「Flow 生命の流れ」Flow レントさんの映画レビュー(感想・評価)
Flow 生命の流れ
本作で描かれる動物たちはディズニーによる巨費を投じた最新式のCGで描かれる毛の一本一本までその毛並みが再現されたような本物と見まごうばかりの動物たちではなく、どちらかというと拙い技術で描かれた動物たちだ。だがその動物たちにより繰り広げられる冒険の旅は見る者の想像力を存分に搔き立ててくれる。
リアルに再現された動物の姿に想像の余地を抱けないのと違い、本作はむしろその拙さが想像の幅を広げてくれた。もちろんその描かれた物語によるものであることは言うまでもない。
ある日黒猫が住処とする一帯周辺がすべて水に覆われてしまう。たちまちそこに暮らす動物たちも同様に住処を奪われ、彼らは水の恐怖に震えおののく。陸上に生きる陸棲動物たちにとって突然の洪水は脅威であり、激しい濁流に飲み込まれれば深く暗い水の底に引きずり込まれてしまう。それは死の恐怖であった。
しかしそんな水は水棲動物たちにとっては命の源であり、水の中には色とりどりの魚たちががまさに水を得た魚のように泳いでいた。
水棲動物だけでなく陸棲動物たちにとっても命の源である水。人間がいなくなったこの地球上でその表面を覆いつくした水がまるで死に瀕していた地球を再生させてるかのようだ。新しい種に水をやるかのように。
人間のいない世界、今回の箱舟には人間は乗せられなかった。神も前回の過ちに気づいたのかもしれない。
黒猫は水に覆われた世界で命からがら一つの小さなボートに乗り込む、先客のカピバラ、そして後から乗り込んできた欲張りなワオキツネザル、優しい鳥さん、わんぱくな犬たち。船は異なる種の動物たちを乗せて進む。その船に付き添うクジラはここぞというときに助けてくれる心強い存在。彼らははじめこそ反目し合うも皆違う種でありながら互いに協力して旅を続ける。いじわるされた犬たちにも情けをかけて船に乗せてやる黒猫の慈悲深さは難民問題で揺れる人間社会を皮肉ってるようにも見える。
巨大な遺跡に到達すると鳥さんはまるで神のもとに召されるかのように天空に姿を消す。自分の身を挺して黒猫を守った心優しき鳥さんは神に見初められたのかもしれない。そうするとたちまち陸が隆起して広大な大地がそこに生まれる。黒猫たちは安堵するがその一方でクジラは陸に打ち上げられ、いまやその命が尽きようとしていた。どうすることもできない黒猫たちは自分たちの姿が映る水たまりの水面をただ見つめるしかなかった。
洪水により大地が水浸しになれば陸上の生物は生きてはいけない、他方水棲動物にとってはそれは居心地のよいものだ。逆に大地が隆起すれば陸棲動物にはありがたいが水棲動物には命取りになる。
まるで洪水と大地の隆起が地球表面で交互に行われることで地球上の陸生生物と水生生物の命のシャッフルが行われたかのようだ。
生命の交換がなされるかのように失われる生命が新たな生命を生む。本作のラストはそんな光景を描いている。
生きとし生けるもの必ず他者の犠牲のもとにその命がはぐくまれてきた。生きていくには他者を捕食しなければならない。魚を捕る黒猫、黒猫を食べようとした鳥。そうした食物連鎖という循環の下で生命は維持されてきた。この自然のシステムを破壊に至らしめた人間はもういない。
動物たちはこの自然のシステムに組み込まれた存在、システムそのものなので自然には逆らえないし逆らおうともしない。
人間のいなくなったこの世界でこの生命の循環が再びこれからも続いていく。生命はその食物連鎖という循環の中で永遠に流れ続ける。生命の流れ、それこそが映画タイトルのFLOW(流れ)の意味なんだろうか。人間がいなくなった地球はいま再生への道をたどろうとしていた。
台詞もなく、不必要に説明的でもない。見る者の想像の幅を広げてくれるこういう作品は見ていてほんとに楽しい。鑑賞しながら思考を巡らせる喜びを味わえるのだから。
前作「Away」はミニシアターでの上映、今回はシネコンでの上映。出世されてなにより。