どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
全50件中、1~20件目を表示
ファミリーヒストリー
衝撃を受けた!
重い、けれど心に刺さる。
どうすれば、、とともに原因は何かが頭を巡った、大体分かるけれど。
けれども、どうしようもなかったか、、
ひたすらお姉さんが可哀想、両親は気の毒。
どうなるのか、観ていてずっとドキドキしていた。
〝合う薬〟があって良かった!
お姉さんの表情が劇的に変わった。
監督の弟さん偉い!よく撮り続けてくれた。
子供時代、お姉さんからもらった愛が映画制作のパワーになったのだろうな。
お姉さんを助けたいって。
それにしても時の流れは残酷、みんな、歳を取った。
お姉さんの最後の安らかな顔に救われる。
〝どうすればよかったか?〟秀逸なタイトル。
これはNHKのとは違う、もうひとつの〝ファミリーヒストリー〟だ。
適切な治療は必要なもの
初めに、このレビューを書くにあたっても、映画の冒頭で出てきた誰かを責めるということはここでもしないようにしたい。
だが、あんなに口を真一文字にした険しい表情しかしなかったお姉さんが、お母さんが認知症になったことでお姉さんが病院へ入院し退院すると、料理をし始めたり、カメラにピースで笑顔を向けるようになった姿を見ると、どうしても適切な治療は必要に感じてしまう。
そのためにも、家族の理解はもちろん、家族が安心して治療させられる医療機関の整備も、今の社会では必要に感じる。
この映画でより、精神医学についての関心や理解が広まっていくことを望みたい。
タイトルなし(ネタバレ)
鑑賞して一日経ち,あの家庭においては最大限の結果だったのでは?と思えてきました.
近年は「親ガチャ」という表現がありますが,まさに最悪の親たちで,あの話しぶりを聴いていると知性や愛情など微塵も感じられず,非論理的な見栄や保身や責任転嫁ばかり感じイラつきながら観ておりました.科学から最も遠い思考体系ではないか!と.
しかし弟(監督)は膠着した状況にもかかわらず,姉への愛情を持ち,粘り強くできることを成し遂げました.私などにはとてもできません.
寛解とは言えずとも姉が食事の支度をしたり弟に手を振る姿が見れるとは...
「どうすればよかったか?」との問いには,あれ以上できることなどなかったでしょうと.
弟が為したことに対し反論も対案も誰にもできないと思います.
私はこの映画を,姉へのレクイエム,そして両親への復讐,と捉えました.
ところで晩年の母親は認知症ではなく統合失調症ではなかったのでしょうか?
最近では精神疾患が腸内細菌叢と深く関わっていることが明らかになっています.
腸内細菌叢は母親から子供に受け継がれます.
「最後に聞きたいんだけど、もし機会があるならどうすれば一番よかったと思う?」
父と、母と、統合失調症を患った8歳上の姉と、弟(監督藤野知明)。弟は、早い段階で姉の異変に気付いているし、両親が姉の障害になっていることにも絶望し、この現実を記録していずれ将来は映像化することを決意している。そのくらいしか、自身が姉にしてあげられることがないと察している。なら無理してでも病院に、と他人が言うのは容易いだろう。無理だったと思う。こんな世間体を気にする両親に抵抗するのは。そしてどんどんドツボにハマっていく家族。悲劇的でいたたまれない。せめて、現実を受け止める冷静さと判断力を持った弟がいたことが、この家族のストッパーであったと思う。おそらく、弟という常識の存在が、残りの家族の崩壊を食い止めていたのだろう。父は、見栄(カメラの前でいつもお気に入りのシャツを着ているのがその表れだ)や体裁(娘を外に出そうとしない)で凝り固められ、母は、旦那の意見に異を唱えることさえせず、娘の尊厳を無視していることに気づかない。娘は、心と体が一体じゃない自分を自分自身ではどうしようもないジレンマを抱え、自分自身をコントロールする術さえ知らず、おそらく自分が何者かさえも分からなくなっている。警戒、妄想からくる発狂と無表情。これがわが身、我が家族であったらどれほど困難な人生を送ることだろう。
最後に弟は、この記録を映画にすることの承諾を父に訊ねる。
「最後に聞きたいんだけど、もし機会があるならどうすれば一番よかったと思う?」
父は答える。
「失敗したとは思っていないね」
その言葉を聞いた時に僕は、怒りを覚えた。だからと言って今さら何もできない(他人だからなおさらそうだが)無力さに打ちのめされた。
終映後、公開後ずいぶん経っているのに半分を超える席が埋められた劇場は、だれも言葉を発することなく無言だった。
ちゃんと「映画」だ
