お坊さまと鉄砲のレビュー・感想・評価
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このゆったりと広がる豊かな物語には悪意の入り込む隙など微塵もない
『ブータン 山の教室』のドルジ監督による新作は、ブータンがさらされた時代の波と、そこで起こる人間模様をユーモラスな視座とゆったりした時間感覚で描き出す秀作だ。06年、尊敬を集める国王が退位を決め、いよいよ民主主義が導入されるという。その折に生じる国民の戸惑いは微笑ましくも至極もっともなことであり、本作を見ているとむしろ観客側の私たちの方こそ、よりもっと民主主義や選挙制度について思考を巡らすべきなのではないかと思えてくる。ただし本作の焦点は小難しい議論にあるのではない。あくまでそれを受け止める人間の心にある。そしてこの美しく平和な大地に銃を担いだお坊さまがたたずむ姿には、何か正反対の価値概念が同居しているかのような芸術的なまでの絵力が迸る。高僧の狙いが判明するラストは誰もが「なるほど!」と得心するはず。この国の善意と人々の思いやりがずっと続きますように。そう願わずにいられなくなる一作である。
物騒な仏僧と、幸せの赤い“銃”
パオ・チョニン・ドルジ監督・脚本の第2作となるこの「お坊さまと鉄砲」がとても良くて、デビュー作「ブータン 山の教室」も最近配信で観たのだが、両作品とも自然と宗教(祈り)にとても近い暮らしをいとなむブータンの村人たち(演者の多くは地元のエキストラ)が本当に素敵で、親しみと憧れの気持ちを抱いた人も多いはず。前作は比較的シンプルなストーリーだったが、今作ではちょっとしたミステリー要素も添えて観客を楽しませてくれる。
2006年に国王が退位し、民主主義と普通選挙が導入されることが決まったブータンで、国民に慣れてもらうため模擬選挙が各地で実施されることに。それをラジオニュースで知ったラマ(高僧)が弟子の若い僧侶タシに、4日後の満月までに銃を2丁入手するよう頼む。人々の平安を祈り皆から尊敬されるラマがなぜ銃を? その謎はなかなか明かされない。
師の頼みに従い村中を探し回るタシ、はるばるアメリカからやってきた銃コレクター、ある村人の家にあった南北戦争時代の稀少なライフル、さらには劇中のテレビ画面に映る「007 慰めの報酬」で使用されていた自動小銃AK-47の現物まで登場。物騒な展開も想像してハラハラしたが、終盤での種明かしにあっと驚き、喝采を送りたくなった。
ある人物の手に赤い“アレ”が渡るシーンで、私の脳内では自然にビートルズのジョン・レノンが歌う「Happiness Is a Warm Gun」のサビが流れていた。この歌詞の「銃」に性的なダブルミーニングがある、つまり男性器を示唆するのはよく知られた話。振り返ればジョンは暴力より愛とセックスを、戦争より平和をと、歌と行動で主張し続けた表現者だった(そのジョンが銃で殺されたのは悲しすぎる皮肉だが)。そんなジョンの願いと、西側から遠く離れたブータンで作られた映画のメッセージがつながっているようで、幸福をおすそ分けしてもらったような気にもなった。
幸せの国からメッセージが届きました
1 鉄砲と選挙を巡る騒動を通じて、幸せとは何かを描く。
2 「ブータン山の教室」が良かったので、期待を込めて見に行く。本作の粗筋は次の通り。舞台はブータンの僻地の村。ネットの解禁や国営TVなど近代化と初の直接選挙に向けた準備が進められていた。他方、村の高僧が弟子に鉄砲二挺の調達を依頼したころ、外国のバイヤーが年代物の鉄砲を求めて入国。
一人の村民が骨董品を持っていて、バイヤーと弟子とで争いになる。そこに警察も登場する。そして・・・。
3 劇中、模擬選挙により一族内での分断や仲の良かった家庭内での不和が起こったとのエピソードがあった。また、投票結果では善き伝統を活かそうとする議員の得票が最多であった。このことでブータンは近代化が進んでも伝統を重んじ、幸福の根源となる和を尊いものとする国民性が現れた。
4 高僧が鉄砲を求めた理由は最後に分かる。
二挺だった理由は謎で、一挺の銃のために外国のバイヤーが登場し、警察が取り締まろうとするのは大袈裟すぎる。そこは置いといて、僧侶は皆が集まるなかで、目的を伝え、参加者は同調する。そしてバイヤーにはあるものを進呈する。こうした場面を通じて、現在の世界情勢に対する強烈なメッセージと繁栄のために大切なものを示した。彼の地において高僧が信仰と共に大切にされる所以であろう。
5 結末に向けて涙とともに笑いを禁じ得なかった。弟子を始め顔が日本人の作りに似ており親しみを感じた。また、伝統や和を尊重する国民性や身の丈に合わない金銭に頓着しない老人の姿は、古き善き日本人と重なる所があった。
「お坊さまと鉄砲」この題名に??
