どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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価値観
両親が本当に体裁を守る事だけを考えていたら
ずっとお姉さんの面倒を見ていられないと思う。
深い愛情があったからこそ、向き合い寄り添い
一緒に生きたんだと思う。心の底からこれが正しいと思っていたからこそ、お姉さんの人生がある意味では幸せだったとお父さんは言えたんだと思う。自分の子供が、自分とは別の意思を持つ人間だと割り切れない親は多い。この映画は冒頭にもあるが、病気についてや、病気の原因を考えるものでもなければ、どうすればよかったか考えるものでもない。どうすればよかったかは私たち他者には簡単にわかることだから。ただ、どこにも行けなかったお姉さんの生きた記録を残し、チャーミングなお姉さんを私たちに会わせてくれた事に、弟さんである監督と、お姉さんを産んだご両親に感謝したい。#ビール#イカリング
突然に淀んでいく日々の中で
統合失調症で別人のようになったまま亡くなったお姉ちゃんのお葬式で、まだ健康な医大生だった時分に彼女が執筆し、未完のままだった論文を、「天国で続きを書けたらいいね」とつぶやきながらお父さんが棺桶に入れる。それに対し、弟(監督)が「本人が書きたかったらね」、傍で親戚のおばさんが「『もう勉強は嫌!』って言うかもねえ」と話す。このシーンに親のエゴと歪んだ期待、そして確実な愛情、さらに第三者の目線が詰まっていたように思う。
優秀な研究者だった両親からしたら、優秀な研究者になることは、イコール生き甲斐のある幸せな人生(自分が体験したから間違いない!)で、そこに何の疑いもないからこそ、姉を閉じ込めた行動は「私たち親が、娘の一時の不調をなきものにしてあげられれば、いつかまこちゃんは元通りになって優秀な研究者になって幸せな人生を送れるはず」という善意から始まった行動だと感じた。
そこに体裁を気にする思いもあったかもしれないが、まず第一に娘のことを考えた末の行動だったのではないか。親が子にかける気持ちというのは「体裁を保つ」という一言で片付くような、そんな単調なものではないと思うから。しかし、いつからかその行動の取り返しがつかなくなった末の「どうすればよかったか」。
これまでずっと優等生だったお姉ちゃんが、大学生活の中でつまづいた後に発病。「自分はいかに優秀な人間か」をしたためた手紙を、大学に何通も送りつけた話と、お母さんが亡くなった際に親戚のおばさんがインタビューで話していた「まこちゃんは賢くて天使みたいな子。お勉強をすごく頑張ってた」という言葉が、すごく重かった。親だけの望みではなく、お姉ちゃんにとっても、研究者になる将来はきっとかけがえのないものだったはず。親戚のおばさんが「自分は外野で何もできなかった」と語る言葉で、他人が考える「幸せ」と、お姉ちゃん、そして両親の考えていた「幸せ」の温度差をありありと感じた。
晩年、投薬により少しだけ症状が落ち着いた?お姉ちゃんが、カメラを向けられておどけてピースしたりポーズ取ったりする。優しくて、面倒見が良くて賢くて、優等生をつらぬいたお姉ちゃん。統合失調症を発病しなかったら、どんな人生を生きたんだろう。
映画の中に、まだ子供だった頃のお姉ちゃんの写真や動画もたくさん出てくる。失礼ながら、もう「中年」と呼ばれる年齢の監督が、家族を「パパ」「ママ」「お姉ちゃん」と呼ぶのが、この4人は温かな家族だったことを示しているようで、まるで自分も家族の一員のような追体験をさせられた、苦しくて悲しい101分だった。
幸福とは?
