リンチ監督の数々の作品で、耽美的な音楽を提供している、アンジェロ・パダラメンティが出演している。 彼が全て作曲したジュリー・クルーズの耽美的極まりないファーストアルバム「フローティング・イントゥ・ザ・ナイト」セカンドアルバム「ザ・ヴォイス・オブ・ラブ」は、1000枚を超える我がCDの中でも、今でも愛聴している名盤である。 もしかしたら、似た者同士かも知れないなあ・・、と思ってしまうのである。>
オシャレで理不尽
謎だらけで上映時間も長いんだけど、理不尽なサスペンスの中にブラックコメディやエロスが程よく混ざっていて、映像もオシャレなので、飽きずに見られた。 あの歌手のシーンは、まんまと?やられました。。
わかるかどうかでなく面白く感じるかです
こういうなんだかよくわからないのは認めませんが、これはリンチ君が音楽のように感じればいいと言っているし、そもそも自分で抽象的な作品と開き直っているところが好感持てるし、実際さっぱりわからなかった上に、マニアの解題読んで、よくまあこんなことに気づくなあ、私なんか一万回観たって絶対わからないこと自信満々ですが、それでも2時間半のバカ長いのにかなり面白く観られたのは、結構リンチ君にとっていい観客かもしれません。 確かにこれは頭でかんがえるのではなく心で感じる作品かもしれません。なぜならタマタマ面白かっただけで、その理由を説明できないから。故にダメな人はダメですが、それは単に合わなかっただけです。感じたから偉いわけではありません。
直観と想像で観る映画?
元は米ABCのテレビシリーズ向けの企画だったようだが意味不明と言うことで没になったいわくつきの作品。さしずめ「世にも奇妙な物語」風のカルト・ムービーの類でしょう。
殺人事件に絡んだ記憶喪失もののスタイルを取るが脈絡のない断片的なエピソードを入れるので戸惑うばかり、SFのパラレル・ワールド並みの時間交錯、落としどころはレズ関係の怨恨ものだったのか、よく分からない。
冒頭から昔の若者の踊るジルバ、甘ったるいオールディズ・ソング、シュールな舞台劇、おっぱい丸出しのレズシーン、いかにもサスペンスドラマの定番的雰囲気など観客が喜びそうな餌はふんだんにまかれているがどうにも皮肉っぽい。
業界のダークサイドを描くならお手の物、ネタには困らないのでしょう、勿論、監督なりの理屈は有るのでしょうが、特典映像の監督インタビューでテーマとか見どころ、狙いなどを聞いてもはぐらかすだけ、「音楽を愉しむのに理屈は要らないのと同様、感じて想像すればよい映画があっても良いではないか」と宣わっていた。
邪推かも知れないが、監督はスポンサー筋にあれこれ干渉されたり、したり顔の批評家たちにこき下ろされることに嫌気がさして、ぶっ飛んだ映画、いわば挑戦状をたたきつけたかったのかのしれませんね、とりあえず難解にしておけば、分かったように持ち上げる似非評論家の多いことまで読んでいるとしたら流石巨匠です。
個人的には作家性の強いシュールな映画は苦手、この内容で2時間半も必要なのか疑問です。
そこまででも
今更はじめて見たけど、カルト的なのは納得って感じ。 個人的にはテーマとかストーリーテリングがが似てると思って ファイトクラブが1999年、メメントが2001年だから 結果的にやっぱりファイトクラブは偉大だったな、と。 はじめに「カルト的」といったけど、わざと複雑にしたり 細部まで情報をつめこんだりっていう、作りこみはやっぱりすごい。 2度、3度と繰り返しの鑑賞にも耐えられる奥行きはあるんだけど リンチ監督の目線の先にあるのはハリウッドのギョーカイ人たちって感じ。 要するに身内ウケ狙いを感じちゃって、ちょっと白けた部分も否めない。 とりあえず、主演の二人が美しかったからそれだけでも良しとしたい。
何度も見たくなる
これは映画館で観なくて正解だったのかもしれない。最初はTV向け連続ドラマに仕立てようとしたこともあるが、とにかく謎だらけで何度も観たくなるからだ。そして、何度観ても新たな発見がある奥深い映画なのだ。TV版『ツイン・ピークス』の雰囲気をそのままハリウッドへと場所を移動した感じなのだが、観る者によって全く違う感想を与えるほどの緻密で難解な映画でもある。リンチ監督による『サンセット大通り』へのオマージュや50年代音楽への傾倒も感じられる。2度目を観ると、名前と細かな台詞にも納得がいくのですが・・・
本線はベティとリタの記憶取り戻すストーリーなのだが、ウィンキーズのダン、部屋の中のポスター、映画監督アダムとカミーラ・ローズ、ジョーの殺人、青の鍵、カウボーイ、怪しげな老婆ルイーズ、オーディション、ウィンキーズのウェートレスの名札、12号室と17号室の交換、ブロンドのかつらとレズシーン、バンドのないシレンシオ劇場とレベッカの歌、これらが“青い箱”を境にして全て後半へと有機的に繋がりを見せる。後半の冒頭ではいきなり名前に混乱させられるが、こちらが現実での名前であり、前半のストーリーが全て彼女の願望(または夢)であったことをうかがわせる。登場人物も全て重なり、初めて観たときの衝撃を思い出してしまう。
後半の時系列がかなり狂ってるように感じるが、思わせぶりな灰皿のアップから、目覚めた時のシーン以外は順序通りであるかと思う。小物のクローズアップや意味が無いようなシーンによって謎は深まるのだが、3度目を観てもまた疑問が残ってしまった(笑)。結局のところ、殺人の動機は同性愛の相手への嫉妬心からなのか、彼女が主役を射止めたことに対する嫉妬心なのかが掴めなかったが、どちらでもいいんでしょうね。
