ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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無垢は罪なのか
まじめに働いてコツコツとお金を貯めるセルマは、遺伝による病気で近々失明する。
セルマの息子ジーンにも、失明の遺伝は残っている。
息子の失明を避ける手術のために内職をして夜勤をしてお金を貯める母。
目は急速に見えなくなって働けなくなっていく。
それでも友人の助けも借りながらどうにか働くけれど、目が見えないことでミスをしてクビになってしまう。
クビになってしまったけれど、手術をお願いするという希望を持った途端に、
良くしてくれていた隣人にお金を盗まれる。
最初から不遇の主人公と当て書きされているだけに、まだか、まだ不幸の足音が忍び寄ってきていないのかと思っていたので、きたか、という気持ちに。
お金を返して欲しいと頼みに行ったセルマに対し、銃を向け、このお金はうちからお前が盗んだもの、と主張される。
さらに銃が暴発し、秘密裏にはもう出来ない。
お金がないと息子に手術を受けさせられない、でもこのお金は渡さない殺していけという隣人に、泣きながら銃を向ける。
セルマは何も悪くないのに、お金を盗み、殺人を犯したとして逮捕され、裁判にかけられる。
ここでもセルマは隣人との約束を守り、自分が悪くないことを主張しきれない。
死刑を宣告され、独房で日を過ごすセルマに裁判のやり直しができる!となるも、そのお金は息子の手術費用。
結局は絞首台へ…セルマは死ぬ。
空想がちな主人公は、ミュージカルが好きで、事あるごとに夢見がちな舞台に変貌する。
ミュージカルは優しい世界で、ひどいことは起こらないけれど、現実との違和感があり過ぎて、主人公の不幸感がより強く押し出されていると思った。
まじめであるがゆえに、不幸になった母に、息子はどう思ったんだろう。
ラストのメガネのシーンで希望を持って死んでいったけれど、真相はどうだかわからない。
どうして遺伝するのがわかっていて産んだのか?という問いに対して、赤ちゃんを抱いてみたかった、という答えが、当たり前なのになぜこんなにエゴとして聞こえるのか。
素晴らしい映画だと思うけれど、見る側のエネルギーを奪い、気持ちを持っていかれる映画。
明るい気持ちにはなかなかなれない。
観なきゃよかったと思うのに、いつかまた観ると思う
明るく唄う、美しい曲で楽しいダンスシーン。
実際には真逆のストーリー。
観ていられなくて、何度も再生を止めようかと思いました。
最後は救いようが無さすぎて、大きなあの音で終わる衝撃。
これは大分ひきずった。ひきずりすぎて、周りにとにかく観て!とオススメしてしまったくらいのショック。
でも最初の工場の曲なども良かったので曲をダウンロードしたり。
絶対二度と観ない!!と思っていたのに、また怖いもの見たさが疼く自分がいる。
人間とは
そもそも、人間って苦しいとか辛いことがベースにある中でなんでほんの少しの楽しいことを必死に探して必死に掴み続けながらいきなきゃいけないんだろう
なんの為に命を与えられて生かされてるんだろう
しかもそんな中でも人間すべて平等なんてことは綺麗事にすぎなくて
生まれた場所とか家庭環境から不利有利って必ずあるし、
でも自分より幸せそうだなと思う人も必死にもがいて生きてるわけだし
まじでマルサ選択肢なさすぎ。全部仕方ないチョイスだと思った。
でも彼女が死ぬことで彼女なりの彼女の使命は果たせたわけだし、結果良かったんじゃないか。
世の中所詮こんなもんだなって感じでした。
ただの死刑反対映画
死刑反対映画ですね
主人公が嘘を言い続ける理由も動機が薄すぎる
主人公を死刑に追いやるために純粋な主人公を書いて同情を引いているのがみえみえで冷めました
これで号泣も感動もしないですよ
ただミュージカルシーンは良い
悲劇的救済をうまく使った映画
まず、悲劇ばかり続くと、みている側は悲劇に慣れてしまうため、その中にセルマの中のミュージカルの妄想を挟むという、シェイクスピアの四大悲劇のリア王と同じ、悲劇的救済によって、少しの幸福感からの大きな悲劇でより見る側を悲劇的な気持ちにしていて、うまいなあと思いました。
他のレビューでもそうですが、その最後の最後の、ラストのシーンはボッッロなきでした、止まりませんでした。
現実の悲劇では最後まで徹底して音がなかったところ、主人公の妄想の中では最後、外の音が完全になくなっても心の中にある、という、そして死刑執行されその心の音さえも無くなってしまった監獄では音が一切ないという、映画のテーマとも言えるこの演出に感動しました。
主人公が自ら悲劇の中に入ろうとしてるのかな、というほど正当防衛に対する弁明がなかったのは謎ですが、このような田舎でしかも被害者側があのヒステリックな女となると無理なのかな、と思ったり
子供の手術代のことを考えすぎて自らの幸せを二の次にしてしまい起こった最悪の悲劇だなと思いました。