医者を目指し勉強していた姉が統合失調症を患う。しかし、両親はそれを認めようとしない。映像制作を学んだ弟は、そんな家族にカメラを向け始める。それから20年の映像記録。ドキュメンタリー映画。
時は否応なく流れ、姉も両親も年老いていく。
映画は息子から両親への告発の様にも見えてしまう。
しかし、彼女を不幸だと思うのは観客のエゴでしかないと思う。幸福感というのは、本人にしか分からない。いや、本人にすら分からないかも知れない。ただ、落ち着きを取り戻した彼女の、弟を真っ直ぐに見詰める穏やかな視線を見るとそんな事を思った。
一応星は付けたが、この映画には点数など相応しくないと思った。
#どうすればよかったか
めちゃめちゃ色んなことを考えさせられた作品
映画を観る前に統合失調症がどんな病気なのかを
ネットで検索して調べ、前情報としてインプットしました。
観ていて非常につらかったです。
しかしながら、監督の思いは受け止められたかなと思います。
・統合失調症であるお姉さんが寛解しているシーン
食事をつくったり、インスタントカメラで写真を撮ったり、ピースサインをしたり、
買い物をしたり、、、というシーンに涙が出そうになりました
・お姉さんが亡くなる直前に聴いていた曲が、ビートルズ「Free as a Bird」であったこと
この歌詞を噛みしめていらっしゃったのだろうなと思うと、涙が出てきます
・監督がお父さんに「どうすればよかったか?」を問うシーン
後悔はしていないというお父さんには、最後まで監督との相互理解はできなかったと
突きつけられた気がしました
お母さんが体裁を気にしていたという発言も、それは事実なのだろうなと思いました
この世代の方の価値観なのかもしれません
多くの方に観ていただき、いろいろと考えてみてほしい作品でした。
2024年の劇場鑑賞はこれで見納めです。
2025年もすてきな映画との出会いを求めて、鑑賞していきます。
お姉ちゃんの人生はなんだったのか
精神疾患の原因が遺伝的要素と環境にあるとされて久しいが、晩年の母親が認知症を発症したことを鑑みると遺伝的要素と関連があるのだろうと思わずにいられない、まったく異なる遺伝的要素であるとも思うのだが。とにかく精神疾患に対する知識と対処方法、世間的な認識について考えさせられる作品である。
また、親になるということの責任についても非常に考えさせられる。高等教育を受け社会的に認められている両親が、子どもに期待するのは当然であろうが、子どもは自分とは全く別の人間であるということ、子どもに過度な期待をかけるのではなく子どもの興味・得意なことを見極めてサポートすることが「な心身の育成につながること」を親自身が認識することの重要性を感じるのだ。学問を追求するだけではなく人間的に豊かに生きることを、あの両親が成しえたとは思えない。室内の散らかり様、お互いに責任を押し付け、最後まで事実を認めない思考は、やはり「お姉ちゃん」の人生を良きものにしたとは思えない。
一家の長男であり「お姉ちゃん」の弟である監督が早くに家を出て、第三者的な視点で追う家族の姿は、痛々しくもどかしく切ない。また、終始「お姉ちゃん」に寄り添い優しい対応をしている事にも圧倒される。
母親の死後、医療によって症状が落ち着いたお姉ちゃんは、おどけたポーズをとりピースサインをして写真に納まる。面倒見がよく、活発だったお姉ちゃんの「あったはずの」人生をガンというもう一つの病気が襲い早世したことは残念である。監督の思いと精神疾患に対する固定観念を再考したい。
統合失調症の姉と、姉を匿った両親。 その姿を捉えたセルフドキュメン...
統合失調症の姉と、姉を匿った両親。
その姿を捉えたセルフドキュメンタリー。
医学部進学を目指した姉が突然叫び出したりなどの統合失調症めいた症状を発症したのは1983年頃。
8歳年下のわたし(監督の藤野知明)は、まだ十代の少年だった。
基礎研究分野の医学博士の両親は、他の医者に姉を診察させるも統合失調症などの病気ではないと判断し、以後、姉を周囲から遠ざけるようにした。
家を出、いくつかの変遷の後、映像関係の学校に進学したわたしは、帰省などの折に「家族の旅行などの記念」及び「自身の仕事の習作」の名目で、姉や両親をカメラに収めることにした。
それが2001年のことで、姉が発症したと思われる日から18年経っていた・・・
といったところからはじまり、現在に至るまでが収められている。
タイトルには、監督自身の後悔と仕方がないという納得が詰まっている。
映画は、「どうすればよかったのか?」「××すればよかった。○○すべきだった」といった「べき論」的なことを求めていない。
第三者(観客)にみせることを前提にしているが、第三者視線での「統合失調症発症の原因」や「その後の行うべきだった対処」などは求めていない。
監督が提示しているのは、「わたしの家族は、このとおりだった」ということ、それだけなのだ。
ここが観ていて苦しい。
見ていて苦しい、心苦しい。
もっと言えば、観ることに「後ろめたさ」や「疚しさ」を感じてしまう。
それがどこから来るのかがわからなかった。
観終わってすぐ思ったのは、「あぁ、自分の家族も別の事象だけれど、ほんとうにひどかったなぁ」という心苦しさだったが、「観ることへの後ろめたさ」を感じる要因とは別のものだ。
「観ることへの後ろめたさ」を感じるのは、姉及び両親を撮りはじめる際に監督自身が言っていることに起因している。
撮影の名目は「家族の旅行などの記念」であり、「姉及び両親の生活の実像の記録」ではない。
端的にいえば、「真の目的を隠匿したうえでの隠し撮り」であり、そこに映し出されているのは「秘密の姿」なのだ。
その「秘密の姿」を観ること・視ることに「後ろめたさ」を感じてしまったのだろう。
さて、問題は、視てしまった観客としてのわたしだ。
安易に「べき論」的なこと感想を口にすることは決してできない。
監督と同じく、「仕方がないけれど納得するしかない」のかもしれない。
途中までどうしてお姉さんがそうなったのかとかいまいちわからなかった...
