果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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感動とは…いかないものの
音響は素晴らしかった
通常スクリーンでの観賞です
国王の父が殺され復讐ものですが
声優をつとめた方々は
ベテランの俳優さん達です
スカーレット役の芦田愛菜ちゃん
聖役の岡田将生さん
岡田さんの落ちついた声のトーンが
安心感を抱かせてよかったと思います
ただ感じるところは少なく
スカーレットが泣いてばかりで
大丈夫なのと思いつつ
涙を流さない強さを見たかった
アニメとして
ファンタジー色が薄かったのか
最終的にあまり印象に残らなかった
果てしなきスカーレット
復讐の連鎖と許し
本アニメと同日公開の『TOKYOタクシー』が、キムタク×倍賞千恵子コンビのジブリアニメ『ハウルの動く城』を彷彿とさせるという。その『ハウル』に監督途中降板という大変苦い思い出がある細田守監督は、芦田愛菜と岡田将生を声優として迎えて一体何をやろうとしたのだろう。血まみれのスカーレットを介助する看護師聖が、なぜか鏑矢を途中から装備しスカーレットの復讐を手助けするシーンを観て、あるレジェンドアニメを思い出したのである。『もののけ姫』だ。
じゃあ、このアニメは“ジブリ”オマージュなのかというと、そうとも言い切れない。主要登場人物の名前は、スカーレットと聖を除いてすべて『ハムレット』と同一で、おおまかなストーリーもそのシェイクスピア悲劇を踏襲している。細田監督お得意のデジタル仮想現実世界の代わりに舞台として用意されたのが、ダンテの『神曲』から引用されたと思われる“煉獄”である。
生も死も時間も超越したその世界では、様々な時代からやって来た多種多様な人間たちが、『ドラクエ』よろしく“見果てぬ場所”を目指している。『マッドマックス』のごとき盗賊が跋扈し、暴力が蔓延した世界で、スカーレットの父親を殺した張本人叔父クローディウス(役所広司)が暴君として君臨している。スカーレットにしてみればそんな現実となんら変わらない世界なんてとても“許せない”のである。
深紅のロングヘアーをバッサリカットし、甲冑を身につけたスカーレットの勇ましい姿はまさに『ジャンヌ・ダルク』で、傷ついたスカーレットが見る夢は、エマ・ストーンと同じコバルト・ブルーのワンピで聖と踊る『ラ・ラ・ランド』だ。左脇腹の“聖痕”と引き換えにスカーレットの生命を救った聖は、間違いなく(コード・ブルーの山Pというよりは)救世主イエス・キリストがモチーフだろう。
まさにこのアニメ、シェイクスピアにダンテ、ジブリに限らず、古今東西の実写映画や歴史上の実在人物に捧げられた(復讐ではない)リスペクトに溢れているのである。そこで語られる本アニメのテーマは(ご覧いただけば一目瞭然なのだが)“復讐の連鎖”と“許し”。“果てしなき”ウクライナやガザにおける紛争、アメリカやヨーロッパなど先進国で勃発しているリベラルvs保守の内紛、そして、世界各国で同時多発している反中デモや暴動…
本アニメは見かけそんな世界の動きに言及しているのかもしれない。わが日本でも若き女性天皇誕生を期待するような動きがあるだけに、ラストシーンを観てそう感じられた方もきっと多かったことだろう。が、私にはこう思えるのだ。細田守自身の心の中でずっとくすぶり続けていた“(宮崎駿に対する)わだかまり”が吹っ切れて、ここにきてようやっと“許す”ことができたのではないか、と。如何なる復讐も(龍)神に任せるべきなのだ、と。
風評被害か?
あまりにもネット民が叩いていたので全然期待しませんでした。作画についてはかなりクォリティが高い、というのは前々から言われている通りでした。テーマは生命の尊厳、憎しみの連鎖、存在意義など、とても重いので脚本は難しかった事が偲ばれます。しかしネットで酷評されるほど悪く有りませんでした。個人的には評価は低過ぎると思いました。確かに呪術廻戦やチェンソーマンのような原作のあるアニメは思い入れが深く、能動的に観たくなる必然性があり、みんなが共有しやすく、大ヒットする事が多いでしょう。昨今のオリジナルアニメに対する逆風は興行収入にも如実に反映されており、本当に駄目なのか否かを確かめるには自分で確かめてみたかったので、ネットの酷評が当たっているのか確認しました。令和のゲド戦記などと揶揄する心ない評価もあるようですが、全く違います。これは断言します。自分で観て確かめて下さい。本当に駄作かどうかをあまりネットの評判は鵜呑みにしない方がいい作品だと思いました。まぁ観てもやっぱり駄作だと思う人は私とは価値基準が違うんだと諦めます。
設定とストーリーが雑過ぎる
本作は背景描写こそ美しく仕上がっていましたが、それ以外の部分は正直言ってかなり残念な出来でした。
まず、冒頭の言い訳じみた説明にあった、「死者の国」の設定には無理があり、生者がいることもあったり、死者が普通に生活していたり、死者がもう一度死んだりする点などは受け入れ難い上に作品全体を分かり難くしています。また、死者が夢見る「見果てぬ場所」も何なのか分かり難いです。
ストーリー面でも粗が目立ちます。スカーレットが毒で倒れ、それを仕掛けた王までもがその毒を誤飲するという展開は、ご都合主義というより雑さが先に立ちます。仮に二人が「死者の国」へ飛ばされるという展開を飲み込めたとしても、他の主要キャラもほぼ全員が死亡している理由は説明不足で意味不明です。極めつけに、異世界から救命士の聖まで登場するあたりは、もう物語の整合性を放棄したとしか思えません。
そもそも、本作は父の敵討ちを描いた作品な訳ですが、敵はもう死んでいるのに、なぜ敵討ち?
