ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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二度と観ない映画のひとつ
15年ほど前に観ました。
視力を失いつつある女性の現実(手ブレの多いハンディカム風の映像)と幻想(鮮明な画質のミュージカル映像)の世界を見せる悲劇です。
ミュージカルシーンはとても見応えがあり、一見の価値ありますが、現実世界では余りにも救いが無く、希望も見えません。
ラストシーンの感想は、私も大多数の皆さんの御多分に漏れず「とても胸糞悪かった」という感想しかありませんでした。
表現の自由が保証されている以上、こういう映画があっても良いと思いますが、この監督は恐らく女性に対する偏見がある気がしてなりません。
たまの空いている時間を使って観るには重い展開が多く、敬遠してしまいます。
反面教師的に観るのなら、まぁアリかも知れませんね。
大人の定義を考えた。
10年ほど前に、DVDをレンタルして、TVで観たときは、消化することができない大きな何かを飲み込んだような気分になった。
私は生まれて初めて「憂鬱」を体感した。
今回、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の上映を知って、ほったらかしにして見ないようにしてきた宿題に取り組む気分で、観に行った。
6割以上の入りで、意外だった。
主人公セルマの言動は、私にとっては?だらけだ。
先天的な、必ず遺伝する目の病気を持っているのに、ジーンを産んだこと。
眼科医の検査で、カンニングしてまで自身の失明を隠すこと。
勤務中に空想の世界に入り込み、職場内で事故を起こすこと。
貯金を現金で家の中に置いていることを隣人に言うこと。
隣人に請われて、彼を殺すこと。
警察の取り締まりや裁判の時に嘘の供述をすること。
物事の優先順位が分からず、結局一番大切なジーンを傷つけること。
人が生活に行き詰まるって、こういう連鎖が起こるからなのだろうか。
大人のセルマは、無知だからでは許されない。
結局、彼女は、刑の執行により命を落とすことになる。
それは、あらかじめ決まっている彼女の運命のようで、涙が止まらなかった。
年を取れば、大人になるのではない。
物事にきちんと対処し、円満な人間関係を築き、仕事をし、社会や自分と調和して
生きてこそ、大人だ。
移民で失明間近なセルマに、それを求めるのは酷なのだろうか。
この映画は、決して好きな作品ではない。
できれば避けたいくらいだ。
でも、これはないことにはできない、世界で、日本で存在する現実だと感じる。
また、是非映画館で鑑賞したいと思った。
つらい、、
全体的に悲しくて辛い話。
笑いどころは一切無し。
歌声がとても良い。
絞首刑って見届けることが出来るんだ、とびっくり。
主人公がかわいそすぎる。
主人公が再審請求が出来るとなって希望がでたが、弁護士を雇ったお金はセルマの手術のために貯めてたお金。なぜ周りの友人たちは一銭もお金を出さないのか。あんなに必死に助けようとしていたのに、少しくらい工面できたのでは?
心に刻まれた映画
日本公開前、初めて試写室でこの映画を観た。
暗がりでメモを取っていた映画の担当記者や評論家がいた。
しかし、エンドクレジットの流れる頃には皆泣いていた。
手持ちカメラ撮影のゆらぎ
ジャンプカットの途切れ
それが物語を動かした。
彼女の不安は音楽的になった。
彼女の願いはひとつだった。
そのひとつのために生きていた。
至福の瞬間に暗闇はやってきた。
「最高の映画です」とは口が裂けても言えないが
悔しいほど心に残り続ける映画になった。
※
親子愛
努力が報われない、誰からも評価されないという経験は誰にでもあるだろう。しかし、思ってもいない障害が自分に近づいてきて、せっかくの成果が踏みにじられ、理解されないままに人生を終わるということは誰にでもあることではない。苦難の道を歩んでも、かすかな希望の光が灯り、そこから道が開け、ハッピーエンドに人生が終わるというサクセスストーリーはちまたにあふれているが、ここまで苦しく、深く、重く人にのしかかる物語はあまり聞いたことがない。
先天性の目の病気で失明しつつあるシングルマザーのセルマは、その遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまう息子ジーンを救うため、アメリカに移住し、身を粉にして働き、手術費用を貯金している。セルマにとって自分の幸せのことなどどうでもよく、息子の目を治すことで頭がいっぱいである。そんな中、自殺を考えるほど借金に追い詰められた隣人のビルにその貯金を奪われてしまう。ビルに同情し、自分が完全に失明したことを打ち明けてしまったからである。ここから、セルマは階段から転げ落ちるような悲劇的な運命に巻き込まれてしまうが、唯一の救いは、最後に息子の手術が成功することであった。
この映画は、親子愛の物語になっていると思う。親から子への無償の愛、セルマの純粋な気持ちだけがずっと心に残った。その美しさを感じられただけでも私にとっては決して鬱になる映画ではなかった。
同じ監督で『奇跡の海』という作品がある。これも純粋な女性の悲劇だが、過去に鑑賞して深く感銘を受けDVDまで買っていた。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がその監督の三部作になっているということは知らなかった。
まぁ、鬱映画なのか?
