「アメリカvsポン・ジュノ」グエムル 漢江の怪物 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカvsポン・ジュノ
ポン・ジュノ監督2006年の作品。
私事だが、初劇場鑑賞のポン・ジュノ作品でもある。
ポン・ジュノ作品と言えば風変わりな人間描写ドラマやサスペンスのイメージだが、本作は意外も意外。モンスター・パニック!
でも、そこはポン・ジュノ。一見題材はB級的モンパニだが、そつなく自分の“色”に染めている。
モンスター登場シーンがユニーク。
人で賑わう漢江。そこで売店を営むパク一家。
何やら人だかりが。橋の下に異様な物体がぶら下がっている。工事か何かの器具…? それとも…?
“それ”は川の中へ。ゆらゆら動き、やっぱり“生物”。
姿を消したと思ったら、視線を変えたら、陸に上がって川の辺りを駆けてくる…!
体当たりで人は軽々と吹っ飛ぶ。突然の“襲撃”に場は阿鼻叫喚。
開幕早々の登場~襲撃が意表を付く。
身の丈は象より大きい。
黒い体色で、両生類のような姿形。
その巨体とは裏腹に動きは俊敏で、尻尾や前足を巧みに使ってスパイダーマンのようにスイング。
“グエムル”とはハングル語で“怪物”の意味。
人間を捕食し、口に含み尻尾に巻き付け、川に飛び込み巣へ持ち帰る。
造形も不気味で、性質もおぞましい。
この“グエムル”は一体何なのか…?
誕生の経緯は開幕シーンですぐ分かる。
韓国にある米化学工場が漢江に廃棄流したホルムアルデヒド。それが原因で異常進化。
日本の怪獣王然り、誕生には人の過ちが。
しかも共通しているのは、どちらもアメリカが関与。実際の事件を基に。
2000年に在韓米軍が大量のホルムアルデヒドを漢江に流出したという事件。
元ネタどころではない、ドストレートな訴え。
後の『パラサイト』のオスカー受賞が信じられないくらい、反米色が濃い。
そもそもの元凶のみならず、グエムル退治に使用された化学兵器“エージェント・イエロー”。これ、ベトナム戦争時に米軍が使用した枯葉剤“エージェント・オレンジ”から取られているという。
米軍が強行。アメリカの横暴。
グエムルだけではなく、一般人にも被害が…。
横暴なのはアメリカだけではない。
韓国政府。
話を聞かない。一般人の声など聞くに値しない。
一般人を人と思わない国家権力で虐げる。
グエムルによるウィルス感染。強引に関連者を連行、隔離。
ウィルスなど存在しなかった。それじゃあ言い訳にはならない。前頭葉にウィルスはある…いや、無ければならない。事実を揉み消し。
グエムルより末恐ろしいのは、人間。
モンスター映画/怪獣映画の根底のメッセージをしっかり踏襲。
それと闘うは、また人間なのだ。
アメリカ権力や韓国政府によって指名手配されたパク一家。
グエムルの返り血を浴びた長男のカンドゥ。
彼の家族…父ヒボン、大卒の弟ナミル、アーチェリー選手の妹ナムジュも“濃厚接触者”。
極めて“危険人物たち”。
彼らは隔離施設から脱走。家族でグエムルに立ち向かう。何故なら…。
カンドゥには一人愛娘がいる。ヒョンソ。
グエムルが初上陸した際、カンドゥはヒョンソの手を引いて逃げていた。転倒。また娘の手を引いて逃げるが…、その時掴んでいたのは他人の娘。取り残されたヒョンソは、目の前でグエムルに連れ去られる。
この家族はヒーロー家族ではない。ダメダメ家族。
カンドゥは店番を任されても一日中寝ている。図体ばかりデカくて、娘を間違えるほどの間抜け。
父はそんな息子に愛想尽かすも、見離せない。
弟ナミルは大卒故に兄をアホ扱い丸出しだが、口ばっかで偉ぶってる。
妹ナムジュはいざ競技中になると、アーチェリーを射てない。
何かしら欠陥を抱え、揃いも揃って負け犬。
そんな家族から愛されているヒョンソ。
それを窺い知れるシーンがあった。逃走し、売店車で久し振りの食べ物にありつく。黙々食べていると、グエムルに捕まりそこに居ない筈のヒョンソの姿が。無論、幻想。が、皆同じヒョンソを見ているようで、自分たちが食べていたものを分け与える。家族の可愛い娘が腹を空かせないように。
グエムルに捕食され、死んだと思ったヒョンソは生きていた。突然携帯に掛かってきたヒョンソの助けを求める声。この漢江の何処かに、ヒョンソはいる…!
軍や政府は聞く耳持たず。それどころか、悲しみのあまり頭のおかしくなった精神異常者扱い。
自分たち家族の手で。
先にも述べた通り、ヒーロー家族ではない。グエムルの猛威に父は殺され、ナムジュは吹っ飛ばされ、家族は離散。ナミルは仕事の先輩に助けを乞うが…。カンドゥは再び軍に捕まる。
しかしそれぞれ自力で突破口を見出だし、漢江に集う…。
どんなに権力に潰され掛けても抗うパク一家。
その血はヒョンソにも確かに流れていた。
漢江の何処かのグエムルの巣で、生き抜いていたヒョンソ。恐怖しながらも、グエムルに新たに連れ去られてきた幼い男の子を守る。
ここから脱出しようとするが…。手に汗握るシーン。
ヒョンソのその姿は、父と同じなのだ。
周囲にバカにされ続けてきたカンドゥだが、娘を助ける為に奔走する。
実は心から娘を愛する優しい父親なのだ。
ダメっぷりや終盤見せる勇気、ソン・ガンホが人間臭さたっぷりに体現。
それまで外してばっかりだったが、遂にアーチェリーを射たペ・ドゥナのラストカットも勇ましい。
ポン・ジュノ常連の強力布陣。
ヒョンソ役、コ・アソンの可愛らしさも。でもカンドゥさん、幾ら娘が可愛いからってお酒を飲ませちゃダメですよ。
怪物を倒して、家族が再会して、通例通りのめでたしめでたしにならないのがポン・ジュノ的。
あのラストは悲しい。やっと助けだし、再会出来たと思ったら…。
娘は命を懸けて男の子を守った。ラストシーンは全てが終わり、また平穏な生活が戻り、カンドゥが男の子と夜ご飯を食べる。
少し真人間になったようなカンドゥ。娘が守ったこの男の子を我が子として育てていく事を誓ったのだろう。
このラストシーン、色々解釈があるようだが(例えばヒョンソは死んでいない等)、自分はそう感じ、しみじみと終わった。
中盤で人々がマスクをし、咳をしただけで過敏に反応。誤情報によるウィルス感染パニックの醜態ぶりが、まるで今のよう。まさかの予見…?
平和は戻ったが、失われたものは戻らない。
それを奪い去ったグエムル。
…いや、本当に奪い去った怪物は、大国の横暴、それの言いなりになる国家権力。
怪物vs家族に見えて、その実は、韓国vsアメリカ、一般人vs権力。
ポン・ジュノはエンタメ要素押し出しつつ、風刺とアンチたっぷりにそれらと闘っていた。
今晩は。
近代さんのレビューが多すぎて、(3000!!)こちらにコメントバックさせて頂きます。
エンリオ・モリコーネさんって、色んな映画に楽曲を提供して、しかも多くが耳に残る作品。凄いなあ・・。
けれど、おしゃる通り日本にはゴジラのテーマがありましたね!!
あのテーマは、映画好きなら(映画好きでなくても・・)聞いたことはありますよね。では、又。