ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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"救い"という言葉を知らない鬱くしく残酷なリアル
噂には聞いていたどうりの鬱ぐあい。常に考えられる最悪な結末へ進んでいく。最初はドキュメンタリー風な映像や切れ味の鋭い編集などに違和感を覚えたが1つ目のミュージカルシーンがきてから納得。ちゃんと意味がある撮影方法と編集でした。
身近な音でリズムをとるというのは視力の悪い自分には痛いほど分かる。視力が悪いと遠い物などはぼやけて見えるだけであとは想像と直感だけがたより。しかしその想像と直感が案外当たる。もしこれが失明した人物だったら?おそらく勘は恐ろしいくらいに鋭いだろう。工場で「目をつぶってもできる」みたいなセリフはすごく響く。視力の悪い人は結構隠そうとしたり強がる傾向があるからだ。それを踏まえてのミュージカルシーン。本来ならハッピー!なシーンなのに何故か泣けてしまう。これは目の不自由な人をリアルに描いているのもあるし、なんと言ってもビョークの歌声に酔いしびれるからだと思う。
ラース・フォン・トリアーは「とにかく過激!」というイメージが強くて敬遠していたけど見直した。他の作品も観てみたい。
鬱で有名だけど是非観て欲しい作品。
ミュージカルが苦手な自分でも今作は心にグサリと刺さりました。
生涯トップ5には入る傑作です!
それにしてもミュージカルシーンの後に決まって鬱展開があるのには生気を吸い取られる…
理不尽だなぁと
友人にコロナの自粛期間中に絶対見ない方がいいと言われたのと、Netflixで5/5までだったため、急いで鑑賞
ミュージカルの良さは私には全くわかりません。
ですが、それを通して彼女の素敵な妄想が伝わってきます。
友人に鬱になると言われていたのですが、私の場合はむしろ、警官に理不尽なことで有罪判決を言い渡され、主人公がなすがままにされてたことに対して少し苛立ちを覚えました。
もちろん主人公は、自分の息子のことのみを想ってそういう行動をしているわけですが…
とにかく、私にとっては主人公が一生懸命に働いて得たお金を、自分の都合の良いようにして彼女の人生をどん底に突き落としたことに対して、非常に腹が立ちました。
こんな理不尽…あってたまるか……
My Favorte Movie
いやぁ、これはいい!最初はミュージカルなんかじゃなくて、ドキュメンタリー風ドラマかと思いました。最初の30分は「どうしようもなく暗い映画だな~」と、途中で見るのを止めようかとも感じたんですけど、夜勤の工場でいきなりミュージカルになったもんだから、胸が躍る想いで没頭してしまいました。
カメラワークにも注目してたのですが、ハンディーカメラと固定カメラを使い分けてますね。それが感情移入を誘うのだけれど、ミュージカルシーンは意外ときちんと撮ってあり、驚かされます。60年代の移民問題を若干の風刺として扱っていたり、障害者の問題提起としても取られがちですが、そんなことは些細なことのような気がする。純粋な心を持った女性とミュージカルへの夢想癖を持った女性を描いただけの映画だと思います。
子供のために「母」を取るか、「目」を取るかで議論しているレビューサイトもありましたが、そんな議論自体が不思議でしょうがない。「目」に決まってますよ(きっぱり)。それが信念であり、彼女の生きがいだったのですからね。犯した間違いは可哀想でしょうがなかったけど、工場をクビになった時点でそれは結果オーライになったと思います。この先、息子のために収入の無い生活を続けるなんて、考えただけでも恐ろしい。
ラスト近くでは、『サウンド・オブ・ミュージック』の「my favorite thing」が全てを象徴していました。また、最後から2番目の歌ってところにも・・・だから、最後のシーンは想像つきました(笑)
オールタイム・ベストの20位以内くらい。
光は生と罪、音楽は闇
個人評価:4.7
公開から20年たち、ようやくこの映画と向き合う事が出来た。セルマの内面を乱暴なまでに深く描き、見る側の心に浸食してくる。あの歌声、眼差しが胸に突き刺ささり、うまく呼吸をする事も出来ない。
この世に見るべきものがあるのかと言い放ち、光を失い、身体に響く音楽にのみに耳を澄ましたセルマが、命と引き換えに息子に光を与える。その皮肉さが心を苦しくさせる。
本作はミュージカル作品ではあるが、歌が始まるきっかけは、セルマの心が重く冷たくなった時にのみ、この辛い現実から抜け出す為の処世術として、歌が用いられているので、ミュージカルというよりは、セルマの心を表す為のツールとして用いられている。したがって明るい歌であればある程、そこには悲しみが満ち涙を誘う。
ミュージカルで最後の歌を聞かなければ、その舞台は永遠に続く。そんな人生観と死生観とをミュージカルになぞらえている。
光は生と罪、音楽は闇。それが本作のテーマの一つだと感じ、息子を光ある世界に生み出してしまったセルマの罪を歌っているようだ。
このラース・トリアーという監督は、物語を描くというより、人間の内面の、とても繊細で重要な部分を描くのがとても旨い。パルムドールも納得の深いテーマだと感じる。
ラース・フォン・トリアーの映画を好きな自分が嫌い!
