劇場公開日 2025年10月10日

ホーリー・カウ : 映画評論・批評

2025年10月14日更新

2025年10月10日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほかにてロードショー

いくつもちりばめられている比喩的な表現が印象的だ

冒頭に映し出されるのは、乗用車の助手席に乗った仔牛の姿。キョトンとした表情で周囲を見回す仔牛は、自分が何をしたいのか、世間がどんなものかも知らない主人公トトンヌ(クレマン・ファボー)の今を表しているかのようだ。同様の比喩的な表現が、この映画にはいくつもちりばめられている。たとえば、トトンヌが父親のトラックの助手席に乗って朝帰りする場面。夜が明けるにつれ、霧に包まれた放牧地のシルエットがうっすら浮かびあがってくる光景は、父の死によって自立を余儀なくされるトトンヌの子供時代がまもなく終わり、大人時代が始まろうとしていることを告げているように感じられる。

比喩が印象的なのは、トトンヌの親友ジャン=イブ(マティス・ベルナール)がストックカー・レースに挑む場面もしかりだ。何度も転倒しては起き上がり、再び走り出すジャン=イブの車は、失敗を繰り返しながらチーズ作りの技術を身に着けていくトトンヌの生き様そのもの。そして、「未熟すぎて食べられたものではないが将来性はある」と評される手作りのコンテチーズは、トトンヌその人と重なりあう。

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義務や責任とは無縁のお気楽な人生を歩んでいたトトンヌが、生き抜くための試練に立ち向かう中でチーズ職人の道を切り開いていくドラマには、ケン・ローチ監督の「天使の分け前」やダルデンヌ兄弟の「ロゼッタ」と共通する味わいがある。再出発の軍資金を得るべく幻のウィスキーを盗みに行く「天使の分け前」の主人公や、仕事を得るために仲間の罪を密告する「ロゼッタ」のヒロインと同様、トトンヌも、チーズコンテスト優勝の目的を遂げるために、倫理的に正しくない選択をする。マリ=リーズ(マイウェン・バルテレミ)の酪農場から牛乳を盗み出すのだ。

その悪事を、トトンヌが、牛の出産でてんてこ舞いのマリ=リーズに告白する場面は、ルイーズ・クルボワジエ監督の個性が最も際立つ名場面だろう。舞台となったジュラ地方の農家出身の監督は、命が誕生する瞬間の生々しい描写と、トトンヌの倫理的な葛藤をシンクロさせ、見事な緊迫感を作り出している。この混乱した状況下では、うまくいくこととダメになることが同時に起きる。人生とは、そのようなもの。まさにスライス・オブ・ライフだ。

美術は監督の妹、施工は兄、音楽はもうひとりの兄と母が担当。家族ぐるみのスタッフと、地元の若者を起用したキャストによる芳醇な手作り感も、この映画の魅力だ。

矢崎由紀子

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