胸を掻き乱す、言い知れぬ不安と悲惨
第53回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Blu-rayで鑑賞(字幕)。
「ニンフォマニアック」二部作が大変面白く、ラース・フォン・トリアー監督の他の作品を観てみたくなりました。
本作のあらすじを読んで、ストーリーに何か惹かれるものを感じ、ブルーレイを購入して鑑賞することにしました。
物語の持つ圧倒的なパワーに呆然とし、深く考えずに気安く手にするんじゃなかったと思いました。主人公に待ち受けているものが悲劇しか無いのが目に見えていたので、不安と悲しみに胸を掻き乱され、体が捩れそうになり、中盤で観るのを止めてしまいました。心の冷却期間が必要でした。続きを観る気になるまで1ヶ月掛かりました(笑)。
ドキュメンタリー・タッチで、主人公とその周囲の人々が織り成す出来事を淡々と映し出していました。ところが、突然現実世界を離れて主人公の心象風景、もしくは妄想と言えそうなミュージカル・シーンが始まり、カオスに脳が揺さぶられる。現実と心象の要素のどことなくアンバランスでちぐはぐな感じが、そう云った印象を抱かせている気がしました。
純粋な心を持ち、息子を心から愛するセルマを見事体現していたビョークの、凄まじい歌声と演技に魅了されました。
往年の名女優、カトリーヌ・ドヌーヴの安定感抜群な存在感も、物語にメリハリをもたらしているように感じました。
演技はバランスが取れているのに、時折挟まれるアンバランスとのギャップが激しくて、本当に頭が痛かったです(笑)。
運命とはつくづく残酷だと思いました。一生懸命働いてコツコツ貯めた息子の手術費用を、視力が弱いことを利用され、信頼を寄せていた人物に盗まれてしまう。鬼畜の所業に「なんでそこまで出来るんだてめぇ!」と声を荒げたくなりました。
まるで純粋なことが悪であるかのように主人公は徹底的に追い詰められ、衝撃的で悲惨な末路を辿って行きました。
思わず目を覆いたくなる陰惨な展開の連続に、だんだん心に重しを載せられていくような錯覚を覚えました。ツラい。
苦痛に耐えながら鑑賞した末に、とてつもない解放感が得られると云うわけでもない。鬱屈した想いに苛まれました。
心が痛いほどに締めつけられ、そして掻き乱され、そのまま無情に突き放されると云う感覚にさせられた作品でした。
でも不思議と、ふとした瞬間にもう一度観返そうかな、なんて思ってしまう魅力にも溢れているように思えました。
なんとも不思議。
※修正(2023/12/03)
これは最後の歌ではない
この世に生を受けた以上、生きなければいけないとするならば、その意義とは何処に見出すべきであろうか。
本作はBjörkの名演と共にそこに強く訴えかける。
生を受けても、世界は不条理に溢れていることもある。セルマはそうだった。遺伝性の視覚障害に光を奪われ、生きがいであるミュージカルを諦め、仕事も諦め、友人にもことごとく裏切られた。
それでも彼女が闇の中でもがき続けるのは、彼女の一番の宝物の息子のためだ。全ては彼のために。その為に必要なものはもう全て見た。見たいものは、空想で。
彼女はジーンを産んだ理由を「抱きたかったから」と語る。彼女にとって、これ以上は贅沢なのだ。息子の手術の成功に、使命を全うしたと悟ることで、死への恐怖は超克した。
彼女の意志は、厳しく大切に育て、命を賭して守った息子「ノヴィ」に継がれた。その意志は、生きがいであったミュージカルという形で、そして「最後から二番目の歌」とする事で、永遠のものとなる。
「これは最後の歌ではないのよ。」
死する事でその意志が周りの人間の中で永遠のものとして生き続ける。
これはホドロフスキーが永遠のテーマとした自己超克に通ずるものだが、もしかすると人生の意義とはそこにあるのかも知れない。
3度目の鑑賞
試写会で何の予備知識も無いまま仕事帰りに観たのが最初。あれから17年が過ぎた。
揺れる映像に始めは酔い、工場作業中や線路を歩きながらのミュージカル、はたまた法廷や死刑執行に向かう107歩までがミュージカル…
シリアスなシーンはセルマの現実逃避のミュージカルシーン。
移民のセルマ親子は警官のビル夫妻の敷地内にあるトレーラーハウスに暮らしている。
遺伝性の目の病でセルマはやがて失明する。
セルマは息子ジーンの目の手術費を内職をしながらコツコツ貯めていた。
工場では友人キャシーに助けられ何とか働けていたがやがてクビを言い渡される。
ビルは遺産を相続し、裕福な暮らしをしていると思っていたが妻のリンダが浪費家で借金返済も儘なら無い状況だった。
セルマにその秘密を打ち明け金策を頼んでみたがセルマは息子の為のお金だと言い断った。
ビルはセルマが失明した事を知り、セルマのお金を盗んだ。セルマが取り返しに行くとリンダはセルマに夫をそそのかしトレーラーハウスに誘い込んだと怒鳴る。全ての罪をセルマに押し付けるビルの一人芝居に腹がたつ。