ダンサー・イン・ザ・ダークは衝撃的なラストが印象に残りがちですが、リトマス試験紙のように(もしくはロールシャッハの様に)、どんな感想を持ったかでその人柄がわかる気がして好きです。
救いがないラストで鬱映画…とだけ思う人、セルマ(ビョーク)は無責任な母親と感じる人、セルマはただただ純粋な女性だと思う人などなど…。
私は、セルマを何とかできたのに!と自己嫌悪のような、罪悪感のような気持ちを持って具合が悪くなります。そして、同じ監督のドックヴィルとそのラストを観ると、自分って人間を観てしまった様で具合が悪くなるという…。本当、この監督の映画が好きな自分が嫌だと思う瞬間。
この映画の撮影中にビョークが起こした奇行(数日間行方不明になる、服を食べだすなど)が当時ネタにされてました。しかし、その数十年後♯METOO運動の最中の2017年、ビョークがブチ切れたかのようにフェイスブックでラース・フォン・トリアにこの映画の撮影中に性的嫌がらせをされたと告発(少し遠回し?)しました。当時、その誘いを断った仕返し(罰)として奇行という作り話を流されたと。
ラース・フォン・トリアーが描いているものは、この人の人間性あってのものだと確信した瞬間でした。興味のある方はぜひ調べてみてください。
無垢は罪なのか
まじめに働いてコツコツとお金を貯めるセルマは、遺伝による病気で近々失明する。
セルマの息子ジーンにも、失明の遺伝は残っている。
息子の失明を避ける手術のために内職をして夜勤をしてお金を貯める母。
目は急速に見えなくなって働けなくなっていく。
それでも友人の助けも借りながらどうにか働くけれど、目が見えないことでミスをしてクビになってしまう。
クビになってしまったけれど、手術をお願いするという希望を持った途端に、
良くしてくれていた隣人にお金を盗まれる。
最初から不遇の主人公と当て書きされているだけに、まだか、まだ不幸の足音が忍び寄ってきていないのかと思っていたので、きたか、という気持ちに。
お金を返して欲しいと頼みに行ったセルマに対し、銃を向け、このお金はうちからお前が盗んだもの、と主張される。
さらに銃が暴発し、秘密裏にはもう出来ない。
お金がないと息子に手術を受けさせられない、でもこのお金は渡さない殺していけという隣人に、泣きながら銃を向ける。
セルマは何も悪くないのに、お金を盗み、殺人を犯したとして逮捕され、裁判にかけられる。
ここでもセルマは隣人との約束を守り、自分が悪くないことを主張しきれない。
死刑を宣告され、独房で日を過ごすセルマに裁判のやり直しができる!となるも、そのお金は息子の手術費用。
結局は絞首台へ…セルマは死ぬ。
空想がちな主人公は、ミュージカルが好きで、事あるごとに夢見がちな舞台に変貌する。
ミュージカルは優しい世界で、ひどいことは起こらないけれど、現実との違和感があり過ぎて、主人公の不幸感がより強く押し出されていると思った。
まじめであるがゆえに、不幸になった母に、息子はどう思ったんだろう。
ラストのメガネのシーンで希望を持って死んでいったけれど、真相はどうだかわからない。
どうして遺伝するのがわかっていて産んだのか?という問いに対して、赤ちゃんを抱いてみたかった、という答えが、当たり前なのになぜこんなにエゴとして聞こえるのか。
素晴らしい映画だと思うけれど、見る側のエネルギーを奪い、気持ちを持っていかれる映画。
明るい気持ちにはなかなかなれない。
観なきゃよかったと思うのに、いつかまた観ると思う
明るく唄う、美しい曲で楽しいダンスシーン。
実際には真逆のストーリー。
観ていられなくて、何度も再生を止めようかと思いました。
最後は救いようが無さすぎて、大きなあの音で終わる衝撃。
これは大分ひきずった。ひきずりすぎて、周りにとにかく観て!とオススメしてしまったくらいのショック。
でも最初の工場の曲なども良かったので曲をダウンロードしたり。
絶対二度と観ない!!と思っていたのに、また怖いもの見たさが疼く自分がいる。
人間とは
そもそも、人間って苦しいとか辛いことがベースにある中でなんでほんの少しの楽しいことを必死に探して必死に掴み続けながらいきなきゃいけないんだろう