個人の雑感です。話題になり近所の映画館でも上映されることになり、久々にシアターでの鑑賞。平日昼間、スクリーン3キャパ60程度で8割ほどの入。かなり壮絶な映画なんだろうと身構えるが、前半は想像以上に淡々と何事もない家族の風景が進む。
必要最低限のナレーションはいあるものの、ドキュメンタリーにありがちな余計な説明がなく、お父さんの喋る言葉も聞き取れないのだが、不思議と退屈ではなく、緊張感もあり引き込まれる。お父さんの家はすっごい金もちだな、とか、お姉さんとても美人だな、髪の毛がクシャクシャで若いときの戸川純みたいだなぁ、とか思いながらじっと見る。還暦でもまだ美人。普通に世に出てればさぞモテただろうなぁ。
投薬であっさり症状は改善するのだが不思議と「ほらだから早く見せてればよかったのに」という感情にはならず、全てがこれはこれで良かったのかもとさえ思えてくる。葬式のシーンではこらえきれず号泣、周りの人たちも泣いてた。そしてエンディングロール後の車内からのお姉さんの手を振る姿でまた号泣。一度も退屈しなかった。これは日曜の昼テレビでやってるようなドキュメントではなくちゃんと「映画」になっている。(面白かった〜)っていう感想ではないが、久々に心が何かで満たされた。
愛情深く、一見、家庭が安定している
愛情があるから父も母も娘を守っているし、大事に関わっていると思う。弟も父と母から大切にされてるから大学も留年できているし、恵まれた家庭環境で、虐待される家庭とは全然違う。支援対象とならなかったから、他者の介入が無かった。
弟も親に甘えている。でもお姉ちゃんを普通にしたいとの気持ちもある。お父さんもお母さんも子供を大切に育てていたドキュメンタリーだと思う。子育てを否定するのは他者なのか?子育ての結果は誰が感じるもの?子供本人と思う。病気の理解につながるので医療系の学生さん達には見てほしい。この両親は子供達2人を大事に思っているのは間違いない。
考えさせられる
場末の映画館でノスタルジーに浸りながら観始めたが、最初から強烈で心がザワザワして、とても落ち着かない気分でした。
100人に1人と言われる統合失調症ですが、まさこさんに症状があらわれた時に精神科で然るべき対応をしていれば、人生の空白はなかったのにと両親のどちらが主導した結果なのか考えながら観てました。
最初は頑なな母親に怒りが沸きましたが、告別式での父親のスピーチにありがちな家庭環境が透けて見えて、これは共犯なんだなと思いました。
家庭の中で子供は大人になっても意見を受け入れられにくい、それはまだ大人の実績がないからか、子供の面影をそこに見るのか。
エンディングの後の映像で、外で待っているまさこさんがピースをした後に丸を手で形取った姿で我慢できず大号泣でした。
まさこさんが治療を受けていたらと悔しい思いが止まらないです。
最後に、カメラを向けられたまさこさんがモデルみたいなポーズをした時、とても可愛くて素敵だと思いました。
あえて酷い親であったと言いたい
監督の藤野知明氏は1966年生まれ。
お姉さんはぼほ私と同じ年齢だと思う。
時代背景を考えると両親の姉に行なったこと、行なわなかったことは同情できる、というのが優しい態度なのだろう。
しかし、
統合失調症と呼び名が変わったのは2002年。
知らなかったとは言わせない。
私は同時期に地方都市に生きたものとして、時代の空気のせいにはしたくない。
父親は最後の最後まで、25年の過ちを母のせいにし、あまつさえ「娘の人生は充実していた」と正統化をはかる。
監督の親に対する怒りは、親の姉に対する態度のみならず、自分自身への親のあり方に対しても向けられていると抑制的なインタビューの端々から感じられた。
皆、それぞれに辛い想いを抱えて来たのだ、無理もないことだ、というのは簡単だ。
しかし娘を医療につなげなかった責任は両親にあるとあえて言いたい。
親も可哀想なのは当然だ。
しかし最後まで見終えて、親の、特に父親の無責任さは強く指摘すべきだと、最後の父親へのインタビューのあとの監督の「カット、カットしてください」に感じざるを得なかった。
ポイントは弟である監督が、姉のことでよい結果を導けなかった忸怩たる想いだ。
責任の一端を負っている身内としての感情だ。
死顔をさらす背景に、姉と弟の悔しさを感じないではいられない。
20年にわたる苦しみは数ヶ月の入院の投薬で劇的に改善されてしまう。
このあっけなさに対する監督の想いをくみ取らなくてはならない。
この映画は「悲しみ」で終わらせてはならない。
「怒り」を伴って観なくてはならない。
25年は実はあっという間の時間だ。
どうすればよかったのか?