『2006年。長年にわたり国民に愛されてきた国王が退位し、民主化へと転換を図ることが決まったブータンで、選挙の実施を目指して模擬選挙が行われることに。周囲を山に囲まれた村で、その報せを聞いた高僧は、なぜか「次の満月までに銃を用意するよう」と若い僧に指示し、若い僧は銃を探しに山を下りる。時を同じくして、アメリカからアンティークの銃コレクターが“幻の銃”を探しにやって来て、村全体を巻き込んで思いがけない騒動へと発展していく••• 。』
お坊さんと鉄砲というミスマッチのストーリーが、この先どうなるのかとサスペンス映画を思わせます。民主主義は、右と左とに社会を二分します。アメリカ大統領選、ドイツ政権然りです。幸福度が世界一だったブータンが、インターネットが入ってきてから、ずいぶん下位に落ちたと聞きます。
国民に愛される国王と、国民を愛する国王であるなら民主主義はいらないのではないかと思わせられる映画です。ネタバレになるのであまり書けませんが、ラストは、拳銃もですが核ミサイルも一緒に•••と思いました。
満月が昇るシーンにエンドタイトルが重なります。これも好きだな。
素晴らしい映画に巡り逢えました。心がほんわかとなりました。
「幸せとは何か」を改めて考えさせられる心温まる作品
ユーモア溢れる中でクスッとしながら「幸せとは何か」を改めて考えさせられる心温まる作品。
舞台は2006年のブータン。国王が王政から民主制に移行することを決定し、2年後に選挙を実施することに。だが、「選挙」というものを一度も経験したことがなく、その概念さえ持たない国民にそのやり方を理解させようと選挙委員が全国を回って模擬選挙を実施することになり、山の上のウラ村にもやって来ることになった。そのニュースを聞いた僧侶のラマは弟子のタシに銃を2丁模擬選挙が行われる満月の日までに手に入れるように命じる。時を同じくしてアンティーク銃のアメリカ人コレクターのロンもウラ村にやって来たことで騒動が持ち上がる……。
我々は選挙で民主的に代表者を選ぶことが当然だと思い込んでいるが、果たして本当にそうなのか?そんな制度を持ち込むことで返って対立構造を生み出し、平和を乱すことになっていることはないのか?
