ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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真っ黒で真っ白な、美しすぎる名作
ストーリー、台詞、演技(特に主人公の)、映像、音楽、そしてミュージカルの立ち位置、どれをとっても、この映画の美しさを校正するために全て必要であったと思えるほど、非の打ち所がない完璧な作品だった。
セルマのあらゆる感情が顔の筋肉、指の動き、背筋や足並みに一つ一つ呈されていて、素晴らしかった。
「息子には母が必要」という意見を押し切って、母親としての人生で醸成されたであろう「息子には目が必要」という確信を貫いたセルマの強さ、そして、ジムとの面会での台詞「赤ちゃんを抱きたかったの、この腕で」という、この映画でこの1度だけ呈されたセルマ自身1人だけの欲望、人間らしい弱さ、私たちがそうさせない限り、終わりではない」という物語の芯、全てが美しすぎて、涙が止まらなかった。
99の悲しさ・虚しさの中でも絶対に揺らめくことのないセルマの美しさ、真っ黒で真っ白な映画だった。
主人公に感情移入ができなかった。
セルマは仕事中に空想にふけりミスをするも飄々としているし、差し伸べられた手も取ることはなく何でも一人でやろうとする。終いには長年貯めてきたお金を盗んだ相手を最後まで庇う。
これらの行動はもしかしたら息子に病気のことを悟らせないため明るく振る舞っていたのかもしれないが、不器用すぎて見ていられなかった。
映画を見る前は目が見えないことを良いことに周囲の人達に利用されたり虐げられるような映画だと思っていました。
しかし、この結末は病気だけでなくセルマ自身の行動にも原因はあるなと感じられる内容でした。
彼女がもう少し賢く立ち回れていたら、こういう終わり方にはなっていなかったのではないかと思わずにいられませんでした。
最後にセルマがジーンのために死刑を選択する光景は一見して子供思いの良い母親とも取れるが、ジーン自身の意思は全く考慮されていないため押し付けがましい自分勝手な判断にも見えました。
もしかしたらジーンは自分の目が治ることよりも母親と一緒に過ごすことを望んだかもしれませんからね。
様々な見解がある映画だと思いますが自分はこのように見えてしまいました。
色々と書きましたが、ジーンの手術が成功したことだけはセルマにとって最後の救いとなったのでしょう。
見るべきものがある? もう見るべきものは何もない。
20年前、知り合いの女子たちの間で話題だったこの映画。当時はまったく興味がなかった。ミュージカルということも抵抗があった。それが、いい歳を重ねてこの映画の宣伝をみかけるとどうだ、見たい欲求が強すぎて足を運んだ。
なるほど、当時"衝撃"というワードを使う理由がこの映画のラストにはある(この頃のアメリカは、あれを目の前で見せていたのか?!という驚きも含めて)。でも、もっと理不尽かと思ってた分、物足りない気分ではあった。世の中の理不尽さ(司法の杜撰さとか)よりも感じるのは、セルマの無垢さだった。それは純真なものではあったけれど、半面、意固地であり偏狭さでもあった。だから人によっては"可哀そう"とも思うのだろうし、"イライラする"と思うのだろう。僕には、母親の愛の盲目さが痛すぎて、どう手を差し伸べたらいいか迷っているうちに、するりとその手から零れ落ちてしまった感覚で終演を迎えた気分だった。だから、あとから感想が押し寄せてくる。
当時、ミュージカルに抵抗があったが、このくらいなら今は大丈夫。むしろ、素晴らしかった。なんで、突然踊り出すかって、それはセルマの空想なんだものしょうがない。この空想の時間だけがセルマにとって幸せの時間なのだもの。むしろ、このくらいしか彼女にとって幸せはなかったのかと思うとつらい。まるで、マッチ売りの少女が、なけなしのマッチを擦って灯した僅かな時間と同じで、つらすぎた。
突然始まる
ミュージカル
セルマの葛藤など心模様がよくわかります
なんとも言えない気持ちです。
救われない。
目の病気がどうしても気になりました
色素変性、緑内障、剥離、強度近視…なんでしょう
遺伝性で手術で治り
看守が近視と言っていたが…
フィクションの病気なんですかね?
