ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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胸糞というかイライラ映画
別に胸糞映画ではないと思う。
主人公の思いもわかるし、意志の強さとか決意の強さとかも分かる。
しかし、やっぱり違う方法があるというか、もう少し違う考え方もあると思ってしまう。
1番イライラしたのはミュージカルで現実逃避するところ。
「いやいや、現実見ろよ、そんなことしてても現実は変わらねーよ」って思う。
ビョーク恐ろしや
絶望のミュージカル。ビョーク恐ろしすぎ。あのカウントダウンは忘れない。ラストシーンの音、カメラワーク、心臓にギリリと爪痕を残す。最高か最悪か、賛否は分かれるだろう、しかしこの作品を観て何も感じない人とは私は友達になれない。ちょっと長いけどね。
不安な瞳をみることに興味があるのか。
救いのない映画と聞いていたので、覚悟を決めて観た。ところどころにミュージカルが入ってるのが意外だった。主演のビョークは西洋人には珍しく黒髪、茶色い目、小柄で東洋人のような風貌。
一人息子をもつシングルマザーで、盲目になっていく障碍をもちながらも必死で働いているが。。保安官になけなしの貯金を盗まれ、抵抗した挙句の事件から罪に問われて、最後は処刑されてしまうという。。
このストーリー展開が救われない。監督は何を描きたかったのか、とことん、必死でもがきながらも生きている人間そのものを描きたかったのだろうか。この監督は、不安な瞳をみることに興味があるのだろうか。
切なくて、心に刺してくる映画
ビョークの表情と母の子に対する強い表情。そしてミュージカルパートでの表情、それが代わる代わる変わるシーンが、どうしようもなく切なく、また心を締め付ける。やるせない映画だったが、だからこその映画でもある。
そりゃ凄いですよ!
なんというべきか…凄まじい映画ですね、この映画を観た方はその点では全員一致すると思います。
こんなに独特な映像なのにとても自然に鑑賞できるというのは、もはやどういうことなんでしょう?カメラワークはドキュメント風とでも言いましょうか、監視カメラの映像もリズムを持っていかれるアクセントになっていました。何というか、我々鑑賞者の意識と、カメラの向こう側の演技の意識と、あとそのカメラを構えている撮影側の意識が存在する様に感じます。普通なら撮影側の意識は感じない、感じさせない様にする物だと思いますが、最初からまさにドキュメンタリーの様にハッキリとそれを感じました。もちろんすぐ慣れていきますが、その意識がある事によって本当に起きた事実の様に感じてくる様な物凄くリアリティのある映画でした。
そう、普通に考えれば全然リアルな設定ではないし、全然リアルな展開でもありませんね。アメリカの司法に詳しい訳ではありませんが、いくら警官殺しの強盗殺人だって、一発死刑は考えにくいものです。その説得力がウルトラC級の飛び道具的な撮影手法で、空前絶後の大仕事をしています。
そしてビョークの演技が凄すぎて震えました。観賞後にこの女優さんが噂に聞くビョークなのかと調べて初めて知ったのですが、とにかく半端じゃなかったです。他の出演者の方たちも凄かったです。特に看守役の方とビル役の方は胸が熱くなる演技でした。
音楽も良かったです!世界観そのまま、この鬼鬱ミュージカルを引き立てています。トムヨークとビョーク?そりゃあ 凄いに決まってるでしょうが!
工場のミュージカルシーンはいやいや頼むから集中してくれと、めちゃくちゃドキドキしながら祈る様な気持ちで観てしまいました。
セルマは愚かです。それは否定できないでしょう。しかしその愚かさには些かの悪意もありません。心から他者を思い、ただ誠実にあろうとするなかで、災を招いてしまったのです。おそらく意図的でしょうが、彼女の宗教的な描写はほとんどありませんでした。まあおそらくはキリスト教系であろうかと思われます。描写しない事によって際立って彼女の聖性が強調されている様に感じました。おそらくこの映画の鑑賞者は、彼女の周りにいる人たちに感情移入する様に作られているのではないのでしょうか。だってセルマに感情移入出来ないでしょう。余りに尊いし、余りに愚かです。彼女を取り巻く我々と同じ価値観を持つ人たちの感情と葛藤がこの映画の小さくない鑑賞点だと思います。
こうならないでくれ…!と願う鑑賞者をバカにするかの様にどんどん最悪に向かってストーリーは進みます。セルマが最後に最低限生きた意味を感じ、救われたとあのラストで解釈しました。そういう点では彼女にとってはギリギリハッピーエンド?と言っても過言ではないでしょうか(過言か?)。少なくとも私はあのラストに救われました。納得できました。寝付きもそんなに悪くなかったです。
映画館以外での鑑賞を一切考慮せずに作られた作品のように感じました。願わくばいつか劇場でこの作品をまた観れたらと、心から思います。
"救い"という言葉を知らない鬱くしく残酷なリアル
噂には聞いていたどうりの鬱ぐあい。常に考えられる最悪な結末へ進んでいく。最初はドキュメンタリー風な映像や切れ味の鋭い編集などに違和感を覚えたが1つ目のミュージカルシーンがきてから納得。ちゃんと意味がある撮影方法と編集でした。
身近な音でリズムをとるというのは視力の悪い自分には痛いほど分かる。視力が悪いと遠い物などはぼやけて見えるだけであとは想像と直感だけがたより。しかしその想像と直感が案外当たる。もしこれが失明した人物だったら?おそらく勘は恐ろしいくらいに鋭いだろう。工場で「目をつぶってもできる」みたいなセリフはすごく響く。視力の悪い人は結構隠そうとしたり強がる傾向があるからだ。それを踏まえてのミュージカルシーン。本来ならハッピー!なシーンなのに何故か泣けてしまう。これは目の不自由な人をリアルに描いているのもあるし、なんと言ってもビョークの歌声に酔いしびれるからだと思う。
ラース・フォン・トリアーは「とにかく過激!」というイメージが強くて敬遠していたけど見直した。他の作品も観てみたい。
鬱で有名だけど是非観て欲しい作品。
ミュージカルが苦手な自分でも今作は心にグサリと刺さりました。
生涯トップ5には入る傑作です!