に明確な答えがあるはずがない。
だからこそ、監督の抑制的な言葉の裏の激しい感情を読み取らずにはいられない。
あの簡易な神棚への礼拝が合理性一辺倒でない一家の闇を深く表してしていると感じた。
結論「どうしようもなかった」
公開以来観に行かねば、と思いながら内容の重さに腰がひけており…やっと観てきました。
途中で何度も胸が苦しくなり、緊張で心臓がバクバクし、並のホラー映画より恐ろしく、悲しみで胃がギュッとなるような、なかなかない貴重な映画体験でした。
観てよかった。
この映画を理解するに当たり。
お姉さんが統合失調症を発症した1980年代半ばは、精神病に対する差別や偏見は今よりもずっと酷かったことを心に留めておく必要があります。
キ○ガイ、気○い、などの放送禁止用語がTVなどでもバンバン流れていた時代です。
2000年代になり、確か皇后雅子様(奇しくもお姉さんと同じ名前…)が適応障害になり、そのあたりから鬱病、新型うつなどの病名が広まり、精神疾患への理解がだんだんと広まっていった記憶があります。
ですので初動に関してはこのご両親を責める気にはなれませんでしたし、途中で何度か弟さんが方向転換を試みようとしたにも関わらず頑なに診療を拒否をされたのは、夫婦揃って医師(研究者)ゆえのプライド、また老齢故の頑固さが勝ってしまったのかなと。
大事な娘に精神病の烙印を押すなんて恐ろしくてできない、両親のその優しさが仇になってしまったんだろうと涙が出ました。
医者にも診せず南京錠をかけて監禁、なんて字面だけ読むと鬼畜の所業のように見えてしまいますが、なりゆきでそうするしかなく、いつの間にかその状態が恒常化してしまったというのが映像を見るとよく分かりました。
母親の認知症をきっかけに支援につながれたことは幸いでしたが、監督ご自身、数十年間にわたり老いていく親と病状が悪化していく姉を側で見ているのはどんなに辛かっただろうと想像します。
父親が姉の葬儀で「彼女なりに充実した人生だったと思う」と述べ、お棺に医学論文を入れたシーンはなんとも言えない気持ちになりました。
父親の欺瞞だ、と怒る人もいるかと思いますが、今自分は子育ての真っ最中ですが、自分の至らなかった点を将来子供になじられたとして、素直に謝罪できる自信がありません。
この父親のように「なかったこと」にしてしまう可能性は誰にでもあるかと。
もう一点、母親と仲が良かった妹さん(監督にとっては叔母さんにあたる方)が語るシーン、「あんな風になってしまって、でも身内だからこそ何も言えなかった、口出しできなかった」みたいなことを口にされていて、これにも深く頷きました。
大事な人を傷つけたくなかったり、関係を悪くしたくないから真実を言えない、ってことは往々にしてありますよね。
残酷な見方をすればお姉さまはご両親の判断ミスの犠牲になったと言えますが、監督がこうしてお姉様の人生を撮影し続け、映画として公開されたことで浮かばれる部分もあるかと思います。
身内の恥部を晒すことはなかなか出来ることではありません。
監督の勇気に拍手を送ります。
「家族」
答えは出ているので、題名がしらじらいという論調もありますが、問題なのは何故両親は、弟の懸命な説得に耳をかさず、受診から遠ざけたままにして、状態を悪化させてしまったのかということにつきると思います。
詳しくは書きませんが、家族の情愛やエゴは得てして、冷静な判断を下せなくする機能を果たすということかと思います。そのような事実が、ごろりと観客に提示されているように思いました。それが観客の自らの経験と化学反応を起こし、ある種の共感を呼ぶのだと思いました。
やっかいな存在。その名は「家族」。
それでも、憎み合うだけというわけではなく、いろいろあったけれど、多分それぞれが大切な存在として意識されていることがうかがわれる点でもよかったと思います。
父母ともに優秀な医師の元に生まれた優秀な医学生だった姉。そんなエリート一家もやはり家族故の情愛やエゴは普通の家族と多分変わらない。
ラストシーンが目に焼き付いて離れません。
どうしようもなかったから、この作品ができた
まず、ドキュメンタリー作品というものについての個人的な前提を記載します。
これは、所謂ドキュメンタリーなのだと思うのですが、そのような映画を観るにあたり、「ドキュメンタリー=現実」ではないと思うことが大切だと思うのです。つまり、ある現象や事実を映像化するということは、製作者がそこにある物事を、「個人的な思想」に基づいて映像化しようと「思った」訳ですので、正確にいえば「ある現実を、テーマ性を持って切り取った記録作品」ということなのかな、と思います。そうなると絶対に映像の方向性は恣意的になり、製作者の思想が「編集」というかたちで自然に織り込まれて行きます。そしてもう一つ、「自分がこの人たちだったら」という考え方に取り込まれない方が良いとも思いました。単純に、自分たちはその人たちではないし、例え環境が同じになっても、その人たちにはなり得ないからです。