ニッケル・ボーイズのレビュー・感想・評価
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視点を共有し、共に感じ、掘り下げること
これは60年代初頭の米南部を舞台にした物語だ。登場人物やエピソードはフィクションではあるものの、ニッケル校の実態は、実在のドジアー男子学校での出来事と一致する。つまりリアリズムや告発という位置づけを持つのだが、しかし本作は単に事実を伝えるのではない。むしろエルウッドとターナーの「第一人称としての視点」を際立たせたアーティスティックな構造で語られる点に留意したい。食堂シーンでふと二人の視点が反転することに象徴されるように、彼らにとっての「I」と「YOU」は運命論的にいって極めて不可分のもの。そして彼らのみならず「主人公」と「観客」もまた、じっくり視点を共有し、同じ心の機微を感じ合う関係性にある。そういった意味でも、本作はアフリカ系アメリカ人の記憶として線引きするのではなく、時折映し出される発掘作業のように一緒になって記憶を掘り下げゆく物語。やや分かりにくいラストの反転もしっかり噛み締めたい。
移動するPOVショットが映し出す恐るべき矯正施設の実態
1962年のアメリカ、フロリダ州のタナハシー。人種差別が露骨なこの時代に、未来に夢を抱く少年のエルウッドは、たまたまヒッチハイクで乗った車が盗難車だったために、矯正施設のニッケル・アカデミーに送られる。そこは、施設内でも人種差別が当たり前で、人種によって暮らす空間が区別され、黒人少年たちは言われのない暴力に耐えながら、日々、死の恐怖と闘わなければならなかった。これは、アメリカ南部に於いて19世紀後半から20世紀初頭まで施行されていた"ジム・クロウ法"の下で、必死にもがき続けた少年たちの物語だ。
カメラはエルウッドの主観から、途中で他者の主観に移り、時には主人公の背後に回る等しながら、観客をその場に居るような錯覚に陥らせる。また、随所にその時代のニュース映像や、エルウッドが崇拝するシドニー・ポワチエ主演の『手錠のまゝの脱獄』(1958年)のタイトルクレジットを映し出す。特に、徐々に施設で行われていた残虐行為の実態をリポートする本物のニュース映像が物語る壮絶な歴史の暗部は衝撃的で、観ていて言葉を失う。
でも、エルウッドは生まれながらに人間としての尊厳に溢れ、ジェーン・オースティンの『プライドと偏見』を愛読する知的な青年だ。そこに救われるし、作り手たちの強い怒りと静かな抗議が観る者の心に深く伝わる理由でもある。
歴史の検証を手掛かりにした新たな差別撤退を謳う本作。本年度のアカデミー作品賞候補10作の中の1本に選ばれたのも納得だ。
集中を要する
玄人好みの映画?
長い つまらない めんどくさい
多分ダメだろうと思ったが、オスカー候補になったので一応観たけどやっぱりダメ。
どうしても褒めろ、と言われれば「ストーリーラインは犠牲にして、いくつかのエピソードを技巧的、即興的に明滅させ、主題を感覚的に捉えてもらうような前衛的な演出」ってとこですかね。「難解」なんて擁護する意見もありますが、なんだかわからないだけです。
わざわざ配信を観に行くような人の評価なのでレビュー点数は上げ底です。どう贔屓目にみても人にお薦めできる作品ではありません。まとまったストーリーがない上に、前後関係を説明しない中途半端なシーンが延々2時間20分も続き、配信でほんとうによかった。
「ムーンライト」並みですが、あれほど気持ち悪くはないのでオマケの2点ですが1点とそれほど変わりません。
表現の前衛さが、語るべき歴史を追い越した?
