果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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「復讐劇」結末は二つに一つさてどっち
主人公が16世紀のデンマークの王女スカーレット。
そしてシェイクスピア4大悲劇の1つである「ハムレット」をベースにしたファンタジー。「ハムレット」は、王子ハムレットが王である父を殺した叔父に復讐しようとする物語。本作の基本的な設定は「ハムレット」をなぞっており、「復讐」をテーマにした作品。
復讐を果たすのか許すのか。どちらのラストとなっても使い古された話です。
国王だった父アムレットを叔父のクローディアスに殺されたスカーレットは、自身も毒を飲まされ、死者の国を彷徨いながら復讐を誓ったクローディアスを捜す。舞台を死の国にして、時を超えて現代の看護師である聖(ひじり)がスカーレットの前に現れます。
聖はスカーレットとは対照的で、人を助け、ケアし、争いを拒否する姿勢を貫く。歌を唄い、踊り、出会った人々と交流することで、笑顔と平和をもたらすキャラクターとなっています。これがアレンジとなっています。この設定だからとはいえ、中盤でのダンスシーンいる?と疑問になります。歌詞も「愛」「愛」とうーーんとなります。ディズニーかインド映画かとなります。
この聖に、スカーレットは戦いを止められつつ、敵クローディアに近づいていく展開です。まずは、クローディアの部下で父の処刑に加担したコーネリウスとヴォルティマンドと対峙することになります。つまり聖はスカーレットのブレーキ役です。
ここまでくると、勘のいい鑑賞者はほぼラストが想像できると思います。よってこれ以上の記述は野暮です。
アニメとはいえ、アクションシーンの演出は見ごたえあります。
そして、人々のために奉仕すること、隣国とは対立よりも友好を築くこと、子どもを死なせないこと、争わないで済む道を諦めないで探し続けることを誓う、リーダーが誕生します。国の指導者の思想と市民との協働によっりより良い社会ができるという事を訴えています。
今までの細田監督の描いた作品とは異なる物となっています。日本ではなく、明らかに海外上映を見据えた作品です。賛否わかれる作品です。
大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ。「ハムレットより」
彷徨っているのは細田守監督本人なのか?
(ちょっと長文)
最寄のシネコンでは公開2周目にして、一番客席数の少ないスクリーンでの公開になっている。細田守作品としては興行的失敗はほぼ確実だ。
序盤の舞台がデンマークだったり、母親が叔父をけしかけて、父たる王を計略に嵌めて殺害したりと、この愛憎劇はもうシェイクスピア劇である。
シェイクスピア劇の翻案は黒澤明監督が見事にやり遂げているが(「マクベス」→「蜘蛛巣城」)、本作は空回り感が強い。
声優陣のなかでも吉田剛太郎さんや白石加代子さんは、シェイクスピア全作連続上演を試みた蜷川幸雄さんの常連俳優だったし、さらに吉田剛太郎さんは蜷川さんが亡くなったあとはシェイクスピア連続上演の演出も担当している。
これでシェイクスピアを意識するなというほうが無理だ。
ただ、死者の国というのが掴みにくい。ダンテの「神曲」と言われても、すんなりとそうですねとはいかない。
死者の国は、地上と地獄(あるいは天国?)の中継地点であり、うまくすれば元の世界に戻れるらしいが、都合が良すぎる設定だ。日本人の聖(ひじり)という青年も何故か死者の国におり(他の日本人がいないのは何故?)、聖は物語のキーマンになる。
デンマーク人と日本人が通訳もなしに会話できるのはアニメの強みとして気にしないでおく(死者の国の特長なのかもしれないが不明)。
聖は見事な弓使いをみせるが、現代日本で看護士だった彼が何故弓がうまいのかは不明だ。
聖がスカーレットに対し「生きろ!」と言ったり、弓使いの上手さと合わせると殆ど「もののけ姫」へのアンサーソングみたいである。
スカーレットは途中で長く束ねた髪を切るが、直後にスカーレットを探す兵士らに見つかる。兵士らが「長い髪を束ねている女を探せ」といっていたのに、あっさりと見つかる。だったらなんで髪を切るという場面を直前に入れたんだろうか?
全体として、監督のやりたいことが不明だし、ちぐはぐさが否めない。
海外で受けそうなテーマ(シェイクスピアとダンテ)を選んだと言われそうだ。
スカーレットの声を演じた芦田愛菜さんは下手ではないが、やや一本調子という感じだ。だがこれは演出側のせいだと思う(怒りを爆発させている場面が多過ぎるという事情もある。人はそれほど怒りを持続出来ないものだが。)。芦田愛菜さんは子役から芸歴も長い。きちんと演出意図を伝えれば対応する演技が出来る人だ。
「もののけ姫」で祟り神になってしまった乙事主に対し山犬(声:美輪明宏さん)が「もう言葉まで無くしたか」という台詞録音のとき、宮崎駿監督は美輪さんに「二人?はかつて良い仲(恋愛関係)だったんです」ということを告げ、三輪さんもなるほどと了解し録音をやり直したという。そのことで、憐憫と怒りが入り混じった素晴らしいあの科白が出来上がったという。
声を当てるということは、まさに魂を吹き込むことだ。厳しく言うなら、本作には魂が欠けていないだろうか(声優陣が駄目という意味ではない)。
王の残した「許せ」とは、対立する他人を許せということではなく、怒りと憎しみに駆られた自分自身を許せと言う意味であろう。
ガザやウクライナのように前近代的な迫害と侵略がある一方で、ネットには呪詛の言葉があふれている。
この映画はそんな時代の世界に向けて放れた光なのかもしれない。
多くの人々にその「許せ」という言葉(光)は届いたのだろうかと疑問に感じた。
時間があったので2回観た。
不入りの原因の一つは、鼻白むくらいの理想主義にあるのかもしれない。人間が幾ばくか成長出来たなら、本作は佳作として評価されるかもしれないと、2度目の観賞の後で思っている。
赦しても改心しない奴はコロスしかない
「サシャは狩人やった、森で獣を撃って殺して食ってきた、同じ生き方が続けられん時代が来ることはわかっていた、だからサシャを森から外にだした、兵士になったサシャは、よその土地に攻め入り人を撃ち、人に撃たれた。森を出たつもりが世界は命の奪い合いを続ける巨大な森の中やったんや。サシャが殺されたんは森を彷徨ったからやと思っとる。」
「せめて子供達はこの森から出してやらんといかん。そうやないとまた同じところをぐるぐる回るだけやろう。だから過去の罪や憎しみを背負うのは我々大人の責任や。」
パッパ聖人過ぎんか?身内の仇よ、5〜6回ぶん殴っても赦されるだろ?