ご存知の方いらっしゃいましたらご教授ください。
非常に報われない作品
観ていてもどかしさを感じる作品
主人公が、自力で生きていこうとしている姿は
ある意味では力強い姿のような気もするが
本当の意味での自立というものは
こういうものではないのではないかな
と感じてしまった。
本末転倒感がすごい作品
その雰囲気を作り出している演出と演技はとても良かった
共感はできないが
人生の無常さと、ひとりの人間の非力さと、孤独の怖さを感じる
人間は、本質的にひとりでは生きていけないのだなと感じた。
人に恵まれるということは
金銭的に恵まれることよりもよほど豊かな人生を作り出すと思う。
常に最悪の想定をして衝撃に備えよ。
自分と同じようにいずれ視力を失ってしまう息子のために手術費用をコツコツ溜めるシングルマザーで移民のセルマが、そのお金を盗まれたことから悲劇に見舞われる話。
この映画に必ずついてまわる「鬱映画」「二度と見たくない映画」というフレーズに最初から身構えていたので、常に次の展開の1番最悪なパターンを考えながら見るとかなり防御になる。
ちなみにどんなことを予想してたかと言うと、セルマは機械に手を挟んで腕無くなってるし、セルマに思いを寄せるおじさんにレイプされてるし、病院に渡したお金も警察に見つかって息子も失明する、という感じ。書き起こしてみると自分の予想が残酷すぎて引いた(笑)
確かに残酷なラストではあるけど比較的皆良い人。周囲の人は精一杯セルマのことを助けようとしていたけど、セルマ自身の決意が揺らがない限り絶対助けられない。そこが1番救いがないのかなと。私もどうすればセルマを助けられるか考えてたけど全部詰んだから無理。
そしてセルマ自身も純粋に息子のために精一杯生きている人なのだが、自分の内面に閉じこもって自分の考えに固執しすぎているのがかなり問題。事態が酷くなるほどミュージカルシーンが増えたり、秘密を多く抱えているのもそのせい。
息子のことだって、手術だけが解決策じゃなくて目が見えなくなることが必ずしも不幸ではないことを教えることもできたはず。だってセルマ自身がそうだったじゃん。遺伝があるのを知ってて息子を産んだのが問題なのじゃなく、お金を稼ぐ覚悟はできてたけど、息子と向き合う覚悟が出来てなかったのが問題だと思うな。
純粋な人が必ずしも正しい訳では無い、正しい人が良い人な訳では無い。これって私たちが普段生きてる現実をそのまま描いただけじゃん?って思った。
観た後どっと疲れる
ミュージカル映画は大好きだが”鬱映画”といわれる本作はなんとなく観るのを避けていたのですが4K版が上映されると知り鑑賞。
途中からほとんど泣きっぱなしでラストの衝撃は異常。鑑賞者の感情を上げては下げるラース・フォン・トリアーの監督性が見える。観た後どっと疲れた。
母と息子の極限の不器用な愛と主人公セルマのピュアさや約束を守る信念の強さに、心揺さぶられながらも生死が左右されるだけにとてももどかしさを感じたが、世の中のどうしようもない、抜けられない負のスパイラルの最悪なパターンをまざまざと観ている感覚になりとても怖くなった。
人生のどん底を味わった日に信じていた人に盗みに入られ、濡れ衣を着せられ、救いようがない。。
警察が盗むわけない。家主が盗むわけないという潜入感から世の中の不条理さもみえる。貧乏人な正直者は救われないこの構図にただただやるせない気持ちになった。
作中優しい人が出てこないいないわけではないし、特にカトリーヌ・ドヌーヴ演じるキャシーとの友情やジェフ、看守の優しさには救われる。ただその優しさにも、セルマを救うか息子を救うかで限界が生まれてしまう流れが非常に悲しすぎる。
セルマの死刑執行までのシーンは観るのが本当につらかった。
「最後までミュージカルは観ない。最後から二番目の曲で観るのをやめる」と言っていたセルマが死刑台に立ってから歌う、最後から二番目のミュージカルをテーマにした歌。
大きな悲しさがありながらも、最後の最後にキャシーにメガネを渡され、息子の手術が成功したことを知れたのは最大の喜びを感じながら最期をむかえたと信じたい。
不幸過ぎて最高と言われる映画
いや〜〜〜評判通りの不幸の最高値を記録する映画。
こう言う映画は映画館で観ないと家で配信なんかで観てたら
嫌になってチャンネル変えちゃうタイプの映画ですね。
で、驚くべきことにこの映画ミュージカルなんですよね!!