極めて不適切に経営されていた少年更生施設を告発する作品なのは解る。無実の罪で送還された黒人少年は実際にも居たろうし、敷地から発掘された大量の遺体が示す通り、命が軽く扱われていたのだろう。
ただ、原作者のパーソナリティの2つ面を体現させた2人の少年(Elwood & Turner)の第一人称視点が頻繁に入れ替わる斬新な表現方法は若干分かり難い。特に終盤、撃たれたのがどっちで、生き残ったのがどっちが、意図的に分かり難くしているのには閉口する。
実際には新聞記事の形で事実は伝えられるが、初見では逃亡者の命を護るために嘘を付いたのかと思った。本作の英語版wikiにはちゃんと明言されているので、分からなかった方は其処で補填してほしい。
忘れてはいけないアメリカの闇を描いた重要性は分かるが、表現の前衛さがメッセージを届きにくくしている気がしてならない。
色々と解説必要。
一人称視点でえがかれる黒人差別問題
影の中に潜む闇の正体に目を背けてはならない
映画「ニッケルボーイズ」
2作連続でピューリッツァー賞受賞のコルソン・ホワイトヘッドの小説の映画化
観客は終始、主人公エルウッドと時々、心友ターナーの視線を借りて1962年の実在した少年矯正施設ニッケル校の真実と現在の主人公の生活を垣間見ることになる
これは制作上、手間がかかり表現や伝達に制約が多く作り手にとって非常にリスキーな手法だと思うが、監督は逃げずに堂々と撮り切って見事な脚色を施している
要所に黒人公民権運動とアポロ計画の進捗画像がインサートされて何故この手法を選んだか得心
映画はグレートアメリカの象徴だった人類の月面への初到達はまばゆいばかりの光であり、同時刻にも黒人少年矯正施設で発生していた虐待と殺人死体遺棄は長い間隠蔽されていたアメリカの漆黒の闇を白日の下に晒してゆく
光が強ければ影も強く深くなる
グレートアメリカアゲイン🇺🇸このスローガンを掲げる大統領が日々世界を揺るがしている現代
影の中に潜む闇の正体に目を背けてはならない
そんな重いメッセージをズシリと受け取った
予想通り悲惨な話
例によってアメリカの黒歴史、非道な黒人差別を描いた一連の映画の類だろうと思ったがアカデミー賞にノミネートされたので、どんなものかと鑑賞、しかしながら予想通り悲惨な話で観ていて辛いだけ。
そもそも学校に向かう途中だった生真面目なエルウッドが車の盗難の共犯になるのは理解不能、恐らく調べもせずに黒人と言うことで決めつけたのだろう、おまけに祖母が弁護士を雇おうと苦労して貯めたお金を弁護士が持ち逃げとは最早、法も正義も皆無でしょう。
実在したフロリダ の黒人の多くの若者を虐待した悪名高いドジャー少年院をモデルにした少年院ニッケル・アカデミー描くためのシチュエーションだったとしても酷すぎます。
いかにもドキュメンタリー風に話が進みますが日本人の私にはリアリティが感じられずアメリカの白人の非道さを訴えたいだけのコンセプトにしか映りませんでした、こんなテーマで2時間越えは地獄の様な映画でした。
一人称視点や照明をケチった16mm風撮影など芸術性らしきものは感じさせますがアカデミー賞レベルとは思えません、邪推かも知れませんが、これほど強烈な人種差別を取り上げているとリベラルを真骨頂と謳うアカデミーは無視するわけにいかなかったのでしょう。
カメラワークの演出
一人称の視点での映像
ORION PICTURES
"結局他人事"に挑む追体験!『それでも夜は明ける』『ムーンライト』のPLAN Bらしい黒人史映画、つまり自分にとって特別になる作品ではないけど今を生きる私たちが一度は観るべきよくできた作品
毎年のように賞レースに関わる ― "オスカーの釣り餌"と揶揄されそうな ― 優れた作品を製作してきたブラピの製作会社プランB。だけど、上記2作品同様、本作も明確な個性が作品を形作っていて、一緒くたに括ることは憚られる衝撃的でリスクテイカーな語り口・ストーリーテリングがファーストカットから否が応でも目を引くだろう。
つまり、主観POVショットで構成される本編。やもすれば鼻につくかもしれないが、その分、多くを映像で物語る。主人公2人の視点が順番に描かれたかと思うと、それからは交互に視点を切り返していくし、次第にどちらかの顔が画面に映らないと誰の視点で作品を見ているのか少し分からなくもなりそうな。
しかし、それによって本作は、"結局他人事"という世の中のあらゆる問題の根本的な命題に果敢に挑んでいる。だから、本作を観る僕らはまるで記憶の断片を遡るように追体験するように、黒人たちの苦しく悲しく広く知られるべき過去の経験を、"私事"として一番近くから疑似体験し目の当たりにするのだ。