パッパが包丁持った時、ワイは「ヨシッ!!刺せ!コロしてええぞ!」ってリアルに声に出して言っていた、そこからこの台詞よ、数分前の自分を恥じたね。
このシーンの前後の流れホントに良きよ、特に後の「よくもお姉ちゃんを!人殺し!友達だと思っていたのに!」ってシーン。
いやぁ~、キツイて、感情の起伏が、ホント心臓に悪い。
「お姉ちゃんのように困っている人を助けられる人になりたい」って言って、実際に助けてやった相手が、姉の仇よ、信じれんわ、よくもこんな話作ったな、人間性を疑うわ、パッパの「大丈夫か?」からのコレよ。
ぶん殴られて鼻血だしてるクソガキが赦されてよぉ、これで考えを改めないなら黒い龍に焼きコロされてほしい。
素直に面白かったんですけど・・・
シェークスピアだハムレットだを知らないと面白くないだとか、逆に知っている人にとっては面白くないだとか、どーでもいい。
生と死、過去と未来が入り混じる混沌世界の中で実によく物語が「わかりやすく」描かれ構成されている。生きるべきか死ぬべきか、許すとは何か、私くらいの年齢になるとこれらの哲学的な「問い」に関して何度か出会い、考えることがある。読み物や舞台や映画も、少なからず良い作品の中にはこれらのテーマが色濃く反映されていることがある。スカーレットも同じだ。混沌とした地獄とも天国ともつかない、未来を生きた者も過去に生きた者も同じ空間に存在するこの世界では、死んだ者がまるで生きていた時のように生活していて、この世界での死(つまり2回目の死)が「虚無になる」という表現が好きだ。皆がこの「虚無になる」ことを本当の「死」として恐れている。この世界観を受け入れられないと作品は意味不明で面白さを感じられないのかもしれないが・・・
難しく考えることはない。作品のテーマのように、自身の心の開放をこの映画からつかみ取ってほしいと思う。
と言いながら、残念だった点を2つ
些細な点として、ラストに近づくある部分から、明らかにそれまでの作画クォリティーが落ちたと感じてしまう点。あれはわざとか?演出か?
もう一つは、スカーレットの声だ。芦田愛菜さんが悪いんじゃない。彼女の声は優しすぎて柔らかすぎて激烈な主人公の生きざまに声が合わないのだ。スカーレットの強烈な人生の歩みの中で腹の底から沸き起こる怒りの声、力強い声には向かないのだ。絶対に負けない!復讐の鬼と化したスカーレットの声は、もっと攻撃的で威圧的でその恫喝に男どもがひるむのもうなずける、そんな声じゃなきゃダメなんだ。その声だからこそ最後に自身を「許す」時の優しい本来の王女としての民を前に語る声が生きるのに。最初からずっと優しい声のままでメリハリが作れない点は、プロの声優さんにすべきだったと残念に思った。これがクリアされていれば、☆5を胸張ってつけられた。繰り返すが、芦田愛菜さんが悪いのではなく、この作品に彼女を選んだ側に問題がある。
追記:ラストシーンでのクローディアスの絶叫を聞くまで、声の主が役所広司さんだと気が付かなかった。あの絶叫シーンで初めて、声が役所さんだと気が付いた。役所さんの声の演技はすごかったことの証明だ(私の勝手な基準ね)
それにしても、よくよくキャストを見ると声優さんが逆に全然いないということに気が付いた。
そこまで悪くない。
個人的には前作より良かったし、なんなら最後はうるっとした。
貴方が手伝ってくれるなら(みたいなことを主人公が言ってた)のは結構重い話で、本当にそうしたいなら自分達もそうなるように動かなきゃいかんのよ?っていうのを、監督さんはチクッとしたかったんだと思う。
確かに色々すっ飛ばして話が進むところはいくつかあったけれどストーリーの根幹は一貫していたので、あちこちに手を出して何の話だったっけ?ってなってた「竜とそばかすの姫」より個人的には好きでした。
日本人って、伏線回収とか話の整合性とかこだわり過ぎなんじゃないかな(だからデウス・エクス・マキナとか大嫌い)って思う。でも、現実ってそんなもんだし、映画や物語は現実じゃねぇって言っても現実を下敷きにしてるのならそこまできっちりしてなくても良くないですかね?