なんの為に命を与えられて生かされてるんだろう
しかもそんな中でも人間すべて平等なんてことは綺麗事にすぎなくて
生まれた場所とか家庭環境から不利有利って必ずあるし、
でも自分より幸せそうだなと思う人も必死にもがいて生きてるわけだし
まじでマルサ選択肢なさすぎ。全部仕方ないチョイスだと思った。
でも彼女が死ぬことで彼女なりの彼女の使命は果たせたわけだし、結果良かったんじゃないか。
世の中所詮こんなもんだなって感じでした。
ただの死刑反対映画
死刑反対映画ですね
主人公が嘘を言い続ける理由も動機が薄すぎる
主人公を死刑に追いやるために純粋な主人公を書いて同情を引いているのがみえみえで冷めました
これで号泣も感動もしないですよ
ただミュージカルシーンは良い
悲劇的救済をうまく使った映画
まず、悲劇ばかり続くと、みている側は悲劇に慣れてしまうため、その中にセルマの中のミュージカルの妄想を挟むという、シェイクスピアの四大悲劇のリア王と同じ、悲劇的救済によって、少しの幸福感からの大きな悲劇でより見る側を悲劇的な気持ちにしていて、うまいなあと思いました。
他のレビューでもそうですが、その最後の最後の、ラストのシーンはボッッロなきでした、止まりませんでした。
現実の悲劇では最後まで徹底して音がなかったところ、主人公の妄想の中では最後、外の音が完全になくなっても心の中にある、という、そして死刑執行されその心の音さえも無くなってしまった監獄では音が一切ないという、映画のテーマとも言えるこの演出に感動しました。
主人公が自ら悲劇の中に入ろうとしてるのかな、というほど正当防衛に対する弁明がなかったのは謎ですが、このような田舎でしかも被害者側があのヒステリックな女となると無理なのかな、と思ったり
子供の手術代のことを考えすぎて自らの幸せを二の次にしてしまい起こった最悪の悲劇だなと思いました。
胸を掻き乱す、言い知れぬ不安と悲惨
第53回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Blu-rayで鑑賞(字幕)。
「ニンフォマニアック」二部作が大変面白く、ラース・フォン・トリアー監督の他の作品を観てみたくなりました。
本作のあらすじを読んで、ストーリーに何か惹かれるものを感じ、ブルーレイを購入して鑑賞することにしました。
物語の持つ圧倒的なパワーに呆然とし、深く考えずに気安く手にするんじゃなかったと思いました。主人公に待ち受けているものが悲劇しか無いのが目に見えていたので、不安と悲しみに胸を掻き乱され、体が捩れそうになり、中盤で観るのを止めてしまいました。心の冷却期間が必要でした。続きを観る気になるまで1ヶ月掛かりました(笑)。
ドキュメンタリー・タッチで、主人公とその周囲の人々が織り成す出来事を淡々と映し出していました。ところが、突然現実世界を離れて主人公の心象風景、もしくは妄想と言えそうなミュージカル・シーンが始まり、カオスに脳が揺さぶられる。現実と心象の要素のどことなくアンバランスでちぐはぐな感じが、そう云った印象を抱かせている気がしました。
純粋な心を持ち、息子を心から愛するセルマを見事体現していたビョークの、凄まじい歌声と演技に魅了されました。
往年の名女優、カトリーヌ・ドヌーヴの安定感抜群な存在感も、物語にメリハリをもたらしているように感じました。
演技はバランスが取れているのに、時折挟まれるアンバランスとのギャップが激しくて、本当に頭が痛かったです(笑)。
運命とはつくづく残酷だと思いました。一生懸命働いてコツコツ貯めた息子の手術費用を、視力が弱いことを利用され、信頼を寄せていた人物に盗まれてしまう。鬼畜の所業に「なんでそこまで出来るんだてめぇ!」と声を荒げたくなりました。
まるで純粋なことが悪であるかのように主人公は徹底的に追い詰められ、衝撃的で悲惨な末路を辿って行きました。
思わず目を覆いたくなる陰惨な展開の連続に、だんだん心に重しを載せられていくような錯覚を覚えました。ツラい。
