「聖母の頬にはLOVEが刻まれ、羊の頬には囚われのスパイダーが刻まれていた」神は銃弾 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
聖母の頬にはLOVEが刻まれ、羊の頬には囚われのスパイダーが刻まれていた
2025.1.2 字幕 T・JOY京都
2023年のアメリカ映画(156分、R15+)
原作はボストン・テラスの小説『God Is Bullet(1999年)』
カルトに娘を奪われた保安官が元カルト団員と共に奪還を目指すミステリー映画
監督&脚本はニック・カサベテス
原題は『God Is Bullet』で「神は銃弾」という意味
物語の舞台は、アメリカ・カリフォルニア州の田舎町
保安官事務所の事務方として働くボブ(ニコライ・コスター=ワイルド)は、妻サラ(Lindsay Hanzl)との間に娘ギャビ(クロエ・ガイ)を授かっていたが、今では離婚し離れ離れに暮らしていた
サラはサム(Kola Olasiji)と再婚し、裕福な生活をしているものの、夫婦喧嘩が絶えなかった
クリスマスの日、サラの父アーサー(デヴィッド・トーンソン)と教会に訪れていたボブは、そこにギャビたちが来ず、家に連絡を入れても不通だったことに不信感を募らせる
二人で彼女らの家に向かうと、玄関は開けっぱなしで、物音ひとつしなかった
ボブは警戒しつつ中に入ると、そこにはサムが吊るされて殺されていて、胸元にはタロットカードの「審判」が打ち込まれていた
さらに、庭のプールには無惨に撃ち殺されたサラが発見され、ギャビの姿はどこにもなかったのである
そのニュースを知ったケース(マイカ・モンロー、若年期:エリーズ・グズオウスキー)は、セラピストのアン(ナンシー・デ・マロー)に手紙を書きたいと言い出す
ケースは元カルト「左手の小径」のメンバーで、今回の事件に何らかの類似性を感じていた
上司のジョン・リー(パール・ヨハンセン)に反対されるものの、ボブはケースに会って何かを掴みたいと考えた
映画は、ボブがケースと会い、二人で「左手の小径」へ接近しようとするところから動き出す
ケースは「戻る」という想定で、ボブは「入信」という設定のため、彼女の友人であるフェリーマン(ジェイミー・フォックス)を頼ることになった
彼は教団の信者っぽくボブにタトゥーを施し、教団のリーダー・サイラス(カール・グルスマン)と通じているバーのオーナー・エロル(ジョナサン・タッカー)を訪ねた
そのバーにはサイラスの手下たちも来ていて、ボブの目元にメンバーのレナ(Virginia Bassavetes、若年期:Carola Cuarón)の印が入っていることを訝しがる
報告を受けたサイラスはケースが何か企んでいると察知し、再入信を拒み、ボブ共々追い返してしまう
そこで、ボブたちは別の方法で彼らにメッセージを残そうと考えるのである
物語は、一応実話ベースとのことだが、ほぼフィクションのような内容になっている
人物関係の描写があまりにも少なく、初見でアーサーが何者かがわかりづらい
ギャビに対して「おじいちゃん」と自分を呼んでいたので、ギャビの祖父だとわかるのだが、ボブの父なのか、サラの父なのかわからず、サラの死体を抱き抱える際にようやく察することができるという情報量になっていた
実話に関しては、カルト関連と不動産詐欺関連が実話で、奪還のあれこれにはフィクションが多めという印象だった
原作はミステリーのベストセラーだが、映画からミステリーっぽさはほとんど感じられず、バイオレンスに重きを置いた改変がなされているように感じた
いずれにせよ、クライム&バイオレンスとしては面白いと思うが、さすがに長すぎると思った
中弛みがあるわけではないのだが、なぜか時計を気にしてしまう感じで、宗教的な論争が多くて馴染みがないからかもしれない
ラスト付近で、ケースが「あなたのマグダラのマリアになってあげる」というセリフも、ある程度聖書のエピソードに詳しくないと意味不明に思えるように感じた
マグダラのマリアはイエスが磔にあった後に彼の体を拭ったとされている人物で、死と再生のメタファーのような存在になっている
ボブは一度死んで、これから生まれ変わるという意味になると思うのだが、そう言ったことよりも、ボブの罪を前世に置いていく見届け人になるという意味合いの方が強いように思える
タイトルが「神は銃弾」で、それは「平等に死をもたらすから」という意味になっていて、信仰の対象に対する暗喩にもなっている
ケースは自分を助ける何かを探していて、その先でサイラスに出会ったが、そこには答えはなく、最終的には「銃弾こそが人を平等に裁くもの」という概念に辿り着いた
神が人に残した唯一の平等性がそこにあって、それゆえにケースの信仰はボブをも助けることができたのかもしれません