また、作中に挿入される、現代の街で踊り歌うミュージカルシーンも、意図不明で完全に浮いており、ただ白けるだけでした。
さらに、アニメではとても重要だと思われる、主人公の声がキャラクターと合っておらず、また声優としての力量も不足しているため、せっかくの主人公の魅力までも削いでしまっています。
という訳で、冒頭でも触れた通り背景描写だけは評価できますが、それ以外はストーリーも構成も雑で説得力に欠け、非常に残念な作品でした。
まっすぐなメッセージをそのまままっすぐに伝える形で本当にひとは動くのだろうか?世界は変わるのだろうか?
果てが見えたか細田守
『時をかける少女』『サマーウォーズ』で飛躍。
『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』で当代きってのヒット・アニメーション作家に。
日本では賛否多かったが、『未来のミライ』では米アカデミー賞アニメ映画賞ノミネート。
さらに特大ヒットを放つアニメーション監督の台頭や人気作入り乱れるアニメ戦国時代の昨今でも、『竜とそばかすの姫』が自身最大のヒットで健闘。
国内に留まらず世界も注目する細田守監督。
これまでで最長4年の歳月を経た最新作は、明らかにこれまでとは違う。
ファンタジーや電脳世界を入り交えながらも、現代日本を舞台に家族や若者の物語がほとんどだった。
中世デンマークと“死者の国”を舞台にし、ヒロインも無論日本人ではなく、その時代の王女。アクション要素も多く、異世界冒険ファンタジーのような装い。
映画監督が新たなジャンルに挑戦するのは珍しい事じゃない。細田守にもいよいよ“その時”が…。
入魂の新境地!…と誰もが期待したが、
公開からまだ日も浅いが、酷評が圧倒的多数。
人気アニメーション監督の宿命。新作を発表する度に賛否両論。細田守がそれが多くなったのは『バケモノの子』から。これは細田守が自身で脚本を担当するようになってからと一致する。(『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』は今年『国宝』も手掛けた名手・奥寺佐渡子だもん、比べるのは酷)
『未来のミライ』や『竜とそばかすの姫』でも酷評多かったが、今回はこれまでにも増して。“0”や“1”が目立ち、作品になぞらえるなら見た後“虚無”になったかのよう。
年末の期待作の一つだっただけに、ちょっと不安を抱きつつ、鑑賞。
“0”や“1”の酷評ほど悪くはなかった。概要や伝えたい事も大体は分かった。
でも、所々釈然としない点も…。これらがじわじわボディブローのように作品のクオリティーや面白味を損なわせる。
父王を叔父に殺された王女スカーレット。
仇を取ろうとするが、先手を打たれ毒を飲まされ…。
目覚めると、“死者の国”にいた。叔父もこの世界にいる事を知り、スカーレットは復讐の旅に出る…。
『ハムレット』を下敷きにしたのは一目瞭然。ちなみに父王の名は“アムレット”。
この“死者の国”の設定が時々“?”。
荒野で現代日本の看護師の青年・聖と出会う。“死者の国”だから様々な時代や国の人々がいるのであろう。それはいい。
殺されたからスカーレットも分かる。でも、何故叔父もいる…?
いきなりネタバレしてしまうが、叔父は現世で毒を盛られ殺された。なら分かる。そしたら、まさかのスカーレット。実は死んでおらず、生死の境を彷徨っていたという事実。なら、スカーレットが“死者の国”にいる理由がちとあやふや。
“死者の国”には民も多い。ならば“死者の国”などとあやふやにせず、現世舞台で良かったのでは…? 毒を盛られて死んだと思われたスカーレットが追放された最果ての地で息を吹き返し、復讐の旅に出る。その上でドラゴンやファンタジーもちょい織り交ぜた世界観で。その方がシンプルだった気もするが…。
『バケモノの子』の鯨のように何か意味があると思ってたドラゴン。時折現れて雷天誅するあれは何だったの…?
復讐だけに取り憑かれたスカーレット。
例えスカーレットに襲い掛かった刺客であろうと人の命を救おうとする“いい子ちゃん”聖。
反目し合いながらも旅の中で生じる。死とは? 生きるとは? 信じるとは? 愛とは…?
道中出会った遊牧民。ボロボロに傷付けられても、それでも信じたい。
そんな人たちで集ったコミュニティーは、平穏と歌と踊りがある。
触発されて聖も歌う。その歌に導かれるかのように、スカーレットの意識が現代日本へ。
もし私が、この時代この国に生まれていたら…? その儚き意味合いも分かる。
しかし、この謎過ぎる唐突のミュージカル演出。現代日本に生まれていたら私はダンサーで、聖と踊りたかったの…? やる必要あった…?