ビルはセルマにお金を取り返したければ殺してくれと言う。
目が見えないセルマは無我夢中でお金を取り返した。
そのお金でジーンの手術を頼みに病院へ行った。
セルマは殺人罪で死刑を宣告された。
友人キャシーは弁護士に刑減出来るよう弁護の再依頼をしたがその費用がジーンの手術費だと知りセルマは自らの死刑を選んだ。
ジーンには母親が必要だとキャシーは言うが、セルマは目が必要だと言い張る。
遺伝すると知りながら何故子供を産んだかと聞かれたセルマは、赤ちゃんを抱いてみたかった…この腕で…
だからこそジーンの目の手術にこだわるセルマ、自分の命に代えても我が子の未来をと願う親心。
刑執行の時が来た。
狼狽えるセルマ。
刑務官がセルマを支え励ます。
靴音を立てセルマに現実逃避させる。
絞首刑…
黒い袋…ベルトが付いた板…泣き叫ぶセルマ…
底板が歌の途中でいきなり外れた…
カーテンが閉められた。
衝撃のラスト!
何度見てもショッキング。
確か、あの日も椅子から立ち上がることがしばらく出来ずに呆然としていた。
全てはビルの心の弱さが招いた不幸だ。
誰も救われない最悪なストーリー。
素晴らしい映画。美しく芸術的な作品。
この映画を絶望的、救いがないと断じるのは浅はかだ。
主人公が死を目前にして歌ったのは「最後から2番目の歌」。劇中でも主人公が語ったように、ミュージカルは最後から2番目の歌で劇場を出てしまえば、終わることはない。彼女の人生は終わったのではない。愛する息子の未来に託されたのである。
主人公の弱々しさや自己中心さに共感できないとの感想もあるが、それも読み違いである。
主人公はひたすらに優しく純粋である。だからこそ、身を賭して彼女を守ろうとする友人が存在するのだ。彼女が法廷で大事なことに口を閉ざすのも、友人との約束を純粋なまでに守ろうとし、そして息子の未来を守り抜こうとするからである。主人公はむしろ強い女性である。
遺伝するのが分かっていながら子どもを産んだのは、ただ自分の子をこの腕に抱きたいという女性としての当たり前の願望からである。それを自己中心的だとする考えには、障害者は子どもを産んではならないという危険な発想が隠れている。主人公は自己中心的ではなく、人として当たり前とも言える感情に身を任せただけなのである。
ミュージカルシーンに違和感を覚える人もいるかも知れないが、このシーンの必要性についても劇中での主人公のセリフによって説明されている。
この明るく楽しいミュージカルシーンは、容赦なく主人公を襲う悲しい現実を、大好きなミュージカルを妄想することによって克服しようとする主人公の心情表現である。この悲しい現実と明るく楽しい妄想のコントラストに、この映画の芸術性が強く表れている。
そして、ホームビデオのような映像表現は、リアリティと緊張感を高め、観る者を物語の中に引き込んでいく。
主人公の美しく、純粋な強さと愛情。
類い稀な芸術的映像表現。
素晴らしい映画だ。
決して、後味の悪い作品ではない。
もう一度と言わず、何度観てもいいと思える作品。
鬱映画と言われているけどそうは思わない。観終わったあとすぐは衝撃で...
鬱映画と言われているけどそうは思わない。観終わったあとすぐは衝撃でぼーっとしてしまうが、その後は今まで感じたことのない気持ちになる。
この映画が何を伝えようとしたのか全くわからないが、それを考える価値がある作品だと思う。
ミュージカルシーンはまさにファンタジーでこれまた映画でしか作れない引力があると思う。観て後悔はしない映画。
悲しいだけではない。
幸福と、絶望と。予想外の展開。突然始まる歌も絶妙。ビョークの才能が光る。悲劇のストーリーの中に、彼女の喜びがある。彼女は命よりも、息子の視力をとった。周りからは理解されないかもしれない。見たいものは全て見た。というのは、本当なのか。違う。だから、子どもに視力を残したかった。
私にはもう見るものは何もない
セルマは正当防衛だと言うのは分かるが、もう少し要領よく出来なかったのだろうか?大事なことを言わなすぎて、結局最後はジーンが辛い思いをすることになる。ミュージカルなら少し救いも欲しかった。モヤモヤする映画だった。
俺にはまだ早すぎた
ミュージカル自体見慣れてないのに、不幸+ミュージカルのコンボはいささか早すぎたのかと。
主人公のヘボさにも呆れてしまい、観ていて苦しかったんですが、そういう感情にさせられる分、観る側に影響を与える映画なんだとは思います。
もう二度と観たくない
社会的弱者をこれほど痛めつける映画があるだろうか
社会の片隅で社会的弱者を食い物にする悪人のニュースが流れるが、、
普通の人がちょっとしたエゴの為に社会的弱者を痛めつける
なんてつらい映画だ
社会の暗部で痛めつけられる弱者が暗闇で遠くの方に小さく小さく光る希望の為に命をおとすなんてつらすぎる
名作だけどもう二度と観たくない
主人公にすごいイライラする。でも、歌がいい。時折入るミュージカルな...
