果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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報復の連鎖を止めるのは「赦しと愛」。 ――細田守監督が作品に込めた想いとは
本作は、復讐劇の元祖とも言われるシェイクスピアの「ハムレット」をモチーフにした作品だという。
この背景を知ってから観るのと、知らずに観るのとでは、作品の受け取り方は大きく変わるのではないかと思う。
細田守監督によると、本作の制作が始まったのはコロナ禍が明けた頃。
しかしその一方で、世界ではさまざまな争いが次々と起こるようになっていた。
その光景を目にするうちに、
「報復が連鎖した先には、いったい何があるのだろうか」
そう感じたことが、作品誕生のきっかけだったという。
深い遺恨や復讐心が生まれ続ける世界。
「決して平和とは言えないこの世界で、“復讐”というテーマをどう描くのか」を考え続けながら作られたのが、本作なのだそうだ。
原典である「ハムレット」では、亡霊となった父親が息子ハムレットに「許すな」と告げることで、復讐劇が始まる。
しかし本作では、その問いが反転する。
もし、父親が「許せ」と言ったらどうなるのか。
自分の父を殺した相手を、人は本当に赦すことができるのか。
「赦すべきか、赦さぬべきか」
――それが問題だ。
テーマは明快だ。
けれど、その選択はきっと身を斬るような苦しみを伴う。
「汝の敵を愛せよ」
新約聖書にある有名な言葉。
悪意を抱く者に対して、慈愛をもって接しなさいと神は説く。
そして時に、最も深い悪意とは“無関心”なのかもしれない、と私は思う。
どうしても許せない。
絶対に赦せない。
穏やかだった血と肉が、一気に沸騰するような怒りが湧いたとき、
人はどう振る舞うのだろう。
そのとき、スカーレットが抱えていた、身を引き裂くような苦しみを、
ほんの少しだけ想像できた気がした。
「赦す」という行為は、なにも大げさなものではない。
それは、ほんのわずかな「想像力」。
そこにはいない誰かを、
ほんの少しだけ慮る時間。
私自身、シェイクスピアに詳しいわけではない。
それでも、この作品が投げかけてくる問いは、十分に伝わってきた。
より深く味わいたい人には、
戯曲「ハムレット」や「マクベス」を事前に知っておくのもいいと思う。
演出はやや戯曲的で説明も多く、そこを冗長に感じる人もいるかもしれない。
一方で、小学校などの道徳の授業で、
「生きるとは何か」「赦しとは何か」を考えるための材料として上映するのには、
これほど、最適な映画があるだろうか?宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」とあわせて多くの小学生に観てもらいたい作品であると個人的には思う。
評価は星3つ。
ただし、作品全体を勇敢に背負った芦田愛菜さんの大いなる奮闘に、プラス1。
彼女の苦悩が、終始スクリーン越しに伝わってくるようでした。
愛菜ちゃん、お疲れさまでした☕️
歌も、とても素敵でしたよ♪
所々荒さはあるものの、色々考えさせられた
細田守の映画は賛否両論になる傾向が強いですが、個人的にはその独特な作風が好きなので、今回もそれを期待して観に行きました。
前作から大胆にテイストを変えており、すごく野心的なものに仕上がっていました。「死者の国」の描写は、デザインが2Dアニメなのに実写のようにリアルな映像美に圧倒されました。通常上映での鑑賞でしたが、IMAXに負けないぐらい十分迫力がありました。
所々で脚本の荒さが目立っていたので、低評価している人たちの気持ちを理解できました。衝突にドラゴンが登場したり、敵がいきなり心変わりするなど、急展開な場面の多さに私も戸惑いました。