そう思わないと、少なくとも私は「共感」ではなく「同情」(これは共感から最も離れた意味を持ちつつ、最も誤解されやすい感情だと考えます。)を抱いてしまうからです。ニュースでもそうですが、それら製作者の思想を、まるで現実そのもののように取り込むことこそが、昨今のテレビ業界や週刊誌を「叩く」という現象における原因の一つにもなっていうのかな、と思います。あくまで原因の一つだと思うだけですが。まず、こういう前提があるとこの作品は考えやすいかな、と思いました。何故なら、このようなドキュメンタリー作品は「○○が絶対に悪い」という善悪二元論か、「答えがない」という類の答えに行きがちで、モヤモヤしたまま終わってしまい、「なんかすごいものを観た。」で終わってしまうと思ったからです。もちろん、そういう「答えが出ない」系の感想が悪いのではなく、むしろ悩むこと自体が人間として大切なことだと思うので正解なのだと思いますし、善悪二元論も言うまでもなく間違っていない考えだと思うのですが、折角なら「自分なり」の答えは出せた方が良いな、と個人的には考えたため、上記のようなことを長々と書きました。
次に、わたしの感想を、わたしの中にある前提も含めて書かせていただきます。
まず、全体をとおしてわたしが思った、極々個人的な感想は、「どうしようもなかったから、この作品ができたのだろうな。」ということでした。
パッと見、このような事態には誰しもがなるかも知れない、と思ったのですが、わたしとしては、「このような事態」になるには多くの前提がなければならないと思い、自分の中にある前提を解体してみました。
結果として、わたしが最初に思った「このような事態」のほとんどは「統合失調症の家族」と「現実を認められない人間の社会性」という二つの要素だけでした。確かに、統合失調症が家族に症状としてあらわれたら、わたしは単純に「怖い」し「不安になる」し、要するに「どうしよう」と思うのです。それは、監督含め、このご家族にも当てはまると思いました。
一方で、もう一つの「現実を認められない人間の社会性」については、所謂「自分の失敗」を隠すことで周囲への体裁を整えたり、見栄を張ったりするために使うことが多く、恋愛や仕事、家族関係などで上手くいかない時に心の中で自分以外の他人や環境のせいにすることにより露呈するものだとわたしは思っています。
こう思った時に、単純に「統合失調症の家族がいる」という事象と「現実を認められない人間の社会性」というテーマは結びつかないな、とわたしは結論づけました。実際、これは全ての当事者の方々がそうであるとは思いませんが、統合失調症が家族から出て、それを家族で協力し合って治療している方々もいると思うからです。そして、そういう人たちが所謂「善人」だったから家族の病気にも向き合えたとも思いません。つまり、「致し方なかった」というところも多分にあっただろうと思うのです。
このドキュメンタリーを観てわたしが思い出したことは「座敷牢」です。「私宅監置」という言い方もあります。わたしは、その前提として「自宅に牢を作ったり、自宅である人を監置できるような環境(資金力など)がある」ことが第一に挙げられると思っています。このご家族も、お父様の海外でのお仕事に乗じてエジプトなどに家族旅行に行けたり、1950年代から記録映像を残せるほどの資金力に恵まれていることが分かります。また、中盤辺りで統合失調症のお姉さまだけでなくお母さまも、ほぼ1年間自宅から出来いない状態になっているという事実も分かりますが、これも要するに「家族が約1年間自宅から出なくても良いような経済環境」だとも思えてしまいます。監督ご自身も9年間大学に在籍できたり、お姉さまも大学合格まで4浪もできていたりします。例えバイトをして学費を稼いでいても、9年間も大学に通えたりすることはそうないとわたしは思いますし、4回も大学受験をさせてくれることもなかなかないのではないかな、とも思いました。そういう意味で、まずこのご家族は経済的に「恵まれてしまった」と思いました。これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由の一つです。
次にご家族のパーソナルについて、わたしが考えた前提を書きます。まず、上記のような経済状態になれたのはどうしてかというと、単純にお父様とお母さまが大変優秀なお医者さんだったからだと思います。その努力の積み重ねが社会に認められ、結果としてこの家庭を作ったのだと思いました。そのようなお父様とお母さまですので、医学の知識や関連する機器などについては大変詳しく、お年を召してからも論理的に物事をお考えになっていることが分かります。一方、そのようなお二人ですので、自分の人生についてはプライドも持っているでしょうし、「絶対に~だ。」という認知的な歪みもあったのかも知れない、と思いました。そのようなご両親ですので、基本的に成功体験が多く、大体のことは「やればできる」と考えてしまい、お姉さまや監督の言葉や普段の状態にも、ある種鈍感になっていたかも知れません。そして、お姉さまが統合失調症になってもその現実を認められず、何かしら理由や理屈をつけて現実と向き合うことから逃げていたのかも知れません。監督とのインタビューの中で(特にお母さまが)、監督からの強いご指摘に対して極端に話をすり替えようとする場面(お母さまが「じゃあパパに死ねっていうの?」と監督を責め返そうとするなど。)から、わたしはそう考えました。