一方で、西洋的な思想に基づいた近代化や民主主義を取り入れるた生活と、平和と安寧を希求する仏の教えに基づいた生活は決して相互排他的なものでもなかろう。
本作のパオ・チョニン・ドルジ監督がインタビューの中で「innocence (無垢であること) 」と「ignorance (無知であること)」は違うと述べているが、多様な文化を認め合おうというダイバーシティの時代に、一つの価値観の尺度で何もかもを測ろうとすることの限界を突きつけているのであろう。
少なくとも選挙にすら行かない連中が選挙の仕方すら知らないんだと嗤うことは決して出来ないし、グローバル・スタンダードに拘泥することが幸せに結びつく訳でも決してないことだけは確かであろう。
幸せについて。シンプルに。
冒頭のローアングルから撮る小麦畑が綺麗だ。ここに行って、日がな1日ノンビリ過ごしてみたいと思ってしまう。
のどかな村に「選挙」なる得体の知れない舶来物がやってくるとラジオが告げる。
老僧が「満月までに鉄砲2丁調達しろ」と物騒な台詞を吐く。
弟子は「承知」と鉄砲調達の旅に出る。
風雲急を告げるのかと思いきや、弟子は歩いて探しに行く。切迫感がない。マイペース。
選挙は選挙で、模擬投票に向けた動きもどこか間が抜けている。どちらもノンビリである。
王政の続いた国が初めて民主選挙をする。小さな村の中で、支援する候補者で割れる大人たち。そのとばっちりを受ける子供。どこかの民主主義大国を彷彿とさせる。
近代化を是として村人を選挙に引っ張り出し、煽ろうとする役人。それに皮肉を吐き捨てる老婆。
「選挙して民意を示せば幸せになれるの?今までも幸せだったよ」村人のシンプルな疑問は、本質を突いている。
秘蔵の骨董銃を売り渡す借金おじさんは、7万ドルの買値を「高すぎる」と言ってアメリカ人を驚かせる。そして、後からやってきた弟子僧に無償提供。
弟子僧は、
・ドルいくらでも払うから銃を売ってくれと言われ「大金もらっても使い道がない」
・新品10丁との交換を提案されると「銃は2丁でいい。10丁いらない」
・アメリカは人より銃の数が多いんだと聞き「え?本当?」(某民主主義大国への皮肉)
親に翻弄される子供は、選挙のお姉さんから貰った消しゴムを「お姉さんの方が必要だから」と返す。
カネとモノはあればあるだけいいってもんじゃない。必要な人に、必要なときに、必要な分だけないと意味がない。シンプルである。本質を突いている。
すったもんだあって、満月の日までに1丁+おまけ2丁調達できた銃。
使い道は、「憎しみを捨てるための供物」。そして、銃より大事な”アレ”をプレゼント(じいさんが一生懸命彫って形ができていく様を凝視してしまったよ)。
国の形を変える一大イベントを村人の視点で、民主主義、資本主義、幸せ、豊かさの意味という壮大な問を、押しつけがましくなく、ノンビリ、シンプルに投げかけてくる。深い。
ラストシーンもいい。政治が変わっても、人が変わっても、変わらない自然がそこにある。どうか、この自然だけは、このままであり続けて欲しいと願う。
【”模擬選挙実施を聞き、ラマは”物事を正す、銃を2丁用意せよ”と弟子に言った。”国民総幸福量という開発哲学を掲げるブータンを舞台に民主主義の選挙の意味、害を成すものには何をすべきかを描いた作品。】
■2006年。ブータン国王は王政から民主主義への移行を図ろうとし、選挙の実施を決めた。そして、選挙が何かを知らない国民のために事前に模擬選挙をする事になる。選挙委員のツェリンの選挙公報を聞いたラマは弟子のタシに模擬選挙が実施される満月の日までに”銃を2丁用意せよ”と命じるのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・模擬選挙をする事になり、夫が選挙にのめり込み過ぎて、そのために夫が娘の消しゴムを買うのを忘れたり、対立候補を応援する母と関係が悪くなったり、果ては娘が苛められるようになった妻が、選挙委員のツェリンから”他の国では、選挙権を得るために命を掛けて来たのよ。”と言われた時に、涙ながらに”でも、私達は命を懸けなくても幸せだった。けれども選挙をやる事で幸せではなくなった。”というシーンは、考えさせられたなあ。
