かくかくしかじかのレビュー・感想・評価
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一言に込めた想いは大切な宝物
不器用だから教えたりするのは下手なんだけど想いが熱い人は昔はゴロゴロいたね。
口よりも手が早かったりもしたし。
いつから愛がこもった一撃が愛もヘッタクレも無い暴力に変わったんだか。
でも若い時に受けた言葉や想いは一生もんの宝物になったな。
互いの気持ちはズレているようにも見えるけど先生はなんもかんも見抜いているよ。
だからこそ『描けーっ!!』なんだから。
自分は大泉洋という俳優を誤解していたかも知れない。大いに笑って大いに泣ける126分間、実話が元の原作が劇場版に与えるエネルギーの凄さを感じさせる良作。
以前スクリーン上で出会った大泉洋という人は、「清須会議」とか「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」とか「新解釈・三國志」とか「騙し絵の牙」とか、私感では「だらしない印象」の演技が多かったので、この作品も騙されたつもりで観に行きました。しかし結果としてこの作品は大泉洋の記念碑的作品になるのではないかと感じるほど心変わりしました。
主人公の永野芽衣の独白から始まって、短いアバンの後すぐにタイトルが出る手法は多くの自伝的作品で使われているので慣れているのですが、予告編で観た映像が早めに登場してからはドンドンとストーリーに引き込まれていきます。広告宣伝がヘタクソなイメージのワーナーの配給作品ですが、予告編の切り取り方は実に良く出来ていると思います。
大泉洋は地上波での笑いの取り方には長けているので安心して大笑いできるのですが、永野芽衣とのやり取りで涙を誘う演技との落差が激しすぎて、ジェットコースターのように高いところから急角度で落とされる度に、観客からの鼻をすする音が聞こえて来ました。「地獄の花園」「マイ・ブロークン・マリコ」「母性」「はたらく細胞」などの作品では堂々と主役を演じた永野芽衣には、この作品をきっかけに今あるゴシップを吹き飛ばして活躍してほしいと思います。
原作者・東村アキコさんの気合いが入ってる
美術監修はもちろん、(共同)脚本・製作、そして方言指導。
撮影現場にもいて、求められたらアドバイスをしたという。
そして、日高先生役に大泉洋さんをリクエスト。
断られても何度もオファーして、最後は快諾を得たんだそうな。
この日高先生は、相当無茶な人物として描かれている。
その指導哲学は、一貫している。
「上手くなるまで、何百回でも、描け!」
そして生徒の面倒を、どこまでも見る。
それが、常人離れした人柄として現れる。
常人離れということを、おそらく当人は理解できない。
だから東村さん――映画の中の林明子は、大学進学後は、
本音は言えないけど、なるべく遠ざかりたかった。
それでも運命の糸は、2人を遠ざけてくれなかった。
東村さんは、原作を描いた経緯についてのインタビューで、こう語っている。
>これを描くまでは、逃げてたんですよね。要するに私は不義理をしたまま離ればなれになってしまって、ああ、まずかったなぁと思いながら生きてて。
先生を思い起こすことで、そういう自分にけじめをつけた、ということらしく。
だから、大切な作品なのですね。
――心して、観ました。
そして先生の真っ直ぐさを、受け止めました。
熱くて面倒くさい先生に涙出る
あの時の先生のことば。
2015年授賞式にて受賞作品の題材になってる恩師・日高先生のことを司会者に聞かれ、小学生の頃に出会う漫画、高校生になり絵画教室で出会う恩師・日高との思い出を語るペンネーム東村アキコこと本名・林明子の話。
ごみ捨て場に捨てられたマンガ雑誌を読んだ事を機に漫画家になりたいと小学生ながらに思う明子だが、それから高校生になりクラスメイト北見に月謝5千円の絵画教室を紹介してもらい行ってみることになるが…。
明子のイメージしてた絵画教室、…とは違い、バス停から走らされ、教室入れば先生は竹刀を手にと。ピりつく教室内の雰囲気に誰も話さな…話せない。
言葉足らずで生徒に気持ちを解ってもらえない日高先生だけれど、いつも“罵声に竹刀”で学生達から見れば怖い先生だけど、厳しさの向こうにはちゃんと愛、優しさ、気遣いがありで観てて泣けてくる。
今の10代~20代前半位の方があの先生の振る舞いを見たらどう思うかだけど、昭和を知ってる人には何か懐かしくもある先生の姿。
一部マナー悪い方がいて鑑賞環境は良くなかったが楽しめた、時間に余裕あるならもう一度いい環境で観たいと思う。
人生とゆう白いキャンバスに‼️❓描け〜‼️描け〜‼️
原作と原作者を予習して観た、そうするとそのものに憑依した永野芽郁が居た、素晴らしい、永野芽郁史上最高の作品、芸能ニュースは重いし本当なら嫌悪感が大きいが、それを観ている時は全部忘れた、それくらいに感動した。もし、彼女の噂でこの映画を忌避するなら、惜しい、原作や原作者のファンで無くても、全ての映画ファンに観て欲しい最高の作品。出逢いとは素晴らしいものだ、死ぬ気で打ち込めるものがあることは素晴らしいものだ、他人を大切にすることは大事なことだ、当たり前だけど人生の中で忘れがち、それを教えてくれる、楽しくて笑えるところも随所にある、共演者全ての演技が素晴らしい、映像も良い、全てが良くて、引き込まれる、最高に良い気分になれる良い映画、全ての人に是非
描くしか 描くしか
さすが東村アキコさん原作、
しかも自伝的作品とあって
実写化しても違和感がない作品でした。
話の流れは正直読めましたが
それでも感動出来ますし、
なにより大泉洋さんの役がとてもかっこよかったです。