きっとこの作品は、その辺りおおらかな海外の方がウケるんだろうな。
マイナス一つは、途中の聖&スカーレットのラブ&ベリー笑のところで、あそこだけCGがやっつけ感あったような。。
結構大事なシーンだったと思うんだけどな。
そこだけちょい残念でした。
最後に。
芦田愛菜さんのエンディングは圧巻でした。
お見事👏👏👏
脚本・細田守でなかったら世に出なかった作品
《竜とそばかすの姫》のとき思ったんだけど、細田守監督の脚本は、人物がお約束で動くんだよね。作者の都合で動くの。《竜とそばかすの姫》だと、ラストに向かって確か皆が団結してく感じになるんだけど、理由は描かれないんだよね。「ラストなんだから、みんな団結するでしょ」という感じに見えるの。
本作もお約束で動いていて、一番わかりやすくお約束なのは、スカーレットと看護師が恋仲になることだよね。「主人公と副主人公は恋仲になりました」って描かれてるの。
「主人公と副主人公は、△△ということがあって、◯◯という気持ちの変化が起きて、恋仲になりました」と描くのが普通だと思うんだけど、そういうの、極めてあっさりしてるの。
スカーレットの父の重臣も「重臣は叔父を裏切りました」と描かれてるね。「重臣は、とある事情で叔父の命令にやむなく従っていたが、◯◯ということがあって気持ちが変わり、叔父を裏切りました」という描かれ方をしてないの。
こういう脚本、分かりやすい話の場合だと、まあ、見逃せるんだけど、本作のように「《ハムレット》と《神曲》を下敷きにしました」っていう分かりづらい話だと、無理すぎるね。話が分からないから、登場人物の心情に寄り添って観るしかないんだけど、そこがお約束の動きしかしないからね。
「《ハムレット》と《神曲》の世界を用いて、物語を描いたら、いやー、ヒャー、もう考えるだけで興奮してきた!」って感じで書いちゃった気がすんのね。書いてて楽しくなる気持ちは分かるよ。
でも普通だったら、このレベルの脚本は書き直しになるか、企画自体がポシャると思うの。
でも「《竜とそばかすの姫》でメチャクチャ稼いだ細田守がやるって言ってるんだから……」で通っちゃうんだろうな。
本作は、どう楽しめば良いかも分からなかったのね。
《竜とそばかすの姫》は脚本ヘンテコだったけど、映像と音楽を観れば良かったんだよね。
本作は、エンタメとして観ることを意図されてない気もするのね。かといってアートではないし。純文学のような人間の本質的な部分を描いているわけでもない。
いっそ、メチャクチャ難解で、思わせぶりな作品になってた方が、楽しめた気もするの。
《ハムレット》と《神曲》を下敷きにするのものね、どうだったんだろう。
「みんな考察してくれるよ」というのもあったかも知れないけど。アニメファンのインプットは、原則アニメだからね。《ハムレット》と《神曲》を履修してから来いはハードル高いよ。
例えば、《風の谷のナウシカ》と《エヴァンゲリオン》を下敷きにしたらね、みんなすごい考察して楽しんでくれると思う。なんでいきなりハイアート系を狙っているのか。
物語の最後に地獄の門みたいなやつ出てくるよね。「なんか《鋼の錬金術師》でも似たようなやつ出てきたなあ」とか「国立西洋博物館の前庭に置いてあるやつかな」と思ったね。ハイアート系を参照しながら、表現がしょぼいんだよね。
この作品、企画の段階でね「これは、確実にコケる」と分かったと思うんだよね。
だって、観客にウケる要素が、ほぼないじゃん。
「なるほど《ハムレット》と《神曲》ですね。分かります」という人はいると思うけど、少数でしょ。そもそも《ハムレット》と《神曲》を履修済みみたいな人が、アニメを観に映画館に来るのかな。来ても少数じゃないのかな。
登場人物に感情移入できるような描かれ方をしていないし、音楽と美術が飛び抜けて良いわけではないし、真摯にテーマを描こうとして難解になっているわけでもない。
それなのになぜ、制作・公開に踏み切ってしまったのかという、内側に興味が湧いたな。
でも通して観てみてね、《神曲》履修しよと思ったよ。
いろんな作品の下敷きになってそうだしね。
そういう意識を持たせてくれた点では、良い作品だったよ。
声優は、この話なら、正直、誰でも良かった気はしたな。
それでも吉田鋼太郎はね「さすがシェイクスピア俳優」って感じで良かったよ。
言われるほど悪くない
ネットでは評価が分かれているようですが、私としては、言われているほど悪いとは思いませんでした。「物議」の近未来の渋谷のダンスシーンにしても、もともとファンタジーだから、少しくらい時空を超えてもいいのでは。これがドキュメンタリーや、ドキュメンタリー風のフィクションなら問題かもしれませんが、今回はそれに当たらないと思います。
悪役クローディアス王の、都合のいい最期は、「私はあなたを赦すが、しかし神はあなたを罰する」というキリスト教的な(かな)考えではないでしょうか?
ラストも良いと思う。ただ、個人的に欲を言えば、聖君には、一命を取り留めたとかで、生きてほしかったという気もしました。
細田守自身の半生と今の心境を語る私小説っぽいアニメ
果てしなきスカーレットは、ハウルの動く城の正反対
ジブリ、宮崎駿に対する復讐作品&細田守自身の半生と今の心境を語る私小説っぽいアニメでしょう
スカーレットはソフィーのように守ってもらう存在ではない
聖はハウルのように守る側のイケメンではなく看護師
不殺の精神なのに弓矢で倒してるのは意味不明ですが
ピンチに助ける大きなドラゴンは、細田守自信を守る大きな権力と主人公達=自身の無力さを表し
最後に復讐するより、生きたい生きたい生きたい ハッピーエンドで生きてます
大好きな宮崎駿先生、私細田守は全てを許し生きてます
こんなオチに繋がるののでしょう
まだ長い妄想ですが
細田守は大好きな宮崎駿監督ジブリでハウルの動く城を、原作通り作る予定だったが
内部で色々あったのか、よく分からず急遽途中で降ろされ
誰も監督をやらないので宮崎駿が監督になったというが
全部白紙になりストーリーやキャラまでも全然違う作品になりトラウマになった
この出来事により細田守は、ワンピース映画でトラウマストーリーに改変したり
脚本家を軽んじたり卑下したり、脚本を勝手に変えたりと
自分のトラウマをアニメにぶつけるのが、アニメ作りの原動力になってしまった
それを果てしなきスカーレットで、復讐しつつも自分自身を許したかったんだ
映画大爆死でまたトラウマ映画作りそうだけど
本質
酷評目立ってるが見に行って損はなかった。
脚本構成だけにとらわれている人がケチをつけてるのだろう。
本質は何か!何がテーマか。
見る人が見たらスピリチュアルな要素満載で面白かった。このタイミングで雨降るんだとか。
龍が登場!とか
主人公の苦悩と葛藤。
何に気づいて救われたか?