候補は
1.赤色の、産業を発展させることを主張する人
2.青色の、民主主義と平和を推し進める人
3.黄色の、民族の伝統を守る人
がいるのだが、まるで1と2の対立は米国の共和党のトランプと民主党のハリス氏の激しい罵り合い選挙を思い出すが、結果は得票率95%で黄色の人。理由は王様の色が黄色だから・・。クスクス。
選挙委員のツェリンが、対外的な事も考えて一生懸命有権者登録を推し進めたのになあ。
・タシがラマの指示により、銃を探す様も、米国人の銃コレクター、コールマンと通訳ベンジが絡んで来るので、面白い。コールマンと通訳ベンジーが漸く農家のお爺さんから南北戦争時の鉄砲を譲って貰う時の遣り取り。”7万5千ドルでどうですか?””そんな大金、いらないよ””、じゃあ、こんな値段でどうですか””良いよ”で、その値段が3万2千ドル。クスクス。けれども、お爺さんの所にタシが来るとアッサリ譲ってしまうのである。で、お爺さんが驚くコールマンと通訳ベンジーに言った言葉。”ラマには世話になったしなあ。”
・タシも村のお店で観た007の影響で、コールマンと通訳ベンジーから”その銃を譲ってくれ!2丁用意するから!”と言われてパンフレットを見て”じゃあ、これ!”と指さしたのがナントAKー47。旧ソ連の自動小銃の名機である。で、コールマンは密輸業者に頼んで、インドからAKー47を密輸するのである。序でにカメラも取られちゃうのである。可哀想だなあ、クスクス。
■で、村人たちが集まる中、ラマと弟子のタシは村の中のパゴダの前に大きく掘られた穴の前に座り、”害を成すものは、こうするのだ!”という感じで、お爺さんの南北戦争時の鉄砲を放り込み、更に村人たちもナイフを、コールマンと通訳ベンジーを追って来た警官は腰に付けた銃を、序でに事情を警官に説明していたコールマンと通訳ベンジーが持っていたAKー47も放り込まれてしまうのである。イヤー、可笑しいシーンだったなあ。けれども、今の世界の状況を考えると、含蓄に溢れるシーンだと、私は思ったのであるよ。
・そして、選挙によりギクシャクしていた夫婦と娘と義理の母は仲良くなっているのである。良かった良かった。
<そして、村人たちが夜に火を焚いて踊りを踊る中、茫然とした表情のコールマンは”アンタ、良いことしたねえ、ご利益があるよ。これも上げちゃおう!”と村人に言われて、子孫繁栄を象徴するでっかい赤い男根の供え物を貰うのである。クスクス。
今作は、国民総幸福量という開発哲学を掲げるブータンを舞台に民主主義における選挙の意味、害を成すものには何をすべきかを描いた作品なのである。>
<2025年2月2日 刈谷日劇にて鑑賞>
それが必要なかったからでは?
国内総生産(GDP)ではなく、国民総幸福量(GNH)の向上を目指すブータンは、長年山の王国でした。しかし、2006年に国王が自主的に退位し、国の歴史上初の選挙が行われる事になりました。しかし、民主主義とか選挙の意味も分からぬ村の人は戸惑うばかりです。そうした村の混乱を縦糸に、高僧が「銃を手に入れろ」と弟子に命じた謎を横糸に描いた軽やかな物語です。
村での選挙人登録が一向に進まない状況に苛立ったお役人の女性は、「世界中の人々が命懸けで望んだ物を与えられたのよ」と説明するのですが、村人は「私たちが命を懸けなかったのはそれが必要なかったからでは?」と応じます。それは寓話的な皮肉なのだろうと思ってニヤニヤ笑って観ていたのですが、「当選を目指さぬ選挙」が横行し、「SNSアクセス数を目的とした様な立候補」「デマに踊らされる選挙民」が現われた東アジアの後進国の現状を見ると、「これはメタファーなどではないんだな。選挙権って何だ?」と苦いものが胸元にせり上がって来たのでした。
鉄砲の意味するところに感動
国民に愛されてきた国王が退位し、民主化へ転換、
そして選挙の実施を目指して模擬選挙が行われるという背景にあって、
高僧が弟子タシの僧に銃を2丁用意するように、と指示するところから始まります。
この銃をめぐって、
タシが道中テレビで観たダニエル・クレイグの007が大好きになって、
007の銃が欲しくなったり、
