劇場公開日 2025年11月28日

  • 予告編を見る

Ryuichi Sakamoto: Diaries : 映画評論・批評

2025年11月25日更新

2025年11月28日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー

命と音に向き合う“人間・坂本龍一”を通じ、最期の日々を想う映像体験

音楽好きや映画好きを自認する日本の成人で、故・坂本龍一の名を知らない人はまずいない。世界中のオーディエンスに対象を広げても、幅広い世代にその音楽が親しまれた日本人アーティストとして唯一無二の存在だろう。特に映画音楽の分野では、巨匠らの傑作とともに広く認知されるテーマ曲を創造した作曲家として、故人ならレナード・バーンスタインヘンリー・マンシーニ、存命中ではジョン・ウィリアムズハンス・ジマーらの才人たちに並び立つと称しても過言ではない。

だがドキュメンタリー「Ryuichi Sakamoto: Diaries」は、そんな誰もが知る偉大な音楽アーティストの足跡や功績を紹介することを主眼にしていない。むしろその逆で、がんが再発して闘病する日々の中、自らの生と死に向き合い、不安や葛藤を日記に吐露するひとりの人間の実像に迫ろうとする。2023年3月に坂本が他界し、その翌年にNHKで放送されたドキュメンタリー番組をベースに、新たな映像を加えるなどして映画向けに再編集したのが本作だ。死去する半年前の2022年9月にNHKのスタジオで演奏した20曲を収めたコンサート映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」とは、互いに補完しあう内容とも言える。

画像1

タイトルが端的に示すように、坂本が最後の3年半に書きとめた日記の言葉やごく短い文が、この本編96分の映像を主導する。そこにあるのは、作曲と編曲に長い時間をかけて完成させた音楽でも、推敲を重ねた論考やエッセイでもなく、生身の感覚や感情、刹那に沸き上がった思いだ。そんな日記のフレーズを、田中泯が過剰な情感を加えることなく淡々と、それでいて実に味わい深く読み上げている。

映像作品にふさわしく、取材班が記録した映像素材はもちろん、坂本自身が日々残した映像と画像、また家族が撮影した自然体の坂本の姿も適宜配置される。雨、雲、月といった自然と宇宙の事象に心を寄せる様子も興味深い。2021年2月、入院中の坂本は小さな音が出るものを常に傍らに置いていた。YouTubeで雨の音を探し、何時間も再生して聴いたという。「音楽は熱量が高いものなので、自分に体力がないときは受け止められない。(それに対し)雨の音は素晴らしい」と語る肉声も収められている。病で衰弱した身で、シンプルな音に癒しを求める――そんな内面を知るとき観客の多くは、孤高の存在のように思えた芸術家もまた、病身で死を意識しつつ心の平安を保とうとする、私たちと何ら変わらない人間なのだと悟る。

そうした気づきはまた、おのずと観客自身の最期の迎え方、人生の終い方を想像するよう促す。闘病生活を送る坂本の姿に、避けがたく訪れる死に向き合う未来の自分を重ねる。

自身が立ち上げ監督を務めた東北ユースオーケストラの公演を病床から画面越しに見守る坂本が、吉永小百合による詩の朗読を聴いていた次の瞬間、感極まって泣き顔になる。ドキュメンタリーのカメラがとらえた“劇的”な瞬間であり、そこで去来する感情に観客が思いを馳せ心を共鳴させることが豊かな映像体験になるのだろう。

高森郁哉

Amazonで今すぐ購入

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む
「Ryuichi Sakamoto: Diaries」の作品トップへ