それでも、今の社会情勢を反映させたテーマに考えさせられました。復讐に囚われたスカーレットが「生きるとは何か」「許しの意味」について彼女なりの答えを見出せたときは、なぜか涙腺にきてしまいました。これは、強きものだけが生き残り、弱きものが存在を失う現代社会に違和感を覚えた細田監督の答えかもしれないと解釈しました。
色々と惜しい箇所はありましたが、新たな表現に挑戦した細田守はすごいなと思える映画でした。
画にストーリーがついてこれていない気がした
実際観た人ではないと、映画の評価は付けちゃいけないし、批判もしちゃいけないと思うので、自分の目で確かめてみようと鑑賞。
結果、ここまで酷評するほどの作品ではないが、酷評してる人たちの気持ちもわからなくはないなーと思った。
とりあえず画はトップレベルで、凄まじいのは確か。それを観るのは一見の価値あり。
これはもう実写なの?というぐらい荘厳な自然や生き物や建物描写は圧巻で、視界から入る情報は凄まじいし素晴らしいの一言。
監督がこの作品を通して伝えたいことや、描きたいことはなんとなくわかる。
しかし、話がそこについていけてなくて、観ている人の置いてけぼり感がすごい。
例えるなら、見た目はとても美しく芸術品かと思うような料理なのに、口に入れたら味が薄くて、食べられないわけではないけど美味しい!とテンションが上がるものではなく、無言になってしまう感じ。
やっぱり主人公を応援したいし、愛着を持って観たいのに、スカーレットに愛着が持てない。だからのめり込めない。頑張ってのめり込もうとしてみても、ノイズになるセリフや描写や展開があるから、ストップかけられてしまう。これが結構つらかった。主人公が泣き叫んでも、どうも冷めた目で見てしまう。
キービジュのコピー文も果たして「愛を知りたい」であってるのか?
観た後だといまいちしっくりこない。
主人公は少なからず父親には溺愛されていたわけだし、愛を知らないわけではないと思うから…。
それよりも、欲望や憎しみの連鎖を止め、許す気持ちから平和は訪れるという、簡単なようで未だ人類ができていないことを、改めて壮大なストーリーを通して伝えることは良かったから、そっちの方面でのコピー文が良かったのでは?と思った。
このクオリティの画だからこそ、ストーリーが面白ければ凄いことになりそうなだけに、勿体無いなーと思った作品だった。
以前の脚本家さん…戻ってこないかな…。
赤いピアス
お姫様の耳に飾られた赤いピアスが印象的でした。ピアスと言えば、「ミツバチのささやき」という映画でも、主人公の耳にピアスが輝いていた。それが幼い彼女を少年に見せない、女性らしさを表した象徴でしょうか。
映画として、とても面白かったです。本当です。よくある復讐劇かと思いきや、いきなり主人公と一緒に(冒頭で前振りはあったけど)死後の世界に放り込まれる、その仕掛けはとても面白かった。あれれ? お姫様は死んじゃったのかな? なんで? と、それを知るまで目を離すわけにはいかなくなる。
矢継ぎ早に(字、あってるかな)現代看護師の聖くん登場。もうポカンとなりました。中世とかそういう時代の話だと思っていたのに、SFか、はたまた異世界もの的な演出なのか。矢継ぎ早といえば、聖くんは弓使いでしたね。きっと高校とかで弓道部で慣らしたんでしょう。素人には弓が引けないと聞きます。
それはひとえに、未来の都会で踊るお姫様のシーンを描きたかったからなのか。看護師として現代医学で活躍する面白さもあるんでしょうけど、それが、復讐に生きるお姫様に、「もっと色んな人生があるんだよ」という可能性を示唆するための使いなのでしょう。
使いといえば、あれはなんだったんだろう。天空から襲来する龍の雷。仙人めいた達人のおばあさん。(ここから大きなネタバレですが)そもそも、何故、お姫様は生きながら死後の世界に落ちたのだろう。「仮死状態だから」という理由付けも考えられるけど、「世継ぎの女王様に課せられた試練」みたいに考えれば、「本当だった初代女王の伝説」みたいで面白い。