銃の売買を通して、コミカルなすれ違いと人間ドラマがあったりと
実に軽やかというか、微笑ましい作品に仕上がっているんですよね。
ここは唸らされる紡ぎ上げ方でした。
一方、選挙を巡っては、家庭の平和が乱されたり、学校でのいじめに発展したりと、
国王が治めていた「昔がよかった」という一面も。
民主化が必ずしも正しいのか!?を突きつけるところが、社会派ドラマとしても
実に深いなと感じましたね。
模擬選挙も結局「黄色(国王が身につけている色)」への投票が95%ということで、
国民性があらわれている結果になっているのも面白かったです。
高僧が仏塔を建てる前の儀式時に、
世界平和のために銃を埋めてその上に仏塔を建てるんだという話をしたときは
なるほどと思いましたし、そこでようやく銃の意味がわかって感動しました。
併せて、銃のコレクターとのやりとりもおもしろいんですよね。
(正しくない行動への末路を明るく描いていて、こちらも好感が持てました)
ブータンの映像も美しかったですし、脚本も素晴らしかったと思います。
パオ・チョニン・ドルジ監督の次回作を楽しみに待ちたいと思います。
2006ブータン王国は改革の時を迎えた。しかし国民は民主制を知らない。
与えられた民主主義
チベット仏教への信仰厚い、「幸せな」人々。
政府が民主主義を持ち込み、選挙なんか導入するもんだから、仲良く暮らしていた人々に対立が生まれる。「私達は今までもずっと幸せだったわ」と言う主婦の言葉は、ここに住む多くの人たちの代弁のよう。
こんな人達を敢えて近代化する必要があるのか、とも思うけど、世の中は甘くない。
ネイティブアメリカンとか、アボリジニとか、自分たちのペースで満足して生きていたであろう人々が、外から突然入ってきた知識と技術と武器を持った野蛮なこすっからい人々に騙され迫害され、生きてきた土地を追われ生きる術を奪われる理不尽は、歴史上たくさんある。
国内でも全員がチベット仏教への信仰に沿って善きように生きて、善き国王の善政に従う人々なら良いが、外部からの刺激はすでに一部に浸透していて、何も知らない善き人々を食い物にする者共が出てくることに、国民自らが身を守る知識が必要にもなってくる。
国の近代化は、生き残りのためには必須のよう。
なので国王はまずは自ら退位して国を民主化、国民の近代化を図る。さすが民に慕われる人物だ。
「幸せ」なのは「知らないから」という側面があって、ここの生活が貧しいとか不便だとか、相対的なことは他を知らなければ分からないので満足していられることもある。権利も、あることを知らなければ、そういうもの、と思うのでは。
全員が「知る」ことで困るのは、知らない人々の上でいい思いをしてきた、既得権のある人々でもある。
ウラの人たちが民主主義や選挙に困惑するのは、それが自分たちが希望して得たものではないからというのが大きいでしょう。
他にも、やはり民主主義を上から「与えられた」国を知っている。
「与えられた」当初は戸惑っただろうが、あっという間にそれがどれほど国民ひとりひとりを守るものであったかわかるようになったと思う。
そういうものではないでしょうか。
ブータンは今、どのように進めば良いのか模索している、とエンドタイトルに出ていた。
基本的にほのぼの笑える映画だが、困惑する様をちょっと面白く描くのみで、押し付けられた民主主義の皮肉を露悪的に見せているわけでもないのが良かったです。
銃が必要だったのは、平和を祈るためだという理由にぐっと来ました。
本当は全世界の人たちがこんな気持で生きていけたら良いのですけどね。
幻の高価なビンテージ銃を目の前で埋められ、大枚はたいてインドから取り寄せたでかいAK-47を2丁もお供えしたコレクターは可愛そうだけど、逮捕されたり命取られたりよりマシ。あの返礼品は、持って帰れないよね。
選挙の仕方を教えるのに、他の陣営と対立せよ、までするってどうなの❓
銃を担いだ物騒な仏僧とか、お坊さまの説法、じゃなく鉄砲、とかしょーもない日本語のダジャレが浮かんで来て脳内で脱力しました。
目にも心にもやさしい映画
黄金色の麦畑ではじまり、ピンク色の蕎麦畑で終わる、目にも心にもやさしい映画。