知らんかった!!
映画の中で主人公のセルマは言います。
「ミュージカルの中では不幸なことは起こらない」
そう言うあんたが一番不幸なんですけど!
周辺ではボロ泣きしてる人も結構いました。
賛否両論あって、観た人同士で話が盛り上がるタイプの映画です。
ぜひ、映画館で!!
ああ、できれば「サウンド・オブ・ミュージック」の
ダイジェストくらいを観ておくともっと理解がしやすいと思います。
で、月に8本ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
この映画の中には結構な悪人が出てきます。
いろんな映画のいろんな悪人を観てきたけど
ある意味、一番の極悪人だと私は思います。
自分の罪を他人に、それも社会の一番弱い立場の他人に擦り付け
自分は善人として死ぬなんて、サイコパスの殺人鬼より
何百倍も悪人だと思います。
だけど、
あらすじのところにも書かれているように
遺伝性の病気でやがて目が見えなくなることを
知っていながら産んだ子供のために必死で生きているセルマ。
でも主人公のセルマの頑なさが私的にはどうしても許せなくて
そこまで子供を愛しているのなら、
もっと用心深くしていれば人の悪意を呼び起こさなかったのに〜
周囲の人の親切をもっと素直に受け取ればミスも無かったかも?
素直じゃないからかえって周囲に迷惑をかけてる。
この映画の主題はそこでは無いと思うけど
どうしても主人公が好きになれないと
私は主人公から心が離れてしまう。
だから衝撃的な結末にもどうしても泣けなかった。
だってそこまでして守ったとしても
その子供は○○○の子になってしまうのですよ!
あなたはどう感じるでしょうね?
映画に何を求めるか
最後まで現実と向き合わなかった主人公、生まれから不幸な弱者を庇えば考えが深いと勘違いしている視聴者、どちらも自分に酔っているようにしか見えなくてイライラ
私自身、身体に障がいのある人たちと交流することがあるのですが、
「自分の障がいを認め、他人に助けを求める事」ができる人が謙虚で優しい人だと思うんですよね
セルマはまるで手助けの手を払いのける老人の様です。
彼女は気が弱いと思われているが、寧ろ凄く傲慢なのだと思う
ニヤついた顔でこの映画をおススメしてくるような人とは仲良くなれないですね
悲劇のヒロインをみて手軽に感傷に浸りたい人におススメです。
鬱映画ですが、
鬱映画の最高峰と誉高い作品ですが、初めて鑑賞しました。
確かに途中からラストシーンまで気が滅入る展開ですが、最後にキャシーから告げられた言葉で少し救いが感じられました。この言葉が真実かどうかは分かりませんが。。
カトリーヌ・ドヌーブは流石の存在感ですし、看守の女性も救いです。
個人的に過去一番気が滅入った映画はミリオンダラーベイビーです。
【”人生は不条理に満ちている。それでも、彼女は想像の中で踊る。息子の眼が治る事を信じつつ・・。そして、魂魄とともに、息子と過ごす事を信じつつ・・。ビョークの表現者としての凄さを再認識した作品である。】
ー ビョークは、シュガー・キューブス時代から聴いているが、今作は敢えての未鑑賞だった。
(彼女独自の音楽で、十二分に満足していた・・。)
だが、今回4Kレストアリマスター版で劇場上映すると知り、急遽、鑑賞。
そして、ビョークの表現者としての凄さを再認識した作品である。>
◆感想<Caution ! 内容にやや触れています。>
・ビョーク演じるセルマと共に、プレス工場で働くキャシー(カトリーヌ・ドヌーブ)、セルマに恋心を持つジェフを始めとする仲間達は、皆、遺伝で目の悪い彼女に優しい。
それは、きっと、彼女が女手一つで、同じく目が悪い息子ジーンのために、頑張って働く姿と、彼女の人柄に惹かれていたからであろうと推察。
