果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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報復の連鎖を止めるのは「赦しと愛」。 ――細田守監督が作品に込めた想いとは
本作は、復讐劇の元祖とも言われるシェイクスピアの「ハムレット」をモチーフにした作品だという。
この背景を知ってから観るのと、知らずに観るのとでは、作品の受け取り方は大きく変わるのではないかと思う。
細田守監督によると、本作の制作が始まったのはコロナ禍が明けた頃。
しかしその一方で、世界ではさまざまな争いが次々と起こるようになっていた。
その光景を目にするうちに、
「報復が連鎖した先には、いったい何があるのだろうか」
そう感じたことが、作品誕生のきっかけだったという。
深い遺恨や復讐心が生まれ続ける世界。
「決して平和とは言えないこの世界で、“復讐”というテーマをどう描くのか」を考え続けながら作られたのが、本作なのだそうだ。
原典である「ハムレット」では、亡霊となった父親が息子ハムレットに「許すな」と告げることで、復讐劇が始まる。
しかし本作では、その問いが反転する。
もし、父親が「許せ」と言ったらどうなるのか。
自分の父を殺した相手を、人は本当に赦すことができるのか。
「赦すべきか、赦さぬべきか」
――それが問題だ。
テーマは明快だ。
けれど、その選択はきっと身を斬るような苦しみを伴う。
「汝の敵を愛せよ」
新約聖書にある有名な言葉。
悪意を抱く者に対して、慈愛をもって接しなさいと神は説く。
そして時に、最も深い悪意とは“無関心”なのかもしれない、と私は思う。
どうしても許せない。
絶対に赦せない。
穏やかだった血と肉が、一気に沸騰するような怒りが湧いたとき、
人はどう振る舞うのだろう。
そのとき、スカーレットが抱えていた、身を引き裂くような苦しみを、
ほんの少しだけ想像できた気がした。
「赦す」という行為は、なにも大げさなものではない。
それは、ほんのわずかな「想像力」。
そこにはいない誰かを、
ほんの少しだけ慮る時間。
私自身、シェイクスピアに詳しいわけではない。
それでも、この作品が投げかけてくる問いは、十分に伝わってきた。
より深く味わいたい人には、
戯曲「ハムレット」や「マクベス」を事前に知っておくのもいいと思う。
演出はやや戯曲的で説明も多く、そこを冗長に感じる人もいるかもしれない。
一方で、小学校などの道徳の授業で、
「生きるとは何か」「赦しとは何か」を考えるための材料として上映するのには、
これほど、最適な映画があるだろうか?宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」とあわせて多くの小学生に観てもらいたい作品であると個人的には思う。
評価は星3つ。
ただし、作品全体を勇敢に背負った芦田愛菜さんの大いなる奮闘に、プラス1。
彼女の苦悩が、終始スクリーン越しに伝わってくるようでした。
愛菜ちゃん、お疲れさまでした☕️
歌も、とても素敵でしたよ♪
所々荒さはあるものの、色々考えさせられた
細田守の映画は賛否両論になる傾向が強いですが、個人的にはその独特な作風が好きなので、今回もそれを期待して観に行きました。
前作から大胆にテイストを変えており、すごく野心的なものに仕上がっていました。「死者の国」の描写は、デザインが2Dアニメなのに実写のようにリアルな映像美に圧倒されました。通常上映での鑑賞でしたが、IMAXに負けないぐらい十分迫力がありました。
所々で脚本の荒さが目立っていたので、低評価している人たちの気持ちを理解できました。衝突にドラゴンが登場したり、敵がいきなり心変わりするなど、急展開な場面の多さに私も戸惑いました。
それでも、今の社会情勢を反映させたテーマに考えさせられました。復讐に囚われたスカーレットが「生きるとは何か」「許しの意味」について彼女なりの答えを見出せたときは、なぜか涙腺にきてしまいました。これは、強きものだけが生き残り、弱きものが存在を失う現代社会に違和感を覚えた細田監督の答えかもしれないと解釈しました。
色々と惜しい箇所はありましたが、新たな表現に挑戦した細田守はすごいなと思える映画でした。
画にストーリーがついてこれていない気がした
実際観た人ではないと、映画の評価は付けちゃいけないし、批判もしちゃいけないと思うので、自分の目で確かめてみようと鑑賞。
結果、ここまで酷評するほどの作品ではないが、酷評してる人たちの気持ちもわからなくはないなーと思った。
とりあえず画はトップレベルで、凄まじいのは確か。それを観るのは一見の価値あり。
これはもう実写なの?というぐらい荘厳な自然や生き物や建物描写は圧巻で、視界から入る情報は凄まじいし素晴らしいの一言。
監督がこの作品を通して伝えたいことや、描きたいことはなんとなくわかる。
しかし、話がそこについていけてなくて、観ている人の置いてけぼり感がすごい。
例えるなら、見た目はとても美しく芸術品かと思うような料理なのに、口に入れたら味が薄くて、食べられないわけではないけど美味しい!とテンションが上がるものではなく、無言になってしまう感じ。
やっぱり主人公を応援したいし、愛着を持って観たいのに、スカーレットに愛着が持てない。だからのめり込めない。頑張ってのめり込もうとしてみても、ノイズになるセリフや描写や展開があるから、ストップかけられてしまう。これが結構つらかった。主人公が泣き叫んでも、どうも冷めた目で見てしまう。
キービジュのコピー文も果たして「愛を知りたい」であってるのか?