そういえば、アレと似てますね。「西遊記」で三蔵法師様が天竺に旅立つきっかけは皇帝陛下の地獄巡り。目を覆うほどの世の乱れに悲嘆したお釈迦様は(孫悟空の天界荒らしが収まってから)皇帝陛下を召喚したエピソード。こうして地獄巡りを経たお姫様は、新たな女王としてスタートを切る結末だったのですが、この映画はそこで終わりだったので、行く末は祈るほかはないでしょう。
最後の民衆に向けた演説で、不信感で顔を歪めた民衆に女王は演説。それを聞いた民衆は笑って新女王を讃えるんですが、なんでしょう。「しょうがねぇなあ。そう云うなら、まあ良いか」という苦笑いにみえたんですよね。なんていうか、あっけらかんとした流れだったし。そりゃ信用できる訳はないけど、前の前の王様は良い人だったし、なんとかなるかな? というところでしょうか。
文頭でも書きましたが、やっぱり自分の一番の印象は、耳の赤いピアス。あれをしっかり見せたシーンは腕に銃弾を受けて聖くんの治療を受けるシーン。脱がされそうになって「恥ずかしい」と思わず云ってしまったところとか。
そこまで復讐の鬼、男勝りの戦士っぷりだったのが、ふと少女の頃に戻ったような振る舞い。昔、優しい父親と過ごした明るい少女の頃の象徴が、あの赤いピアスだったと思う。映画が進むにつれ、戦い続け、傷ついて、いろんなことが起きる中で、ふと、少女の頃の彼女が顔を現しはじめる。如何に復讐に魂を燃やそうと、その少女の頃の彼女の本性は変わらない。その本性に逆らっているからこそ、お姫様は辛く悲しく不幸な道に歩んでしまっているのではないかと。復讐しなければ前に進めないけど、もしそのことを「許す」ことが出来たなら、本来の幸せな自分を取り戻すことができる。「色んな人生の可能性」も「都会で踊るシーン」に示唆されているけど、「本来の自分に立ち返る」というのも自分がこの映画に感じた根幹であると思います。
後は「生きたいと云え」とお姫様に訴えた聖くんの言葉でしょうか。もしかしたら、看護師として患者を励ます手段だったのかも。だとしたら、災害の現場で奔走するような、筋金入りの看護師だったのかもしれません。
ちょっとこの映画の評価が低いのが気になりましたが、個人的には十分楽しめたつもりです。割高のドルビーだったせいか、数人しか観客がいないがら空き状態。流石ドルビー、エンディングの澄んだ歌声が実に素晴らしかった。
日本のアニメは世界に迎合しなくてもよいと教えてくれる
細田 守
「サマーウォーズ」で、オレは「こっ恥ずかしい」、「架空の(本人は経験していない)ノスタルジーに添加物を盛り込んだだけで中身は、大人向けとは真逆のもの」
と書いた。それ以降の作品も全くかっていない。いつも日常からの非日常(異世界)の転換が、ヤッパリおっさんの思考(嗜好)から逸れていく。
前作「竜とそばかすの姫」も日常の一幕で、細田監督はすごい映画たくさん見てるんだなあ、とハッとするカットも多かったのだが、竜の正体探し(ネットであなたは誰?はナイな)が一応のサスペンスにはなるんだけど、竜の正体はお父さんのほうが絶対面白いんだけどね。と。どうも、自分を成長させるには、他人を救わないといけない、それが自分の映画の作家性であることの意識が強すぎるのか。
というか、鑑賞者を少し下げて観てるんじゃあないか、まで思えてしまう。語らず映像で見せる演出はすごい上手いのに、セリフはチープって、結局そういうことなんだと思う。
それがオレのようなおっさんはターゲットにないよ、というのであれば、その通りなんだろうけど。
「果てしなきスカーレット」
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前作もそうだったかもしれないが、本作、まごうことなき「世界市場」を意識した作品。
そのため、ベースが「ハムレット」、物語の進行が地獄 → 煉獄 → 天国と精神的な上昇を描く「神曲」であるように、超普遍的な寓話性をもって、自身の訴えたいことを強く押し出した野心作、であることは分かる。ビジュアル表現が明らかにフランスや北欧アニメ映画に寄せている。それが「死者の国」(地獄、煉獄)の背景ともなるのだが、これまで日本で過去作を見てきた「肥えた」観客には、違和感に留まる。ましてや、神曲をモチーフとした作品群に慣れていないとなおさら。