それがテーマであり本質の映画だった。
まったく異なる世界線から出会う設定も面白い。
スカーレットを応援したくなる
あまりの低評価が気になり自ら確認するため鑑賞。午後のサッカーまでの時間潰しに会員割引の1300円、ハードル低めです。結果ラストでは泣きそうになりました。
強く美しくも復讐心に囚われたスカーレット。解放されて自由に生きてほしい、でも復讐も遂げさせてあげたい、しかし復讐を遂げたあとに何が残るのか。彼女の旅を見届けたい気持ちになりました。
芯の強い聖に救われるスカーレットはアシタカに救われるサンのようでした。ただ聖はアシタカのように背負ったものが描かれないので深くはないです。
歌と踊りのシーンは私がミュージカルを見慣れており耐性があるのでむしろ好きです。スカーレットが未来の人々が幸せに暮らせる世界にと願う動機付けになっています。
声は俳優ではないほうがよいのでは。俳優さんはあくまで顔で売っている人なのでどうしても顔が浮かんでしまいます。非公表ならいいですが(笑)。
過去、未来、死者の国、見果てぬ場所、スカーレットの夢、全て繋がっているのだと感じました。素晴らしい映像のフィクションエンタメアニメとしてお薦めです。
ご都合主義、という批判があるが
物語とは大抵の場合ご都合主義である。現実の持つ煩雑さや些少な諸々を一々拾っていてはお話は纏まらない。ハッピーエンドは少なからず都合が良く収束するものだし、所謂バッドやビターといったエンディングを辿る作品はその逆のベクトルを持っている
そのご都合、に説得力を持たせるために脚本はストーリーの中で段取りを用意し、それを魅力的なキャラクターに演じさせる。それを受け手が「こういう流れならこうなっても納得できる」であったり「都合が良すぎるけどこの主人公が幸せになってくれてよかった」と受容出来なかった場合に「ご都合主義」という批判が発生する、と自分は考える
前置きが長くなった。はい、申し訳ない。
ご都合主義だな、と思いました。自分がこの映画に抱いた印象の中で最も強い要素がそこにあるので、以下それを中心に書く
この映画は非常にメッセージ性が強い。ハムレットや神曲といった西洋古典の素養があるならどうやら深いところにある要素を掬えるらしいが、それを持たない浅学な自分であっても表層的なメッセージに関しては概ね捉えることが出来ているのではないかと思う。
何しろあからさまだし、何なら登場人物達が大事な部分は口頭で説明してくれるからだ
そうして叩きつけてくるメッセージそのものに関してはさほど文句はない。綺麗事そのものは自分は好きだ。綺麗事でも回るような世の中になってほしいとは思う
しかしあまりに登場人物に役割を与えすぎたために、結論から逆算された台本に従っているとしか思えない行動をするキャラクターが多く、青臭い言い方になるが登場人物に魂を感じなかった。これが「ご都合主義だな」と思ってしまった第1点だ
第二に、復讐の連鎖、分断の悲劇、自分自身を縛る事の辛さ、己や己の大事なものだけが幸福になればいいという思想の醜さを描写し、そこからの脱却が困難である事、現実世界における綺麗事の難しさを間接的に描いている(スカーレットの殺人を何度も制止してきた聖青年は、最終的に彼女を救うために自ら殺人を犯すし、クローディアスを赦そうとしたスカーレット唾を吐かれ罵られる)にも関わらず、最後の最後で「天の裁き」で終わらせてしまったことだ
復讐に囚われていたスカーレットは葛藤と幻視の果てに自分を赦し、復讐の連鎖からの脱却を図る。これ自体はそれまでの自分自身の人生をもひっくり返す一大決心であり、それが出来る事は大したものだと思うのだが、当人の内面でのみ完結している事象が他人にとっては関係のないことであるのもまた事実である。スカーレットが手放した剣を拾い、襲いかかったクローディアスの振り上げた剣に、序盤から何度か出てきた巨大な竜(スカーレットを導く老婆であり、鳥の群れ)の発した雷が直撃する
棒状の物体を高く振り上げると雷を誘引する、というのはさほど科学に明るくなくともイメージのしやすい現象であり、この第一撃だけならば「復讐を捨て剣を捨てた事でスカーレットは難を逃れ、武器を振り上げたクローディアスは死んだ」という因果関係であり、物質的な現象としての因果応報としてある意味で分かりやすい。これで終わってしまうことも出来ただろう
が、竜は丸焦げになって動きを止めたクローディアスめがけて第二撃を放つ。この段になると明らかに剣を振り上げてたから雷を誘引どうこうといった小賢しい理屈の問題ではなく、あからさまにクローディアスを狙って雷が発されている。傲慢な者に対して明確な意思を持って放たれた上位者による「天の裁き」だ
敵を赦し、己を赦し、変化を受け入れ、悪しき連鎖を断つ。美しい理想だが相手までそう思ってくるれるかは別の問題だ、さぁどうする? という問いに対して、どんな小さなものであれスカーレット自身の選択の結果を見せてほしかった。「わるいことをしたらかみさまが天罰をくだしますよ」で解決するのならば何故あの世界の人々は、現実の人々は苦しむのか、何故スカーレットだけが救われたのか、そもそも序盤から老婆がハナクソを爆発させたりしてスカーレットだけにやたら親切なのはなんなのか
少なくとも自分はそこに何の納得感も見出すことが出来なかった。自分が努めて信仰を持たない事に拘る人間だからかもしれない