観た後だといまいちしっくりこない。
主人公は少なからず父親には溺愛されていたわけだし、愛を知らないわけではないと思うから…。
それよりも、欲望や憎しみの連鎖を止め、許す気持ちから平和は訪れるという、簡単なようで未だ人類ができていないことを、改めて壮大なストーリーを通して伝えることは良かったから、そっちの方面でのコピー文が良かったのでは?と思った。
このクオリティの画だからこそ、ストーリーが面白ければ凄いことになりそうなだけに、勿体無いなーと思った作品だった。
以前の脚本家さん…戻ってこないかな…。
赤いピアス
お姫様の耳に飾られた赤いピアスが印象的でした。ピアスと言えば、「ミツバチのささやき」という映画でも、主人公の耳にピアスが輝いていた。それが幼い彼女を少年に見せない、女性らしさを表した象徴でしょうか。
映画として、とても面白かったです。本当です。よくある復讐劇かと思いきや、いきなり主人公と一緒に(冒頭で前振りはあったけど)死後の世界に放り込まれる、その仕掛けはとても面白かった。あれれ? お姫様は死んじゃったのかな? なんで? と、それを知るまで目を離すわけにはいかなくなる。
矢継ぎ早に(字、あってるかな)現代看護師の聖くん登場。もうポカンとなりました。中世とかそういう時代の話だと思っていたのに、SFか、はたまた異世界もの的な演出なのか。矢継ぎ早といえば、聖くんは弓使いでしたね。きっと高校とかで弓道部で慣らしたんでしょう。素人には弓が引けないと聞きます。
それはひとえに、未来の都会で踊るお姫様のシーンを描きたかったからなのか。看護師として現代医学で活躍する面白さもあるんでしょうけど、それが、復讐に生きるお姫様に、「もっと色んな人生があるんだよ」という可能性を示唆するための使いなのでしょう。
使いといえば、あれはなんだったんだろう。天空から襲来する龍の雷。仙人めいた達人のおばあさん。(ここから大きなネタバレですが)そもそも、何故、お姫様は生きながら死後の世界に落ちたのだろう。「仮死状態だから」という理由付けも考えられるけど、「世継ぎの女王様に課せられた試練」みたいに考えれば、「本当だった初代女王の伝説」みたいで面白い。
そういえば、アレと似てますね。「西遊記」で三蔵法師様が天竺に旅立つきっかけは皇帝陛下の地獄巡り。目を覆うほどの世の乱れに悲嘆したお釈迦様は(孫悟空の天界荒らしが収まってから)皇帝陛下を召喚したエピソード。こうして地獄巡りを経たお姫様は、新たな女王としてスタートを切る結末だったのですが、この映画はそこで終わりだったので、行く末は祈るほかはないでしょう。
最後の民衆に向けた演説で、不信感で顔を歪めた民衆に女王は演説。それを聞いた民衆は笑って新女王を讃えるんですが、なんでしょう。「しょうがねぇなあ。そう云うなら、まあ良いか」という苦笑いにみえたんですよね。なんていうか、あっけらかんとした流れだったし。そりゃ信用できる訳はないけど、前の前の王様は良い人だったし、なんとかなるかな? というところでしょうか。
文頭でも書きましたが、やっぱり自分の一番の印象は、耳の赤いピアス。あれをしっかり見せたシーンは腕に銃弾を受けて聖くんの治療を受けるシーン。脱がされそうになって「恥ずかしい」と思わず云ってしまったところとか。
そこまで復讐の鬼、男勝りの戦士っぷりだったのが、ふと少女の頃に戻ったような振る舞い。昔、優しい父親と過ごした明るい少女の頃の象徴が、あの赤いピアスだったと思う。映画が進むにつれ、戦い続け、傷ついて、いろんなことが起きる中で、ふと、少女の頃の彼女が顔を現しはじめる。如何に復讐に魂を燃やそうと、その少女の頃の彼女の本性は変わらない。その本性に逆らっているからこそ、お姫様は辛く悲しく不幸な道に歩んでしまっているのではないかと。復讐しなければ前に進めないけど、もしそのことを「許す」ことが出来たなら、本来の幸せな自分を取り戻すことができる。「色んな人生の可能性」も「都会で踊るシーン」に示唆されているけど、「本来の自分に立ち返る」というのも自分がこの映画に感じた根幹であると思います。