鬱映画としての期待を持って鑑賞。
個人的にはそこまでの鬱感は感じなかったかな。
とりあえずビル!!ビルー!!
とはなった。
息子のために自分の全てを犠牲にした母親で、それに対してのマイノリティへの偏見や自分と異なる主義主張への排斥みたいなものは強く感じた。
ラストの絞首刑のシーンは、グッと訴えかけてくるものがあった。
個人的鬱映画のトップはやっぱりミストかな、、、
80/100
最後の希望というか救いがミュージカルのような映画 ビョークの歌唱力...
最後の希望というか救いがミュージカルのような映画
ビョークの歌唱力を含めた演技が凄い
ミュージカルと悲劇の表裏一体の表現、紙一重さがなんとも言えない気持ちになる
最初の劇場公開時3回鑑賞。「鬼畜」と書いて「トリアー」と読む。
ビョークも鬼畜(トリアー)も当時は全然知らなくて、予告を見て観に行っただけ。本当にただそれだけだったはずなのに。何この観賞後の呪われた感は。あの最低最悪なエンディングに向かって一直線に進んでいく物語を、首に縄つけられて引きずりまわされ見せつけられる感じ。心が捻じ切られすり潰されれ、苦悶のあまりに血の涙を流す。その自罰的な考え方絶対おかしいのに、そうしてしまわずにいられないというのが、感覚的にわかってしまうのがホントにやだやだやだやだ。
友人たちがどんなに頑張ってセルマを助けようとしても、セルマ自身を含め全てがセルマを殺すようにできている物語に蹂躙されるだけ。鬼畜(トリアー)がその鬼畜ぶりを遺憾なく発揮した、最凶ミュージカル。
アルバム全部とサントラとMVDVD買って(まんまとユニバーサルの策略にハマる)、ドキュメンタリーと『ネズの木』観に行って、と一時期ビョーク漬けになるくらいハマった。ミッシェル・ゴンドリーやトム・ヨークの名前も知ったし白鳥ドレスは流石にアレだったが。宣材とか見てもわかるけど、時々幼い子供みたいに見える時があって、劇中で見せる色々な表情にしばしば見入ってしまう。
ドヌーブだけでなくデビッド・モース、ピーター・ストーメア、ちょい役だけどステラン・スカラスゲルドとかウド・キアとか結構な脇役陣なのに、その圧倒的な歌声で堂々と渡り合うビョークにもう言葉もない。
通常パートとミュージカルパートの相互の移行の仕方(特に環境音から曲への繋ぎ)や、撮り方(当時まだあまりなかったデジタルビデオと通常のフィルム撮り)と映像の質感を違えることで、ミュージカルシーン=妄想にすんなり入り込めるようにしてるとか、そういうのホント大好き。
本作は厳密には該当しないものの鬼畜(トリアー)監督が中心的だったという「ドグマ95」に興味が湧いて『キング・イズ・アライブ』観に行ったりした若気の至り。
4Kリマスター観逃す。絶対許さんコロナ。またあのどんよりどよどよな気分になる気まんまんだったのに。
The Northman を楽しみに待つ。劇場公開するよね?→2023/1/20
心が疲れる映画。
最初のミュージカルシーンで、いやこれ絶対事故る!と思いながら観ました。
人が貯めたお金を盗む→嫁に嘘をついてセルマ(主人公)を悪者にする→問い詰めたセルマが、「嫁には何も言ってない、沈黙の約束だから」と言ったのにもかかわらず、お金を取り戻して帰ろうとすると銃を向ける→嫁に嘘をついてセルマを悪者にする→揉め合った末セルマに撃たれると「よくも撃ったな、いや撃ってくれた。金がほしいなら撃て!」と言ってのける
何このムーブ…ビルひどすぎる。
このシーンが辛すぎて、思わず違うことをしながら観ることに。これ劇場とかで観ていたら耐えられないわ…。
裁判での嫁が嘘つきすぎてちょっと…。
お金のこと訊いてた?銃のありかを話したのではあなたでは?
