果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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なんか説教くさかったかなー。
カルト作品…?復讐劇に時空がクロスしてミュージカルシーンまであって随所に???なマークが頭によぎりっぱなし。復讐劇に絞ったヒロイン劇にすれば良かったのになんともトンチンカンな展開だったなー、と。かなり残念…。
クレヨンしんちゃんかドラえもんだったら…と思う作品
開始30分で「あ、これは普通に受けとっちゃダメなやつだ」と気づいたので落ち着きを取り戻す。
最初は、
・唐突な場面の繋がり
・カットが切り替わると突然出現する登場人物(ゼルダの魔物か)
・心情描写がほとんどなく人物背景も説明されない
・今時ありえないデウス・エクス・マキナ的技法
・本来観客に考えさせるべきテーマを全部謎の老婆が説明しちゃう(いわゆるギリシャ劇でいうChorus)
とかで「???」ってなるんだけど、だんだんこっちが作品に寄り添ってきて、最後の仇敵の最期には「そうなるよね!」って笑う余裕すらできた。声出しOKの上映だったら人物の行動にみんなで突っ込んだりできて、すごく楽しそうだ。
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「死後にさらなる“死”(虚無)がある世界で、死してなお“死にたくない”と思ってしまう人間の性」っていうのは興味深いテーマ。
でも、そこに「殺し合いをやめない人間の本質」を混ぜつつ、「ハムレット」をモチーフにした転生ものっぽい110分として描き切るのは、流石にハードルが高いのかもしれない。
「伝えたいテーマが溢れちゃって、観客を無視して作家主義に陥る」ことってあるんだろうけど、これをやるならオリジナルでなくて、押井守監督スタイルで他人のプラットフォームを借りた方が良かったようにも思える。
この作品が「クレヨンしんちゃん ヨミの国の大冒険」とか「ドラえもん のび太とハムレット」とかだったら実は感動作だったかも。
※※※
でも、なんか観終わった後に腹が立たないんだよなあ。
一作ごとにいろんなスタイルやこだわりを試してきた細田監督だからこそ、まだこういうテーマ偏重型の作品を「ああこの人だったらこういう作風になるよね」って楽しませちゃうところまで割り切れていないだけだ、と思うからかも(←なんか偉そうだけど)。
決して必見です!とは言えないけど、酷評を背景に「自分だったらこう観るな」って考えながら鑑賞するのはおもしろいと思う。
でも次は、青空と女子高生と生活描写でお願いします、監督(こういうこと一番言われたくないだろうなあ…)。
いったい、なにがどうしてこうなった?
あまりの駄目さ加減に呆然となりました。
細田守監督の映画って、こんなんだったっけ⁈
と昔の自分のレビューを見直したら、
「あまりの出来の悪さに心配になってしまう」
と、2018年公開の『未来のミライ』のレビューでも書いてました。あれまっ!
SFでも、ファンタジーでも、死後の世界だろうがなんでもいいのですが、こんなにはじめから作品の世界観に入り込めない体験は初めてです。
実写でもアニメでもそこに展開される〝架空の世界〟には、それなりの成り立ちやルールみたいなものがあって、そこに入り込んでしまうきっかけとか、そこから脱出するための条件とかは、具体的な説明がなくても、物語中のエピソードや主人公が遭遇するトラブルなどから想像できるようになっている。だから、我々鑑賞者も、それをしては危ない!とか、はやくそこに辿り着いて!とかハラハラドキドキしながら登場人物と共鳴できる。
この映画の世界は、それらの努力や工夫はすべて取っ払って、何もかも取ってつけたように唐突に現れる。しかも、そういうことなのか、という納得感のようなものもない。だから、見ているうちに、もういい加減にして!と疲れることになる。
そんな状況で、〝復讐心や怒りに駆られた自分をもう許してあげて〟とか教条的に説教されても少しも響いてこない。
たぶん、争いの絶えない困難な時代において、人としてのあるべき振る舞いとか寛容さについて、今一度みんなで考えてみようよ、という映画なのに、素直に感動できない自分のほうがおかしいのだろうか?