後は「生きたいと云え」とお姫様に訴えた聖くんの言葉でしょうか。もしかしたら、看護師として患者を励ます手段だったのかも。だとしたら、災害の現場で奔走するような、筋金入りの看護師だったのかもしれません。
ちょっとこの映画の評価が低いのが気になりましたが、個人的には十分楽しめたつもりです。割高のドルビーだったせいか、数人しか観客がいないがら空き状態。流石ドルビー、エンディングの澄んだ歌声が実に素晴らしかった。
日本のアニメは世界に迎合しなくてもよいと教えてくれる
細田 守
「サマーウォーズ」で、オレは「こっ恥ずかしい」、「架空の(本人は経験していない)ノスタルジーに添加物を盛り込んだだけで中身は、大人向けとは真逆のもの」
と書いた。それ以降の作品も全くかっていない。いつも日常からの非日常(異世界)の転換が、ヤッパリおっさんの思考(嗜好)から逸れていく。
前作「竜とそばかすの姫」も日常の一幕で、細田監督はすごい映画たくさん見てるんだなあ、とハッとするカットも多かったのだが、竜の正体探し(ネットであなたは誰?はナイな)が一応のサスペンスにはなるんだけど、竜の正体はお父さんのほうが絶対面白いんだけどね。と。どうも、自分を成長させるには、他人を救わないといけない、それが自分の映画の作家性であることの意識が強すぎるのか。
というか、鑑賞者を少し下げて観てるんじゃあないか、まで思えてしまう。語らず映像で見せる演出はすごい上手いのに、セリフはチープって、結局そういうことなんだと思う。
それがオレのようなおっさんはターゲットにないよ、というのであれば、その通りなんだろうけど。
「果てしなきスカーレット」
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前作もそうだったかもしれないが、本作、まごうことなき「世界市場」を意識した作品。
そのため、ベースが「ハムレット」、物語の進行が地獄 → 煉獄 → 天国と精神的な上昇を描く「神曲」であるように、超普遍的な寓話性をもって、自身の訴えたいことを強く押し出した野心作、であることは分かる。ビジュアル表現が明らかにフランスや北欧アニメ映画に寄せている。それが「死者の国」(地獄、煉獄)の背景ともなるのだが、これまで日本で過去作を見てきた「肥えた」観客には、違和感に留まる。ましてや、神曲をモチーフとした作品群に慣れていないとなおさら。
また、「神曲」の、人間の弱さ、過ち、赦しのテーマが、描かれはするものの、「時空を超えた」平和と愛のメッセージをたっぷりと盛り込みたい思いが強すぎて、例の「歌」からの「ダンス」シーンがただ浮いて見えてしまっている。「歌」に「力」があることは、誰でも知っていることなのに、この「歌」でそれはない、と観る側に思わせるのもつらいところ。
今回は少し「世界市場」への取り組み方にいくつか問題、不運があったように思う。直近の「鬼滅の刃」、「チェンソーマン」は「続編」だ。これらは、世界に「理解されるために」作られた作品ではない。これらの世界での大ヒットが証明するように、「迎合」しなくても、ファンが世界中につく時代となった。本作の製作期間4年。4年前に比べると圧倒的に「アニメ」は世界において市民権を獲得し、ハリウッド映画より「利益の出る」と言われるようになった。
スタジオの規模に依存する作画期間や段取りの課題、構想の練度もあっただろうが、「挑戦」の結晶が完成、公開するタイミングが悪かった。
アクションシーン含め、個人的にはハッとするようなカットはここにはなく、剣を持っているくせに、必要のないおちゃらけキャラが出てきたり、前作に続き「歌」で失敗してたり(これは前作が自身最大のヒット作になったことも影響しているか)、今どきあそこで「キス」が世界市場なのか?と残念な点も多い。