また、「神曲」の、人間の弱さ、過ち、赦しのテーマが、描かれはするものの、「時空を超えた」平和と愛のメッセージをたっぷりと盛り込みたい思いが強すぎて、例の「歌」からの「ダンス」シーンがただ浮いて見えてしまっている。「歌」に「力」があることは、誰でも知っていることなのに、この「歌」でそれはない、と観る側に思わせるのもつらいところ。
今回は少し「世界市場」への取り組み方にいくつか問題、不運があったように思う。直近の「鬼滅の刃」、「チェンソーマン」は「続編」だ。これらは、世界に「理解されるために」作られた作品ではない。これらの世界での大ヒットが証明するように、「迎合」しなくても、ファンが世界中につく時代となった。本作の製作期間4年。4年前に比べると圧倒的に「アニメ」は世界において市民権を獲得し、ハリウッド映画より「利益の出る」と言われるようになった。
スタジオの規模に依存する作画期間や段取りの課題、構想の練度もあっただろうが、「挑戦」の結晶が完成、公開するタイミングが悪かった。
アクションシーン含め、個人的にはハッとするようなカットはここにはなく、剣を持っているくせに、必要のないおちゃらけキャラが出てきたり、前作に続き「歌」で失敗してたり(これは前作が自身最大のヒット作になったことも影響しているか)、今どきあそこで「キス」が世界市場なのか?と残念な点も多い。
しかし、前作よりも「挑戦」を感じることができ、地獄の音(音響)はとてもよく、なかなか「飽きない」作品だったので、「楽しく」見ることはできた。
なんだけど、ラストの演説はやっぱり帰りたくなった。
追記
オレはあのダンスシーンは結構好きだったが、先に「罪人たち」の「歌」による素晴らしい「時空、文化の超越」をみているからなあ。
満足度や完成度は決して高くないが
映画を観ている間、細田守の苦悶の声がずっと聞こえてくるかのようだった。壮絶な産みの苦しみとでも言おうか。世界で無慈悲な殺し合いが続き、手段を選ばぬ為政者が跋扈する現代にいかなる物語を放つか。満足度という意味では明らかに低い。ストーリーのまとまりも高くない。が、おそらく細田監督はこの「世界との対峙」を通じて泥に潜ること抜きには前に進めなかったのではないか。「ハムレット」の要素を取り入れつつも(「寺に行け!」という台詞には思わず笑った)、何かしら別次元にある存在が一つの場所で結びつき合うという構造は従来の細田作品と変わらない。そして「生きろ」というかつて『もののけ姫』のキャッチでも世に浸透した言葉が約30年後の今、照り返してくるようなくだりも、やや叙情的すぎるが印象を刻む。作品としてお勧めはしない。が、これまで細田作品を観続けてきた人なら、好き嫌いは別として、多少受け止める意義はあると感じる。
復讐の想いに掻き立てられて・・・
この作品、映画館で見損ねて、今回WOWOWを録画して鑑賞したのですが、う〜ん・・・
好きなことは好きなんです。画面は綺麗だし、迫力ある映像で楽しませてもらいました。ただ、思っていたのとは、ちょっと違ったかな。期待が大きすぎたのかもしれません。
【ネタバレ】
いきなり主役のスカーレットが毒殺されてビックリ!なんと、死後の世界の話でした。(厳密に言うと生と死の間の世界みたいですが)
どういうわけか、親である王様を殺害した叔父もこの世界にいるということで、復讐を果たすために奔走する王女の話です。
そこに、どういうわけか日本人の看護士が絡んで来て・・・
全体的に中途半端な気がする。モヤモヤが収まらない。
復讐一筋だったスカーレットが看護士の聖と行動を共にしていくことで、生命の重さ、復讐の愚かさに気付いていくのは分かります。
でも、結局最後には復讐を成し遂げますよね。そればかりか、生命の重要性を常に説いて治療をしていた聖にも人を殺めさせる。
挙句の果てにスカーレットは生き返っちゃうんだから、どういう事?