次にお姉さまですが、映像記録を観たり、監督ご自身のナレーションを聞くと、大変人懐っこく、可愛がられたことが分かります。また、占いを信じたり、たった一つの不安を拡大視してしまうような(学生時代にガンで死んだ同級生を引き合いに出して、お姉さまがかつて「自分はガンかもしれない。」と言っていた、というエピソードを監督ご自身がナレーションされていました。)感受性の高さも伺えます。一方、これらの要素は「夢見がち」で「現実逃避的思考」になりやすかったり、思い込みが強すぎるという、これも一つの認知の歪みであるとも個人的には考えます。それらを踏まえて考えると、お姉さまはもしかすると、優秀なご両親のご期待に応える「べき」だと思い込んで思考的視野狭窄に陥り、占いなどが好きな自分よりも両親という「他人」を自分の人生の中心に据えてしまい自己肯定感が損なわれる要因を作ってしまったのではないでしょうか。更に、何度も受験に失敗し、その感受性の高さにより実習でも上手くいかないことで必要以上に傷付き、「みんなが自分を責めている」と現実をネガティブな方向へ拡大させてしまったのかも知れないと考えました。
そして監督ご自身について、大変家族思いで、特にお姉さまに対しては強い愛情を感じました。一方で、映像作品を志したところからも、やはり感受性が高いことも推測できます。お父様やお母さまへインタビューする際に、たまに感情が乗ってお姉さまへのご両親の所業を尋問口調で責めるところからも伺えました。わたしが気になったのは、監督ご自身がお姉さまに何度も話し掛けるある場面で「パパとママに復讐したい?」という趣旨の質問をしたことです。お姉さまは何も答えなかったのですが、これは監督ご自身がご両親に絶対的に非があることを確信するとともに、お姉さまも「絶対に」ご両親のことを恨んでいると「思い込んでいる」ように思えてしまい、個人的に認知の歪みであると考えます。しかし、それでも結局、監督ご自身が2008年まで四半世紀もそのようなご家族の状況を打開できなかったのは、当然ながらお姉さまだけでなくお母さま、そしてお父様も含めてご家族を愛していたからだと思います。それと、9年間大学で、その後は神奈川で就職するなどして、家族の抱える事実からある意味で最も「逃避していた」という事実(これは監督ご自身がナレーションで「とにかく家にいたくなかった。」という趣旨を神奈川への就職について話す件で話しているので、そう推測しました。)による罪悪感も、なかなか踏み出せなかった要因なのかも知れないと思います。
上記のようなご家族のパーソナルがあった結果、お姉さまは統合失調症になり、ご両親はそれを否定して家に軟禁し、監督ご自身もなかなか踏み出せないまま、25年もの歳月が流れてしまったのかも知れません。
これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由のもう一つです。
以上のことは、しかし、一つ一つはよくある状況、よくいる人たちだと思います。わたし自身も、極端な考え方をしたり、無遠慮に人の心に踏み込もうとしたり、自分本位なところの多い人間なのですが、こういう状態にはなっていません。また、上記の条件二つが「表面的に」当てはまったとしても、そうならないご家族などたくさんいるのでしょう。
わたしが考えるに、上記にある「環境」と「家族という構成員のパーソナル」は、拳銃でいうところの「銃筒」や「弾倉」、「トリガー」を構成する「誘因」でしかなく、最終的にそのトリガーを「引く」のは、言語化出来ない、その家族そのものが持つ「個性」なのではないかと考えます。ですが、逆に言えばそれらの個性を持っていても上記のような「誘因」を防いでいければ、違う未来もあるのかも知れません。
ですので、誠に勝手ながら自分のことだけ想定して考えると、「経済的環境は社会に助けを貰わないと生きていけない程度の生活をして、家族ともなるべく向き合いつつ、しっかり自分の人生を自分のものとして生きるのが大切なのかも知れない。」という結論に至りました。
作品の終盤、お母さまとお姉さまは亡くなってしまいます。もしかすると、お姉さまはずっと軟禁され、ちゃんと運動する機会に恵まれなかったことが肺がんの遠因の一つかも知れませんし、お母さまの認知症もお姉さまのお世話による心労がたたった結果かもしれません。お父様と監督が最後に対峙するリビングには家族の象徴であったソファはなくなり、一時期は汚くなった部屋も綺麗になり(寂しくもなり)ました。監督の叔母は「(お姉さまを)愛しているから閉じ込めたのではないか。」という趣旨をインタビューで語り、お父様も「失敗したとは思わない。」(成功と失敗が価値基準ということですね。)と、自分たちの半生を映像化することに意外なほどあっさりと快諾しました。そこに何の落ち度もないかのような実父の笑顔に、年を経てすっかり丸くなった監督は、疲れとも後悔とも、諦めとも分からない風情を背中に宿しながら「カット」と言い、画面が暗転します。