しかし、前作よりも「挑戦」を感じることができ、地獄の音(音響)はとてもよく、なかなか「飽きない」作品だったので、「楽しく」見ることはできた。
なんだけど、ラストの演説はやっぱり帰りたくなった。
追記
オレはあのダンスシーンは結構好きだったが、先に「罪人たち」の「歌」による素晴らしい「時空、文化の超越」をみているからなあ。
満足度や完成度は決して高くないが
映画を観ている間、細田守の苦悶の声がずっと聞こえてくるかのようだった。壮絶な産みの苦しみとでも言おうか。世界で無慈悲な殺し合いが続き、手段を選ばぬ為政者が跋扈する現代にいかなる物語を放つか。満足度という意味では明らかに低い。ストーリーのまとまりも高くない。が、おそらく細田監督はこの「世界との対峙」を通じて泥に潜ること抜きには前に進めなかったのではないか。「ハムレット」の要素を取り入れつつも(「寺に行け!」という台詞には思わず笑った)、何かしら別次元にある存在が一つの場所で結びつき合うという構造は従来の細田作品と変わらない。そして「生きろ」というかつて『もののけ姫』のキャッチでも世に浸透した言葉が約30年後の今、照り返してくるようなくだりも、やや叙情的すぎるが印象を刻む。作品としてお勧めはしない。が、これまで細田作品を観続けてきた人なら、好き嫌いは別として、多少受け止める意義はあると感じる。
テンポが悪いよテンポが
父の敵討ちに失敗した少女が死者の国で生きる意味を見つける物語。
物語自体は悪くないと思いますが、世界観説明の少なさとテンポが悪さが目についてしまいました。
評判ほど悪くはありませんが、低評価もやむなしかなあ。
細田守最高傑作。復讐映画だと思ったら、宗教と倫理の話だった。
年間二桁数の映画を見ていながらも、レビューなどの感想は個人のものとして完結させてきた自分が、このレビューを書くためだけにアカウントを作成してしまった。
それくらいいい映画だった。
これは決して「わかりやすくない映画」ではない。
「考えないと受け取れない映画」だろう。
まず、映像美ではなく、嘘を描くための真実としての「描写」が徹底されている。
死後の世界は社会の縮図であり、救済は与えられない。復讐は信仰にすり替わり、愛は免罪符になる。
だが本作は、愛すら理由にすることを許さない。
救いは祝福されず、選択だけが残る。
細田守が突きつけたのは、生き方ではなく倫理だったのだと思う。
書き足りない分はnote記事にしたので、興味のある方はぜひ見ていただけると嬉しいです。
細田守版『君たちはどう生きるか』としての『果てしなきスカーレット』
──「わからなかった」で終わらせないために
というタイトルです。
悪くなかったです
みんなが言うほど悪くはなかった、これに尽きます。淡々とにはなりますが、
よい点として、
・映像美と音響
・世界観やスケールの広さ
・声優の演技力の高さ
・導入や物語の設定
悪い点としては
・余計(不必要)な脚色があった
・一部キャラの設定
・短い時間でこれだけの話題を盛り込むのはやや無理があった?
と言ったところでしょうか。
あと、余韻が思ったほどなかったような気がしました。バケモノの子やオオカミこどもの雨と雪は、あれほど感じられた余韻が…。でも余韻の有無ですべてを語れるわけじゃないし、この作品にはそれなりの良さがあったと思います。
なので正直に言えば、見て後悔はなかったです。次回作はどのようなものか、不安と期待が交錯していて大変です……。
なかなか面白かった!
酷評が多く観るのに躊躇していたら上映終了間近と知って慌てて観に行った。観客は自分を含めてたったの5人。つまらなければ途中退席するつもりでいたが、想像以上に面白かった。何故これ程評価が低いのか私にはわからない?