戦争の愚かさ、生命の尊さを訴えているのは十分に感じ取れるんだけど、その言動と出来事がチグハグな印象を受けた。
まぁ、とことん性根の腐った叔父さんが虚無として消滅するのはスカッとして良いんだけど。
ところで、我が娘をも手にかけた王妃はどうなったんだろう?見逃しちゃったかな。
最後にひとこと。
芦田愛菜さんのスカーレット、なかなか良かったとは思うけど。芦田愛菜色が強すぎるんだよね。あの声を聞くと芦田愛菜さんの顔が浮かんで、違和感にしか感じない。そんな想いがあったから、尚更作品に入り込めず、イマイチに感じちゃったのかもしれない。
生と死を語るには軽すぎる
聖に出逢う旅へ行こう
作品にある魂は、支持します。
(僕は細田監督のファンではないので、公開当時の賛否に鑑賞を後回しにして、やっと観ました。
感動しました。
映像も細田さんがコレをしたかったんだと、素直に受け入れました。
前作ほど違和感はありませんでした。
今年公開作を今年中に鑑賞回収と焦って観ましたが、
昨年公開作だったんですね。
アホな自分です。)
(不器用)という言葉を思い出した。
あなたは不器用だから、と僕は若い時よく言われた。
そう、素直過ぎる。
器用にやればいいのに。
本作は使い古されたテーマを素直に表現し過ぎたのかもしれない。
説明過剰の脚本は、鑑賞対象年令を下げたかったのか?
それでも、
聖に出逢う旅には感謝しよう。
僕はもう歳を取りすぎて、嘘も上手になった。
復讐は自分を解放しない、
そんな事も一周回って旨く復讐して嘲笑えるようになったから。
被害者のフリをして加害者丸出しのヤツの、
その化けの皮を剥がして背を向けられるようになれたから。
でもスカーレットは不器用、
聖も地獄を彷徨う人々も皆、不器用なまま。
(アンデルセン童話を読んだ小学生の時を思い出した。)
未来はいつまでも平和が来ない。
いつまでもいつまでも来ない。
スカーレットや聖や、細田監督のように祈りたいが、
来ないんだよ。
だから、せめて自分だけは自分の家族だけは平和へと願い続けたい。
西方極楽浄土
『念・仏・無・限』
そんな言葉を思い出す作品です
鎌倉時代に、燎原の火のように広がったこの信仰は
庶民から武士、公家、権力者をも虜にした
あまりにも悲惨な状況(地震・争い・疫病・貧困・政治・蒙古襲来等)から、
この世での幸せを諦めた国民が、4んだ後に連れて行ってもらえるという
あるはずもない「理想郷」=極楽浄土を信じたかったのでしょう
今の日本も当時と同じ
地震・台風・終わらない争い・癌・政治・コ■ナ枠・移民・貧困等
重なる部分が多すぎる
もしかして監督も、絶望的な日本を嘆き、誰も行ったことのない
「見果てぬ場所」=極楽浄土を映画に登場させながらも、
そんな場所は存在しないんだと言いたかったのか
いや、復讐や裏切りの先には、美しい未来はないと言いたかったのか
映画でのキーワードは、父の死に際の言葉「赦せ」
色々な意味にとらえられるが、実は「クローディアスを赦せ」だった
「復讐することに、人生を費やさないでくれ」
というスカーレットへの究極の願いでもあったのでしょう
聖の口ずさむ「祝祭の歌」が心に染み入ります
2人が渋谷で踊る未来?のシーンへとがつながって、
更にラストのキスシーンへと・・・
ただ、やはり細かいところで矛盾や疑問が多すぎるのが残念でした
なぜ4後の世界でもクローディアスは権力者なの?
庶民がたどり着けないのに、彼は透明の階段まで登って「見果てぬ場所」まで行けたの?
