「ダンテの「神曲」とユング心理学の観点から理解したら非常に明確な構造を持っている。」果てしなきスカーレット ちとせさんの映画レビュー(感想・評価)
ダンテの「神曲」とユング心理学の観点から理解したら非常に明確な構造を持っている。
やっと「スカーレット」観ました!!
まず何より直感したのは、ダンテの「神曲」ですね。
そして、作劇術や画面構成、殺陣(タテ)の素晴らしさ、モロ黒澤明やないですか!!
「黒澤やろ?」というレビュー、他に観たことないんです。
黒澤さんって、実はゲージュツではなくて、猛烈に大衆的な作家と思ってます。
セリフでみんな説明しちゃう。
まあ、セリフに依存しないというのは、「夢」は違うかもしれませんが。
根底には人類への信頼のメッセージがある。
「生きる」のオチは辛辣ですが。
細田さんはすぐに幅広く受け入れられないであろうこと覚悟の上。
「やがて私の時代が来る」
ご存知かとおもいますが、作曲家兼指揮者のグスタフ·マーラーの言葉ですね。
ま〜、ベートーヴェンすら、当時は「前衛音楽」そのものだったわけで。
ウエーバー、ロッシーニなどの初期ロマン派作曲家たちからも浮いていた。
ベートーヴェンは定石破りの破格と即興性があってのベートーヴェン。
でも同時にあれほど構成的に曲を作った人はその後にはいない。
細田守は日本のアニメ界の黒澤明かつベートーヴェンになってしまった!
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この物語、スカーレットと聖が出会った直後に、2人はイタリア語の碑文に遭遇します。
"Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate"
「汝、一切の望みを捨てよ」
ダンテの「神曲」、第一部地獄編で、地獄の入口に掲げられている有名な言葉です。
細田さんはこうして、「これから描くのはダンテの神曲やからな!!」と親切にも宣言してくれているわけで。
聖は「神曲」でいう、ダンテの導き手であるウェルギリウス。
ところが、第一声地獄篇、第二部煉󠄁獄篇で同行していたウェルギリウスは、第三部天上篇が始まるともはやダンテに同行しなくなる。
後述するベアトリーチェが代わって導き手となります。
だから「神曲」の第三部である天上界=「見果てぬ地」の登頂には聖は随伴しない。
ところが、スカーレットはダンテの永遠の女性であるべアトリーチェという二重性を持ち、最終的には聖=ウェルギリウス=ダンテを救済する。
スカーレットも聖に救済されている。
だから、スカーレットも聖も、見方を変えればダンテ役ということにもなりますし、ベアトリーチェ役ということにもなります。
つまり、ダンテ的にとらえるだけでも、この2人は3重の役割をおわされている。
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ユングの書いた、「変容の象徴」という、ユングがフロイトと訣別して多大な神経症的苦悩を経てやっとのことで書き上げた畢生の大作がありまます。
この著作で出てくる「夜の航海」という概念があります。
これは、古代エジプトにおいて、太陽神は日没後海の底から海底の空洞を抜けて反対側に戻って再び海から天に登るとされていたことに由来します。
これを人間の一日の営為と読み替えられるわけで、すべてはスカーレットの一夜の夢の出来事ということになりますし、スカーレットが、神曲第三部でいう「見果てぬ地」=天上界からまずは海に浮上するのも当然。
ユング的にいえば、夢の中に登場するのは、たとえ人間でなくても、いや、モノであっても、自分の分身とされます。
いわゆる「アニマ」「アニムス」「影(同性に限る)」「老賢者」とか。
これらは皆邪悪なものではなく、これまでの自分が生きて来なかった「可能性」。
この観点からみたら、「スカーレット」はとんでもない広がりと深みをもった作品となり、とんでもない人物相関図になるわけで。
「お前が探しているのは自分自身」
「自分自身を許せ」
物語は、すべてスカーレットの精神内界での、自分の意識していなかった自分の分身との対話であり、「個性化」に向けての成長過程ともとらえられます。
おもしろいもので、ユングは、アニムス(女性の内なる男性)をは必ず複数だと書いているんですよ。
……っつうことは、あの四天王は、スカーレットの「自我」(通常の意識的自己)を取り囲む円形のマンダラということになります。
4人いてこそ調和と人格統合の象徴。
上空に導師さま、更に上空に竜がいて、下にクローディアス(=実はスカーレットの一番の分身!)がいるという立体構造。
ユングのいう「英雄の犠牲」というのは、「変容の象徴」のクライマックスです。
要するに、異界でラスボスを倒した英雄は、現世に帰還する際に必ず何か大事な存在を犠牲に捧げざるを得ず、身体に、現世に戻っても残る、何らかの「刻印」を負う、ということで。
細田さん細田さん細田さん〜〜
私の恩師が、わけわからんと放り出した本やで〜
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ある方が、スカーレットが復讐をやめて今を生きる決心をするに至るまでの説得力についてSNSで疑問を呈してきたので、次のように解答しました。
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この点は、父王が、「自分自身を許せ」という意図だったことがスカーレットに理解され、クローディアスが実はスカーレット自身の「影」……ダークサイドであったことがスカーレットに悟られ、スカーレットが現代にタイムスリップして今の自分と全く異なる生き方の可能性に気づき、来世で聖と結ばれるような国づくりを決心する……という、綺麗な展開になってるかと。
(うわ〜、壮絶ネタバレ)
もんのすごく納得してもらえた(笑)
更にその質問者(ゲーム好き)から、
「ずいぶん遠回りな道行きなんですね」
との感想が得られたので、更にレス。
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そのゲームは知りませんが、もう無っ茶遠回り。
ダンテの神曲そのものが、すり鉢状に螺旋を描いて地底の地球の中心に鎮座するルシファーに遭遇し(ここまでが地獄篇)、地下のトンネルを抜けて地球の反対側の地上に出て、富士山状の山を螺旋に登り頂上に到達し(ここまでが煉獄篇)、最後に天上の天動説的宇宙を周回する多層天をひとつづつ巡り、やっと神と邂逅するという、延々螺旋状の道行きですから。
恐らく数多くのゲームに影響与えてる、ステージ&階層構造では?
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