「未来は自分のもの」マイノリティ・リポート sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
未来は自分のもの
舞台は2054年のワシントンD.C.。
映画館でこの映画を観たのは2002年だったので、あれからもう20年以上も経っているのかと驚かされた。
当時は犯罪を予知して未然に防ぐという世界観に真新しさを覚えたが、クリストファー・ノーラン監督のSF作品などに比べるとやや大味に感じる部分はあった。
それでもスピルバーグ監督らしい観客を飽きさせないハラハラドキドキの展開や、視覚的な面白さは今観ても色褪せない。
しかし未来予知により殺人の消えた世界というものは確かに素晴らしいが、プリコグという予知能力者に感知された時点で逮捕されてしまうのはとても恐ろしい。
たとえ未来予知がどれほど信憑性があろうと、実際に事件が起こるまでは誰も罪を犯してはいないのだから、裁かれる人間も本来はいないはずだ。
この映画の恐ろしさは、実は殺人のなくなった世界は見せかけの平和に過ぎないということだ。
プリコグは三人存在するが、彼らの未来予知はごく稀に一致しない場合がある。
つまりプリコグの未来予知も完璧ではなく、場合によっては冤罪が発生しているケースもあり得るのだ。
しかしシステムに欠陥があることを悟られたくない犯罪予防局は、それらをマイノリティリポート(少数派の報告)として破棄し、なかったものにしてきた。
逮捕された人間は「何もしていない」と訴えても釈放されることはなく、人権も意識も奪われて閉じ込められる。
システムがどれほど完璧でも、そこに人の意志が介在する限り必ず綻びは生じる。
犯罪予防のために身を尽くしてきた刑事のジョンは、ある日プリコグによる未来予知で自分が殺人を犯すことを知る。
相手は見ず知らずの人間だ。
未来予知を改竄することは可能なのか。
彼は自分の無実を晴らそうとするが、非情にも同僚たちは彼を逮捕しようと追いかける。
「誰だって皆逃げる」とジョンは追手を振り切り、システムの開発者のもとを目指す。
闇を抱えたジョンというキャラクターがとても魅力的だ。
彼はかつて最愛の息子を誘拐犯に奪われた。
それ以来彼は薬物中毒になり、立体映像のビデオを観ながら、もう戻らない息子との思い出に浸り涙する。
割りとシンプルなストーリーだが、ひとつひとつの展開が面白い。
ジョンはプリコグのアガサを連れて彼女の中から破棄されたデータを取り出そうとするが、彼女の未来予知により間一髪で追手から逃れることが出来る。
未来予知のシステムに疑問を抱くウィットワーという調査員がしつこくジョンを追いかけ回すが、やがてジョンとウィットワーの対立という構造が変わっていく過程も興味深かった。
そして刻一刻とジョンが殺人を犯すと予知された時間が迫って来る。
この映画の大きなメッセージは未来は自分のものであるということか。
確かに普通の人はプリコグの未来予知をしる術もないが、ジョンは自分が殺人を犯す未来を知っている。
未来が分かれば誰だってそれを変えることが出来る。
予知はあくまでも予知でしかない。
プリコグが未来予知のために人格を奪われてしまっているのも痛々しかった。
平和に見える世の中の陰には、いつも犠牲者がいるという象徴なのかもしれない