「お坊さまが、何故鉄砲を?」という問いに最後まで惹きつけられ、その理由がわかった時に、何とも言えない世界観の広がりと感動を覚えた。
脚本のスマートさと共に、構図や色の美しさを大切にしたカメラワークも好き。
考えさせられたことを一つ。
近代化や民主化といった世界共通の価値観と、仏教を根底においたブータンならではの伝統文化の対比が描かれたことで、自分が間違いなく正しいと思っていることは、本当の意味で、端から端まで正しいことなのだろうかということ。
「民主化」も、選挙の意味も、近代化も、情報機器等をはじめとしたテクノロジーも…。
鉄砲の代わりが、「鉄砲」だったところは爆笑でした。
幸せってなんだろうなあ
民主主義を知らない国での初選挙の話。
模擬選挙で、主張の違う相手と憎みあえと煽る役人。
選挙の後の未来(支援後の見返り)を信じ、村の大勢とは違う候補を強く推して周囲から浮く男。
男が選挙にのめりこみ、母や村人との心理的解離や疎外感を感じ、選挙なんてないときのほうが幸せだったと言う妻。また妻は役人に、命がけで私たちが選挙権をもとめなかったのは、私たちにそれが必要なかったからだと言う。
ラマの弟子であるタシ師は、仏陀の教えでないなら、なぜ民主制が善であるとわかるのか、と、どこまでもフラットに役人たちに問う。
全編に渡って、それぞれの登場人物の求める幸せや思惑が語られるなか、幸せってなんだろうなあとずっと考えてしまった。
役人や警察などは仕事を達成することが幸せ(目標)で、男は子供の未来のために特定候補が勝って見返りをしてくれる(と見込んでいる)ことが幸せで、妻は選挙なんかしなくても家族が仲良くいたときが幸せだったと言う。
少しずつ、または全く掠りもしないそれぞれの幸せを彼らは思い描いている。
これまでに聞いたこともないやり方(選挙や近代化)で、これから彼らは「幸せ」を擦り合わせなくちゃならない。そして、彼らが今求める幸せは、彼ら自身にとって、本当に善の結果になるのかすらわからない。なぜなら、既知の過去からしか幸せは思い描けないから。
村の中で、家族が仲良くうまくやっていっても1ヶ月に一度のご馳走だけが楽しみの生活以外の生き方があるかもしれない。
でも、外からどう見えようが、彼らが幸せかどうかも彼ら自身にしかわからない。
主義主張が違っても、一見愚かしくても、それぞれの幸せを暴力や争いによることなく、擦り合わせていくしかないんだろうなぁ。望んだ幸せにならなくても。
最後にロンが手に入れたのも、暗喩としては同じものでもあるし。
真っ赤な(ティン)ポー
世界一幸せな国ブータン。オールバックヘアスタイルの若い国王はジョニー大倉にアントニオ猪木を足して割ったような感じ。お妃がめちゃくちゃ美人。そりゃ、国王は幸せに決まってる😎
チベット仏教を国教とする唯一の国(チベットが中国に侵略されたため)。ラマ(高僧)を敬う信心深い国民性。国会も選挙もなくても幸せだった。
それが、国王の判断·決定で近代化を目指し、議会制民主主義を取り入れた立憲君主制になった。一度も選挙の経験がない国民に対して選挙委員が模擬選挙を行うこととなった。しかし、小さな村に対立候補をめぐる諍いの芽が生じ、かえって庶民の幸福度は下がってしまうことに。
ラジオで選挙委員会の女性が村に来ることを知った村の高僧は弟子の僧侶に模擬選挙が行われる満月の日までに銃を2丁用意するように命じる。「世界を正すため」とだけ弟子に言う。
その頃、観光立国ブータンの観光案内人の男は病弱な妻に内緒でアメリカ人の銃収集マニアの男を空港に迎えに行っていた。インド以外とは厳しい入国制限をしているブータンでは観光以外の商取引目的の外国人の入国に警察は目を光らせる。
ある老人の家にねむっていた一丁の鉄砲の情報を探り当てた案内人。アメリカ人によれば、その鉄砲は南北戦争時に使われた超ビンテージ物で、マニアの男は350万ニュルタム(=インド・ルピー)出すというが、老人はそんな高額は受け取れないという。チベット仏教の教えにより欲が無く、慎ましく、清貧な暮らしをしているブータン人の人柄がよく出ている微笑ましいシーン。金を用意して次の日に再訪したが、老人は一足先に訪ねて来た若い僧侶にラマへの供物として銃を渡してしまったあとだった。信仰のためとあらば、私利私欲を投げうつ国民。