という思いもしなかった罪悪感を背負わされたみたいで、とても困惑しています。
久々に途中で帰りたくなった
絵は綺麗。すべてが中途半端な印象です。
他の方も書かれてますが、脚本が酷いと感じます。良い脚本家さんとの出会いを期待します。
歌、ダンス、ミュージカルも必要に感じない。
こんなにたくさんの大御所俳優さん使って、失礼にも感じます。
今の時代だからこその世界に向けたメッセージ
良作です。ネットの評判は信じないで!
細田守の最近の作品は、過去の奥寺佐渡子脚本作品が好きだったかどうかで評価が分かれるようですが、奥寺脚本が嫌いで、竜そばなど細田脚本が好きな自分には果てしなきスカーレットは良作でした。
細田監督はおそらく、脚本をなぞるように映像を作るのではなく、見せたい映像が先にあって、そこに脚本を合わせているんだと思います。なので、細かく見ると整合性がとれない部分が出てきてしまうのですが、私はそれがあまり気にならないので楽しめるのかもしれません。竜そばを観て「女子高生を一人で東京に送るなんておかしくね?」と白けてしまうしまうような人には向いてない作品です。
ネットや映画.comの評判からすると、残念ながらあまりヒットはしそうにないですが、細田監督には今のスタイルを貫いて欲しいです。少なくとも、奥寺脚本に戻るのだけは勘弁して欲しいですね。
芸術的価値のある映像作品
大衆向けかどうかは置いておくが、芸術的価値のある映像作品
大学の映像専攻で細田守作品をはじめとする多くのアニメーションを研究した人間がレビューをしていこう。ネタバレはない。
何かと脚本が良くないと言われがちな最近の細田守作品だが、一言で言うと前作よりかは脚本も芸術性も段違いに良い。エンタメ的な細田守作品が芸術的方面に大きく舵を切った作品と言えるだろう。それだけ芸術的側面が強い作品と感じた。
まず脚本や演出については星4つ。ネタバレはしないが、前作よりもご都合無理矢理感はやや軽減された様子。何より爽やかな脚本が売りだった細田守からは信じられない重みのあるストーリー。
シリアスなファンタジーのアニメが好きな人には向いているかもしれない。私はマギという作品の煌帝国編(皇子が王位簒奪した実母に復讐する部分)が好きなので、かなり印象が被った。
大元のハムレットは見ずに挑む人間が多いかと思い、私も読まずに挑んだが問題なかった。
ただメタファー的な部分も多く、他の口コミや評判を聞く限り好みが分かれるかと思うため期待値を上げすぎるのはお勧めしない。
そして絵作りについては星5つ。芸術大学にいた頃から細田守の作品については研究していたが、今回はCGの部分が大幅に増えて背景含む画面もかなりリアルで迫力があった。
画質もさることながら、構図や色使い、衣装デザインなど画面構成にはかなり凝った様子が見てとれる。3DCG特有の動きの硬さは少々残るものの、普通の人間なら見ていてあまり気にならず没頭できるレベルである。サマーウォーズやバケモノの子のような爽やかなテイストとは大きく異なり、シックで重厚な絵を作り上げている。
Dolby AtmosやIMAXも対応しており、音や音楽にこだわりがある様子だったので復讐のストーリーに合う迫力を求めてIMAXで鑑賞した。これが正解だった。俳優陣の声の迫力や音そのものの効果が最大限引き出されていた。音楽、音響等星5つ。
大衆向けに理解しやすい王道ストーリーを描くエンタメ的な作品(鬼滅の刃やワンピースなど)を普段から見ている人間には理解が難しい部分や展開が比喩的すぎる部分もあるかもしれないが、芸術作品におけるアニメーション映像としてはかなり優れているといえるだろう。脚本に多少の無理やアラは見受けられるが、前作よりも改善が見られ、なおかつ演出でカバーされている印象を受けた。