苦痛に耐えながら鑑賞した末に、とてつもない解放感が得られると云うわけでもない。鬱屈した想いに苛まれました。
心が痛いほどに締めつけられ、そして掻き乱され、そのまま無情に突き放されると云う感覚にさせられた作品でした。
でも不思議と、ふとした瞬間にもう一度観返そうかな、なんて思ってしまう魅力にも溢れているように思えました。
なんとも不思議。
※修正(2023/12/03)
これは最後の歌ではない
この世に生を受けた以上、生きなければいけないとするならば、その意義とは何処に見出すべきであろうか。
本作はBjörkの名演と共にそこに強く訴えかける。
生を受けても、世界は不条理に溢れていることもある。セルマはそうだった。遺伝性の視覚障害に光を奪われ、生きがいであるミュージカルを諦め、仕事も諦め、友人にもことごとく裏切られた。
それでも彼女が闇の中でもがき続けるのは、彼女の一番の宝物の息子のためだ。全ては彼のために。その為に必要なものはもう全て見た。見たいものは、空想で。
彼女はジーンを産んだ理由を「抱きたかったから」と語る。彼女にとって、これ以上は贅沢なのだ。息子の手術の成功に、使命を全うしたと悟ることで、死への恐怖は超克した。
彼女の意志は、厳しく大切に育て、命を賭して守った息子「ノヴィ」に継がれた。その意志は、生きがいであったミュージカルという形で、そして「最後から二番目の歌」とする事で、永遠のものとなる。
「これは最後の歌ではないのよ。」
死する事でその意志が周りの人間の中で永遠のものとして生き続ける。
これはホドロフスキーが永遠のテーマとした自己超克に通ずるものだが、もしかすると人生の意義とはそこにあるのかも知れない。
3度目の鑑賞
試写会で何の予備知識も無いまま仕事帰りに観たのが最初。あれから17年が過ぎた。
揺れる映像に始めは酔い、工場作業中や線路を歩きながらのミュージカル、はたまた法廷や死刑執行に向かう107歩までがミュージカル…
シリアスなシーンはセルマの現実逃避のミュージカルシーン。
移民のセルマ親子は警官のビル夫妻の敷地内にあるトレーラーハウスに暮らしている。
遺伝性の目の病でセルマはやがて失明する。
セルマは息子ジーンの目の手術費を内職をしながらコツコツ貯めていた。
工場では友人キャシーに助けられ何とか働けていたがやがてクビを言い渡される。
ビルは遺産を相続し、裕福な暮らしをしていると思っていたが妻のリンダが浪費家で借金返済も儘なら無い状況だった。
セルマにその秘密を打ち明け金策を頼んでみたがセルマは息子の為のお金だと言い断った。
ビルはセルマが失明した事を知り、セルマのお金を盗んだ。セルマが取り返しに行くとリンダはセルマに夫をそそのかしトレーラーハウスに誘い込んだと怒鳴る。全ての罪をセルマに押し付けるビルの一人芝居に腹がたつ。
ビルはセルマにお金を取り返したければ殺してくれと言う。
目が見えないセルマは無我夢中でお金を取り返した。
そのお金でジーンの手術を頼みに病院へ行った。
セルマは殺人罪で死刑を宣告された。
友人キャシーは弁護士に刑減出来るよう弁護の再依頼をしたがその費用がジーンの手術費だと知りセルマは自らの死刑を選んだ。
ジーンには母親が必要だとキャシーは言うが、セルマは目が必要だと言い張る。
遺伝すると知りながら何故子供を産んだかと聞かれたセルマは、赤ちゃんを抱いてみたかった…この腕で…
だからこそジーンの目の手術にこだわるセルマ、自分の命に代えても我が子の未来をと願う親心。
刑執行の時が来た。
狼狽えるセルマ。
刑務官がセルマを支え励ます。
靴音を立てセルマに現実逃避させる。
絞首刑…
黒い袋…ベルトが付いた板…泣き叫ぶセルマ…
底板が歌の途中でいきなり外れた…
カーテンが閉められた。
衝撃のラスト!
何度見てもショッキング。
確か、あの日も椅子から立ち上がることがしばらく出来ずに呆然としていた。
全てはビルの心の弱さが招いた不幸だ。
誰も救われない最悪なストーリー。
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