・そんな彼女に、思いがけない偶発的な事件が降りかかるが、彼女は運命を受け入れる事で、息子の手術が上手く行くかのように、不条理な運命を受け入れる・・。
失明した彼女の言葉
”もう、見るモノは何もない・・。”
・絞首台への107歩を、2ステップで女性看守と歩くシーンは、観ていてキツイ。
が、彼女はそんな中でも、想像の中で、あの独特の美声で歌を歌う。
”愛するジーン。私は独りぼっちじゃない・・。”
<不条理極まりない物語であるが、セルマの息子ジーンを想う気持ちと、セルマの友人達の姿
ー 特に、ラスト、セルマの元に駆け寄り、ジーンの手術が成功したとキャシーが伝えるシーン ー には、グッと来てしまった作品。
そして、随所で流れるビョークの歌声に合わせたミュージカルシーンと、彼女のダンスする姿、歌声に痺れた作品でもある。>
音楽やミュージカルが現実逃避になって生き続けられている人間はこの世に自分を含めてたくさんいる。それをわかっていながら、こんな残酷な映画を作る監督が私は大キライだ
1960年代のアメリカの田舎町が舞台のデンマーク映画。
2056ドルは1960年代だと、まだ1ドル360円として、72万円ぐらい。当時の消費者物価指数を勘案すると、4倍として、現在の価値は300万円近く。医療費は全額自己負担のアメリカ。日本みたいに特定難病指定疾患で行政が全額負担してくれるわけでもない。難しい眼の手術費としてはまずまず妥当な額なのかなと。弁護士費用はよくわからないけどやはり妥当な気がする。
大家で警察官のビルは嫁さんの浪費癖が原因で家を担保に銀行から借金している設定。セルマにそれをこぼすシーンがあったけど、ジーンの眼の手術費用のために節約して、低下した視力で危険な工場で働いていることに比べると【秘密の重さ】が全然釣り合わない。そんな約束をしてしまい、裏切られても、頑なに秘密にする約束を守ろうとするセルマの人に言われたことをそのまま受け取ってしまう馬鹿正直さはある種の発達障害があるように思える。それにつけこむ輩も彼女の半生のなかでたくさんいたに違いない。セルマの人生は苦行の連続。だから、セルマは妄想の世界で明るい夢を見る。音楽とタップダンスが唯一の拠り所。
警官のくせにセルマの大事なお金を奪っておいて、セルマから関係を迫られたとか、セルマがお金を盗ったとか、行き当たりばったりに嘘をつき、セルマをおとしいれ、挙げ句の果ては死にたいから拳銃でオレを撃ってくれといいながらも、お金はしっかり抱いて離さない。目が見えないセルマが発砲しても当たらないと思って、甘くみたんだろう。猿芝居。あまりにもメンへラ。
幼稚園かお前は❗
だから、必死なセルマに貸金庫の重たい鉄製のケースで顔をぐしゃぐしゃにされるんだよ。
貸金庫のケースは普通は家に持って帰らないものだけど。
ビルは警官でパトカーを公私混同して使う奴で、いけすかなかった。嫌な予感がもろに的中。
しかし一番腹が立つのは、こんなアラの目立つシーンを作る一方で、絞首刑の場面は実に細かい、いい仕事をしてくる監督。
怖ぇーよ。お前が一番ダークなんたよ。ふざけんな❗と腹が立つのだ。
牛乳瓶の底のようなメガネをかけたセルマはイノセントそのもの。
ほかの共演者(子供を除く)と比べて、ビヨークは東洋人のようで、低身長で、幼児体型で、童顔。小学生の息子の母親役だが、周りの大人からは子供扱いされているような感じをどうしても受けてしまう。セルマは当て書か。ずるいよなぁ。チェコからの移民の設定。チェコでは息子の眼の手術ができないという理由で、アメリカにきた。彼女のチェコでの過去は推察するしかない。
なぜ、尊敬するチェコのタップダンサーのオールドリッチノヴィの名前でジーンの手術代金を病院にお金を預けたのか?実の父親の名前は完全に抹消したいような辛い過去があったのか?