ただ主演の芦田愛菜は、まだまだ声優としては一人前とは言えない雰囲気の演技だった。やはり声優と俳優は異なるということだろう。だがしかし、芦田愛菜の未発達でピュアな声がヒロインに一役かっているとも言える。何より感動したのは悪役の役所広司だ。俳優声優の域を超えて、キャラクターにリアリティを持たせ3DCGでは表現しづらい細かなニュアンスをカバーしていた。主演の芦田愛菜との対比構造はかなり芦田愛菜は苦戦したことだろうと思う。ヒーロー役の岡田将生も、やや棒読み感が強く、聖という人間性が平坦に見える可能性がある。もう少し聖の人間性を拾った細かやかな表現が声で見られると良かったかなと感じている。
ネタバレを避けてのレビューはこのような感じだ。ヒロインとヒーロー、ヒロインと悪役の対比構造やメタファーについて集注して見てほしいと思う。
野心的な挑戦をした作品ではあるが、やはり失敗している
正直に言うと、私は近年の細田守作品が苦手です。『サマーウォーズ』以降は一通り観ているけれど、満足できたのは『バケモノの子』の前半くらい。「社会的なテーマ」を扱おうとする割に、そこへの興味や理解が薄くて、観ていて「底が浅いなぁ」と感じることが多いのが事実。
今回、舞台を現代日本から「中世ヨーロッパ」に移したのは、そうした「現代社会描写のボロ」を隠すための野心的な試みだったのだと思う。中世ファンタジーなら、社会常識やリアリティラインが多少甘くても厳しいツッコミはされないだろう。しかし結果的に、その試みは失敗だった。中世という過酷な舞台を用意しながら、そこに現代日本の凡庸な「平和主義」を安易に持ち込んだことで、物語の整合性が崩壊してしまっている。
『ハムレット』と『神曲』をモチーフにしているけれど、ひねりがなくて「そのまんま」。前作の『美女と野獣』引用もそうだったけど、設定やキャラを借りてきただけで、換骨奪胎の域には達してない。主人公スカーレットは「復讐に燃える王女」という役どころなのに、父の「許せ」の一言であっさり復讐を捨てて、「平和」「融和」みたいな現代的な理想論を語り出す。中世の過酷さを描くフリをして、結局は監督の言いたい「ふんわりした道徳」に着地するから、まるで児童向けにリライトされた「ハムレット」を見せられている気分になる。
脚本の粗もかなり目立つ。物語を引っ張るはずの「王の最期の言葉が聞こえない」という謎を、中盤で敵があっさり教えてしまうから拍子抜けだし、サスペンスになっていない。現代日本から転生した看護師・聖の存在も中途半端で、主人公スカーレットとともに旅をするものの、その思想に決定的な変化を与えるわけでもなく、クライマックスで「実は自分は死んでいた」と明かされるけど、それはそれで予想の範囲内で特に驚くことでもなかった。
何より致命的なのは映像的な退屈さ。
「中世(現実)」と「死者の国」を行き来する話なのに、どっちの世界も薄暗くて代わり映えしない。特に死者の国は、古今東西の試写が集まる設定のように思えるが、明らかに中世以外から死者の国に来ているのは聖だけ。ヨーロッパ圏以外の人間もいるにはいるが、その他大勢として描かれるだけで、名前を与えられ活躍するのはスカーレットとクローディアスとその部下たちと現実パートと代り映えがしない。
絵的にも延々と続く荒野や砂漠ばかりで、背景美術は確かに美しいものの淡白で、その中に3DCGキャラがポツンと立っているだけのシーンが多くて、絵としては美しいけど退屈で眠くなる。
園村健介さんや伊澤彩織さんを起用したアクションシーンはかなり頑張っているものの、彼らが過去に携わっていたような、強烈に印象に残るようなものにはなりえていない。
また、過去の細田作品にあったような、アニメーションの根源的な喜びを思い起こさせるようなシーンも皆無であった。
演出もアンバランス。見ていてわかるような心情や状況まですべてキャラクターにセリフで喋らせるし、背景的な説明も謎の老婆が全部説明してくれる。そのくせ死者の国がどのようなルールで成り立っているかなどは、きわめてわかりにくく、物語への没入を阻害している。
結局のところ、舞台を変えても監督特有の「ご都合主義」と「思想の浅さ」は変わらなかった。古典の重厚な器を借りてきたのに、中身はいつものスカスカな現代劇。そんな残念な一作だった。
細田監督作品のヒロインの中では
面白かったけど、酷評されて悲しい
映像は美しい。それで十分じゃない?