複雑に見えて実は単純、ポイントは薬物中毒女と時系列の錯綜の作為
ストーリーは単純です。
薬物中毒女がレズ友に裏切られ、レズ友殺害を殺し屋に依頼する。
薬物中毒女は壊れて自殺。
レズ友は殺害直前に交通事故で逃げる。
逃げるところと、回想シーンは薬物中毒女の想像と沢山挿入してるので、現実的でないところは、全て挿入シーンです。
たとえば、ミイラ女、ショー、事故現場。但し、事故は現実ですが、シーンは想像。
それで、みんな前半と後半で分けて考えるから分からなくなる。
ぶつ切りで編集してるだけで、何も難しくありません。
わかりましたでしょうか。
不思議な魅力の映画
ストーリーとしては支離滅裂で結局最後まで何をやってるのかわからないのだが飽きなかった。こんなに長い映画でストーリーがめちゃくちゃなのに飽きない・・・だから、これはきっと魅力的な映画だったのだろう。 ・・・ 後になって考えてみるとこういうことかなぁ 前半のは全て劇中劇。あれは撮影されるはずだった映画。自分がやってみたかった主役。主役になれないならやってみたかった脇役。それもできないならもっと脇役。それもできないんだったら仕方がないウエイトレスの役でも良い。しかし現実にはウエイトレス役やらせてもらえず、体と引き換えに何かの役をあげましょうということも言ってもらえない。・・・劇中劇と現実と空想が入り交じった世界・・・ということかな。
意味不明も意味不明。 自己満足センズリ映画を世に垂れ流すんじゃねえ...
意味不明も意味不明。 自己満足センズリ映画を世に垂れ流すんじゃねえよ。 結局なんだこれただの妄想か夢オチか? これが偉大な映画とはさすがに評価した奴らのセンス疑う。 解説読んでも結局思った通り。 後半が本当の現実だった。 現実で会ったり見かけたりした人で印象に残っている人達が夢でキーマンとして出てきただけ。 そしてこうなればいいという理想に近い夢を見ていただけ。 奇抜ってほど奇抜でもないよくあるどんでん返し系。 難解でもそれが自分なりに解釈できて答えが出てスッキリできたからって高評価するなんてのはあまりに浅はか。 結局この映画の見所は2人の女優のおっぱいとナオミの演技力だけ。
David Lynch
推理小説のようなミステリー映画。 デヴィッド・リンチにしては、とても親切に丁寧に描かれていました。私が思っていた彼の作品の特徴というと、簡単には理解できないような解釈の余地を残し、視聴者に謎を与え続けると言ったような印象でした。今回の作品は、一変してミステリー小説のように、丁寧に答え合わせをしていくように、1つ1つのトリックを結びつけていくような手法をとっていました。単純にミステリー映画として視聴者を楽しませるという能力もあるのだと見せつけられましたね。誰でも楽しめるんじゃないでしょうか。 しかし、これで終わらないのが、デヴィッドリンチ。ちゃんと自分の作品であることに誇りを持ち、そこに描かれるテーマは夢。しかも彼なりの描く夢。美しいものだけが夢じゃないんだよと、と最後の最後に突きつけられる現実はあまりにも暗い。この世界、何%の人が夢を叶えているのだろうか。夢を持つことは自由かもしれないが、叶えられるかどうかというのは、1つのパラメーターでは測れない。年寄りになってまで、無理して笑っていたいか?それとも、いっそのこと諦めて楽にないたいかい?なんともデヴィッドリンチらしいテーマ。 さらにそこに自分の経験を含めた、ハリウッドの映画業界という舞台設定。夢が集まる場所。この映画を見終わって友人と話したのは、これ”ラ・ラ・ランド”(2016)と全く同じストーリちゃう?っていうこと。これ何人の人がわかってくれるかな?テーマにしろ、舞台にしろ、エンディングにしろ、全く同じ。ジャンルと時代が違うだけで。。個人的にはこっちの方が好きかな。 私の興味を引き付けたのは、1970年代から90年代を連想させるような、ブロッキング。クロースアップの使い方、POV、ドリーの使い方。一番好きな時代。”パルプ・フィクション”(1994)、 “めまい”(1958)、 “ゴッドファザー”(1972)、 ”サンセット大通り”(1950)、”雨に唄えば”(1952)、”お熱いのがお好き”(1959)といった名作のオマージュにもらしさがプンプンに出ていましたね!ちょっとやり過ぎ感もありましたが、ヒッチコックの手法や、サスペンス、ミステリー、ホラー、ノワールの要素を継承したとても質の高い作品です。あまり、技術に頼らず、このシーンでは何を伝えなくてはいけないのかという、シンプルなことを100%やり遂げたような印象です。テレビドラマとして、企画を考えていたという事実を考えると、納得できますね。
マルホランド・ドライブ (脳が侵される)
ハリウッドの裏側ともいうべき2人の女性の心情を絵画的に映した作品。マルホランドドライブは難解映画だと言われていますが、視聴者が受け身でなく能動的に映画を楽しめる数少ない作品だと思います。何回も繰り返し観て、謎を全部解いて観ました。https://movie-best.com
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