そのせいでその後の流れにも気持ちが乗らず、スカーレットが王座に就く流れは茶番めいて映った
以上が自分がこの映画をご都合主義だと感じてしまい、評価出来ない理由だ
良かったと思う点もある。既に言われているが絵作りは綺麗で、やや登場人物(主にスカーレット)の顔が安定しない点が目についたものの映像作品としては秀逸だし、躍動感のある殺陣のシーンはエンタメとしても楽しめるものだったと思う
批判の対象になりがち俳優陣による演技も「少女としてのスカーレット」が出ている場面に芦田愛菜氏の顔がチラつくぐらいで十分に鑑賞に耐えうるものだったように思う
聖が矢を構えるシーンがやたら大仰でやや笑ってしまうのだが、同じ「矢を放つ」という行為の結果が真逆であることを強調する場面であるから意図的なものであろう
評価しない、と言った立場で、とも思うが世間的に言われているほどひどいものだとは感じなかった
純粋にこの映画を楽しみたい、と思う方はIMAXでの鑑賞をおすすめする
多くの宗教が儀礼に合唱や諷経を取り入れているのは、音は力であるからである。音は空気の振動であり、まとまりのあるそれは物理的な効力を持って鑑賞者の精神を揺さぶる
ある程度音を強調した映画であれば、音響が良い環境で観るだけで随分印象が変わるだろう
以上、まとまりのない駄文にお付き合い頂きありがとうございました
以下、さらにどうでもいい駄文
正直なところ、渋谷ダンスの存在をノイズとして脇に退ければ「復讐疲れした少女スカーレットが生死の境を彷徨っている間に自分を納得させるために見た夢」と解釈したほうが自分には飲み込みやすい内容だった
老婆が彼女にだけ親切なのも、父を処刑した実行犯があまさずあの世界に居るのも、新しい生き方を提示する青年と恋に落ちるのも
全く聞き取れなかったはずの父のつぶやきが「ゆるせ」であったと敵から聞かされたにも関わらずほとんど抵抗無く受け入れ、最後には記憶の中の父すらそう叫んでいる事も
最後に登場した父の幻影が彼女にとっての思い出の象徴である破れた似顔絵に変わった事もとりあえず説明が付く
それはそれで「未来のミライ」を書いた細田脚本らしいなぁと思わなくもないものであった
細田守で観たいものと違った
この酷評の原因は「守の綺麗な映像にハッピーなファンタジーを求めすぎた私たち観客」と「現実味のあるそれぞれの地獄と戦い+叶わない理想と願いを描いた作品」とのギャップにあるのかなと思いました。
結論悪いのは私たちで変わってしまったのも守だけではなく私たち。
日本の長編アニメは常に駿と比較され続けファンタジーかつ誰も悲しくない、誰かの大切な人がちゃんと幸せになれるハッピーエンドを求められすぎているのが可哀想だなと思います。
それだけすごい人だったんや駿。鬼になって一生生きよう駿。
ストーリーは面白く楽しめたのでこの物語をもしも実写でやっていたら跳ねていたのかな山崎賢人使いましょう。
内容に関して何か言うとすれば死後の国の神(仙人?)と竜?どちらかでよかったような気がします。
こんなに細部までこだわって映像が美しく綺麗なのに、ここまで酷評されたら鬱になる私だったら。
だけど守はファンタジーでハッピーエンド!がウケる事、求められている事を分かった上であえてこれをやってる気がします。
守の着いて来れないやつは来なくていいですよ(笑)感が年々増してきている気もしなくもない。私は好きですそのスタンス。あと芦田愛菜の歌が上手い。
無理矢理渋谷を絡める意味
ハムレットに感化された監督が作った映画
つまらなくはないがハムレットに馴染みの薄い日本人には理解できないだろう
途中無理矢理渋谷を絡める意味がわからなかった
謎のミュージカルシーンもなぜ入れたか理解できない 広告代理店の意向か何かかと思うレベル
多分これは予習が必要な作品
昨晩こちら2度目を観に行きました。他の方のコメントにもありましたが、余りにも不当に低く評価されている気がしてわざわざこれ書くためにアカウントを作りました。勿論自己満足のためですが共感してくれる人がいれば嬉しいです。
細田監督の作品は好きなものとそうでもないもの、自分は両方あります。ちなみに今作品は家族4人で観に行きましたが自分の家族には余り評判良くなかったですね。しかし一度目を観て大体は分かったと思いつつも喩えの全てを咀嚼しきれなかった気がしたので2度目を昨晩観に行きました。
2度目を鑑賞した結果、幾つかの点も腹落ちし、自分にとってはこれは間違いなく細田監督の作品の中では好きな部類に入るものだと言えます。少し不満な点はあるので満点ではないですが名作だと思います。
映像は色々言われていて、批判に共感できる部分もありつつも、幾つもの技法を凝らした本当に素晴らしい映像だと総じて思います。スカーレットはすごく魅力的だし芦田愛菜さん初め声優の皆様の演技は本当に素晴らしい。盤も買おうと思っていますが映画館の映像と音響で観るべきものなのでまだ行かれていない方は是非映画館でご覧になって下さい。
そして何故これほどこの作品がヴェネツィアではstanding ovationだったのに日本で低評価なのかをずっと考えていたのですが、この映画を良いものだと評価するためには幾つか要件があるのだということに思い至りました。
自分が思うに、それは以下の3点だと思います。
①ハムレットについての事前知識
②今の世界情勢への課題意識
③父親が娘に抱く愛情についての理解、共感
