グッド・ウィル・ハンティング 旅立ちのレビュー・感想・評価
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【故、E・スミスの儚げで美しきメロディが彩る、深い哀しみを抱えた”ギフテッド”青年と心理学者の交流と二人が新たな道を歩み始める姿を描いた作品。心優しき”悪友達”との絆も心に残る作品でもある。】
ー この作品の内容は人口に膾炙していると思われるので、印象的なシーン、セリフを列挙し、亡き自死したエリオット・スミスの”私の好きな曲と絡めて”レビューとする。
エリオット・スミスの儚くも美しいアコースティックのギターが奏でる名曲の数々が、この作品を彩り、マット・デイモン演じる青年ウィルと、ロビン・ウィリアムズ演じる心理学者ショーン及び、マット・デイモンの盟友であるベン・アフレック演じるチャックが、ウィルを想う姿には、涙腺が脆くなる作品であるし、作品構成も見事なる作品である。-
<序盤>
・”フィールズ賞”受賞者のジェラルド・ランボー博士(ステラン・スカルスガルド)と”ギフテッド”青年ウィル(マット・デイモン)の出会いのシーン。
MITの廊下の黒板に整然と書かれた数式。モップを残したまま、逃げるように立ち去るウィルの後ろ姿。
ー 見事な、オープニングである。 -
・ランボー博士がウィルのために紹介したセラピストに次々に辞められ、6人目に紹介した元級友の心理学者ショーン(ロビン・ウィリアムズ)とウィルの初見のシーン。
知識をひけらかすウィルがショーンが描いた”嵐の中の港”についての”コメント”に激高するシーン。そして、ランボー博士にウィルのセラピーを約束するシーン。
ー ショーンは、ウィルの”生意気なコメント”から、彼が自分と同じ哀しみを抱えた人間だと感じたのだ・・。-
<中盤>
・ウィルが悪友、チャック(ベン・アフレック)、モーガン(ケイシー・アフレック)達とバーに出掛けて”凄い歴史の知識”をひけらかすシーン。
そして、ハーバード大の明るく、下ネタもOKな女子学生、スカイラー(ミニー・ドライヴァー)と交流を深めていくシーン。
ー スカイラー絡みのシーンには、必ず、故、E・スミスの儚げな声の美しきアコースティック・ミュージックが流れる。
”Between The Bars" ”No Name #3”・・。-
・ウィルのセラピーの時間にショーンが語る言葉。
”君の話は、全て本から学んだ事だ。本物を知らない・・””けれど、君自身の話なら聞こう。君について、知りたいんだ”
ー 驚く、ウィルの顔・・。そして、徐々に二人は公園などで、親し気に笑いながら話をする。ショーンの奥さんのオナラの話など・・。 -
・ウィルはスカイラーから、”一緒にカリフォルニアに来て欲しい・・。”と頼まれるが躊躇うウィル。
ショーンからは”君は本当は何がしたいのだ、友達はいるのか?”と問われ・・。
ー 過去のトラウマの影響で、彼は、自分の知っている範囲でしか行動できない。一歩足を踏み出せない・・。-
<後半>
・スカイラーは”何度も振り返りながら・・。”カリフォルニアに旅立つ。
ー その姿と共に流れる、E・スミスの”Angeles"が、実に切ない・・。-
■ウィルの代わりにランボー博士が紹介した会社の面接に行ったチャックがウィルに言い放つ言葉が、心に染み渡る。
【お前は宝くじの当たり券を持ちながら、現金化する度胸の無い奴だ!
俺の一日で最高の瞬間を教えてやろう。
お前の家のドアを叩き、10秒間待つ間だ。お前が出てこないことを願って・・!。】
ー このシーンは(も)、何度観ても涙が出る・・。
これ程の親友はそう簡単には出来ないだろう・・。(どう考えても、マット・デイモンとベン・アフレックの深い交流から出て来たとしか思えない台詞である。)-
・そして、ショーンはウィルに”君は悪くない。”と何度も言いながら、抱きしめる。
ウィルは無垢な子供の様に泣きながら、”僕を許して・・。”と詫びるのである。
ー このシーンは(も)、もう私にとっては涙なくしては観れない・・。ー
・ショーンが自らの旅立ちと共に、”グッド・ラック・サン!”とウィルを送り出すシーン。
<そして、”ウィルの21歳の誕生日にチャックを始めとした、悪友たちがプレゼントした落書きだらけの手作りの車”に乗って、彼はカリフォルニアに向けて車を走らせていく・・。>
<何回、鑑賞したのか分からない程、私に取って好きな好きな作品である。>
<2020年5月29日 コロナ禍に苦しんでいた安城コロナワールドにて鑑賞。>
<その他、他の媒体にて複数回、涙を流しながら観賞。>
ほかの方々が語りつくしていますので、そういう部分はもう書きませんw...
