プラハの春 不屈のラジオ報道のレビュー・感想・評価
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プラハの春 不屈のラジオ報道(映画の記憶2025/12/14)
世界史の教科書で見たことがあるだろう「プラハの春」。実話を元に作成された映画のため、リアルに感じる。ウクライナ進行に対するロシア批判なども意味合いとしてありそう。
言語はチェコ語で話してるので演技ははっきりとわからず。
現在の共産主義って権力者によって元の思想を歪めた別物だと感じているが、本作でそれを痛感する。自分たちに都合が悪いことは歪めて情報操作する、秘密警察に目をつけられると粛清又は迫害される。
主人公たちのラジオ部署が真実や物事の正しさを追う姿は歪んだ報道が散見される日本のマスコミが胸に刻まないといけないことだと思う。
国民が支持するのは正しい情報を正確に伝達する人達の努力。
(個人的評価6点/10点中)
迫力ある音楽が緊迫感を盛り上げる
独裁政権を平和的に退陣させた1967年12月からソ連侵攻が始まった1968年8月までの半年余りの期間を舞台に、チェコスロバキア放送局の技術者、アナウンサー、記者たちの活躍を映画いてます。
少し長い気もしましたが、前半の長い伏線がクライマックスのアップテンポな展開に効果に活かされています。
家族、友人、恋人を人質にとるかのような権力側の圧力と自己の信念の間で究極の選択を何度も強いられる人々。
愛する者のために行った苦渋の選択は必ずしも守りたかった人の信念に沿うものではないという残酷さ。
一国の自治と絡めて重厚な人間ドラマが描かれており見応えがありました。
特にクライマックスのアクロバティックな作戦はご存じない方は是非ご覧になってください。
私も全く知識がなかったので衝撃でした。
「プラハの春」のこと、よく理解していなかった(反省)
失敗した民主化運動を描いた失敗作
チェコスロバキアの民主化運動の中で奮闘するラジオ局の話。駄作と言っていいと思う。
そもそも大した話じゃない(現実でもこの運動の後、さらにひどい状況になる)ので、なんとか盛り上げようと、兄弟愛、同僚とのラブ、スパイ要素など突っ込んだのが、脚本のクオリティの低さもあって大失敗してる。
ごめんだけど、元々主権国家として未熟だったため、国に対する愛着が欠落してる国民性が、個人主義を描けば描くほど露呈してしまっていた。政治的な課題を描いて、国家の行末に憂慮することが報道のモチベーションであるはずなのに、自分が自分がと主張しすぎる。
顛末のあと、ラジオ局で反省文書けというシーンがある。チェコの人たちはこの映画みて満足なんだろうか。
正しい力の使い方
現代にも通じる内容
【”波”今作は”プラハの春”を謳歌するチェコスロバキアにソ連軍、ワルシャワ条約機構の軍隊が流れ込む中、”真実のラジオ放送”を流し続けたメディアの姿と彼らを守る市民の姿をスリリングに描いた作品である。】
■1968年。民主的思想のアレクサンデル・ドゥプチェクがチェコ共和国共産党中央委員会第一書記に選出され「プラハの春」と呼ばれる改革で民主化の機運が高まるチェコスロバキアに、ソ連軍、ワルシャワ条約機構の軍隊が、チェコスロバキア国境を越えてなだれ込んだ。
国内では「救出に行く」というデマの新聞を発行し、チャコスロバキアの国営ラジオ局を占領し”ソ連が救出に来た。”という偽情報を流そうとする軍に対し、情報局員のトマーシュたちは、局外から回線を繋ぎ、ソ連軍の侵攻を流し続けたのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤、トマーシュは中央情報局に勤めているが、上司から民主化運動をしているローティーンの弟バーヤの事を持ち出され、国営ラジオ局に”出向”となる。