①ハムレットのあらすじを知らないとこの作品を面白いと思うことはできないかも知れません。彼の作品の世界観との比較、対比の構図が実に面白い部分なのでせめて劇のあらすじをWikiなりで事前調査してから鑑賞すべきです。でないと細田監督が何を改変したかが分からず、本当の意味で楽しめたとは言えない気がします。
そしてこの作品はすごく演劇っぽいと思います。なのでシェイクスピアを含め多少なりとも演劇を観たり興味をもった人の方が楽しめる作品だと思いました。その人口がこの国は少ないのだということをこの低評価は図らずも示している気がします。
②ここ数年間ウクライナやパレスチナで起きている殺戮と人の人への激しい暴力の連鎖への深い憂慮がこの作品の映像から強く伺われます。それを自分にある程度身近な課題と感じていないとこの作品には共感できないと思います。
とても青臭いメッセージかも知れませんが汝が敵を許し愛せよというメッセージをこの作品は非常にストレートに私たちに投げつけてきています。
でも低評価の方のレビューを見ると残念ながら伝わっていないのだと感じます。それはある程度注意深く世界中のニュースに目を凝らしていないと実感しづらい遠すぎる世界の出来事であるからなのでしょうね。
このメッセージはキリスト教的な宗教的な色彩を帯びていると解釈することもできますが、平和への渇望はより普遍的なものであるとも考えられ、ウクライナやパレスチナの現状を踏まえ、今この瞬間にメッセージとして伝えることに意義があるのです。「悪辣な王」は16世紀末の西洋のみならず今も存在するのだから。だからこそ根の国の住民は映像として不相応に西洋や中東色が強いのだと自分は推察しました。勿論わざとですよね細田監督。
他方、悪者には必ず罰が天より下されるのは日本的な宗教観乃至古代ギリシャ演劇の色彩が色濃く出ていますよね。ご都合主義と批判されていますが絶対者が罰を下し問題を解決するのはそこまで大仰な前提でなくとも様々なフィクションでも見られることです。でないとスーパーヒーロー、正義の味方のフィクションは存在しえないですよね。
とは言えこれまでの世界全体を味方にして敵を倒すという世界は一つみたいな民主的な細田作品の問題解決の見せ方(あれだってご都合主義と言えなくもないですが。僕はあれも好きです。)とは大分異なる問題解決のあり方なのも不評の原因の一つかも知れませんね。
(ところで彼の世界では八百万の神たる監理者が姿形を変えつつあの国で何が起きているかをある程度きめ細かく見ていて、それはクジラが祝福を与える細田監督のバーチャルワールドにも繋がるものがある気がしました。)
そして聖は現在の平和な日本そのものを象徴する人物で、愛されるべきだけど色々な意味で世の中が分かっていない世間知らずのお坊っちゃんです。彼の存在は実在の人物というより日本示す記号のようなものなので象徴的でアンリアルだと感じるのは当然です。
その記号たる彼も愛する女性の為には立ち上がらざるを得なくなります。
その結果、無垢なる彼が無に帰すことになるのはしかし暗示としては不吉なものがあり、そうならないような世の中にしたいというスカーレットの願いには切実な細田監督の願いが映されている自分は感じます。
日本の近海で同じようなことがもし起きた時にこの作品、細田監督の意図は再評価されるのかも知れませんね。他人事じゃないんですよ。
上記①と②がヴェネツィアではstanding ovationだったが日本では低評価の主な理由だと思います。
彼らはシェイクスピアに慣れ親しんでいるからストーリーの対比ができるしウクライナとパレスチナは彼らにとってはご近所です。ヴェネツィアとガザの距離は北海道と沖縄くらいの距離です。キエフで北海道と九州くらい。今この瞬間も近所で殺し合いが起きているのです。人とは…と問いたくなる気持ちが理解・共感できるのは当然なのです。
他にもオマージュは色々感じられたのでそういう意味では海外の方が本作は興業的に成功するかもしれませんね。
③ハムレット王子をスカーレット王女に変えたのは実にズルいと思いました。僕も娘がいますが母親からは娘を息子対比で溺愛しすぎだと良く叱られます。同じような気持ちが細田監督初め世の父親には大概あると推察されるので「娘は復讐の鬼などにはなってほしくない」、という部分には強く共感できます。親娘のやりとりの部分は少しウルッときました。
細田監督は自分の家族に対する想いやメッセージを映像にする監督なのでこの作品もそういうものだと理解しました。やっぱり私的な映画ですよねこれ。
他方、だから、大概はあそこまでじゃないにせよ、世の娘に嫉妬するガートルードには不評かもしれません。
しかしあそこまで実の娘に憎しみを向ける母親などいるのかというのは問いたいところではあります。そこはこれまでの細田監督らしからぬ母親の描写の仕方であり、ハムレットのガートルードとも違うと思ったので、誰かモデルがいるのかと聞きたいところではあります。
長々書きましたがまだご覧になっていない方はハムレットのあらすじを予習し、ウクライナとパレスチナガザ地区の現状をある程度把握してからご覧になることをお勧めしたいというのが言いたいことです。娘を持つ父親には刺さる作品です。そして自分の国を取り巻く環境、家族のことにも思いを馳せながら鑑賞してください。そうすればこの作品をあなたも素晴らしいと思うかも知れませんね。すぐ終わってしまいそうだし僕ももう一度観に行こうと思います!