楽曲も細田作品の魅力。『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌、特に『竜とそばかすの姫』の楽曲は作品を盛り上げてくれた。
本作でもスカーレットと聖の距離を縮める歌。EDは芦田愛菜が美声を披露。でも、あまり印象残らない。
声優の仕事が多い芦田愛菜。だけど今回は予告編を見た時にあまり合ってないような違和感が…。実際見てみたらそこまでではなかったが、ちと窮屈感が…。叫びや唸り声などこれまで最も激しかったであろう声の熱演にはがんばったで賞。
細田作品の常連、今回は仇役に扮した役所広司のラストの絶叫はさすがであった。
他にも岡田将生や豪華俳優ボイス・キャスト。ネームバリューや日テレ大番宣など、今回はいつも以上に商業臭が匂う。
シンプルな手書きがスタイルだった細田守。
本作では3DCGも使用。激しいアクション・シーンやダンス・シーンで動きのベースに。
より実写のような動きを見せるが、ちとぎこちなさも見え隠れし、これまでのような躍動感は感じられなかった。
美しく、勇ましいスカーレットのキャラデサは良かっただけに、惜しい。
キャラに今一つ感情移入出来ないのも残念。いや、致命的か…?
それは設定や物語の展開にも言える。
死者の国で叔父や皆が望む“見果てぬ場所”。
何故皆がそれを望むのか、いまいちよく分からなかった。現世に蘇られる…? そんな説明あったっけ…? 聞き逃した…?
全体的に説明不足も多々あり、それが登場人物や世界観に入り込めない要因でもあった。
“見果てぬ場所”を我が物にせんとする叔父。その元に遂に辿り着いたスカーレット。
スカーレットは剣を抜くが、叔父は“見果てぬ場所”の門の前で懺悔をする。
それを聞き、スカーレットは…。
処刑される寸前、父が発した言葉。後から知ったが、父が言ったのは、“ゆるせ”。
これは“許せ”なのか、“赦せ”なのか…?
心底憎い奴を許したくない。懺悔したと見せ掛けておぞましいほどの本性を現したこの叔父など。
しかし赦さなければ、この世界の争い事は無くならない。
憎むより、赦す事。そして、愛する事。
それが本来の君だ。
父の望み。聖の望み。
復讐や憎しみの果ての赦しは尊い。
しかし、それに至るまでのスカーレットの心の旅路がちと分かり難いし、伝わり難い。
本当に何か色々と惜しい。
実は死んでいた聖との別れ。聖が死なない平和な未来を約束する。
現世に戻ったスカーレット。女王となり、民の前で未来永劫の平和を約束する。
細田守が本作のアイデアを思い付いたのはコロナ禍だったという。あの暗く沈んだ窮屈な時からの解放。
世界中で絶えぬ争い。平和への願い。
これらに対し何かを作りたかった細田守の訴えも分かる。信じる事。赦す事。生きる事。愛する事。…
が、ちと力み過ぎたかな…。伸び伸びさが乏しかった。
細田作品を見終わった後のあの爽快感、感動、晴れ晴れとした気持ち…。
あの心地よさに浸りたかった。
決して“0”や“1”や、今年ワーストではなかったにせよ…、
現時点では、これまでの作品のように何度も見たいとは思えず。
これが細田守の“果て”か…?
いや、まだきっと目指せる。見せてくれる。
細田守の“果てしなき”を。
脚本は別の方にお願いしたほうがよいのでは…
■ 作品情報
監督は細田守。脚本も細田守が担当。主要キャストは、スカーレット役に芦田愛菜、聖役に岡田将生、クローディアス役に役所広司。その他、市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴、松重豊、山路和弘らが出演。企画・制作はスタジオ地図。
■ ストーリー
国王である父を叔父クローディアスに殺され、自身も毒を盛られた王女スカーレットが、「死者の国」で目を覚ますところから物語は始まる。そこは、力のない者や傷ついた者が「虚無」となり、存在が消え去ってしまう狂気の世界であった。スカーレットは、父の仇であるクローディアスもこの「死者の国」にいることを知り、改めて復讐を強く胸に誓う。そんな中、彼女は現代の日本からやってきた心優しい看護師の聖と出会う。戦うことでしか生きられないスカーレットと、戦うことを望まない聖は、最初は衝突しながらも共に「死者の国」を旅することになる。父の復讐に囚われていたスカーレットは、聖との出会いを通じて、凍り付いていた心が徐々に溶かされていく。一方、クローディアスは「死者の国」で人々を扇動し、「見果てぬ場所」を我が物にしようと企んでおり、スカーレットの命を狙う刺客を差し向ける。スカーレットは復讐心と聖との出会いによる内面の変化という葛藤を抱えながら、クローディアスを追う旅を続ける。
■ 感想
ここ数年の細田守監督作品に対しては、予告の絵はおもしろそうなのに内容がダメという印象です。本作も期待と不安が入り混じる複雑な気持ちで鑑賞しましたが、率直に言って、これまでの悪いイメージを払拭するには至りませんでした。