国営ラジオ局は、民主化の先頭に立つミラン・ヴァイナー部長の元で、検閲に屈せずに自由な報道を行っている。
そこに集う人達は、”氷の女”と呼ばれるヴェラを始め、皆、民主的思想の持ち主である事が描かれて行く。
・彼らは大統領が息子に、不正に資金を流している事実を掴み、その金を預けているスイス銀行員の振りをして大統領から”真実”を電話で述べさせて、そのテープを大統領に送り付け、ソ連の傀儡大統領は辞任するのである。
・トマーシュは、序盤では、いわばスパイなのであるが、彼は皆と交流をする中で、徐々に板挟みになって行くのである。最初は年末のパーティ時に中央情報局に情報をリークするが、彼の表情は暗い。
・だが、徐々にミラン・ヴァイナー部長の毅然とした態度や、ヴェラとも恋仲になり彼の心はチャコスロバキアの民主化を推進する側に傾いて行くのである。
そんな中、チャコスロバキアの民主化を懸念した旧ソ連は軍事行動に出るのである。
ー この辺りのシーンはスリリングである。と共にトマーシュの覚悟を決めた表情の変化に気付くのである。-
・トマーシュは、中央情報部の上司に呼び出され、ソ連軍の侵攻を告げられるのである。彼は弟をオーストリアに亡命させつつ、自分は仲間と共にラジオ局に留まり、”真実をチャコスロバキアの民に流すために”奮闘するのである。沁みるシーンである。
■そんな中、到頭ソ連軍、ワルシャワ条約機構の軍隊が流れ込むのである。頼みのミラン・ヴァイナー部長は、その前の自由を愉しむランチパーティで脳内出血で倒れている。
その後の展開も苛烈であり、スリリングであるが、ラジオ局の前に集まった民衆の姿は、ムネアツである。民衆はラジオ局の頑張りに対し、銃はなくとも身体一つで局を守ろうとしたのである。
権力に屈せずに、真実を伝え続ける記者たちの声や姿に呼応するように、集う民の姿。
<今作はプラハの春を謳歌するワルシャワ条約機構の軍隊際、命懸けのラジオ放送を続けたメディアの姿と彼らを守ろうとした市民の姿をスリリングに描いた作品である。>
■その後、テロップで流れる様にチェコスロバキアは再び、暗黒の時代になるのであるが、今作ではその以前に、信頼されるメディアの姿とは何か、報道のあるべき姿とは何かを観る側に伝えて来るのである。
プラハの春に介入したソ連軍に抵抗した「ラジオ局職員」の物語です。
1968年の「プラハの春」弾圧、通称「チェコ事件」(ドプチェクがチェコスロバキアの第一書記に就任して「人間の顔をした社会主義」を標榜して、チェコスロバキアの自由化を進めたが、ソ連を中心にしたワルシャワ条約機構軍が介入して、チェコスロバキアを再び社会主義の国に戻した事件)の時に、自由化の砦として、最後まで放送を続けた「チェコスロバキア国営放送」の人々を描いた群像劇の映画であり、東ヨーロッパの映画を十分堪能しました。
・本作はアカデミー賞国際長編映画賞部門チェコ代表作品で、チェコアカデミー賞多数受賞の傑作です。プラハの春を描いた映画を観たのは本作が初めてになります(ベルリンの壁崩壊後の第二の「プラハの春」については、映画「コーリャ愛のプラハ」でその様子は描かれています)。
・主人公としては「トマーシュ」という放送局職員がいますが、様々な放送局職員の連携によって、放送局が占拠された後も、外部拠点からソ連の侵攻の状況を放送し続ける姿勢に熱い気持ちを感じました。
・放送局を守ろうとして押し寄せる民衆に対して、それを排除するソ連軍、殺害された民衆の様子など、1968年当時の状況をよく再現していたと思います。
・またこの映画を通じて「マスコミ」の重要性もよく認識できると思います。ソ連軍が侵攻している時、正しい放送を聞こうとして、ラジオ放送に耳を傾ける様々な人々が映画の中で映し出され、メディア側として権力に対抗したチェコスロバキア国営放送ですが、「プラハの春」が終わった後は、いわゆる政府寄りの「大本営発表的」な放送局に戻ってしまう訳で、当局あるいは権力からの規制により「報道の自由」は、どんなに粘っても最後は崩れ去ってしまうものです。「報道の自由」の大切さを改めて考えさせられました。