途中までどうしてお姉さんがそうなったのかとかいまいちわからなかったんだけど(冒頭で姉がこうなった理由の説明をするためのものじゃないですってあったけど、やっぱり精神病は理由が症状とか行動にけっこう出る、病気の大半を占めると思うので理由を考えてしまう)国家試験のあたりからなんとなく察した。精神病なのに医師の国家試験なんて受けられないだろうな。統合失調症ってこういう症状がでるんだ。単語はちょくちょく聞き取れるのに何言ってるか全くわからなくて別の言語話してるみたいだった。途中のお母さんとのやりとりが既視感ありすぎてああ‥ってなった。口喧嘩になって堂々巡りなのにまた別の日には同じようなことばっか繰り返してる。あと本心では薄々わかってるこの雰囲気。向き合っていこうとしないことに苛立ちが来るんだよなーって思った。プライドの問題だろうな。部屋の外から撮ってて、お母さんとお姉さんの叫び声が聞こえてくるところ、どこの家でもヒステリックの仕方は同じなんだなって思った。ちょくちょく自分の家と同じところがあって、親近感あったんだけど、南京錠と紐で括った荷物がドアにくくりつけてある場面が異様すぎてびっくりした。怖いとか感じる前に?がきて戦慄する。入院して合う薬が見つかったあとの様子が凄かった。手を頭に当てる動作だけでこんなに違いが分かるとは。薬ってすごいなって思った。それからは段々楽しそうな姿が見られるようになってちょっと安心したけど、25年もかかって色々なものを失ってしまったことへのやるせなさを感じる。もっと早く繋がれてればな、って感じた。間取りとか家のパーツがうちと似てるから他人事に感じられなかった。研究部屋とかドイツ留学で両親がどっちも医者とかはブルジョワすぎてうおってなったけど。昔は精神病はスティグマを貼られてたんだなって改めて思った。それでも最期が楽しかったのなら勝手にこっちはちょっと嬉しくなれる。下品なことをいうと、この家庭は結構お金のあるお家だったと思うんだけど、そうじゃない似たような家庭は更に酷くなるなって思った。最初の金切り声とか特にキツくて、こっちまでしんどくなった。胃が痛くて、気持ち悪い?耳鳴りみたいのがしてきてこれ以上体調が酷くなったら映画館出ようと思ったぐらいだった。ぶっちゃけ映画館入る前からちょっとお腹痛かったんだけど映画の雰囲気に引っ張られてすごい底のほうまで引っ張られた感じがした(気分が今まであんまりなかったレベルまで急降下した)
大入り満員! 極めて個人的であるからこそ普遍的な、統合失調症の姉と家族のドキュメンタリー。
ほんと、どうすればよかったんだろうね……?