今回も映像には期待してIMAXで鑑賞したのですが、映像美はまさに圧巻の一言です。滑らかな人物の動き、疾走する馬の躍動感、大空を舞う龍の荘厳さ、そして広大な空間にひしめく夥しい数の群衆の描写には、大スクリーンでこそ味わえる高揚感があります。これほどの映像が、もし感動的なストーリーと融合していたならば、どれほどすばらしい作品になっていたことかと惜しまれてなりません。
本作のテーマは「生きるということ」なのでしょう。終盤に連呼されていることからも、それはわかります。復讐に囚われず、自分の人生を生き抜くこと、それは憎しみの連鎖を断ち切り、平和な世界を築くことにつながると言いたいのでしょう。それもわかります。でも、それをスカーレットの生き様で実感させてほしかったです。
彼女の対照的な存在として、叔父クローディアスや現代日本からきた聖を置き、それぞれに欲望にまみれた自己中心的な人物、自己犠牲の博愛的な人物として描いています。叔父によって憎悪の感情を生じさせたスカーレットが、聖によって全く別の感情に触れ、変容する姿を描こうとする意図はわかります。しかし、残念ながら、そのメッセージが説明的なセリフで押し切られているように感じられ、キャラクターたちの感情や選択に心が共感的に寄り添えなかったです。脚本がもっと練られていれば、観客の心に深く響く感動を生み出せたかもしれないと、非常に残念に思います。
キャスティングについては、芦田愛菜さんの熱演は伝わりますが、声の表現において、感情の機微や言葉の裏にある真意を伝えるには、まだ少し荷が重かったように感じます。熱が入りすぎて空回りしているような印象を受ける場面もあり、劇場アニメによく見られるタレント起用については、やはり疑問符が残ります。
『未来のミライ』、『竜とそばかすの姫』に続く、いわば「細田守監督ガッカリ三部作」となってしまったことは、本当に残念でなりません。次作では、ぜひ脚本を別の方に依頼し、そのすばらしい映像表現が最大限に活かされることを心から願っています。
何なのこのオチは?
こっちが虚無に連れて行かれた。
結末を先に書くと父親を殺した叔父への復讐に毒を盛ったら逆に盛られてたスカーレットが生死の境を彷徨ってる間に見た夢だか幻想でしたって話。
正体不明の老婆と龍
一人だけ現代人の聖
なんか分からず改心する叔父の配下
いきなり始まる渋谷でのダンスシーン
突然起きた噴火で死ぬモブの皆さん
と理由の分からない展開に全く付いていけなくてちっとも楽しめなかった。
終盤スカーレット目が覚めると肝心の叔父はなんかの間違いで飲んだ毒薬で死亡済みって馬鹿過ぎるオチに見た事を後悔した。
こんな酷い内容を許した製作陣にお金払う劇場で公開しようとGOサイン出した配給側もおかしいとしか思えず死んだら虚無になるって台詞が有るけどそれは観客だったんだなと思って劇場を後にするほどの駄作。
“監督・脚本/細田守”作品、その1番の成功作だと感じた
【イントロダクション】
『時をかける少女』(2006)、『サマーウォーズ』(2009)の細田守監督最新作。監督は本作でも脚本を手掛け、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』を下地に、死者の国で目覚めた王女が復讐の旅に出る物語を描く。
主人公・スカーレットの声を芦田愛菜、現代日本からやって来た看護師・聖(ひじり)の声を岡田将生が演じる。
【ストーリー】
19歳の王女・スカーレット(芦田愛菜)は、《死者の国》で目を覚まし、父の仇である叔父のクローディアス(役所広司)への復讐を果たすべく、荒涼とした世界を旅していた。
16世紀、デンマークのとある王国。国王・アムレット(市村正親)は、隣国との関係を対立ではなく友好によって維持しようと務め、国民に慕われる賢王だった。彼は1人娘のスカーレットを可愛がっており、スカーレットもまた父を尊敬していた。しかし、彼の弟であり野心家で軍備拡張を掲げるクローディアスは、彼を叛逆者に仕立て上げ王位を略奪した。
アムレットは無実の罪により、民衆の面前で処刑される事となる。処刑の直前、アムレットはスカーレットに向かって何かを呟いたが、スカーレットはその言葉を聞き取れず、彼の最期の遺志は分からなかった。
19歳となったスカーレットは、王宮での晩餐会でクローディアスに睡眠薬を盛り、彼が眠っている隙を突いて暗殺を試みる。しかし、暗殺を見越していたクローディアスによって彼女は倒れ、強い無念と復讐心を燃やして意識を失ってしまう。
そして、スカーレットは《死者の国》へと辿り着いた。旅の途中、スカーレットは現代日本からやって来た聖(岡田将生)という看護師をしている青年と出会う。「自分は死者ではない」と語り、争いばかりの《死者の国》を嘆く聖の姿を哀れに、そして苛立たしく思いつつ、スカーレットは彼を旅に同行させる。聖は旅の中で出会った敵・味方を問わない様々な人々に手を差し伸べ、治療を施していき、そんな彼の姿に、スカーレットは次第に心を開いていく。