気になったのは声優。スカーレットの声役が悪いと思った。エンドロールで芦田愛菜だと気付く。
スカーレットの父は王様。でも弟によって処刑され、スカーレットはその弟(叔父)へ復讐を誓う。しかしスカーレットは叔父に毒殺されてしまった。
スカーレットは死後の世界に行く。そこで父に会うために死後の世界を彷徨うことになる。死後の世界にも人がたくさん。何故か叔父もいた。(叔父もスカーレットの死後に誤って毒で死んだから)
死後の世界でスカーレットは聖(ヒジリ)と出会う。聖は現代の看護士で、路上にいたナイフを持った男に殺されてしまったため死後の世界にいた。スカーレットとは生きていた時代が違う。
死後の世界の山頂には天国への道があるという。スカーレットはその道へと聖と旅をする。
山頂から天へと階段を上がるスカーレットの前に叔父がいた。スカーレットは復讐しようとするが、父の「許せ」というセリフから叔父を許そうとした。しかし叔父はスカーレットの隙をつき、剣でスカーレットを殺そうと振り上げるが、その時に空飛ぶ竜から発せられる雷によって死んでしまった。死後の世界で死ぬと虚無になる。
実はスカーレットは生きていた。昏睡状態で死後の世界にいたが現実世界のスカーレットが意識を回復した。聖は叔父の仲間に殺られた傷が悪化し、虚無になろうとしていた。スカーレットは聖と争いの無い世界を誓った。
細田さんの言いたいことはわかるよ
何度も老婆から劇中で問われる。
人とは?
生きるとは?
死ぬとは?
そして愛とは?
未来を良くしたいなら今を変えなければいけない。
細田監督作品に通底するテーマが本作でも描かれている。
馬鹿みたいに見えるほど単純化されたキャラクター造形は、復讐、友愛、嫉妬、信頼という感情や性質を表す。どの性質も現実世界ではあえなく死んでいく。
復讐心丸出して殺されるスカーレット。
ひたすら他人を助けようとして殺されかける聖。
王になってコンプレックスを解消したいクローディアス。死に方もね。
善政は敷いていたがクーデターに対し無力であったアムレット。
極端さはどの性質であろうと無力であり、死後の世界でも同じように無力である。善は無力で悪に踏みにじられ、悪はより強大な力に踏みにじられる。
阿修羅が住む修羅道のような世界で、ただ一つの解決は許すこと。暴力ではない。どんな感情であれ相手や世界にそれを求める執着。それを捨て相手を自分を許せ。
それが本作の言いたいことだと思う。
前作の「竜とそばかすの姫」もそうだが、作品で構築される架空世界が意味をなしていない。映画の構成の意味としても、映画と現実の橋渡しとしても機能していない。もっと言えば宮崎駿のように一つの世界を構築し切るだけの社会や生活が描けていない。
本作は特に男性陣の声が魅力的だが、役所広司、市村正親、吉田鋼太郎。特にこの3人のシェイクスピアやギリシャ悲劇を思い起こさせる台詞回しは聞かせる。
ストーリー的にも16世紀のデンマークなのでハムレットを意識してると思うし、配役も舞台経験を積んでいる人が配役されている。
だったら、シンプルに細田守演出の「ハムレット」、もしくは明確にハムレット翻案の現代劇で良かくなかったか。
わざわざよくわからない世界を構築する必要がない。
「バケモノの子」までは作品世界の嘘が現実とリンクして細田守独特の世界観を作れていたが、「未来のミライ」からは言いたいことを言うために世界を作っている感じが強くなっていて嘘に乗れない。この世界いる?という状態が続いている。
私は細田守監督はスランプだと思う。
重いかな
脚本、コンセプトがぐちゃぐちゃ
「父殺しの叔父への復讐に燃え、死者の国から帰還してその先私はどう生きれば良いのか。」に対するスカーレット王女の出した答えは、ラストの民衆への宣言シーンに全てかかっていたはずだけどもあまりに大雑把で薄っぺらに感じた。
ココで観客を魅力できるものがあれば途中のヘンテコは許容できるレベルで重要であったにもかかわらず全く理解できなかったし、共感も生まれなかった。