わたしは、この作品が「お姉さまの生きた証を残す」ための作品であると同時に「ご両親への復讐」なのだとも思いましたが、ひょっとすると、「監督ご自身が何も出来なかった自分なりの贖罪行為であり、懺悔の具現化」なのかな、と最後は思いました。なので、とても強烈な作家性が感じられ、その執念ともいえるものに呆然としましたが、個人的にはご両親だけでなく家族という構成員の一人であった監督ご自身についての心情を見せていただきたかったため、星を一つの半分除きました。
最後のお父さんの言葉に胸が詰まりました。
なんとも言えない気持ちになりました。家庭のビデオで日常を追っているのですが、壊れていくお姉様。それを認めないご両親。最初に診察を受けた、医師の病気でないとの言葉だけを寄り処に医療を受けさせず、大枚をはたいて、名鑑に名前を掲載させてみたり、論文を書かせてみたりして、何とか病気ではないと思い込もうとなさる両親がもどかしく悲しかった。お母様が亡くなりようやく医療につかながり、回復の様子が見え笑顔が戻ったお姉様。何故もっと早く。と思わずにはいられませんでした。最後にお父様が、間違ってなかったとおっしゃったこと。もしそう思わなかったら自分、お母様、娘様の人生の否定になってしまうので、無理にでもこれがベストな方法だったと思い込んでおられたのかと思いました。ご自分の尊厳にかけて本当に思い込んでしまったのだと思いました。どうすればよかったのか?これでよかった、これしかなかった。とお父様は思われたのでしょう。見せていただいたものとしては、もっと早く医療につなげたらよかった。とおもいますが、本当はどうすればよかったのか、、、と考えさせられました。
なにがしたかったのか?
見終わったところです。ドキュメンタリーであることと、主要な登場人物が高齢のため、台詞が少し不明瞭で聞き取りにくいところがあったのが残念でした。おかげでラストの父親の一言がよく分からず、少しモヤモヤが残りました。(エンドロールを見たら、整音はやってはいたようですが)
さて、こう言えば身も蓋もないないけど、あれが正解だったのでは。発症の時期が時期だけに、発症した時点で精神科にかかったら、たぶんそのまま病院で…。一緒に暮らしていた両親、特に母親への負担は大きかっただろうけど、どうも母親が通院を望まなかったようだし。(父親の弁を信じればだけど)
統合失調症の患者がどうなのかを記録した、あまりない映画なのは評価できると思います。私も勉強になりました。(一般の方々が想像しているのは、別の病態の統合失調症なのかな?)
両親を責めるための映画
統合失調症の母を持つ身としては他人事とは思えず感情移入しすぎて見ていられなかった。
私の場合は病院に連れて行こうとしない父と、病院に行きたがらない母を無視して民間救急に依頼し、無理やり入院させたので、なぜこの息子は家を出て、自分は安全な場所で両親の説得だけなんだと終始イライラしっぱなしでした。本当に姉のことを思うなら実家に残り自分で病院に連れて行くはずです。
最初、タイトルのどうすればよかったか?は自分自身に問うているのかと思いましたが、最後にどうすればよかったか?と父にきいています。
暗に父に失敗だった。なぜ病院に早く連れていかなかったのかと責めています。
これは父を(母も)責めるための映画なんだと思います。そんなもの撮ってる間に自分で行動に移せばいいのにと思ってしまいました。
でも映画としては良い映画だと思います。
こんなに感情を揺さぶられる映画はなかなかないし、統合失調症のリアルな症状やその家族の大変さなどがわかる、家族自身が撮影しているドキュメンタリーは他にないと思います。
スティグマ どうすればよかったか、そしてどうすべきか。
ごくありふれた家族の中のひとりに統合失調症の症状が現れる。その事態に家族がどう向き合ったのか、何をして何をしなかったのか。本作はどうしてこうなったかではなくどうすればよかったのか、そしてどうすべきかと問いかける。ごく私的な家族の記録から普遍的な意味を持つ本作のテーマが浮き彫りになる。
本作の監督の姉が若くして統合失調症を患う。この当時は病名を精神分裂病と言った。この病名からもわかる通り当時の精神病者への世間の偏見はまだまだ根強いものがあった。それこそ過去には病気への無知から乱心者として江戸時代から続く座敷牢に閉じ込めるなどの風習があった。そしてそれは1900年の精神病者監護法により私宅監置として50年後廃止されるまで制度としても存在した。