裁判のシーンでいらいらしてしまいました。
そしてここまでして沈黙を守るのはどうなんですかね、普通言うよね…。
自分だけでなく息子の未来にも問題が起きるのに。
そして裁判中にもミュージカルするとは思わなかったw
セルマにキレて一旦関係が悪化するも、夜勤を手伝いに来る女友達が素敵。
ただ、セルマからその友達へのきちんとした感謝のシーンが作中ではないので…と思ったら、手術費代を弁護士費用にするのはどうなんですかね……。
アメリカの弁護士費用とか金融会社とか知らないけど、2000ドルなら20万くらい?借りられないのかなぁ…。
相互片想いのジェフに対しても都合の良い男のように扱っているように見えて、セルマが少し嫌な感じにも見えましたね。
セルマ、自分勝手描写が多いのでそちらにもイライラしていました。
看守の女性が素敵な人でしたね。
自分も母親ということもあったのでしょうけど、僅かな登場シーンで印象ばっちり。
最期、歩き出せないセルマに「(セルマは)自分で立てる、私に考えがある」と言って足音に意識させるの素敵でしたし、
目隠しにパニックになる様子に「規則が何、彼女は盲目なの!」ってカッコよすぎる。
最期、やってきた女友達の言葉で安心し歌い出すセルマでしたが、切り裂くように床が落ちる→歌が止まり静寂に響くガコンという音、に心が乱されました。
あれはちょっと…脳裏に焼き付くなぁ。
感情が揺さぶられ続ける凄い映画だなと☆4つけましたが、ストーリー的にも観ている最中の気持ち的にも、もう観たくないですね。
心がざわつき続ける疲れる映画でした。
端的感想
・本当に盲目の人が演じてる?と思えるくらい、セルマ役の女優の演技が凄い
・嫌なシーンがリアルに嫌なシーン
・ミュージカルのシーンが長すぎる!
・カメラワークが独特
・疲れた
題名の意味と本当のテーマとは
鬱映画の名にし負う作品
世界的映画賞に輝く永遠の名作
そして主演のビョークを一躍世界的に有名した作品です
そのビョークが2023年3月に来日するというニュースを先日見ました
東京と神戸の2公演のみですし、チケットもかなりの高額なのでどうしようかと考えています
しかし、それでも行ってみたいと思ってしまう力が彼女にはあるのです
時代は1960年代後半
劇中、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「私のお気に入り」を練習するシーンが有りますからそれが公開された1965年以降のはずです
プラハの春というウクライナ侵攻のようなことが1968年8月にありましたから、その直後にセルマが息子ジーンを連れてチェコから逃げて来たのかも知れません
しかし本作は政治には全く関係ありません
舞台はアメリカのどこかの田舎町
主人公はチェコ移民のシングルマザー
何故夫がいないのかは語られません
子供は10歳ぐらいの男の子
母子ともに眼鏡をしています
警官の家の敷地内のトレーラーハウスに住んでいます
町の金物工場でプレス工として働いています
慎ましい生活
というより今でいうワーキングプアです
それでも週に一回町営の小劇場みたいなところでミュージカルの練習にいくただ一つの生きる楽しみがあります
しかし彼女と息子には実はタイムリミットがあったのです
本作はミュージカルです
そのように映画の説明にありますし、観れば確かにそうです
でも普通のミュージカルとは全く異なります
歌と踊りのシーンの分量が、普通のミュージカル映画と比較して圧倒的に少ないのです
ひょっとしてミュージカルというのは間違いかな?と思いかけた頃に最初のミュージカルシーンがあり、またしばらくないという具合です
カメラはドキュメンタリータッチです
手持ちカメラの望遠レンズで被写体を捉え、手ブレして揺れる画面です
写されるものは、美しいパリの街並みでも、雄大なアルプスの自然でもなく、美しいヒロイン、甘いマスクの男前でもありません
優美なドレス、豪華なセット
そんなものはどこにもありません
それは彼女の記憶の中だけにあるのです
それは昔チェコで観た古いアメリカのミュージカル映画の記憶です
ウェディングケーキのような回る螺旋をダンサーが歌い踊る
そして真上から見下ろす視点になる
そのような記憶を彼女が劇中語ります
1936年のMGM の名作中の名作ミュージカル映画「巨星ジーグフェルド」のクライマックスシーンの事だと思います
正に王道のミュージカルです
巨大なウェディングケーキの回転セット、終盤の真上から万華鏡のように撮るバークレーショットで特に有名です
歌と踊り、豪華なセットと衣装
豊かな憧れのアメリカの生活そのものです