不満点があるとすれば吹き替えの声。頑張ってはいるが、一流の声優さんと比べると迫力や緊張感が足りないと感じた。
しかし、動画配信されたら我が家のシアタールームで必ず観たい作品でした。
全体的に舞台上演を見ているような感覚だった。
映画館で見たCMで気になっていたので上映中に鑑賞できてよかったです。
予備知識なし(不評らしいとは知っていた)。
映像は明るくて実写のような美しい反面、
筋書きは、最初から暗くて見ていて気持ちが沈むような。
グリム童話のような設定(お姫様とお妃と悪巧みをする人)でありながら、
私たちの中に根深く刺さっている棘を抜き取ろうとしている作品という意図を感じた。
(戯曲「ハムレット」が下敷きになっているようですが)
実際、映画・エンタメは、
観客の喜怒哀楽を呼び起こして、
一人一人のカタルシスを促すために
成立しているようなところもあって、
生まれる前の潜在的な記憶や
そのことでトラウマになっている傷、
そして、無自覚なその傷の波紋で今の人生に影を落としてきたそれを、
泣いたり笑ったり怒ったり感動・共感したりしながら、
腹の底・胸の奥、体の細胞の一つ一つから押し出し洗い流す。
この作品に物申したくなると言うこと自体、
「反応」しているサインなので、
作品の意図としては成功しているんじゃないかなと思った。
監督の別の作品も角度を変えた同じような意識を感じるけど、
観ている人にわかりやすい表現者という印象。
空前絶後の練り込み不足
細田守監督作、芦田愛菜主演。
公開当時から酷評が多く割と気になっていた本作。
色々と一段落したので、ようやく見に行くことが出来ました。
まあまず、全体の雰囲気とか良いと思いますよ。
当時のデンマークの美術とか、後は死の国のマッドマックス感とか、退廃的な感じがまあ悪くないとは思います。
殺陣も昨今のアニメの中だと好きな方ではありますね。
3DCGアニメーションに精通したスタントコーディネーターを呼ぶことで、不気味の谷感を感じない自然なチャンバラを楽しめることが出来ました。
今後ともこう言う感じで作られる肉弾戦が増えて欲しいですね。
そんでもって主演の演技も悪くないです。見ている間、不自然さは無く、芦田愛菜の顔が浮かぶことが無かったのは驚きましたね。
そしてメッセージも使い倒されたものではあるものの、昨今のこの状況下で、敢えてそれを打ち出したと言う姿勢は評価したいと思います。
それを加味しても……なんかこう、フワッとしてましたね。
まずは生と死の世界。
色んな時代色んな国、そんでもって生死に関しても様々な要素を持つ者が混在する、と言うのが設定なわけです。
しかしながらバリエーションが少ない。
スカーレットの知り合い、聖、あとは古い時代の色んな国の人々……だけ。
現代出身は聖以外全くおらず、そんでもって近代出身もいない。強いて言えば砂漠の場面で出てきた1800年代の中華鎧の野盗どもがそれに当たるだろうか。
なんかもう、都合の良い奴しか出てきてないんですよ。
スカーレットの復讐の対象者と、あとメッセージを伝えるための人(聖)しか出さないって感じの。
もっと挑戦しましょうや。ブロンクスのギャングとか、自殺した女子高生みたいな感じの出すとか。
もしくは近代的な人達だと、オランダの医学者を出してみるとかさあ。
なんか色々出来そうな気がするやん。エセハワイ系の歌に尺を割かず、そっち方面で力を入れてくれや;;。
次にキャラクターね。
まあ所々で操り人形感を感じるわけですよ。
人の命を奪ってはならぬ、復讐はダメだと言っていた聖に敵を殺させる……とか。
クローディアスの毒薬のことを把握して、そんで実際に飲んだ主人公を間近で見ていたのにも関わらず、"何故か"それが入った酒を飲んだこと……とか。
なんかこう、やりたい展開のためにキャラクターを強引に操ってる感じがあるんですよ。
事前に織り込んだ設定から逸脱したかのようなムーブをさせることでね。
ここもクローディアスなら、パーティーの後に参加した戦争で死んだ……とか出来そうですやん。それを事前に知っていた毒入りの酒を飲んだって何故なんです?
で、一番練り込めてないのがセリフですよ、セリフ。
古典っぽい感じにはしてるんですけども、なんか安直すぎるんですよね。
説明セリフっぽいセリフや、主題をただただ明示したいとしか思えないセリフが多すぎるし。
こういうのは上手く提示するもんじゃないのですかい?そんな四六時中「命、命」言うてる場合なんですか。
もっとこう、やり取りをみていく内に"あ、この映画の主題はこうなのか……?"とフワッと観客に想像させるようなセリフ回しは出来なかったんですか?