なぜ日本人は1人なの? 4後の世界でどうやって稼ぐの?等々
「自分を殺さない、他人を殺さない」という果てしなき理想
『果てしなきスカーレット』を観終わったとき、僕にはこの映画がどこか矛盾しているように見えました。
スカーレットは復讐をやめ、「もう止める」と宣言します。しかしクローディアスは戦うことをやめません。
剣を捨てたスカーレットは、ドラゴンが現れなければ殺されていたでしょう。
現代から来た聖もそうです。
人を傷つけることを避けていた彼も、本当に自分やスカーレットが殺されそうになれば、人を殺してしまいます。
「他人を殺さない」という理想は、相手から暴力を向けられた瞬間、とても脆い。
では、この映画は単純に理想論を語っているのでしょうか。
考えているうちに引っかかったのが、スカーレット自身の「何度も何度も自分を殺して」という言葉でした。
父のため、民のため、復讐のために生き、自分を許さなかったスカーレット。
父アムレットが最期に残した「許せ」とは、そんな彼女に「もう自分を殺すな」と告げる言葉でした。
ここで二つのテーマがつながります。
「他人を殺さない」ことと、「自分を殺さない」こと。
クローディアスは自分の欲望に忠実です。
自分を殺さない代わりに、他人を殺す。
スカーレットは復讐と責任のために自分を殺し、同時に他人も殺してきた。
父アムレットが求めたのは、そのどちらでもない。
「自分を殺さず、他人も殺さない」という道だったのではないでしょうか。
しかし、それは途方もなく難しい。
だからこそ、タイトルの「果てしなき」が気になってきます。
この映画の死者の国では、生と死だけでなく、過去と未来も溶け合っています。
中世的な世界のスカーレットと現代人の聖が出会うのも、そのためです。
そして映画は、
中世でアムレットが殺されることと、
現代で聖が通り魔に殺されること
を並べています。
時代が変わっても、人間は人間を殺す。
中世には中世の暴力があり、
現代には現代の暴力がある。
一方で人間は、その長い歴史の中で「殺し合わない世界」を求め続けてもきました。
そう考えると、現代の渋谷で踊るスカーレットの姿も違って見えてきます。
あれは単なる幻想ではなく、現代のスカーレットなのではないか。
中世のスカーレットが「自分を殺さず、他人も殺さない」という道を選んだように、現代にもその理想を追い続けるスカーレットがいる。
そして未来にもまた、別のスカーレットが現れる。
その道は険しい。
それでもまた誰かが同じ理想を掲げ、少しずつ前へ進もうとする。
スカーレットとは一人の王女の名前であると同時に、時代を超えて「自分を殺さず、他人も殺さない」という困難な理想へ向かい続ける人間の象徴なのではないでしょうか。
その歩みには、簡単な終着点などありません。
だから「果てしなきスカーレット」。
そう読んだとき、最初は矛盾だらけに見えたこの映画と、そのタイトルが、僕の中でようやくつながりました。
竜と復讐と私
評判ほど悪くなかった 芦田愛菜にも途中まで気が付かなかった…けどイメージにマッチしていたかは微妙かな
時間と空間が入り混じった場所の割には日本人どころかアジア人が彼しか登場しないのは違和感、現代人も彼だけなのはなぜか?
戦国の侍や現代の兵士が群衆に紛れていた方があの世のカオス感が出た気もするが? もしくは中世欧州で統一するか?
まぁ現代兵器が出てきたら国王軍なんて「あっ」という間だけどね
視点の違い
この映画はかなりネガティブな評価が多かったため、「何が問題かな」という視点で観て来ました。確かにみんなでダンスするシーンではひっくり返りましたが、見方によっては、「あ~、なるほど」という感じで、印象深いシーンもたくさんあるいい映画だと思いました。ストーリーを楽しもうとするエンタメ派にとっては、スカーレットの心情に入り込めないとか、死者の国や聖の存在が気持ちよくハマらない部分が多かったようですね。そういう点では置いてけぼりになってしまうのも分かります。しかし、登場人物や現象を何かの象徴として観ていくと、それぞれが全く違うものに見えてきます。そんなわけで、私は面白いかどうかという視点で映画を評価していません。この物語の人物は何を象徴して、人間のどの要素を表現しているのかという点に着目しています。そういう視点で観ると例えば死者の国は「無意識の世界」、あるいは「煉獄」と見ることができるでしょうし、クローディアスはスカーレットの「シャドウ」と見ることもできます。さらには仇討の物語がスカーレットの「自己赦し」の物語になり、「見果てぬ場所」は自己実現の象徴ともいえるでしょう。そういう意味ではエンタメより、物語を「読む」という行為に近いのかもしれません。ですからあまり退屈しないで観ることができます。多くの方々の低評価作品ほど、真剣に集中して鑑賞しています。
モーションキャプチャ?