主人公にすごいイライラする。でも、歌がいい。時折入るミュージカルなシーンも現実の鬱屈さとまったく違って、明るくて、いい。それがまた切ない。
とにかく主人公にイライラするんですよね。
悲惨すぎる…沈黙守るなよ!!
超有名作なのに、今まで見れていなかったダンサーインザダーク。京都シネマ名画リレーにて観てきました。会員500円。
観たいとは思いつつも、悲惨であるとの声にびびっていたわけですが、確かに悲惨で、この悲惨さをポジディブに(美しさとか感動として)捉えることができませんでした。
セルマは殆ど目が見えてなくて、最後は完全に失明しているっぽい。
遺伝性の目の病気だから、息子に手術を受けさせたくて必死で倹約・貯金。
だけど隣人で大家で警官のビルがそのお金を盗んだ。返してといったら、ひどいうそをつく。セルマに誘惑されて、さらにセルマがビルのお金を盗んだ事にされた。ビルが拳銃でセルマを脅しているのに、セルマが拳銃で脅した事になった。
それでもお金を返してくれというと、自分を撃て、殺せとビルは言う。
セルマはお金を返してもらわなくてはいけなくて、わけもわからなくなって、ビルの言葉通りに殺してしまう。
そして、セルマはビルのやった事は沈黙する約束だからといわずに、自分の言える事だけをいって(息子に目のことを知られたくなくて必死というのもある)絞首刑にされる。
セルマはミュージカルが生きがいで、市民ミュージカルみたいなのに参加していて、サウンドオブミュージックのマリア役を得ている。
セルマは、考えが浅く正直者がバカを見る系で私は苦手な人だ。
秘密には秘密を、とか、約束したから沈黙を、とか。牧歌的すぎる。世界はもっと激烈で入り組んでいて、きれいごとは通用しない。でもそんな世界は見ていない。そこが苦々しい。自分も一歩違えばセルマになりそうな共通点を感じるからか、とても苦々しい。
ミュージカルは、つらい現実を一時離れるための装置。だからつらければつらいほど、ミュージカルに没頭するような感じがして、哀れだった。
私もミュージカルは好きだし、つらい現実を忘れるための空想とか、現実をやり過ごす糧としての物語を欲している。だけど。
一方で、世渡りも如才なさも必要だと知っている。自分を守るために人を欺く事を覚えたりもしている。自己主張もするし、卑怯を糾弾もする。
セルマはそういうことをしない人で、他人の行いを責められない。それは優しさでもあるかもしれないけど、私には弱さとしか受け止められず、彼女を肯定できなかった。
遺伝すると知っていても、赤子が抱きたかったのは、わかる。とても自己中心的で大事な動機。それはいい。なんでその強さが他に広がらんかね。泣き叫ぶ以外にできることあったでしょうよって思っちゃう。
わたしが傲慢なのかな。
何よりいかんのはビルなんだけどね。ビルがさ、ほんっとに、ゲスでゲスで。眠れないとかゆってトレーラーにやってきた時からセルマから金を引き出そうとしてた訳でしょ。許せん許せん。自分が機嫌を損ねずに妻の浪費を止めるすべが無いからって、店子の母子家庭から金をせびるって発想がもうどうにもならへん。それを人に罪をなすりつけて自分は無実のふりして死んで逃げるなんて。
世界一嫌いな人かもしらん。
映像は結構ザラザラしていて、いいカメラじゃない感があります。8ミリ感というか。
類を見ないタイプのミュージカルではあるんよね。ビョークの妖精感とボサボサヘアーがかもす俗世感とのミックス具合とか、くすんだ色合いのミュージカルシーンとか他にない。でも感情が傑作という評を拒む感じがしちゃう。
そんなダンサーインザダークでした。
暗闇の中にいる踊り子。
セルマのことでしょう、多分。
おそらく物理的にみえないことと、世界を知らなすぎるという二重の意味で暗闇を生きた踊り子っていう意味があるんちゃうかな。
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