一方、クローディアスは人々が楽園と信じて夢見る“見果てぬ場所”に至る為の山の頂を征服して城を建て、いずれやって来るガートルードを待ち続けていた。そんな彼は、スカーレットが復讐にやって来るという報を受け、彼女を「虚無」にすべく次々と刺客を放つ。
果てしない旅路の果て、スカーレットが辿り着く〈決断〉とはーー。
【前置き】
私は、細田守監督による劇場公開作品は、『デジモンアドベンチャー』(1999)と、前作『竜とそばかすの姫』(2021)を除く、全ての作品を鑑賞している。
そんな私が、細田守監督作品を劇場鑑賞するようになったのは、『おおかみこどもの雨と雪』(2012)からだ。クレジット上は脚本家・奥寺佐渡子との共同脚本という事になってはいるが、実際には彼女は途中降板しており、この時から“脚本・細田守”という流れは始まっていたのだろう。
そして、『バケモノの子』(2015)、『未来のミライ』(2018)と作品を重ねて行くに連れ、私の細田守脚本への期待は失墜していった。だからこそ、前作は劇場鑑賞を見送った。
しかし、そんな私は、本作を肯定的に受け止め、評価したいと思っている。不恰好な作品ではある。しかし、それは今に始まった事ではないだろう。
子育て論に共感出来なかった『おおかみこども〜』、上映時間に対して要素を詰め込み過ぎて散漫化していた『バケモノの子』、そもそも何を描きたいのか(子供目線からの世界だと理解はした)分からなかった『未来のミライ』と比較して、本作は「何を描きたいのか」がハッキリとしており、尺内でそれを収めている。
よって、劇場鑑賞してきた監督の作品群の中では1番好きな作品となった(1番“マシ”と言えてしまうのもあるが)。
【感想】
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』を下地に、物語の主人公をスカーレットという女性に置き換え、泥臭く血生臭い復讐譚として紡ぎ出していく本作は、公開前から度々目にしていた監督・細田守の「挑戦」「意欲作」と言えるだろう。
本作の劇場用ポスター第1弾には、真っ赤な背景の《死者の国》で剣を携えて立つドレス姿のスカーレットの姿が描かれていた。そして、そのキャッチコピーは、「生きるべきか。」である。これは、『ハムレット』に登場する「To be, or not to be, that is the question.(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)」という台詞を意識してのものだろう。
実際、作中でスカーレットは父の言葉の真意を求める中で、「復讐を果たすべきか、止めるべきか」と自分に問い掛ける。
そもそも、本作において「死」とはどういう意味を持つのだろうか。《死者の国》と呼ばれる世界に居るように、既に彼らは死んでいるのだから。
ここで重要になってくるのが、存在が完全に消滅する「虚無」という設定だろう。結論を先に述べると、「虚無」とは〈争いや憎しみに囚われ、自分を見失った者が訪れる、もう一つの“見果てぬ場所”〉なのではないだろうか。
作中で《死者の国》の誰もが恐れる存在として、天から雲を割いて現れる雷を吐く〈竜〉が
居るが、あの雷は暴力や憎しみの連鎖から抜け出せない者に下される、“裁きの雷”なのではないだろうか。だからこそ、作中で武器を手にしておらず、略奪も行っていない善良な人々に対しては、〈竜〉は裁きを与えていないのだ。
つまり、《死者の国》とは、「自分を見つめ直す場所」であり、本作が掲げる「“生きる意味”を見つける場所」なのではないだろうか。あそこは正確には「地獄」でもなく、勿論「天国」でもない。生と死の狭間に位置する「煉獄」なのだ。あそこで自分を見つめ直す事が出来るかどうかで、その先の魂の行く先が決まるのではないだろうか。そして、それを見つけたからこそ、スカーレットは生者として生還する事を許されたのだ。
【監督が向き合ったもの】
細田守監督は、「女性を描くのが苦手」な監督なのではないかと個人的に思う。そして、それと向き合うようになったのが、本格的に女性を主人公に据えた、前作『竜とそばかすの姫』と本作なのではないだろうか。
そして、本作を観る限り、監督が女性キャラクターを魅力的に描けるようになりつつあると感じる事が出来た。
冒頭から既に、これまでの作品になかった泥だらけでボロボロの出立ち、泥水を啜り、腹を下して嘔吐するというハードな描写を課している。この必死さは、スカーレットというキャラクターに興味を抱かせるに十分なフックだった。