脚本の詰めが非常に甘く、人物の行動も謎。
「そのシーン躊躇わず撃つ、刺すところなんじゃないの?」や「ダンスシーンは短くていいんじゃない?」に思考が支配されて楽しめる状態に無くなってしまった。
ダンスは二人が惹かれ合う表現というのはなんとなく分かるが唐突だし、観客は全く置いてけぼりで納得できない。それなら、聖が生きる未来の話をして談笑「未来の世界はそうなっているのか、苦しいことも復讐も忘れて、私も聖と一緒の時代に生きてみたかったな」→聖がスカーレットを抱き寄せるくらいのベタなやり方のがまだ着いていける。これなら「赦す」にも繋がりができそう。ベタですけど。
やりとりもクドい。聖に対して「見直した」とか言わせなくてもスカーレットの表情だけで済ませたら十分観客には伝わるし。王の言った「赦せ」の真意は観客でも普通に想像できる範囲内だからセリフのやりとりにするまでもない、観客に想像させる方が作品に入り込めて良い。
セリフを削って描画で表現するところを増やして欲しいし、セリフでやるならもっと言い方で工夫できるはず。他作品を見習って欲しい。
ちょっと良いと思った部分と所感は、
①序盤、死者の国の禍々しさ表現
荒野を引きで映して毛細血管を想起させるような気味の悪さ、雲が荒れ狂い、BGMが不安感を煽る。
この持ち味を活かして欲しかったし、裁きを下す龍をもっとアップで恐ろしく描くなど観客全員を恐怖感、死者の国に引き込んで欲しかった。
②スカーレットが自らの美しい後ろ髪を切る
自分が、未来の人々が、笑って幸せに暮らしている世界に想いを馳せて復讐心に囚われた自分を変える?決意と
女性にとって髪をバッサリ切る、並々でない覚悟を表す定番シーンを重ねて描いてるのは良かった。
(これくらいは当たり前にできて欲しいとも思っている)
この作品を観てない人間に気軽に感想を話せる映画であって欲しかったがその領域に行けてない、オススメはできない。
原点回帰の最高傑作。文学とエンタメの奇跡の融合。
久々の王道かつハムレットとの融合最高でした〜。シェイクスピアのハムレットに新解釈を入れて、地獄を舞台に話を展開するあたり驚きました。「時かけ」も「ハムレット」も好きなので、原点回帰という感じでした。映像も音楽も良くて、あっという間の2時間でした。本当に見れて良かったです。結末は読めていましたが、それでもスカーレットのこれまでの思いを想像すると、涙が止まらなかったです。号泣の嵐でした。特に、生か死の選択は…。個人的には、これまでの作品で一番良かったです。良い作品作ってくださり、本当に感謝です。生きてて良かったです。ハムレットも再読して、もう一回見に行きます。最近は万人向けの作品多かったので、少しニッチな作品だと監督の熱量感じやすくて嬉しいです。全部説明せずに考える余白を残してくれる作品は素晴らしいと思います。監督とのシンクロが試される(観る人を選ぶ)映画です。
これまでの作品の女性の中で、スカーレットは一番魅力的な女性です。最後の最後まで不条理により大切なものを失い続けます。それでも、今あるもの、残されたものを尊いと思い、一歩前に進んで行きます。このような人物に私もなりたいです。
この作品は繰り返し観ることで、少しずつ味が出て来ます。この感想を書いている段階で、私は2回視聴を終えています。3回目も行きたいと思います。生きるために、人生を謳歌するために、必要なものは実は僅かであることに気づかされます。美味しい食べ物、歌、ダンス、人との触れ合い、原始時代の幸せが本当は一番大切なのかもしれません。
若干文学に寄っていますが、、それでもエンタメと見事に融合した良作です。近年では珍しい作品なので、「つまらなかった〜」と感じてもいいので、ぜひ映画館に足を運んでください。貴重な体験出来ると思います。
最後に、ストーリー、映像、音楽、すべて完璧ですが、「時かけ」と「ハムレット」の予習は必須かと思います(笑)。知らないと話置いていかれるかも⋯しかし、予習頑張った分、素晴らしい感動が待ってます!!