田舎町のしょぼい映画館で映写される白黒映像で一瞬写り込むのはおそらく同様のミュージカル「四十二番街」だと思います
でも、それに憧れてアメリカに移民してきた自分の今の生活との違いの落差はまるでナイヤガラのように大きいものがあるのです
進行する目の病気に怯え、貧しい生活をさらに切り詰めて日々働きずくめの毎日なのです
ミュージカルの歌と踊りは、登場人物のあふれる感情をそれで拡張して表現するものです
本作も同じですが、喜びや、ときめきや、恋愛の悩みではないところが大きな違いなのです
苦しい仕事の中、つい空想に耽ってしまう
そんなこと誰だってあることです
現実からの逃避です
きらびやかなミュージカルだって現実逃避なのは同じではありませんか
主人公のセルマは苦しい生活の中で精神を保つ為に頭の中のミュージカルに逃避しているのです
彼女が軽度の知的障害であるなんてわけありません
働きずくめ、疲れがたまってクタクタ、寝不足
どんどん頭の回転は鈍くなり、正しい判断も出来なくなっていくのです
ふと気がつけば馬鹿げたことを考えていたり、フラフラとやりそうになっていたこと、いやしてしまっていたり・・・
あなたにはそんな経験はありませんか?
もしないのなら、あなたは幸せな人生を送って来た人なのでしょう
あるいはこれから経験するかです
本作は、共産主義がどうとか、司法制度がどうとか、死刑がどうとか、そんなことは全くどうでもよいことです
テーマではありません
精神が追い詰められて、正常な思考が失われていく中で、人はその人物の本性がむき出しになっていきます
イライラと他の人間にあたり攻撃的になる人
ビルのように悪事を働き、嘘をつき友人に罪をなすりつける人
セルマのように、ぼんやりと空想の中に逃避して穏やかではあるけれど何かがおかしくなる人
様々です
本作の題名「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とは、このような精神が追い詰められたなかで人がどう生きていくかを表現しているのだと思います
観客の私達は、彼女の強烈な運命をつぶさに観ることで、少なくともこの映画の間は精神が追い詰められていきます
本作のテーマはそれです
ダンサー・イン・ザ・ダーク
暗闇の中で踊りつづける人生とはどういうものか
その中であなたはどんな本性を現すのかを考えてみること
それを体験することなのです
蛇足
オルドリッチ・ノヴィは架空の人物です
おそらくミュージカルダンスの名人フレッド・アステアをイメージしている人物だと思います
それをむりくり同郷のチェコ人だとしているのだと思います
最後に友人キャシー役のカトリーヌ・ドヌーヴが素晴らしい
彼女が配役されていなければ本作は破綻していたと思います
悲しみの
片田舎で暮らす女性とその息子がいた。
その女性には、秘密があった。いずれ目が見えなくてしまうという病気だった。
それは、遺伝性のものでもあり息子にもいずれ同じ事が起きてしまう。
友人の助けもあり、なんとか暮らしていけていた。
物語の前半の自転車には、そういう意味があったのかと後半にかけて納得した。
息子の為に目が見えなくなってきているというハンデを乗り越えながら、仕事でお金を稼ぎ手術費用を貯めていた。
そのお金を友人の1人が自分の為に盗もうとしている事によって奪い合い、そして殺してしまった。
まさかこんな展開になっていくとは、想像もしていなかった。
途中途中のミュージカルシーンは、けっこう見れるなと思った。
「ララランド」の様なポップな感じとは、また違うけど、とても心に響くものがあった。
悲しみが残る展開幕の終わり方だった。
単なる鬱映画ではなかった。
今月で上映権が切れるとのことで、最後の劇場上映に行ってきました。
絶対好きなはずなのに見逃していた作品。
鬱映画と名高いので、鬱々してやろうと意気込んで行ったら、超名作。
スタートの模様が浮かび上がっては変化していくのは何を表していたんでしょう。その映像からも良作の予感がしました。
手ブレ激しめのホームビデオ風の画面の揺れも、おそらく計算なのでしょうが、前から3列目で観たら少々酔いました。
機械工場のシーンでは危ないフラグがいっぱいあって、ヒヤヒヤしました。てっきりラストもそこで事故でも起こるのかと思ったら全然違いました。
ミュージカルの挟み方がすごい。
ビョークはもちろん息子ちゃんも美声。
非現実的な妄想の世界を表現できるのが、映像のおもしろさなんですね。誰もが見たことがあるはずの、夢の中のような、不思議な世界を具現化…って、実際はそうとう大変だと思うのですが。。