そして、スカーレットの人生に何があったのかが語られていく。《死者の国》でのスカーレットの心情は、一見するとブレブレに感じられもするかもしれない。しかし、その奥底には常に父譲りの彼女本来の“優しさ”があり、それを“復讐心”という鎖で強引に縛り付けて行動しているからこそ、常に彼女は「どうしたらいいか分からない」という“迷い”を抱えて行動しており、それが彼女の軸の定まっていない印象に繋がっているのだ。そして、それは聖という他者に手を差し伸べる“優しさ”を持つ青年がそばに居るからこそ浮かび上がってくる。
偽善的にすら感じられる聖の優しさに対し、苛立ちを覚えて「現実を受け入れろ!“いい子ちゃん”!」と発する。しかし、聖の優しい姿は、大好きだった父・アムレットと通じるものであるはずだ。そんな相手を“いい子ちゃん”と侮蔑してしまうくらい、彼女の心は“復讐心”という鎖に囚われていたのだ。
もう一つ、細田守監督が向き合っていたのが、“キャラクターの表情”だと思う。私は、細田監督作品のアニメーションに共通してきた、「キャラクターに影を付けない」という描き方を「個性」と受け止めつつも、何処か苦手意識を持っていた。
しかし、本作では従来の2D表現に加えて、新たにCGによる3D表現も取り入れ、スカーレットや聖の回想=生者の世界は2Dで、《死者の国》での旅は3Dで表現している。その試みが全て上手くいったとは思っていないが、そうした新しい「挑戦」をした事で、特にスカーレットの表情のバリエーションが抜群に増えており、喜怒哀楽様々な表情を見せるようになった点は成功だと言えるだろう。
【「ゆるせ」という言葉の意味】
アムレットの遺した「ゆるせ」という言葉。
それは、憎き相手を“赦せ”と言っているのではなく、憎しみに囚われ、使命感で自らを縛り、誤った道を進んでしまったスカーレット自身に“自分を許せ”と言っていたのだ。最期まで娘の人生を、その幸福を願う、「親の愛」の言葉だったのだ。
私は、この真意を好意的に受け止めている。肉親の仇すら“赦せ”というのなら、それは単なる偽善だろう。しかし、「憎しみの連鎖を断ち切るのは自分自身だ」として、復讐に囚われてしまった“自分を許せ”というのなら分かる。
だから、スカーレットは決してクローディアスを赦したわけではない。「私はあなたを許せない。許せるわけがない。でも、もう止める」と語るように、彼女は「自分を解放する」為に、憎しみの連鎖を断ち切る〈決断〉を下したのだ。
スカーレットは、まだ19歳の少女である。本来、やりたい事が他にいくらでもあったはずだし、(現代的な物差しで測ってしまうが)年相応の恋すらしないで生きてきた事だろう。
だが、物語序盤でクローディアス派の人間達に騙されて負傷した際、堪らず「もう嫌だ。こんな事」と弱音を吐いてしまう程、その中身は強がっているだけの等身大の女の子なのだ。もっと言ってしまえば、クローディアスを薬で眠らせ、短剣で刺し殺そうとした時すら、躊躇いから彼に破れ去ってしまう。あれほど積んできた鍛錬も、いざ本番となると脚がすくんでしまうくらい、戦いに向いていない子なのだ。
父を殺され、圧政に苦しむ民を目の当たりにしてきた中で、「復讐すべきだ」という念に囚われ、自分を縛り付けては奮起させて訓練し、そこから抜け出せずに「どうしたらいいか分からない」という雁字搦めの状態に陥っていた少女なのだ。
本来ならば、あのまま《死者の国》で「虚無」となっていたであろう。しかし、聖の存在が、出会った善良な人々が、彼女を正しい道へと導いた。そして、通り魔から子供達を守って命を落とした聖のような犠牲者を未来で生み出さない為に、自分の時代・世界で「より良い世界」を目指すと近い、女王となって民衆を導く決意をする。
【老婆の正体とは】
度々スカーレットに肩入れする老婆。スカーレットにクローディアスが《死者の国》に居る事を告げ、彼女を奮起させ、クローディアス派の兵士達に捕まった際は、まさかの“ハナクソ爆弾”で助ける。その様子は、一見すると都合良くも映る。
しかし、この老婆が最初からスカーレットを導く事を目的として、その為に聖という青年を《死者の国》に招いていた、そもそも《死者の国》という空間すら、その為に用意された舞台だったのだとするのなら、説明は付きはする。
つまり、スカーレットの時代で彼女が女王として行う治世こそが、その後の人類史を二分するものであり、彼女の存在は「分岐点」なのだ。とすると、老婆は人智を超えた力でスカーレットを導き、争いの絶えない最悪の未来を回避しようとしていた「未来人」だったのかもしれない。
【総評】
細田守監督の最新作は、良くも悪くも完全に「人を選ぶ」作品となっているのは間違いない。また、酷評されるように失敗している点も多々ある。
しかし、それでも私は「憎しみに囚われず、自分らしさを見失わず、生きろ」と告げる監督・脚本の細田守が本作に込めた「願いと祈り」を嫌いにはなれない。
非常にストレートで、愚直にすら感じられる普遍的、悪く言えばありきたりなメッセージだが、そんなメッセージを真剣に作品に込めて世に放つ、監督の泥臭いダサさは嫌いではない。