ほかの方々が語りつくしていますので、そういう部分はもう書きませんw
この映画のテーマを脚本のお二人がどこに置いていたのか、ホントのところはわかりませんが、たとえば、社会の中での大学みたいな場の意味であるとか、そこに関わ(った)る者の社会との関係、なんかも考えさせられるところがあった。
そこだけじゃなく、受験を勝ち抜き、官僚とか権力者とかになる者、資産家の家に生まれシード権のある者、その両方がある者、そのどちらも無い者、様々ですが、その様々な人間が、自分の意志であったり、否応なくであったり、これまた様々ですが、社会で役割分担を行っていく。
その方法がパターン化されてしまった世の中は、老化によって劣化してしまった身体のように、荒れ果て、乱れていくのかな、、
なんて、汚職にまみれた権力者が跋扈し、カネで心も身動きも封じられたサラリーマンやる同社で溢れる今の日本なんか、特にそう思いました。
以上、この映画を90年代ではなく、2020年代に観て、感じたことでした。
結局大切なのは…
人と向き合う
天才的な頭脳を持つ主人公。 誰もが羨む才能を彼は何とも思っていなか...
運命の出会い・・
名前だと知らなかったので狩りの話かと思ったがハートフルドラマだった。ストーリーは主人公ウィル・ハンティング(マット・デイモン)の孤児の時代の不遇を運命の神様が償うように善き人たちに巡り合わせ、愛情、友情、支援に恵まれて大人として自立してゆく様を描いている。
劇中でも話されているがウィルのような独学の天才青年(シュリニヴァーサ・ラマヌジャン)は実在し「奇蹟がくれた数式」(2016公開)という映画にもなっている。
驚きなのは初々しい青年像からはうかがえなかったがハーバード在学時代にマットが書いた脚本がきっかけとなり映画化、アカデミー賞までとった作品ということだろう、マットはIQ160と言われているから単なるアクションスターではないようだ、認識を改めました。劇中のセリフも光っている、名著の引用や心理分析のやり取りもアカデミック、NSAを嫌う理由もシニカルだ。
映画を観て昔お世話になった先生や先輩たちの顔が浮かんできた、出会いとは不思議なものですね。
あなたは、"誰かのなにか"か、"自分"か。
どんな人生を送ることが幸せなのか?
努力を重ね、素晴らしい賞をもらい、名誉を手にした人生
自分の人生を、愛する人に捧げる人生
稼ぎは少ないが、友人とバーで一生バカやってる人生
きっとどれも人によって"幸せ"な人生だ。どの時点で、どんな理由で、どんな選択をして、その先でどんな人生を歩むことになるか、ライフコースはそうやって人の数だけ分かれている。だから『"幸せ"な人生とはこういう人生だ!』なんて定義することはとてもできない。
ウィルの持つ数学の才能は、数学者として名を馳せたい者からすれば、喉から手が出るほど欲しいものだろう。彼らにとっては友人とクラブやバーでバカやってるウィルの人生なんて"クソ"で何も生産しない"無駄"なものかもしれない。
ところが、友人とバカやってるのが何より"楽しく"て"幸せ"なウィルにとって数学の才能はゴミも同然なんだろう。
この物語における主要人物のウィル、ランボー、マグワイアの3人は各々が自身の人生観を初めからしっかりと持っているが、その3人がぶつかり合い、お互いの人生観の内を明かすことで各々が"自分の人生"とは"別の人生"が、無数に存在していることに気づく。
ランボー博士は序盤、ウィルを数学者として成功させるために、彼のライフコースを決め、彼の人生を"乗っ取ろう"とするが、マグワイアに『彼の人生は君の人生ではない。』とひと蹴りされる。そんなマグワイアも人生をかけて愛した妻を病で失った悲しみから、彼自身の人生を見失ってしまっていた。つまり、マグワイアは"今は亡き妻の夫"として立ち止まり、"マグワイア"としての人生を見失っていたのだ。ウィルは、『もう誰も愛せないのか?進めないのか?素晴らしい人生哲学だな。』と、"自身の人生"を見失っているマグワイアを皮肉る。ウィルは孤児であり、養父からの虐待も経験して以来、"愛されている時、いつの日か捨てられる恐怖"を感じるようになっていた。そのため愛されても、"捨てられる前に自ら捨てる"ようになり、絶対に自分を見捨てない友人を必要以上に頼りにするようになっていた。そんなウィルに、彼の友人は『お前が40年経ってこの街で俺たちとまだこうやって働いていたら、お前のことをぶっ殺してやるからな。』と一言。
他人の人生を誰かが決めてしまえば、
自分は、他人が決めたライフコースに、ただ沿って生きるだけの奴隷に成り下がる。私はそれを"幸せ"だとは思わない。
人は皆、"誰かの何か"だが、それ以前に"自分"であり、"自分の人生"を生きており、"自分のライフコース"決定することができるのは、"自分"だ。