とても満足できました
鑑賞前に「ご都合主義、ダンスが意味不明」などの酷評をたくさん見ましたが、実際に観た感想は全く違いました。
死後の世界でスカーレットや他の登場人物が、看護師との出会いによって感情が変化していく様子が描かれており、神様とおぼしき登場者が全てを見通して導いていたのではないか、など多くを感じました(龍も操っていた?)。
そしてスカーレットの心が変化したあとの帰還後でも、民衆を平和な世界に導いていくが、それは皆さんの気持ちが重要と諭す行動があり、単純なハッピーエンドでもありません。これらもとても良かったです。
しかし映画ファンとしてもちろん文句もあります。敵役の王と部下4名が揃ってなぜ死後の世界にいるとか、せめて敵役の王は毒殺されてて欲しいとか、芦田愛菜はとても頑張っていたけれど、あの厳しいスカーレットを全て演じきるのは難しかったなどなど。
しかし映画全体を総じて俯瞰的に見ると、全体ストーリーは通っており破綻とは感じませんでした。
(個人的には竜とそばかすの姫よりよほど全体のスジが通っていて分かりやすい。そもそもご都合主義でない物語が世の中にあるのか?)
今もネットの酷評はひどいですし、良い悪いは人それぞれでいいと思います。ただ、他人の批評だけで判断せず、自分の目で観て、自分の心で評価してほしい作品です。
補足ですが、大阪万博開催前のネットの酷評、ネガティブキャンペーンを思いだしました。オワコンとかひどい批判でしたが、実際に行った体験は素晴らしく何度も足を運び、多くの感動を得ました。
ネットは叩くターゲットを見つけるとなぜここまで叩くのでしょう。やはり自分で見て自分で判断する、をみんなが実践すれば世界は少しでも良くなると思います
到達点のその先は?
観終わって最初に思ったのは…
覚醒剤でもやってるんじゃないか??
2年後くらいに捕まっている未来を想像した。
それはさておき、
前作でやりたいことの一定の到達点に達した(かつ興行的にも十分に成功した)監督の次作としてはかなり難しかったんだと思う。
とりわけ貞本との決別が大衆に受け入れられなかった要因の根底にあるのではないかと想像する。細田=貞本、みたいな潜在意識はなんとなく皆持っており、前作でうまく脱却の雰囲気は作れたが、今作はちょっと振り切りすぎてしまった。また、夏興行が売りの監督だったが今作は冬興行に持っていかざるをえなかったところも要因としてあるのかも。作り手と受け手の諸々の齟齬が今作の現時点での興行的失敗に繋がったと思う。
現実世界でのジュブナイルのための手段として非現実を使うのが監督の持ち味だと思っていたが、今作は非現実の中で物語を完結させる手法であり、観ていて若干しんどくなってしまった。試みとしては評価するが、死後の世界が意外とイメージ通りだったりするのがつまらなく感じた理由なのかもしれない。現代人が一人メインキャラとしておかれ、スカーレットの成長がそこに帰結していくのだろうが、であれば、もっと色々な時代の人々を登場させても良かったんではないか?その方が「果てしなき」というタイトルが現実味を帯びてくるようにも思うが、2時間の枠では難しかったのだろう。自分に矢印を向ける事が今必要とされているというテーマ自体は好意的に受け取れたので、作品全体は決して悪くないのだが、形作る一つ一つの試みが微妙に噛み合わなかった印象。
死後の世界なんて別に何やったって良いんだから、もっと振り切って自由度高く好き勝手やればある種の怪作の域に達したのかも。
チラシ見た時からほとんど期待していなかったので、こんなもんだと思って見たが、次作は多いに期待する。今作の失敗を糧に次作ではテーマと手法を見事に融合させてほしい。できれば貞本の手を借りずに。また、ラリってる感じの演出も次作ではうまく昇華できることを願う。
なお、映画レビューとは直接関係ないが、
細田守のベストは「時をかける少女」だ、というコメントをちょいちょい拝見する。
わかる、よくわかるが、ちょっとう〜んとなるというか…
仁義なき戦いシリーズで一番面白いのは広島死闘編です、っていうのと感覚的に近いような気がしている。
一つの映画を語る上で、単体でみるのか、フィルモグラフィーを重視するのかは難しいテーマである。
素晴らしきスカーレット!