ストーリーは賛否あるようですが、私は好きです。舞台が典型的な天国地獄と違う点が特によく、この死後の国はどうなっているんだろうという興味を結末までもち続けて見ていました。
また、主人公のスカーレットは魅力がありました。苦しみにリアリティがあり、復讐のため戦闘訓練にのめり込む性格や、聖に「いい子ちゃん」といってぴりぴりするところも良かった。父親の言葉を受け入れるまでの過程もだんだんで良かった。
逆に旅の連れとなる聖は、看護師というより僧侶みたいで、人間というよりシンボルみたいだなと思いました。
絵は面白かったですね!
好き嫌いはあると思いますが、アニメでここまで人間の動きを写実的に描くのは珍しいと思いました。モーションキャプチャとか使っているのかな、というレベルです。
あまりに写実的なので、あえてアニメにする意味があるのかと思う点はあります(☆を一つ減らしたのはこの点です)。
しかし、フラダンスのシーンなどは作画表現というよりダンス自体の動きの美しさがストレートに表現できていて特に面白かったです。こういう表現ができる、という意味でももっと皆に見てほしいと思います。
大量の事前知識が必要…
本作の評価があまりに低かったのでどんなもんかと観に行ったがまぁうん、といった感じ。
まず前提として神曲、ハムレット、新約聖書の3つの知識が要求される。
自分は新約聖書の知識が少なかったのでわざわざ予習してから観に行った。
それらの知識全てがあれば様々なオマージュや暗喩に気づくことができ、作品がそこそこ面白くなる。
かなり重厚に世界観と設定は練られてはいるので薄っぺらいということはない。
知識があれば作中の様々な突発的でご都合主義なシーンも理解できるようになる、詳しく解説されてる人もいるのでそちらを参考にしてほしい。
が、ただまずもって、わざわざ映画観に行くために事前知識を集めていく人なんて極少数で、まして三つの作品全てを把握して尚かつ、考察してくれる人なんてもっと少ないだろう。
そもそも、考察はある程度、好きで面白い作品に対してやるものであって、つまらないと感じた作品を考察するのなんて一部も物好きだけ。
この作品は表層だけの面白さがカスいのでこの評価なのはしょうがない。
エヴァしかり天使のたまごしかり、考察されるためにはそれ相応の面白さがないとダメなんだろうなぁと…
細田作品も先細り…
声優が素晴らしい、映像が素晴らしいと言われているが、私の感想としてはまず声優、スカーレットがテレビで見ている芦田愛菜過ぎて、セリフ、息遣い全てで演技している芦田愛菜に変換されて映画が頭に入ってこない。露出が多い俳優はそういったデメリットがありますね、完全に博士ちゃんです。歌もそう、芦田愛菜の歌だけ簡単な音階の曲で違和感が半端ない。竜とそばかすの姫からの落差が激しすぎた。映像に関しても、渋谷のダンスの作画崩壊はこちらが恥ずかしくなった。どんな技術か知らないが、あれでよしとする監督なんだ。と感じた。
細田作品は何回もリピートしてきたが、そんな理由で私は1回しか行けなかった。シナリオはご都合主義のあんなものでしょうし、キャラクターは非常に良かった。全て纏めた監督が戦犯。これからは細田作品は周りの評価をみてから鑑賞するか考えるようにすることにさせてくれた、監督を見限る気持ちにさせてくれた作品です。
全966件中、1~20件目を表示