セルマよ、、なぜそんなに頑ななんだ。
不器用すぎて、不憫すぎて、ドクズ野郎が出てきて、モヤモヤすることは多々あります。
とんでもなく優しい友人や看守さんも出てきます。救いがない映画だと聞いていたので、救いはあったと思います。ただ、リアルに助ける方法、無かったんでしょうか。
個人的に、"不言実行の人"、めちゃくちゃかっこいいと思ってるんです…いやいや、でも、きちんと言葉にしなくちゃいけないこともあるんですよ。
守るものがあると、そんなに強くなれるものなんでしょうか。
これって観客は、セルマのことを見続けているし、真実を目にしているから同情しますけど、もしこれが身近のどこかで起こったとして、盲人女性により警察官が強盗及び殺害されたと報道で聞いたら、、?
世の中の事件の大半は真実が見えない中で、裁かれていくのですよね。。
事件だけでなく世の中の大半は、何もわからないのかもしれません。
現実の方がもっと残酷かもしれません。
ラストシーンでは、小林薫さんと、西島秀俊さんの『休暇』を思い出しました。そちらの印象が強かったので、終わりの静けさに少し疑問もありましたが、あれでこそラストには相応しかったのかもしれません。
それにしても、1960年代のアメリカでは、知り合いがあの場に立ち合うんですね…
エンドロールの、名前と画像を合わせた演出は良かったです。出演者をしっかりと確認したくなったので。
ピースの又吉さんが『ゴッド・ファーザー』を観た時、「どうせ映画好きにしかわからないこだわり映画の類だろう」と敬遠していたけど、観たらめっちゃおもろいやん、なんでもっとみんな早くみた方がええでって言ってくれなかったんやろ、と話していたのを思い出しました。
とりあえず、名作と言われるものは、観ておかないといけないな、と思いました。
#名作の順番待ちがハンパない
#ミニシアターばかり行きがち
#陽より陰が好き
とーっても遅くなりましたが、見ることができました。
今年154本目(合計428本目/今月(2022年5月度)31本目)。
正規の放映日に見る予定にしていたのですがバッティングが異様に激しく削ったこの映画、17日以降もどんどん映画が入ってきて、あれよあれよという間に放映がなくなってしまった大手のシアターさん。
とはいえ、大阪市なのでミニシアターならやっているところもあり、そこまで行ってきました。
このため、ミニシアターという事情もあるので、「4Kリマスター版」という扱いですが、いわゆる大手で見るそれと同等な描写力かどうかは微妙です(とはいえ、見ることができたので満足)。
それにしても、この映画、本当に救われる人いないですよね…。一方で「明確な」悪人が誰かというのもこれもまた決めずらい(連帯責任っぽい…)ところはあります。
また、目の病気とのことで、これはリマスター版でもそのままですが、何の病気かの記述はなし。当時(リマスター「なし」の当時の映画)では治らなかった病気でも、リマスター当時(2021年)ではその可能性もあるので、ある程度配慮は欲しかったです(まぁ、病気自体が本当に架空の病気で、治るも治らないもそういう論点「自体」が存在しない可能性もある)。
本当に暗い映画だし(ダークな意味でも)みてすっきりするのか?というと絶対違うと思いますが、もとの2000年の映画は最高賞(パルムドール)もとっていますし、ストーリー的には理解はできるので(ただ、「いい気持ち」にはならないが、「不愉快にさせる発言」はあまり存在しない)、そこまでの減点幅ではないだろうというところです。
上記の通り、2000年(当時)と2021年との21年間では医療技術も発達して、病気についてもある程度変わっている可能性もありますが(上述通り、そもそも「存在しない」架空の病気なのかもしれない)、それらについては最低限何らか追加で説明が欲しかったところです。
とはいえ、リマスター版である以上、それらは「最低限」であってあっちこっち作り変えるとリマスター版の趣旨がなくなるし、原作に対する著作権という問題もありますので、仕方なしというところでしょう。
2000年当時と違い、この映画の2021年、そして今2022年ではスマホが当たり前になり、 hello movie など、視覚聴覚に障害をお持ちの方が映画を楽しめる工夫(アプリ)が導入されているなど、リアル世界でも「映画」に対する技術の発達・当事者の配慮はありますね。このこともよく考えると「当時と今との違い」かもしれません。
採点にあたっては特に差し引く要素は見当たらないので満点にしています。
ビョークって誰?という奇特な私でも彼女の素晴らしさはよくよくわかっ...