最初に姉が発症した時、知り合いの専門医に診せたがどこも悪いところがない健康体であり、精神病などというのは娘がかわいそうだと父は言い放った。しかしそれから姉の症状がよくなることはなく弟である監督は家にいることが辛かった。大学進学を機会に家を離れ姉から解放された。その時から二十年以上の歳月が流れる。
二十年以上もの間治療も受けさせてもらえず放置されている姉やその両親の姿を見てさすがに危機感を覚えた監督はこの家族の姿を記録に残すことを思い立つ。この家族の姿を通して社会に何か伝えるべきことがあるはずだと。
監督自ら父や母に問いただす場面がある。母は父の意向には逆らえなかったと言い、逆に父は母の気持ちを考えて治療を受けさせなかったという。あたかも責任を擦り付け合っているかのようにも、またお互いを思いやっているかのようにも見える。
母の死後妹である叔母から聞かされた話では娘がかわいそうだから守ってあげたいという気持ちが母にはあったのではないかという。
果たして本当にそうだろうか。娘のことを一番に考え、娘を守るために治療を受けさせなかったなどと。
精神病であることが世間に知れたら娘がかわいそう、本当にそうだろうか。娘ではなく自分たちがかわいそうだったのではないか。精神病の娘の親、精神病の娘がいる家、世間からそのように見られるのを何よりも恐れていたのではなかったか。守りたかったのは娘ではなくこの家ではなかったか。だからこそ娘を外に出さないように玄関に鎖をかけてまで家を座敷牢にしたのではなかったか。
いまや医学の進歩による薬物療法により統合失調症の症状は劇的に改善されるようになり普通に社会生活ができるまでに回復できるという。病名も偏見を生まないように精神分裂病から変えられたことで患者の家族の抵抗感も薄れて患者は初期症状で診察を受けられるようになった。だが姉が発症したのは80年代でまだまだ病気に対して偏見があった。両親のとった態度を息子である監督も一方的には責めることはできなかった。監督自身も姉に背を向けて逃げ出したころがあった。
母が亡くなり、姉も亡くなったあと、監督は父に問いかける。どうすればよかったかと。父はあれでよかったと答える。余命いくばくもない父をいまさら責める気にはなれない。
ただこの家族のたどった軌跡を監督は世間に公表する。なぜこの家族は誤ってしまったのか。姉の人生を無駄にしてしまった原因は何だったのか。
スティグマ。精神疾患や身体障害者に対して向けられる偏見という意味だけではなく広くマイノリティに対する偏見という意味を持つ。
精神疾患に対する偏見などなかったなら、精神疾患を患った娘を恥じることなくすぐさま治療を受けさせたなら、姉は人生を棒に振らずに済んだのではないか。
これはこの家族だけに起きた悲劇ではない。過去にも偏見から精神障害者が同じように治療を受けられずに未治療期間が長引いたために手遅れになるケースは後を絶たなかった。
姉が25年目にして初めて入院し投薬を受けたことにより回復した姿を見てどうしてもっと早くにと思った観客は少なくないだろう。しかしそれを今の時代の我々が言っても仕方ないのかもしれない。果たして本作を見ている我々が当時同じ状況に置かれてこの家族のようにしなかったと言い切れるだろうか。
さすがに今の時代これだけ精神医療が発達して偏見も薄れたからこそ精神科への受診者数は増加しているという。逆に統合失調症患者の入院者数は減少しているという。これも薬物療法の成果なのだろう。
これからは統合失調症患者の家族も躊躇なく診察を受けさせることができるだろう。今や国民の四人に一人が精神疾患を患うという。
風をひくように心も風邪をひく、内臓が悪くなるように脳も悪くなる。当たり前のことである。精神病者への偏見は薄れていくだろう。
しかしスティグマは精神病者だけの問題ではない。今の時代、性的マイノリティや移民排斥問題に見るように相変わらずスティグマに苦しめられている人々が存在する。
スティグマにより生きづらさを感じる人々。この姉のように人生を奪われる者は後を絶たない。
仮に自分の家族に性的マイノリティの人間がいたとしてその時この家族のように世間体を気にせずにいられる人間がどれだけいるのだろうか。
本作はどうすればよかったか、そしてどうすべきかと我々見る者に問いかける。スティグマによって人生を奪われた姉のようにいまも人生を奪われる人々を前にして我々はどうすべきかと本作は問いかける。
「変」な家族
変。
もう全てが「変」でした。
研究者だとか頭がいいとかお金があるとかいい物食べれるとか大きな家に住むとか関係ない。
異様な空気感と距離感、両親もどこか冷静で、
なんで誰も何も言わないの?と思ってしまう。
監督が病院に連れて行くことを諦めなくてよかったです。
でも、きっと両親もとてもとても辛かったはず。もちろん、監督も。
みなさまお疲れ様でした。
弟さん(監督)がいてよかった
ただ淡々と家族の経過を記録したもの。
医師でも臨床医じゃない両親で、高齢ともなると正しい判断が出来ないもんなんだなぁ。