今後、本作に関する評価は更に賛否両論が加熱していくと思うが、何だかんだで賛否両論巻き起こす細田守という作家の「個性」こそ、彼が酷評続きながらも次回作を作れる所以なのだろう。
とりあえず自分の目で見てみてと言いたい
私はとても好きでした。声優の声も気にならなかったし、芦田さんの歌は素晴らしかったです。映像も素晴らしい。
皆さんがここまで低く評価する理由が逆にわかりません。社会的メッセージ性や哲学的なテーマが根底にあるので、ただのエンタメとしてみてしまうと、ポカン、となってしまうのかもと私なりに分析しています。
ネット上で匿名で、集団で誰かを傷つけたり、戦争のように他人を傷めつけてまでも自らの利益を追い続けたり、自分とは異質なものを悪として排除したりする傾向のある今の殺伐とした世の中において、この映画の持つメッセージは壮大だと思います。ある意味、鬼滅くらい劇的にシンプルな構図でないと映画が楽しめないというのは悲しいです。
この映画は、時間や文化、場所を超えた人間としての永遠のテーマ(愛と生死、そして正義)を扱っています。過去と未来、生と死が入り混じった世界だと冒頭で言われているように、特殊な世界なのです。そういう世界を使わないと表現できなかったのだと思います。だから、なんでデンマーク、なんで渋谷とか、なんで中世と現代、とか言っても始まらないし、そういう視点だとこの映画のメッセージは全く入ってこないと思います。
ダンスのところについていろいろ意見があるかもしれませんが、スカーレットが復讐を背負って生きる中で全く別の時間空間を体験することで、もし別の時代、場所で生まれていたら普通の女の子らしく生きられたのかなと彼女が感じたのです。それにより運命の無情さを表しているものだと解釈しました。
あとは、盗賊たちと親しくなる場面などは、自分とは異質な人や文化に遭遇した時にどのように分かり合えるかをシンプルに表したものです。音楽や食事、ダンス等は言葉が通じなくても通じ合えたりします。あとは歩み寄ること。日本と大きく文化が異なる国で生活等したことがある方は経験があると思いますが、相手を理解できない、嫌いだ、怖い、と思っても対話を重ねるうちに何かのきっかけで相手の優しさや自分との共通点を知ることがあります。
さらに、あれだけ平和主義の聖が最後に敵をやってしまうのが違和感、という方もいらっしゃるでしょうが、これも、愛と憎しみによりそれまでの価値観が一瞬にして変わり行動できてしまうという、人間の強さや脆弱さを表しているのかなと考えました。
自分の正義ってなんなんだろうって、愛とか、生きるとか死ぬとか。そういうことについて見る人を揺さぶって考えさせる映画なんだと思います。そしてそれらの問いにはいつも唯一の答えがあるとは限らないないから、だから、見終わった後に「なんだったんだろう?」ってモヤモヤするんだと思いました。
この映画には大きなテーマに関連したメッセージや問いかけがいろいろな場面に散りばめられていますが、それに気づけるかどうかは人によるのかもしれません。酷いレビューをしている方々は、気づけなかったのだなと思います。見るか迷っている方には、まずぜひ自分の目で見て考えてほしいです。
そんなには悪くないと思います。
IMAXで観ました。
風景については、流石の出来で、一線を画していると思います。
こちらのレビューを事前に拝見して、ハムレットについて知っているかどうかで評価が変わるとのことでしたので、Wikipediaでハムレットの概要をざっと確認してから観たのが良かったと思います。
ハムレットを知っているか知っていないかで評価が結構変わるだろうなと思いました。
途中のフラダンスシーンや渋谷っぽいところでのダンスシーンは、ちょっとよく分かりませんでしたが、過激なレビューが出るほどダメ映画ではないと思います。
とはいえ、昨今の人気のあるアニメ映画と比べると細田守監督ならもう少し勢いが出せたのではないかと思い、残念ではあります。
次回作を楽しみにしたいと思います。
前作よりは良かった………様な気がする…
CG部分との融合は予告を見てる時は違和感が凄かったんですがスクリーンではすぐ慣れましたここはいいと思います。
芦田愛菜さんは声質は会ってると思いましたしいい所もあるんですが全体的にはもうワンランク演技力が到達して欲しかった作品の質にかなり影響してる辺りなので勿体なかったですね
問題のシナリオですがシェイクスピア等々を下書きにした復讐劇はいいんですがテーマの許しや争い 恐らく監督自身もちゃんと答えが出て無いものを単なる正論と雰囲気で押し切るのはやめましょうよ…と本当にそれが監督の本音なんですか?と…昨今の細田映画にありがちな様々な整合性も甘く細々な疑問や説明や経緯をスッ飛ばしたけど雰囲気で理解してくれ的な流れが多くて…うーん(多分龍はパパですよね?とか…)
個人的に一番引っかかったのはダンスシーンはどう考えてもいらんかったのでは?