脚本がとか、設定がとか、色々酷評されているのでどんなにつまらない作品かと興味本位で鑑賞しましたが…素晴らしい映画でした。死後の世界…多分完全な死後の世界ではなくこの世とあの世の中間地点、リンボー涅槃の世界だと思いますがその描写が素晴らしい。涅槃の世界で死を意識すると本当の死の世界へ行くという設定でしょう。涅槃の世界は実際には肉体や物体のない意識(イマジネーション)の世界なので、突然に人が現れたり、場面が変わったり、変な生き物がいたりなど問題なく観られました。涅槃のほとんどの登場人物がスカーレット世代の人々であることもこの世界がスカーレットの心象風景であることを示しています。唯一、聖だけが例外なのは「時をかける少女」と似ています。導き手である老婆は黒澤明監督「蜘蛛の巣城」のもののけを連想させます。細田作品の主題は自己実現であると思います。これまでの作品も「家族になる」、「母になる」、「父になる」、「兄になる」、「人になる」…などがテーマでした。人になるをやった以上、今度は何を見せてくれるのかと思っていましたが究極の自己実現でした。魂の救済ともいえる本作のテーマは単純なストーリーながら奥深いです。涅槃の世界における景色も人物も出来事も実は全てがスカーレット本人による心象風景であって現実ではないのではとも思います。同時に鑑賞者達も自分だったらどうするのか?殺戮に殺戮を繰り返し、最後に仇討ちをすることで本当に心の満足がえられるのか…それとも…を考えながら観るのも良いかと思います。映画監督の中には自分のトラウマを作品にして自己解消するタイプの方がいます。ティムバートン監督などがその典型であり、彼の初期作品は常に他人に理解されない孤独がテーマでした。それが「マーズアタック」で理解なんて不可能なんだで決着をつけます。細田監督も似たような作風です。本作まで行き着いた先には一体何を作るのか?果たして作れるのか?次回作を楽しみに待ちたいと思います。
追記…これは私の妄想ですが…本作は恐るべき傑作です。以下、もろネタバレです。
以下のことを念頭におけば本作の理解が深まると思います。気になったのはスカーレットが覚醒した後に演説する際の民の数の多さです。あり得ない数の国民がいます。まさに世界に問いかけているようです。あの群衆の数はスカーレットの見ている世界が現実ではないこと示しています。つまりあのシーンでさえ彼女の心象風景です。
1.スカーレットは最後まで昏睡状態で死んではいない。
2.スカーレットはラストで覚醒していないし、憎き叔父も毒杯で死んでいないし、彼女は女王にもなっていない。それは彼女にとっての都合のよい妄想である。
3.スカーレットが常世で見ている世界は彼女の精神世界の深淵であり心象風景である。
4.その風景を見せて導いているのは死んだ父親の魂とこの世の理。
5.聖や未来世界とのつながりは彼女の精神世界である。
6.この映画は復讐心で苛まれた哀れなスカーレットのスカーレットによるスカーレットための魂の救済物語。
7.「未来世紀ブラジル」の妄想シーンが本作の全編になっていると解釈すると分かりやすい。
戯曲。「果てしなき、果てしなきスカーレット」
開幕
「細田守、そこまで考えてはないと思うよ」
「あのオッサンは完成品を投げた。私は金を払った。作品はもう私のものだ。オッサンは引っ込んでろ」
「クローディアスが殺したのは”こうなりたいと思う大人”だった。」
「スカーレットは”オッサン何してくれてんねんワタシこれからどうしたらいいの”感情を得たわけだ」
「だがガートルードが破り捨てたその大人は、生きていた」
「だから」
「スカーレットは”オッサン何してくれてんねんワタシこれからどうしたらいいの”感情を手放せたのだ」
「細田守、そこまで考えてはないと思うよ」
「オッサンは引っ込んでろ、と言ったろ!!!」
終幕
以下、感想
映画はVirtualな映像だけどVirtualは虚ろという意味ではなく”実体なき影響力”のようなニュアンスを持つ。あの渋谷のVisionにはどんな力がある?チケット代を払った人の不興を買うチカラ?
…と書いていて思ったけど、あの渋谷、宇宙探査機ヴォイジャーに載せられたという宇宙人宛のメッセージだね。「地球人類を××分間で紹介せよ」みたいな課題で提出するやつ。何をどうしてそんなものをあそこに挟んだか、わかるようでわからないけど。
宇宙人があの映像を気に入って、一兆円くらいの価値があるオヒネリを地球に衝突する軌道に乗せてくれるかもしれない。そうなったら、映像作家細田守は好きな映像をたくさんつくれるかもしれない。いや、そうならなくても好きな映像しか作ってないぞ。あのオッサン(^o^)
単純に面白くない
正直、褒めるところがない。
世界の平和とか憎しみの連鎖、みたいな台詞があってテーマが「人間とは」という普遍的だが非常に重苦しいテーマなのに、それに耐えうる世界観にも主人公にも仕上がっていない。
全体的に冗長な上に爽快感がない。映像美はあるが、最近の目覚ましい表現技術の進化を考えれば「まあ、こんなもんだろうな」と思う程度だった。
・復讐譚なのに主人公のスカーレットに共感できない。序盤はひたすら「お父様大好き!」って言うだけなので見ているこっちが恥ずかしくなった。散々訓練するシーンを描写しておいて毒を盛って弱った所を狙う作戦って何?
・スカーレットの台詞の大半が「アア、アア」みたいな声で、ちいかわかと思った。まともに喋っても感情的で刺々しく、とてもではないが王女に見えない。
・ヒーローの聖は真っ向からスカーレットに歯向かうでも迎合するでもなく、ただ現代の価値観を体現しているだけで「人間らしさ」を感じない。
・聖が歌一つ歌っただけでギスギス感が消し飛び、恋人みたいな雰囲気になるのはどうなんだろう。「へえ、やっぱバンドマンがモテるんだ」と見当違いな事を思った。
・ダンスシーンが不気味の谷過ぎて気色悪い。等身がおかしいせいだろうか、人形が動いているようにしか見えなかった。
・戦闘シーンに爽快感が皆無。主人公達が弱すぎる。四天王みたいに立ちふさがる王の処刑人に真っ向から勝てないのはどうかと思う。
・死後の世界? の設定がよくわからない。(最後に明かされる事実だが、)実は死んでなくっても行ってしまう世界のようだったし。あの竜は結局何? あの婆は何?
・ボスがマジで愚昧すぎてなんで権力を持てるのか意味不明。周囲の人間はなんでアイツに「死後の世界でも付いて行こう」と思ったんだろう。頭に脳味噌が入っていないんだろうか。
・ボスの死に際が異常に長く、報いとして長く苦しませたかったのかも知れないが、陳腐だったし終盤で見ているこっちは疲れてたので「さっさと○ねよ……」としか思えなかった。
・死後の世界にも現世の王国にも大勢の人間がいるのは結構なのだが、王国に地平線を埋め尽くすほどの群衆がいるシーンは、「ちょっとコピペをやり過ぎてないか?」と思った。
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