治療を受ける前と後のお姉さんの様子から、治療効果がこんなにあるんだ、と初めて目の当たりにしてびっくりした。
発症初期からもし治療を受けていたならどんな人生だったんだろう、とどうしても思ってしまう。
親って子供を守ることもあるけど、可能性を奪う毒になる事もあるな、って本当に思う。
言葉に詰まる
もっと発狂して部屋が目を覆うほど乱雑な日常を映し出しているのかと思った。カメラを回し始めたのが20年後だったのもあるのだろうか。
問題がなさそうに暮らしている様子が不気味に思えた。家族だからこその隠蔽気質は自分にも無意識にあるのだと感じた。具体的な手を打てばいいじゃないのかと問われて、病気じゃないと診断されたから大丈夫みたいな堂々巡りを母親としているのを見ていて亡くなった母を思い出した。私も一生懸命やってるのに!って言ってるように見えた。そこに家族内であれだけ踏み込めるのが凄かった。自分なら、両親も話にならないし、手に負えないよって投げてしまうと思った。
お姉さんがとにかく眼の挙動と反応が不穏で、統合失調症は千差万別ともきくのでとある一つの形ということなんだろう。入院して合う薬があるとあれほど違うのかと驚いた。対話ができることが嬉しくなることなんだと思った。
母親の認知症、姉の入院が重なったときなど、父親や撮影者の弟さんはどんな心境だったんだろう。自分だったら、とんでもない不安に駆られて寝込んでしまいそうだ。淡々と時間が進んでいって、展開上そこじゃないんだろうけど気になった。
最後に父親はそうだと思ったと言ってた?と思うのだけど、母親はどっちだったんだろう。問い詰められてる際の印象が抑圧してるようには見えなかった。とはいえ健康と思っていて南京錠とかは、やっぱり、、、。
最期、確かビートルズを聴いて亡くなって、お棺に論文とタロットとケーキが入れられていた。40年家に閉じ込めた形になっても、好きなものを知っていた人がいたのだと思ったら泣きそうになった。自分が死ぬときに知ってる人はきっといないから羨ましく感じた。
最終的に、医療を受けさせずに生きた姉の一生は、正解だったのかは不明だ。個人的には今の精神医療なら早めで改善の兆しを想像できるけど、40年前はどうだだったのだろう。そのとき、自分がその立場だったら、と思うと言葉に詰まる。
幼稚な復讐
「どうすればよかったか?」
これは内省の問いかと思いきや、違う。
両親への非難の言葉だった。
初めはドキュメンタリーならではの姉の鮮明な病状、思考停止した両親に、まざまざと恐怖を感じさせられた。
しかし、母親が亡くなってから、穏やかな父娘の日常に、父親への見方が徐々に変わっていく。
90歳近い父親が、痩せた手で娘に茶を渡し、話しかけ世話をする。娘の葬儀では、二人で論文を書いたと、無意味な人生でなかったと慰める。
30年以上、病気を持った娘を世話し続けたことに、なぜ愛がないと言えよう。
それは致命的に間違った判断であるが、愛は確かにあったのだ。
一方で、監督である弟は何をしたのか?
健常でありながら、女ひとり抱えて病院に行くこともせず、なぜか両親の説得に固執する。
娘の死後、自身も死を間際にした父に、「どうすればよかったと思う?」と、“おまえは間違えた、おまえの人生は失敗だ”と執拗に問いかけ、映画として世に出す。
インタビューにて、「姉について後悔はない。自分は25年前初めて発作が出た時に、救急車を呼ぶ正しい判断ができたから」と語る。
彼は姉を愛しているのか?
ただ自己投影の対象、同じ両親の被害者として姉を見ているようだ。両親をひたすら死ぬまで非難し、自己を正当化している。
そこには、「子は親の所有物」と考える両親と全く同じ、「親が子を導くべき」という幼稚な価値観が横たわる。
家庭という小社会を描写した点で傑出しているが、監督の立場を利用した個人的な復讐を、作品と呼ぶべきではないため⭐︎1。
点数をつけるのが難しいくらいの心揺さぶるもの。
12月に拝見。日にちは曖昧な
もう、一旦情報を仕入れて変なイメージがつく前にご覧になってほしい。
2024年はドキュメンタリー映画が豊作で
『正義の行方』『mommy』も拝見したが、
本当に劇場で見てよかった。
どうすればよかったか。
もその一つで作品として目が離せない、
お姉さんが既に統合失調症になった後
監督が『なにか言いたいことない?』
『許せない?』など、問いかけた時の
お姉さんがジッと見つめた時に
胸に込み上げるものがある。
そして娘の物語は、母、父と物語の主軸が変わる。
最後父に真意を聞いたとき、
あれはある種のどんでん返しではないか、
どんな思いで無言をつらぬいたのか。
そして、クレジットが終わったあと、
お姉さんの笑顔に危うく泣きそうになった。
多分、最後お姉さんは決して不幸ではなかった
と思う。理屈や何が正解かではない。
こんな映画体験後にも先にもないのではないか。
本当にすごいものをみた。しつこいようですが
映画館で拝見する意味のある素晴らしい体験でした、監督には感謝ばかりです。
全50件中、1~20件目を表示