「未来までもが監視される超管理社会。」マイノリティ・リポート レントさんの映画レビュー(感想・評価)
未来までもが監視される超管理社会。
プリコグと呼ばれる予知能力者たちによって未来に起きる殺人が予知できるようになった近未来。その犯罪予防システムの下で捜査官として働く主人公ジョンがある事実を知ってしまったことから罠にはめられ追い詰められていく様をスリリングに描いたSF超大作。
ジョージ・オーウエルの「1984」を連想させる超監視社会を風刺した作品としても高く評価されるが、さすがスピルバーグだけにハンバーグの焼き具合にも余念がない。娯楽作品としても大いに楽しめる作品に仕上がっている。
まず未来が舞台なだけに様々なSF的ガジェットで見る者の目を楽しませる。磁気により壁までも走行する自動運転車を筆頭に嘔吐誘発スティック、小型探索ドローンのスパイダー、虹彩スキャンニングにより直接話しかけてくる広告等々。特に中盤の一番の見せ場であるジェットパックを装着した捜査官たちによる地上から空中へと立体的に繰り広げられる追跡劇は見もので、旧市街での火気使用は厳禁だと思い知らされた。ハンバーグの焼き具合はちょうどいい塩梅だったが。それに続くオートメーション化された自動車組み立て工場での追跡劇も面白く、さすが世界のトヨタだけにそのまま完成車で逃走というオチまでついた。
その他にも眼球手術を受ける闇医者が昔自分が逮捕した人間だったり、その看護士が怪しさ全開で、冷蔵庫には新鮮な牛乳とサンドイッチが腐ったそれらのすぐそばに置かれていてことごとく腐った方を口にしたり、スパイダーによる虹彩スキャンの時だけ夫婦喧嘩を止めるとか数え上げたらきりがないくらいギャグも織り込まれていて長丁場でも一切飽きさせない。この辺もさすがスピルバーグといったところ。
しかし本作はあくまでもシリアスなSF作品。描かれている内容ももはや現実社会と地続きと思えるくらいリアリティある監視社会の恐怖が描かれている。
いまや街中には至る所に虹彩スキャナーが設置され、すべての市民がリアルタイムに行動を監視されている社会で今まさにその未来に起こすであろう行動さえもが監視されようとしていた。
この未来犯罪予防システムは犯罪行為がいまだなされていない、不確実な未来に起こすであろう犯罪のために処罰されるという。犯した結果に対して責任を問われる近代刑法の大原則に反する危ういシステムだった。しかしそれでもプリコグの予知能力への絶大なる信頼の上に成り立つ完璧なシステムとして信じられていた。現にこのシステムが導入されて以来首都ワシントンでは殺人事件はゼロに抑えられていた。
息子を失ったジョンは犯罪をなくすことが息子のような被害者をなくせると信じこのシステムの下で捜査に明け暮れていた。だがある時システムの脆弱性の一端に触れてしまったことから彼は追われる身となってしまう。
システムを守り犯罪を撲滅したいという理想を抱いたのは予防局局長ラマーも同じだった。しかし、彼はこのシステムを守るために皮肉にも彼自身が殺人に手を染めてしまう。プリコグの中でも突出した能力者であったアガサを取り返そうとする母親を殺害してしまうのだ。
そしてその犯行はシステムを知り尽くした彼だけがなしうるものだった。プリコグは犯罪予知をするとまれに同じ予知のイメージをデジャヴのように繰り返す。このエコーとも呼ばれる現象を利用して彼は完全犯罪を犯す。しかしそれが発覚するのを恐れた彼がジョンを陥れたのだった。
一見完璧なシステムもそれをつかさどる人間に欠陥があれば、たちまち危険な凶器にもなる。それを使用する権力者が意のままに操れば犯罪撲滅という大義の下で人権侵害も可能になるのだ。
9.11以降成立した愛国者法に基づきアメリカ政府は盗聴やSNSのデーターを収集し大規模監視していた事実が明らかになった。それはテロ防止の大義のもとに行われていたが、現実にはテロとは無関係な国民すべてを監視下に置くものであり、思想統制の恐れがあるとして当時世界的に大問題となった。
それは本作同様システムは完璧だが権力者が悪用すれば危険なシステムにもなりうるというまさに諸刃の剣だった。
ただ、本作の未来予知システムも完ぺきではなくプリコグ三人の予知イメージが一致しないことがまれにあり、一致しない少数者のイメージ(マイノリティリポート)は削除されていた。未来は不確実性を伴う、起きるはずの未来が起きない場合もありうる、冤罪の恐れも否定できない。その事実を無視して強行された不完全なシステムであった。
これも皮肉にも未来予知されたラマーによるジョン殺害をラマー自身が予知された未来と異なる行動を取ったことからシステムの不備が証明されてしまい、結局システムは廃止されることとなる。
本作冒頭でゲティスバーグ演説が引用される。自由と平等をうたうこの演説に始まり、道を踏み外した権力者が最後には南北戦争で贈られた銃で自ら命を絶つ結末は非情に皮肉が効いていた。
現実社会の大規模監視システムもスノーデンの暴露により裁判所の許可なしに使用は不可能となった。これでジョージ・オーウエルが描いたディストピアは一旦は回避されたかに見えた。
ところで本作で描かれた犯罪予防システム、果たしてこれは映画の中だけの荒唐無稽なものなのだろうか。お察しの方もいると思うがこれに似た法律が2017年に日本でも施行されている。テロ等準備罪という名に書き換えられたいわゆる共謀罪である。この法律は行動を伴わず犯罪の合意がなされれば処罰できるという点で未来に行われるであろう犯罪を取り締まる本作の犯罪予防システムと非常に酷似している。
行動なくとも犯罪意思の合意だけで取り締まれるということになればそれは人の内面にまで捜査が及ぶ思想捜査に限りなく近くなってしまう。これは憲法の保障する思想信条の自由にも反するものだ。
またこれらの合意や謀議を探知するには当然盗聴やメールの監視が常日頃から必要になってくる。そして2013年のスノーデンリークによりアメリカの国家安全保障局が大規模監視に使用していたエクスキースコアなる検索システムが日本に供与されたという文書の存在も明るみになっている。
これら共謀罪と大規模監視システムが今の日本に存在するとなれば、これは我々の住む社会が本作で描かれた超監視社会と何ら変わらないということになる。
もはや我々は知らず知らずのうちにこの映画と同じ世界にいるのかもしれない。
今、世界はアメリカをはじめポピュリズム独裁により民主主義が危機に瀕しようとしている。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」という言葉は忘れ去られ、「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」の世になりつつあるのだろうか。
この作品を当時劇場鑑賞した時の興奮は今も忘れられない。スピルバーグがトム・クルーズと初めてタッグを組んだディック原作の話題作と聞いて喜び勇んで劇場に観に行った。そして期待をはるかに上回るその作品の出来に満足して劇場を後にしたのを覚えている。この年末に配信で久々に見直したがやはりその面白さは色あせていなかった。と同時についに現実がこの映画の世界に追いついてしまったことに一抹の不安を覚えた。