ビョークって誰?という奇特な私でも彼女の素晴らしさはよくよくわかったような気がします。後で詳しい人に聞くとやっぱりセルマとビョークでは設定としてかなりダブる部分があるとの説明を聞いて思わず納得でした。ミュージカルもよいです。意味も無く歌い出してるようにみえる従来のそれと比べるとノイズを音楽としてとらえる主人公とミュージカルはちょっぴり新しい感じがしました。期待をよい意味で大きく裏切ってくれた作品に感謝です。
コンディション悪い時には観てはいけない
ホームビデオで撮ったかのような映像がよりリアリティを増す。
映画を観たというよりドキュメンタリー映像を見ているようだった。
セルマの怖さが自分が体験したぐらいの臨場感で伝わってくる。かなりしんどい。
死刑執行人、この世でこんなにしんどい仕事ある?
※ロクでもない感想です※
4K・映画館で鑑賞。鑑賞前に夕飯を食べて挑みましたが、ブレまくる手持ちカメラの影響か、滅茶苦茶に気持ち悪くなりました。カメラ酔いしやすい人は要注意かも
以下からTwitterに投げた乱文のまとめ
後味最悪だって聞いてましたけど、マジで悪いな……セルマ、眼以外にも知的障害あるんじゃないか?って感じの無垢(悪く言えば子供っぽい)具合でしたけど、1964年っていう時代・貧乏な移民…っていう諸々の背景を考えるとそこまで周囲の理解が及んでいなかったんだろうなと暗い気持ちになってしまう……
手持ちカメラでブレッブレにしながら顔をどアップで撮影するの、ドキュメンタリー映画っぽいんですよね何処となく……(マジで死ぬほど酔っ払いました)(わざとだろうけど瞳の描写が圧倒的に多い)
セルマの妄想世界で画面の解像度が物理的に低くなるのは面白かったです 妄想だから荒いんだよね多分
セルマ、どちらかと言えば妄想の合間に実世界を生きてるタイプなんだろうなぁ……最後から2番目の歌は妄想の世界じゃなくて実世界で歌ってるのは、《妄想の殻を破って抜け出せた》とも《セルマの中で妄想と現実が入り混じった》とも取れるのが、いい感じに気持ち悪くて最悪ですね
「息子には眼が必要」っていうのは、最初に眼が見えていた人ならではの思いなんだよなぁ……
映画全体の感想は個人的に「やるせない」なんですよね 「後味悪い」もあるんですけど、それよりも「やるせない」がこの映画を表現するには最適解な気がする
最後の死刑執行で、「来れたら」とセルマに言われたジェフが結局来なくて「どうかな」とジェフに言われていたキャシーが来たの、両者ともキャラクターの行動として“わかる”し、“それらしい”んだよな
ジェフは最期を見たくなくて来なかったんだろうし、キャシーはメッセージを伝えるために&親友として最期を見届けるために来たんだろうし……ジェフが薄情とかいうわけではないんだよなぁ決して
ミュージカル映画という括りにしては、ミュージカルパートが出てくるのが遅いので、個人的にはもう少し早く出てきてほしいですね……あと冒頭の謎のイメージの連続がマジで何なんだか分かんなくて気持ち悪かったですね、何アレ???
全体的に面白かったけど、二度と見たくねぇな……やるせなさすぎるので……
公開当時にサブカル界隈で話題になった理由は何となくわかるな……小劇場で見たい内容の映画だし……
ミュージカルパートでさえも、大きいスクリーンではなく小さなスクリーンで見たいと思わせてくる、不思議な映画です
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