なんかもう、余りに練り込めてないんです。
ドラフトも全く出さず、原石そのままで映像製作に取り込んでしまった脚本みたいな。
だからもう全てがフワッとしてるし、全てが単調すぎるんです。
特にその練り込み不足の最たる例があの歌ですよ……何ですかあの歌詞は……!? 余りにも恥ずかしすぎる……!!
余りにもド直球じゃないですか!!誰かに添削してもらいましたか!?細田さん!!
あとその歌の場面のロジックですわ。
聖が歌う
↓
スカーレット何かを感じ取る
↓
急にスカーレットの意識内で超新星爆発が起こる(……?)
↓
スカーレット喘ぐ
↓
スカーレットの意識が現代渋谷にぶち込まれる(……??)
↓
スカーレットと聖が踊る(……????)
――「考えるな感じろ」の精神でも許容出来ないですよあの場面は!!!!
この場面を通してスカーレットが現代の価値観を知ると言う意図があるのは分かりますよ。
なら、現代を説明するパートを作ればええやないですか。
聖がピロートークのテンションで「現代にはね、色んな価値観の人がいるんだよぉ……? でっかいお城がバンバン建ってるんだよぉ……?」って教えて、スカーレットが実際に渋谷の光景を想像してみて、そんでもって「渋谷って……凄えや」ってスカーレットが感じて、そこで「愛」の歌をぶち込んで、そっからミュージカル……ならまだロジックは理解出来ますよ。
歌を聞く→「ウワアアアアアッッ!!」→「あ〜い〜〜につ〜い〜て〜知り〜た〜い〜よ〜♫」ってなんなんすか!?アレはなんなんですか!?
もっと言うなら悪い意味でフェチを出してないですか?
所々で仄かにフェチを感じるような画を感じて、ちょっと冷めましたよ、それやるならプロットや脚本の方にリソース割いてくださいよ!?
……スタジオ地図のガバナンスが気になって来ましたわ。
もっと上手く舵取りしてくれるプロデューサーはおらんかったんですか?もっと意見をくれる部下はいなかったんですか?
もっと練れた筈でしょう!!細田さん!!
カルト映画だなこれは
一般受けはしないけど熱狂的ファンを獲得するという意味と、そのまんまカルト的という二重の意味で。
まず間違いなく意欲作。しかも惜しげもなく最新の映像技術を使い、スタッフからキャストまで超一流の人で固めたすごい映画なのは間違いない。そして残念ながら興行的に成功したとは言い難い問題作(まだわからないけどね)でもある。
全体的な印象は幸福の科学が作るアニメ映画あるじゃないですか?ぽくも本編は観たことないけど、幸福の科学映画の予告編で受けた印象に非常に近い。なんかポカーンとして見てました。なんか置いてけぼりになっちゃった感じ。この感じはニチアサとか見てる感じにも近い。ほら毎週見てるのに話について行けなくなる感じあるじゃないですか。あれですよあれ。
というわけでちゃんと理解することはあきらめてよかったところ。あの空が海になってて、砂漠が広がってる死者の国の風景はとてもよかった。ダンバインのバイストンウェルみたいで。巨大なドラゴンとかゾクゾクしました。
それからアクション。あの伊澤彩織さんをモーションキャプチャしたというアクションはさすが!渡辺信一郎のラザロみたいだと思いました。カメラのアングルもすごい!