(狙いは分るけどそれやったらつまらないよね?ってシーンかと)
あの後こいつら交尾したんだ…って思いましたが(後の距離感的にも)そこへの
流れ的にももう少しやり方は色々あったのでは。
丁度主人公と同じ名前のムカつく奴をひたすらぶん殴る暴力令嬢のTVアニメがやってますがいっそそのくらい分かり易いエンタメ復讐劇にでもした方が良かったんじゃないかと
ダークファンタジーとしては良作
細田映画と言えば「入道雲」が特徴的だったが、今回は伝家の宝刀を封印してまで挑んだ復讐劇、そしてダークファンタジー路線は果たして成功と言えるのか。
個人的に『果てしなきスカーレット』は異世界転生ものに飽きてしまった自分からすれば死後の世界を題材に、死んでも戦い続ける愚かな人間の醜悪さを描いた本作は好きだった。
内容からハムレットの要素を入れているとSNS界隈で言われているが、僕は北欧神話のように感じた。
北欧神話は最終戦争、ラグナロクが訪れるまでの間、戦士たちは戦場で闘い、傷ついた肉体は翌日には言えているという。一種の死に戻りっぽい要素があるが、この映画は死ぬ=虚無になるという設定は良かった。
世界観は中世ヨーロッパのファンタジー路線、若干ロードオブザリングとゲームオブスローズンも参考にしたのだろうと思えた。
そしてキャラクターは芦田愛菜演じるスカーレット、岡田将生演じる聖は中世と現代という別々の時代に生まれた2人の考え方を交差させながら進んでいく。
特にスカーレットに関しては終始、何か言っている。
復讐劇なら無口で演技全振りでも良かったのかと思ったが、多分スカーレットの性格的に何でも喋りたいのだろうと思えた。
一方で聖は職業柄、闘うのではなく対話することで解決するというタイプで、全くの正反対の2人はどう物語が進んで行くのかが見所だった。
敵キャラクターについて正直なところ、弱っちい。
ダークファンタジーに臨むなら、それは化物並みの強大な悪役でなければいけないが。魔王でもなく、ただの小者感しかなく、死後の世界らしく変貌したおぞましい姿であって欲しかったというポイントから星4にした要因だ。
最後に脚本についてだが、僕はこれで良いと思う。
さらに言えば、この世界観はもっと掘り下げられるし細田監督のこれまでの「入道雲」を捨ててまで挑んだ作品なら誰が何と言うとも続編を作ってほしい。
仮に脚本を入れた方が良いと思うなら、「時をかける少女」「サマーウォーズ」で関わった脚本家ではなくジョージ・R・R・マーティンにお願いしてほしい。
映像☆5、ストーリー⭐︎3.5
映像は相変わらず美しい、気になったのは主人公だけキャラがディズニーデザインで浮いているような、でも美しい
ストーリーは、何となく分かるけど、、、という感じです
現代ドリームの箇所が陽キャを見せつけられて、陰キャな私には、そんな世界はないよ、と思ってしまう
一歩進んで考えると、中世の世界だけでなく、現代でも貧困や紛争地で過ごす人に見せる夢としては、中々、残酷だな、、、
期待はずれでした😹
「死者の国」の設定がよくわからない
細田守監督の最新作
細田監督作品は前作の「竜とそばかすの姫」しか観ていません
王女スカーレットが父親を殺した叔父に復讐しようとするが
失敗をして、「死者の国」で目覚める
「死者の国」は国家や時代が混ざり合って存在をしていてそこで現代で看護師として働いている聖と行動を共にする。
全体的に「死者の国」の設定がよくわからないまま話がすすんでいる
「死者の国」で死ぬと塵になり、虚無になるらしい。
スカーレットの父親も虚無になったという。
さらに「見果てぬ場所」に行くことが目的となっているが「見果てぬ場所」に行ってどうするのかよくわからない。
スカーレットの仇である叔父も多くの人を引き連れて「見果てぬ場所」に行こうとする。
そして、「死者の国」ではなぜか中世の人が多くスカーレットを知っている人が多い気がする
現代人は聖だけに思えるので、彼の「平和主義」的な考え方はこの世界では馴染まない。
なんか、いろいろあって
「見果てぬ場所」に行き、そこで復讐相手と出会うが
結局復讐はせずに、なぜかドラゴンが雷を落として代わりに復讐をする。
その後、「死者の国」にいるスカーレットだけが
実はまだ死んでないので現代に帰ることができるらしい。
ここらへんで「生きたい」と無理やり言わせる感じがして変な感じだった
現代に戻ったスカーレットは実は叔父は間違って毒を飲んで死んでいたため
スカーレットが王座につき平和な国家をつくると決めて終わる。
全体的に映像はよかった
「死者の国」をCGっぽくして世界観を区別しているのかと感じたがそうでもないのか?
「死者の国」の設定が全体的によくわからず、ドラゴンもなんだったのかわからなかった
キャンプファイヤー中に唐突にダンスするシーンがでてくるが
それもよくわからなかった
メッセージ性はあると思ったが具体的にわかりにくい
プロ声優とプロ脚本家を雇おう!
前評判が非常に良くなかったので、期待値マイナスで観る。それくらいが丁度良かった笑。個人的にはそこまで酷いか?という印象。
舞台装置や設定はまあ良かったと思うが、なんか活かしきれてない感じ。なんかカッコいい画は創れてたと思うが。すごくシンプルなストーリー展開(スカーレットの復讐、深掘りすると分からん事が多いので考えないことにした)だか、主人公の心の変化がわかりにくい。なんで髪切った?ラスト、唐突に主人公が自分の心境を説明して無理やり真理に辿り着いてるし。途中の唐突で不要なミュージカルは唖然。男がジョイマンに見えて笑ってしまった。
声優陣は役者さんだけど、やはりプロに負けるよ(上手い人もいるけどね)主役二人、特に岡田将生さんは棒読みっぽくなってしまって残念。おじ様勢はよい。
※当初より若干修正。
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