更生施設ニッケル校、こうした施設で多くの命が奪われたこと(とそうしたトラウマな経験から生き延びたサバイバーがいたこと/今尚生きていること)を僕たち私たちは決して忘れてはいけない。封印されてはいけない記憶を伝える手段として、力強い表現の責務と可能性。最初と最後のカットが繋がる構成。一人じゃなく、誰かが理解を示すように歩み寄っては手を差し伸べてくれたら…。
勝手に関連作品『シュガーケイン』『13th』『ビール・ストリートの恋人たち』『ムーンライト』『それでも夜は明ける』
P.S. 封印された暗い過去にスポットを当てるため、"結局他人事"に挑む追体験!サミュエル伯父貴は映画化に際して大胆な手法を選び取った本作に、どういう感想を持つのだろうかと少し思った。
こわかった
今日から、アマゾンプライムで見られるというので早速鑑賞しました。
予備知識を入れずにただ「アカデミー賞」ノミネート作品だから見ておこうかなあ…と軽い気持ちで見たんです。ノスタルジックに少年時代を振り返る黒人男性の話か思ったら、全然違ってて、予想外の展開で、怖かったです。
映画として、技術的なうまさが際立つ映画的な作品だと思いました。
主人公の名前はエルウッド。彼が少年院に送られてしまう話です。彼のおばあちゃんが孫に話かけるとき、エルウッドの名を常に愛おしそうに呼びかけるので、「エルウッド」という単語がスイートに耳に媚びりついて、なんとなくブルースブラザースのブラックミュージック大好きなエルウッド・ブルース(白人のダンエイクロイドさん)を想起して、楽しい話のような予感がしてたのに、全然違っていて、1960年代の公民権運動が盛んになっている米国でまだ黒人差別が横行している時代の差別の実相を描いた作品で、キツかった。
人って割と平気に残酷なことができるんだなあと、寂しくなりました。人が嫌いになりそうで、でも、劇中で「エルウッド」という名前を呼ばれるたびに、ダンエイクロイドさんの笑顔が思い浮かんで、絶望の沼に沈まずに、どうにか最後まで見続けることができました。
少年院でエルウッドが友達になった、シドニーポアチエに似ているターナーがとても印象的な若者で、彼とエルウッドの会話を聞いてると、勇気が沸いてくるのですが、なんかどうも奇妙な感じがしました(個人的には妄想の実在しない人物なんじゃ?と思いました)。
私は1960年代に沖縄で生まれ育ったのですが、小学生の時(70年代)に、黒人を差別して汚物のように扱う白人(大人)をみたことがあります。人種差別発言をする人は白人の中でもごく一部の人で、ほとんどの白人さんは差別的な考えは持っておらず、肌の色を問わず、皆と仲良くしている人が多かったです。
日本人は名誉白人……とかいわれますけれども、実際に有色人種にヘイトの言葉をあびせかける人は、ぶっちゃけ内心ではアジア人もアレだと考えてる風があって、こころある白人さんたちがヘイトをやってる人の前に立ちはだかって、「彼らは大変優秀で、誠実で、真面目で、心優しい人たちで、肌の色は関係ない」と頑張っておられました。この作品を見ながら、思い出してしまいました。すみません、話がわきにそれました。
人種、民族、出身地、もしくは資産の量などで、自分の優位性が保証されるという発想で、差別意識丸出しでマウントポジションをとってる人、たまにいるけど、ナチスと同じで、みっともないと思う。日本人同士でも、いじめっ子が同じことしてるけど、あれも、かなり、かっこわるいと思う。
え?いきなりレビューが書けるwww
この作品もアカデミー賞にノミネートされているのですが、北米ランキングに入らなかったため、こちらの作品のアップロードがなく、レビューが書けませんでした。
フロリダの少年院で試練を乗り越える?黒人少年の友情を描いた作品ということで、少年成長物語好きな私としては大好物路線でしたが、正直そこまで入り込めませんでした。
カメラアングルが独特で、話し相手がカメラ目線で話したり、カメラに向かってハグをしたり…、正直その変化球、要る?と思いながら見てました。
IMDb では7.1/10、評論家メタスコア91/100ですが、公開2ヶ月以上経ちましたが、データ上は推定予算2000万ドルをまだ回収できていません。
少年院に入った後も、そこまで暗く重苦しい展開でもないし、過去の刑務所ものの、数々の名作とはかけ離れるほど、私としてはあっさりしてました。
ぜひみなさんにご覧いただき、なぜアカデミーにノミネートされたか、解説いただきたいです!
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