・この映画で、自由化が進むチェコスロバキアに対して、「ファシズムだ」と非難してソ連がチェコスロバキアへ軍事侵攻している場面を観て、「ナチス排除」を訴えてウクライナに軍事侵攻しているロシアの現状と重ねて観てしまう感じがして、心痛む思いがしました。
65点ぐらい。少し難しかった。
かなりのドラマ性、それをどう受け止めるか
相当劇的になっているので学びという点においてはやや焦点がズレるような気がしますが、学びのキッカケとしては非常に有効なのでは─。中途半端な知識で見ていた自分は、見終わって、いや途中でも実際はどうだったのか、あるいは周辺の事情とか同時代の世界情勢とか、めちゃくちゃ気になりましたから─。
音楽とか音の使い方も、何で?とか煽ってるなーなんて思ったりもするんですけど、それがかなり効果的で分かりやすいぐらいにハラハラドキドキさせられました。
映像も、恐らく当時のもあったかもしれないしそれに合わせたような絵づくりも絶妙で、記録とドラマという表現的なメリハリが絶妙で、ドラマチックでありながらもかなりリアリティをもって作品そのものを楽しめました。正直、見る前は啓発的なのかなーなんて思って多少ビビっていたんですけど、意外と人間模様が豊富で、自分はかなり楽しめました。とはいえもっと歴史観を─という人も結構いるんだろうなぁなんて思ったりもしましたが・・・
戦車と武装兵士が民間人に向かってくる恐怖
冒頭からサウンド・デザインの良さに感動。
国境を越えてモスクワからハンガリーから東独からプラハの街に戦車が入ってくる。丸腰のたくさんの市民が戦車を囲んで阻止しようとする。ビラを運搬していた学生達含めて民間人が殺される。「プラハの春」がどのように封じ込められたのか、ドキュメンタリー映像も含めてこの映画ではじめて知った。
ラジオが大事で信用される情報源であった時代。ラジオが市民を励ましていた。ラジオ局の人間の連携とメッセージ、雑音混じりだったり全く聞こえなくても、家で教会でラジオに心と目と耳を傾ける人たち。ダイヤル電話はスマホに、ラジオやテレビはネットニュースにとって代わり、人を殺戮する兵器はもっと高性能になって残虐になっている。素手で兵士や戦車を止めることなどもはや不可能。そんな今、穏やかな地中海の近辺で平然とジェノサイドが行われていることに愕然とする。歴史から人間は何も学ばない。
トマーシュは、弟だけを見ていた「兄」から、弟が見つめる現実と未来を見る「仲間」になった。ラストシーンがとてもよかった。
まさに不屈の報道。
何が起きていたのか
自由を守る戦い
真実の声を伝える決死のチームプレイ
1968年にチェコスロバキアで起こった民主化運動「プラハの春」で、市民に真実を伝え続けたラジオ局員の実話を描く。
実在のラジオ局員を登場させつつ架空人物を主人公にしたのは、監督曰く「60年代の社会主義下のチェコスロバキアで生きた“市井の人々”の代表」。民主化の意義や自己主張をする理由が見出せなかった主人公が、次第に局員達の姿勢に感化され、人間としての実存を見出すという展開は分かりやすく、彼らがMI6ばりにチームプレイで真実の放送をしようと奔走するクライマックスは、監督が参考にしたと公言する『アルゴ』を彷彿とさせる。
結局は数ヶ月しか続かなかったプラハの春。それでも実存を見出そうとした者達の軌跡は熱い。本作の原題『Vlny』とは「波」の意。もちろんこれはラジオの「周波」と「自由化の波」をかけている。
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