昨年『ルックバック』の映画が公開されて話題になりましたが
この作品も『描く人』、ひいては『作る人』に
色々とぶっ刺さるものがあります。
もちろん作る人でなくても働いてる人、
何かを目指す人にも通じるものがあるかと。
星を1つ減らした理由としては
ラストのやりとりがひっかかりました。
ネタバレなしなので詳しくは書きませんが
『そこは夢オチでよかったのでは?』と思いました。
いま世間でゴタゴタしていて、
その煽りを受けている作品ですが
ふつうに一本の映画としてちゃんと面白いです。
ただやはり主演女優がイチャつくシーンは
どうしても脳裏にチラついてしまいますし、
メディアでの宣伝もあまり出来ていないようなので
とてももったいない作品だと感じました。
ただ初日平日午前の回でもそれなりに人がいたので
口コミで広がる事に期待したいです。
見て損はない作品だと思います。
バナナとリンゴ
あたたかな気持ちになる
過去を美化している面はあるのだろうけど、あんな先生に会ってみたい。描いた絵を見てみたい。
バナナとリンゴのシーンは笑えなかったけど・・・
追記
東村さんを育てたのは、確かに塾の先生もかもしれないけど、その前に全面的に娘の才能を信じた両親や、とにかくほめまくっていた絵の先生(有田さんの役)の力もとても大きいような気がしました。
というわけで、有田哲平さん演じる絵の先生と大森南朋さん演じるお父さんは、好きな人がたくさん登場するこの映画の中でも一番好きな二人でした。
永野芽郁がかわいいんよ。
作品に罪はない! とは言うけれど…
原作がいいだけに残念
対象物に自分が見えるまで、物事は続けた方が良い
2025.5.16 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(126分、 G)
原作は東村アキコの同名漫画
売れっ子漫画家の絵画の師匠の絆を描いた伝記映画
監督は関和亮
脚本は東村アキコ&伊達さん
物語の舞台は、2015年の東京某所
漫画賞の授賞式に招かれた東村アキコ(永野芽郁)は、授賞式のスピーチで受賞作品について話すことになった
その後、職場に戻ったアキコは、自分が漫画を描き始めたきっかけを思い出すことになった
宮崎に住む明子(照井野々花)は、小学校高学年になったとき、道端に捨ててあった少女漫画の雑誌に目を留め、その内容に惚れ込んでいた
漫画家になる夢を持ち、絵を描き始めた明子を、父・健一(大森南朋)、母・伸子(MEGUMI)は暖かく見守り、高校では美術部に所属するようになった
部活でも顧問の中田先生(有田哲平)にベタ褒めされていたが、友人の北見(見上愛)からは、現実はそんなに甘くないと諭されてしまう
北見はとある絵画教室に通っていて、そこは著名な画家が個人で行なっている教室で、月謝はたったの5千円だった
明子は両親を説得して、そこに通うことに決めたが、その教室の日高先生(大泉洋)は、とてつもなくパワバラがすぎる先生だったのである
物語は、絵画教室での先生との出会いからその生活を描き、そこから美大進学への過程を紐解いていく
美大卒業という肩書きのために進学した明子だったが、生ぬるい学生生活を送り、絵も漫画も描かなくなってしまう
そして、何も成さぬままに卒業し、先生からの勧めで地元に戻り、絵画教室を手伝うことになった
だが、両親は無職状態を許さず、父の勤め先のコールセンターに無理矢理入社させてられてしまうのである
映画は、赤裸々に過去を綴りつつ、様々なキャラクターが先生と関わりを持つ様子を描いていく
印象的なキャラもたくさんあり、生徒との関わりの中で明子のポジショニングが見えてくるようにも思える
ひたすら冷静な北見と、情熱で突き進む後輩・今ちゃん(鈴木仁)との成長の差を考えると、いかに先生の指導に盲目的だったかが画家としての成功度合いに直結していた
明子は漫画家になりたいことを隠し続けていたが、先生は本気で画家になれると思ったのだと思う
漫画家を目指すことよりも、その踏み台として時間を浪費したことのほうが問題なのだろう
先生は何も言わないけれど、彼が人生を賭けて描いていたものの否定にも繋がっているし、彼の時間を奪ってきたことにもなるので、その辺りも含めて「最低だったんだなあ」と思った
映画では、「描け」としか言わない先生だが、それは描き続けることで邪念が消えるという瞬間があり、目の前にある対象物と本当の意味での向き合いができるからだと思う
自分を紙に落とし込める人は凄いという言葉があったが、その手段が絵画か漫画かの違いがあっても、そこに明子自身が生きているのなら、先生は満足したのではないだろうか
いずれにせよ、例の騒動が理由で回避するのは勿体無い作品で、自分自身が何者かわからずに悩んでいる人に見てほしい映画だと思った
絵であれ、漫画であれ、それ以外の何かであれ、自分自身を落とし込めるものを探している人にとっては参考になると思う
それは、まずは好きなことをやり続けて、そこに自分自身がいるかを確認する所から始まる
先生はスランプに悩んでいた時に自画像を描かせたのだが、これは自分を客観視させるという意味合いがある
3つのキャンバスに描かれた自分は紛れもなく全部自分であり、多面性があっても然るべき存在である
それが評価されるということは、そこに自分が描けていた証拠でもあるので、それが彼女の作風に繋がっていくのだろう
目の前にあるものが無機物であったとしても、それをどのように見ているかはその人だけのものであり、それを表現できる人こそが画家になれるのかな、と思った
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