悪い官僚もいるには違いないのだが。
公開写真の一つの右端に何やら赤く塗装された先の丸い、エラのついた道祖神型のロケットランチャーを抱えた爺さんがいるのがとても気になっていたが、やはり最重要アイテムだった。
ポーと言うらしい。玄関の両脇に2本置いてある家もあるそうだ。魔除けの御守りの意味があるそうだ。
高僧が2丁といったのは、儀式には二本の対で一式のアイテムとして用いようとしたからではなかろうか。
ホントは高僧がいつランボーに変身するのか待っていた😅
アメリカに対するキョーレツな皮肉は(アジア人として)とてもスカッとしたし、なるほどと思った。さすが高僧。
ブータンに行って、ポーのお土産を一対買って帰り、玄関に飾りたいが、酸素が薄いからどうしょうかと迷っている。
とりあえず、1本ならあるにはあるが、2本ないとだめなのだよ。
ブータン・ヌーボ
ブータン映画と言っても、後にも先にも同じ監督の「ブータン山の教室」しか見たことがないので、ほかにどのような作品が作られているのか、全体像はわからない。人口80万人ほどの国で年間何本ぐらい公開されているのだろうか。この2本の映画を見る限り、私たちがイメージするブータンという国そのままの世界が描かれるが、この国の人々にとっては当たり前なわけで、彼らのためにはおそらくもっと違うジャンルの映画も作られているのだろう。
銃を調達するように指示する僧侶の意図がなかなか読めないので、最終的に何が待ち受けているのだろうと終始不安な気持ちのまま物語の展開を見守らざるを得ない。銃の入手に奔走する若い僧と模擬選挙の準備が並行して描かれ、満月の日を迎える(結末は納得の行くものであったが)。
王制から共和制への移行と言えば血なまぐさい政変を想定しがちだが、国王自ら施政権を手放すというのは奇特な例に違いない。ただ、民主主義の導入がかえって争いを産むという、劇中で提示された課題の答えは出ていないように思える。
田縣神社の神輿のようなファリック・シンボルも登場するが、あれはブータンの習俗に実在するのだろうか。
これは傑作!
穏やかなブータンの大自然と共に語られる幸福論。
不穏な空気を残しながらクスクスと笑え、最後はホロリとする絶妙なバランス。
ゆったりとしているが飽きない映画だった。
他のレビューにもあるように幸福とは何かを考えさせられた。
豊かさを追求する日本とは全く違う、贅沢とは言えない暮らし。
それでいて、こんな人生が良かったなと羨望を抱くほど、ブータンの人々は満たされている。
しかしきっと、ブータンの人々が感じている幸せや充足感は、志し次第で日本でも得られるものなのだろう。
金を得たいと思う気持ちも、結局は他者から優れていると認められたいという承認欲求に過ぎない。
周りに流されず、己の価値観を大切にしたいと改めて思わせてくれた。
ブータン国民の安寧と幸福がこれからも永遠に続くよう祈る。
ブータンで以前、選挙を初めてすることになった時の物語。 村の人々は...
ブータンで以前、選挙を初めてすることになった時の物語。
村の人々は、選挙の経験がなく戸惑い、騒動やら仲違いが生じ。
若い僧侶は、高僧から依頼され、銃を手に入れてきてほしいと。
一方で、希少な銃があると噂を嗅ぎ付けた、米国人の収集家も来て。
その収集家を手配追跡している警察の方々までも。
それぞれの願い・思惑・欲望などが絡まったりすれ違ったりして、
本来のどかなはずの村が、慣れない騒動の渦中になってしまう様子。
しばらくは、ドタバタ戸惑いの渦中の物語でしたが。
終盤になるにつれて、人々の穏やかな本質が出たような、とても愛らしい物語にまとまっていました。
チベット仏教の考え方…まずは人に授けること、皆がそうすれば、自然と巡り巡って、自らにも授りものがある…のようなものが、村人の言動ににじみ出ていて。
平日なのに賑わった映画館(2025-01-07火曜午後)
終盤は笑い声があちこちから聞こえてくる、和やかな場。
よき癒しの、鑑賞体験でした。
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