赦し
細田監督が何を描きたかったかはさておき、
虚心坦懐に作品を観た結果、
「赦す」ことで「争い」をなくしていきたいとのメッセージを
主人公スカーレットの心境の変化から私は受け取った。
舞台は死者の世界と
生者の世界(主にスカーレットのいるデンマーク)であり、
主として死者の世界を舞台に描かれている。
そこでスカーレットが聖と出会い、
様々な場面を通して、彼女の心の有り様が変化していくの
だが、極めつけはラスト近くの殺された父親王との対話。
この直前までスカーレットは赦しか復讐かで激しく葛藤
するが、父親と対話することで赦しに振り切れたのだ。
ここが非常に胸を打った。
胸を打つのは、聖がスカーレットに「側にいる」と告げ
泣いているスカーレットに「泣くな」と言うシーンと
ラスト近くの聖との別れのシーン。
私は猛烈に涙が出てしまった。そのくらい好きなシーン。
涙は出ないが、聖に治療されているスカーレットが
聖に「恥ずかしい」と顔を赤らめながら言うシーンも
お気に入り。
それにしても、死者の世界と生者の世界で
絵が違うのには驚いた。
敢えてのことだと思うが、私は興醒めしてしまった。
そのくらいギャップが激しく、死者の世界のトーン(3DCG)で
統一してくれたほうが嬉しかった。
スカーレットのアクションスタントを伊澤彩織さんが
やっているため、非常に見応えがある。
アクション監督の園村健介さんにより素晴らしい
クオリティになったのだと思う。
様々な評価をされている作品だが、
私は好きだ。
どうか様々な意見に左右されず、ご自身の目で
鑑賞いただき、感想を述べていただけたらと思う。
大スクリーンでこそ映える、戦闘美の世界
ここに極まれり
細田守の新作である。
冒頭からなんとも冴えない。この物語の舞台がどういう処なのか 観客に提示するまでが モッチャリしすぎ。出端をくじかれる。
あとはもうただ スカーレットの苦行に付き添わされる。
この監督にもはやスクリーンのこちら側など見えていない。劇場映画デビューを果たして 今回で9本目。
観客置き去りはすでに6作目『バケモノの子』から兆候は見えていた。
それがここに極まったようだ。
たしかな演出力があるのは間違いない。
『デジモン』から5作目の『オオカミ子ども』
までは 観客が存在する。なぜなら各作品のキャラクターたちに 共感をもてるから。
初期5作には 脚本家が存在する。
『バケモノの子』以降 なにやら作家性に目覚めたのか 脚本家は介在しない。
つまり この人に物語を作る力がない。お話の核をおもいついたら そのまま突っ走る口だ。サポートする誰かがいれば もう少し何とかなったかも。
独りよがりに気付けないと 作家性などゴミだ。
バックアップする日テレも 大慌てだろう。
次回作があるなら 身の丈を見直し よき脚本家との縁をまず模索すべきだ と素人考えを記して終わる。
追記 本作を含めて今年観た作品で 3本「生きろ」というワードに触れた(リバイバルの『もののけ姫』も入れると4つになるが)
『もののけ姫』以外このワードに何の熱量も感じられない。あの作品この作品ではおまえが云うな! というレベルだ。
命が軽んじられる風潮の現代。使用の際は今一度 言葉の重みを推敲したうえで 発信してほしいものだ。
コイツはなかなか。
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