ただし"自分"として、"誰かの人生を決めること"や、"誰かに規定された人生を生きること"はできなくとも、
"誰かの人生を変えるきっかけを与えること"はできると私は考えている。結末として、ウィルもマグワイアもランボーも、誰も自分の人生を押し付けていない。きっかけを与え続け、各々が自ら決断を下す。
"人との出会い"というのは、そのきっかけを絶えず私達に与え続けているのではないだろうか。
本当の自分
幼少期のトラウマで心を閉ざした青年ウィル(マッドデイモン)と妻を亡くし孤独に生きていた精神科医ショーン(ロビンソン・ウィリアムズ)の心の交流を描いたヒューマンドラマ。
心がこんなに揺さぶられた映画は久しぶりでした。
【自分は愛されないのではないか】【嫌われるくらいなら、先に切り捨ててしまおうという】なんていう思いは誰しも抱いたことがあるのではないかと思います。
相手が大切であればあるほど、本当の自分をさらけ出すのが怖くなってしまう。
ウィルは数学の天才で、一流企業がこぞって欲しがる逸材だけど、それは物語を面白くするためのおまけみたいな要素で、本題は恐れず、本当の自分を大切な人にさらけ出せるかどうかだと感じました。
ウィルは本当は自分の才能を活かした事で何かがやってみたい。だから、清掃員の仕事でもわざわざ名門の学校を選んで仕事してたし、こっそり数学の難題を説いたりしていた。それをショーンに指摘されて、ウィルはハッとしたわけですが、親友チャッキー(ベンアフレック)も、多分そのことには気づいていたんですね。
きっと、ウィルは自分は愛されないのではと言う思いから、チャッキーにすら知らず知らずのうちに気を使っていたのではと思います。
だから、チャッキーの親友だから言うけどな、のシーンはとても感動的でした。
ウィルがこの街にずっといて、ずっと工事現場で働いていでもいいと言いますが、それが心からの本心ではない事をチャッキーは感じ取って、親友として背中を押したんですね。
もぬけの殻になったウィルの家に、迎えに来たチャッキーのあの表情は絶妙で。
一瞬涙ぐんだような、寂しさがぐっとこみ上げたけど、あいつやりやがったなっていう、男として親友として、大切な友が新しい場所に旅立っていったことに対しての嬉しさとかが混ざり合ったいい表情でした。
この作品の癒し系キャラ、モーガンの助手席への昇格もよかった笑笑
何回でも観たくなる傑作です。
嘘をついたウィル
優しい世界
天才的な頭脳を持つ孤児の青年ウィルと妻に先立たれ孤独に暮らす心理学者ショーンの心の交流を描いた感動作。
作品の知名度の割には観たことなかったシリーズです笑。
当時無名だったというマットデイモンが親友のベンアフレックと共作で書き上げた脚本を基に映画化へ動き出したという2人の出世作にあたり、第70回アカデミー賞の助演男優賞を受賞したロビンウィリアムズの暖かい演技などで高い評価を受けている。
とにかく主人公ウィルの周りの人々が彼を暖かく支え、後押しする姿が印象的でとても良かった。
ウィルが全編通してやさぐれた態度で誰に対しても皮肉や暴行を働く手に負えない青年だったにも関わらず、彼の才能を見抜いたランボー教授は彼の為に不仲であった人物ショーンに連絡を取ったり、親友のチャッキーは彼の才能に嫉妬することなく、むしろその才能を無駄にしようとする彼の態度を叱責し、激励したりと誰一人としてウィルの邪魔をする人物が出てこず、ありえない設定に思わず涙してしまった。
特にプライベードでも仲の良いベンアフレック演じるチャッキーが終盤の工事現場で彼に投げかけたセリフとそのラストに彼を訪ねに自宅に来たチャッキーが無言で全てを悟り、片方の口角を上げてニヤリと笑う一連の流れが大好きだ。
最後にそれをコピペして終わる笑。
「20年たってお前がここに住んでたらーおれはお前をぶっ殺してやる
お前は自分を許せてもーおれは許せない
俺は50になって工事現場で働いててもいい
だがお前は宝くじの当たり券を持っててーそれを現金化する度胸がないんだ
お前以外のみんなはその券を欲しいと思ってる
それをムダにするなんておれは許せない
おれはこう思ってる
毎日お前を迎えに行きー酒を飲んでバカ話それも楽しい
だが一番のスリルはー車を降りてお前んちの玄関に行く10 秒間
ノックしてもお前は出て来ない
なんの挨拶もなくお前は消えてる
そうなればいい」
温かい
人に自分を曝け出すのが怖い主人公の
周囲にいるみんなは主人公のことが大好きで、真っ正面からぶつかってきてくれて、愛に溢れていて 温かい気持ちになった。
よく言われる 自分を愛せないと他人も愛せないの言葉の意味がわかった。
心の傷を克服するまで
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