次は別にダメじゃないんだけどなんか気が散るというかノイズに感じたところ。基本的に16世紀のデンマークから来た人ばっかりの死者の国に現代の日本人看護師の男の子が準主役級でいることの違和感。必然性としてはこの作品が日本映画で大多数の日本人に共感してもらうためなんだろうけど取ってつけた感がすごくてどうもいただけない。渋谷のダンスシーンはなぜか音楽がサンバ調。ひねりがききすぎでカルト感増し増しです。あと砂漠の民みたいな人たち(彼らはデンマーク人じゃなさそうだった)がなぜかハワイアンなフラダンスを踊るという…どっちかというとインドっぽいベリーダンスとかのほうが合いそうなのだが…
最後に一つ。何が「果てしなき」なのか結局よくわからない。なんとなく言いたいことはわかるんですよ、復讐に人生を捧げるんじゃなくて自分のやりたいこと見つけて前向きに生きろってことですよね。じゃあ何が果てしないのか?スカーレットも最後言ってましたよね?「いいえ、旅は終わったわ」って。
そこでぼく考えたんですよ。聖もニチアサ的人不思議なことが起こって16世紀のデンマークで生き返る。聖「やっと終わったね」スカーレット「バカ、まだ始まってもいねーよ」って言ってエンディング。これなら旅は果てしなく続くってことでタイトル回収です。
すいません、キッズリターンやっぱ好きなもんで。
予想を超えてきた
SNSで酷いと聞いたので観たが、期待以上のそれで楽しめた。
2回目も見ようかと思ったが流石に時間とお金が勿体ないのでやめました。
酷いところを上げたらきりがないが、まず映像の情報量が少ない、これはアニメだから当然だが同じ細田守作品の「サマー・ウォーズ」はしっかり読み取るものがあった。
でもこれ自体は別に欠点ではなく、情報が少ないならストーリーや展開で面白いものを持ってきたらいいが、ほとんどの展開やベースストーリー、思想でさえもが使い古されたもので「ああ こういうパターンね」となり、作品に入り込む気が失せてしまう。
あと場面の展開がただ説明してるだけというか、流してるだけで面白いものを作ろうという気概すら感じられない。
そして映画での復讐というテーマの扱いが意外と難しそうで、そういうネガティブなものを目標にしてるせいか、あんまり応援したい気持ちにならないし、2時間という短い時間で復讐キャラに愛着を湧かせるのは難しいのかなと思った。
ほぼ復讐マシーンだったので、例えばスカーレットに可愛げやコミカルさ、途中で他者を思いやる面などが出てきたらまた違ったのかなと思う。
あと渋谷のダンスシーンなんなんだあれ
めちゃくちゃ良かった。
果てしなきスカーレットは、見るべき映画
259人席に私1人だった。
しかし、終わった後、非常に満ち足りた時間が私には訪れた。
この映画の主題は「ヒュブリス(古希: ὕβρις、英語: Hubris, Hybris)」である。
そして、この作品は、実に哲学的だ。
「驕慢」或いは「傲慢」、日本語訳になるだろう。
ハムレットの主題もまたそれであり、ダンテの神曲において煉獄若しくは地獄の放浪で最初に問われるのもそれである。
果てしなきスカーレットは、それをよく消化したシナリオであり最後のカタストロフィは我々の未来へのメッセージである。
シナリオに対する批判が多いが、チーホフなどを前提とする近代演劇のシナリオセオリーで言うならば、この作品は全く荒唐無稽と言わざるを得ないだろう。
それは多くの人たちが指摘する通りである。
しかし、この作品は、古典演劇のシナリオで構成されている。
だからシェイクスピアの時代の古典演劇でみるならば、このシナリオ構成の方法は実に自然である。
(ハムレットのTo Be on Not to be の有名な独白は、脳内世界である。近代演劇の注釈では宮殿の列柱廊下などとされているが、それは近代演劇の視点での曲解である。詳しくは河合 祥一郎氏の著作を参考にしていただきたい)
近代演劇は物理言うならば、ニュートン物理的であり、シェイクスピアのような古典演劇のシナリオは、量子物理的である。
古典演劇は、人のパッションによって跳躍する。つまり論理的に飛躍するのである。
日本の能、狂言、歌舞伎も、このようなシナリオ構成になっているものが多い。
今回、果てしなきスカーレットは、極めて実験的に書かれたものであるが、シナリオの先が読めない。面白さは、古典演劇の持つ魅力であり、それをアニメーションに取り入れた点は評価すべき点である。
ともすると、近代演劇の場合すべてを合理的に説明しようとし、シナリオライターも観客者も完全情報であることを前提に作品を見ている。
実際我々の生活は完全情報下で物事を観察はしていない。むしろ不完全情報の中で我々は判断をしており、他者の動きは時に不合理で跳躍しており、非論理的行動が多く見られる。むしろそれがリアルであり、現実だ。皮肉な事だが、古典演劇はそのリアリティーを持っている、これをアニメに取り入れたという事は、新しいイノベーションの始まりである。
果てしなきスカーレットは、アニメの新しい新境地であり、イノベーションの始まりだ。
諸氏よ!
汝は頭の中のイプセンやチーホフをかなぐり捨てて、古典演劇の世界に浸ってみてはいかがだろうか?
ぜひ、この作品を映画館で見てもらいたい。
日本アニメには哲学がある!
虚無
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