それにしてもミュージカルシーンの後に決まって鬱展開があるのには生気を吸い取られる…
理不尽だなぁと
友人にコロナの自粛期間中に絶対見ない方がいいと言われたのと、Netflixで5/5までだったため、急いで鑑賞
ミュージカルの良さは私には全くわかりません。
ですが、それを通して彼女の素敵な妄想が伝わってきます。
友人に鬱になると言われていたのですが、私の場合はむしろ、警官に理不尽なことで有罪判決を言い渡され、主人公がなすがままにされてたことに対して少し苛立ちを覚えました。
もちろん主人公は、自分の息子のことのみを想ってそういう行動をしているわけですが…
とにかく、私にとっては主人公が一生懸命に働いて得たお金を、自分の都合の良いようにして彼女の人生をどん底に突き落としたことに対して、非常に腹が立ちました。
こんな理不尽…あってたまるか……
My Favorte Movie
いやぁ、これはいい!最初はミュージカルなんかじゃなくて、ドキュメンタリー風ドラマかと思いました。最初の30分は「どうしようもなく暗い映画だな~」と、途中で見るのを止めようかとも感じたんですけど、夜勤の工場でいきなりミュージカルになったもんだから、胸が躍る想いで没頭してしまいました。
カメラワークにも注目してたのですが、ハンディーカメラと固定カメラを使い分けてますね。それが感情移入を誘うのだけれど、ミュージカルシーンは意外ときちんと撮ってあり、驚かされます。60年代の移民問題を若干の風刺として扱っていたり、障害者の問題提起としても取られがちですが、そんなことは些細なことのような気がする。純粋な心を持った女性とミュージカルへの夢想癖を持った女性を描いただけの映画だと思います。
子供のために「母」を取るか、「目」を取るかで議論しているレビューサイトもありましたが、そんな議論自体が不思議でしょうがない。「目」に決まってますよ(きっぱり)。それが信念であり、彼女の生きがいだったのですからね。犯した間違いは可哀想でしょうがなかったけど、工場をクビになった時点でそれは結果オーライになったと思います。この先、息子のために収入の無い生活を続けるなんて、考えただけでも恐ろしい。
ラスト近くでは、『サウンド・オブ・ミュージック』の「my favorite thing」が全てを象徴していました。また、最後から2番目の歌ってところにも・・・だから、最後のシーンは想像つきました(笑)
オールタイム・ベストの20位以内くらい。
光は生と罪、音楽は闇
個人評価:4.7
公開から20年たち、ようやくこの映画と向き合う事が出来た。セルマの内面を乱暴なまでに深く描き、見る側の心に浸食してくる。あの歌声、眼差しが胸に突き刺ささり、うまく呼吸をする事も出来ない。
この世に見るべきものがあるのかと言い放ち、光を失い、身体に響く音楽にのみに耳を澄ましたセルマが、命と引き換えに息子に光を与える。その皮肉さが心を苦しくさせる。
本作はミュージカル作品ではあるが、歌が始まるきっかけは、セルマの心が重く冷たくなった時にのみ、この辛い現実から抜け出す為の処世術として、歌が用いられているので、ミュージカルというよりは、セルマの心を表す為のツールとして用いられている。したがって明るい歌であればある程、そこには悲しみが満ち涙を誘う。
ミュージカルで最後の歌を聞かなければ、その舞台は永遠に続く。そんな人生観と死生観とをミュージカルになぞらえている。
光は生と罪、音楽は闇。それが本作のテーマの一つだと感じ、息子を光ある世界に生み出してしまったセルマの罪を歌っているようだ。
このラース・トリアーという監督は、物語を描くというより、人間の内面の、とても繊細で重要な部分を描くのがとても旨い。パルムドールも納得の深いテーマだと感じる。
ラース・フォン・トリアーの映画を好きな自分が嫌い!
ダンサー・イン・ザ・ダークは衝撃的なラストが印象に残りがちですが、リトマス試験紙のように(もしくはロールシャッハの様に)、どんな感想を持ったかでその人柄がわかる気がして好きです。
救いがないラストで鬱映画…とだけ思う人、セルマ(ビョーク)は無責任な母親と感じる人、セルマはただただ純粋な女性だと思う人などなど…。
私は、セルマを何とかできたのに!と自己嫌悪のような、罪悪感のような気持ちを持って具合が悪くなります。そして、同じ監督のドックヴィルとそのラストを観ると、自分って人間を観てしまった様で具合が悪くなるという…。本当、この監督の映画が好きな自分が嫌だと思う瞬間。
この映画の撮影中にビョークが起こした奇行(数日間行方不明になる、服を食べだすなど)が当時ネタにされてました。しかし、その数十年後♯METOO運動の最中の2017年、ビョークがブチ切れたかのようにフェイスブックでラース・フォン・トリアにこの映画の撮影中に性的嫌がらせをされたと告発(少し遠回し?)しました。当時、その誘いを断った仕返し(罰)として奇行という作り話を流されたと。
ラース・フォン・トリアーが描いているものは、この人の人間性あってのものだと確信した瞬間でした。興味のある方はぜひ調べてみてください。
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