ジーンが失明しない明るい未来にとってセルマが選んだ名前がノヴィならば、ジーンが手術によって生まれ変わることを何よりも望んでいたことを彼女が希求していたのだろう。彼女の妄想と簡単に片付けてしまいたくはない。
節約してお金を貯めている理由はチェコにいる父親に仕送りをしているからだと周りには説明し、真実を隠している。遺伝病であることをまだ子供のジーンには隠したい気持ちはよくわかる。キャシー(カトリーヌ・ドヌーブ)は眼科受診に付き合っているので、セルマの目が相当悪いのは知っている。セルマの唯一の楽しみは地域の劇団でのミュージカル劇の練習。しばしば仕事中にミュージカルの妄想に耽ってしまう。様々な工程の機械が出すリズミカルな音に触発されるように。工場の同僚たちはみなセルマに親切で、なかでもトラックで通って来ているジェフはトラックで送ってあげると熱心に誘ってくる。セルマに気があることがバレバレ😅「結婚するなら相手はジョンだけど私は結婚しないの」と、きっぱりと断るセルマ。実際、恋をしている暇もなく、息子が一番大事なセルマに隙はない。セルマを気遣い、いつもサポートしてくれるキャシー。劇団のメンバー(看板女優)でもある。キャシーはジョンに「セルマはあんたに絶対ホの字だ」とフォローする。ナイス👍アシスト。みんなに守られて暮らしているセルマ。
ジェフとの鉄橋の幻想シーンで歌われる「見たいものはみんな見たから、悔いはないの。」
セルマの無垢な純粋な心。欲を出したら限りがない。
セルマは闇の中で踊っているのではない。とっても明るい場所で輝きながら踊っているのだよ。それが妄想のなかであっても。
遺伝する病気と知りながら、それでも私は産んでみたかった。赤ちゃんをこの手に抱きたかったから。
ピュアーマインド。
これほど、純真無垢でイノセントなセルマを責めることは私には到底できない。
誰でも自分の子供には財産を少しでも多く残してやりたいと思って働いている。そして、迷惑かけたくないと思って悪徳老人ホームに入ったり、アホらしい保険に入ったりする。
当たり前。
セルマが自分の心に耳を澄ませて決めたことは精一杯の選択。
ジーンへの無言のメッセージ。ジーンがどう受け取ろうがセルマの思いは真っ直ぐなのだ。わかってくれなくてもいい。無償の愛。
音楽やミュージカルが現実逃避になって生き続けられている人間はこの世に自分を含めてたくさんいる。それをわかっていながら、こんな残酷な映画を作る監督が私は大キライだ。
噂に違わず、重量級でした
とんでもない鬱映画だとは聞いていたが、最後の劇場ロードショーということだったので、勇気を振り絞って足を運んだ。噂に違わぬ作品で、撃沈。1週間分のエネルギーがなくなった気がします。これからもう一本鑑賞するんだけど、どうしよう。
とにかくラストだよね、まさかアレを最後まで見せるとは思わなかった。息が止まった。この衝撃を受けるからこそ、観客は重い余韻の中で命について真剣に考えることになる。
でも一回で十分です。2回目なんて考えられません。
障害者とミュージカルに対する冒涜
悪趣味としか言いようが無い。そもそも、脚本が壊れている。
話の主旨は、『主人公可愛そう』で済まされる訳ではないはずだ。また、カメラワークもゆらゆら揺れて酔いそう。逆にミュージカル部分はカメラは固定されているが、細かくカット割りされて、ダンスの良さが見えてこない。主人公の生歌がそれ程でもなく、メロディーも誰にでも受ける様では無い。
目が見えるから、そんな目に私は会わないからと、何もストレスが無い人が見て、自分の幸せを確かめる映画なんだろうなと思った。要はバンジージャンプする様な感じだと思う。でも、目の不自由な人がこんな目にあったらどうする。もっとも、こんな天然ボケでは、障害持ったら、生きていくのがやっとだろう。普通の障害者はもっと狡猾に生きるだろうし、力強く困難を乗り越えるはずだ。
ネタバレになるかもしれないが、警察に電話する時、お金入れないとかからないのかなぁ?アメリカの電話は。
兎に角、最悪の気分ですね。ぼくは。マイナス10点だ。それでも、この前見たロシアのB級スプラッター映画よりはマシかなぁ。
2000年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️✨
ダンサー・イン・ザ・ダーク…
ダンサー・イン・ザ・ダーク…
ダンサー・イン・ザ・ダーク…
嗚呼、ダンサー・イン・ザ・ダーク…
嗚咽をこらえ、目を真っ赤に腫らしながら出て来る言葉は、こんな馬鹿な感想だけ…
それぐらいの衝撃度というか、心を揺さぶられました…。
この作品が発する、あるいは、この作品から感じ取れるメッセージは様々だろうけど、そのどれもが胸に響いた…(もうラストは、絶句でした)。
そして…
セルマの遺伝すると分かっていながら子を産んだその気持ち…「自分の手で赤ん坊を抱きたかったから」…もうここからラストまで涙腺崩壊でした(笑)
この作品を今の今まで見逃してましたが、今回劇場で観ることが出来て、本当に良かった!
正直、今年公開された新作映画が全て吹っ飛ぶぐらいの作品でした…(あくまで個人の意見…笑)
日本で劇場公開されるのは今回が最後との事…もし未見でしたら、ぜひ劇場で!
超オススメ!!!笑
*ちなみに、復刻パンフレットは1200円とちょっとお高めですが、LPレコードサイズで情報量は多めです。
絶賛されるのは分かるが、イラついた
息子の目を治すことと、隣人との約束を守ること。
この2つのために、命を差し出す主人公の姿。
たしかに、健気で切ない物語に見える。
鬱展開だ、名作だと話題に事欠かない本作ですが。
前半のドキュメンタリー風カット割が眠気を誘うのと、本筋が粗ありすぎなのと、情動を煽ることに全振りしている脚本とに、イラついて仕方なかったです。
私には、鬱の隣人の自殺願望につき合わされ、殺人犯に仕立て上げられ、実質隣人に殺されたのは悲劇…というよりはご都合な設定としか思えない。
弱者がより弱者を虐げ搾取する話ともとれるし、愚直で頭の悪い主人公が自滅した話ともとれる。
理不尽には理不尽、またはしっかりとした法の力で返すべきであろう。
主人公のお金であることを立証することができるはず。
「現金とっぱらいだと税金を逃れられる=お金の流れが不透明になるほど、1960年代のアメリカの田舎で、移民やホワイトトラッシュたちが勤めるエリアの税務署てやつは無能だったのだろうか?」などと考えてしまう。
自己犠牲が美しいという宗教観があるのだとしたら絶賛されるのかもしれないが、警察も法廷も税務署も無能な時代があったって話にしか思えず。
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