この映画の「どうすればよかったか?」という問いかけには、
いろいろと考えさせられる部分がある。
もちろん一義的には、この映画で扱っているのは、
「姉を」どうすればよかったか、という話なのだが、
「このご両親を」どうすればよかったか、のほうが
より根源的で、監督自身の悩みに寄り添った問いかけになる気もする。
あと、映画を観はじめた段階では、むしろこれは、
「問いかけるまでもない」話だったりもするのだ。
すなわち「病院に連れて行ったほうがよかった」。
それに尽きる。
だが、20年以上に及ぶ生活ぶりを見せられ、
統失患者のいる「日常」が実際に平常化し、
それなりに構築されている姿を見せられると、
だんだんとその「義憤」に「ためらい」が生じてくる。
パパとママの主観からすれば、これって意外に
それなりに「やりきった」生涯だったのではなかったのか。
姉はたしかに20年間を無駄にしたのかもしれないが、
くるったまま混濁した意識のもと生活する日々と、
半ば正気のまま自分のお荷物ぶりを自覚しながら過ごす日々。
どちらがどれくらい幸せだったといえるのだろうか。
「実際にあった日常」の「重ねた年月の重み」と、
最後まで、ぶれることのないご両親の価値判断に、
むしろ観ているこっちが、だんだんぶれてくる。
一応の正義を信じてはいても、若干不安になってくる。
意外にお姉さんが、これはこれで「あり」の人生だったと
いっちゃったりしたら、どうする?
なにが正解だったとか、どうすればよかったとか、
2時間付き合っただけのわれわれに、
いえることなのか? いっていいことなのか?
― ― ― ―
それにしても、薬ってマジで効くんだな。
ちょっと、びっくりした。
映画だけ見ていると今一つわからないが、
まだ外出できていたころのお姉さんは、
相応に「ふつう」を偽装できる程度には、
ふるまって過ごせていたのだと思う。
ある時期までは、ご両親と「共同研究」をして、
翻訳なども手伝っていたそうだし。
だが、パパが終盤にいっていた「ここ数年」は
本当にひどい状態だったのだろう。
意思疎通もできない。汚言を吐き続ける。
衝動的に動く、そんな感じだったに違いない。
それが、3か月の入院で、あれだけしゃべれるようになった。
意思疎通できるどころか、会話が交わせるようになった。
笑うようになった。ポーズを決めるようになった。
通常の人からすればかなりまだおかしいけど、
少なくとも、人として普通にやりとりができるようになった。
そして、なによりも花火を喜べるくらいの感性が戻った。
医療ってすげえな、薬ってすげえな、ってのが率直な感想。
ちょっと不謹慎だが、リアル・アルジャーノンくらいの衝撃だった。
なんか、このままハッピーエンドでもいいんじゃないか。
そう思えるくらいのカタルシスが、弟の問いかけに対して、
姉が「ふつうに」応えた瞬間には確かにあった。
いや、マジで、こんなに簡単に「効く」んなら、
ほんと早く医者に診せておけばよかったんだよ、
とは思うんだけど……、
この「時期」だったから効いたのかもしれないし、
若くして正気に戻っても、はたして
お姉さんにどんな人生が待っていたかはわからない。
でも、とにかく薬があれだけ効いて本当に良かったと思うし、
パパとママにどれだけの「咎」があったとしても、
お二人が娘の「復活」を目に出来て、本当に良かったと思う。
― ― ― ―
僕の周辺には統合失調症を患った人がいないし、
精神疾患の親族もいない。
自分はかなりのADHDだが(専門家の妻が100%そうだと断言しているから、そうなんでしょうw)、発達障碍と精神疾患はまったく別のものだ。
基本的に僕にとってはしょせん「他人事」だし、
この映画も「面白半分」「怖いもの見たさ」で足を運んだ。
だからこそ、当事者の苦しみや悩みや問いかけに対して、
軽々に答えられないし、答えが思いつかない。
多くの観客は、弟さんのあきらめが早すぎると思うかもしれない。
もう少し早い時期に、なんとかできたのではないかという人もいるだろう。
でも、たぶん物事はそんなに単純ではない。
話している様子を見ていると、ご両親も結構な確率でASDの傾向が見られる気がする。
理系分野で相応の研究成果を残したインテリ夫婦で、こだわりが強く、意見を変えず、一度決めた生活ルーティンを壊したがらない。
パパはあくまで冷静で温和で紳士的だが、決して現状変更を認めようとしないし、かたくなに「娘が医師国家試験をどうこう」という(傍から見ているととてもあり得ないような)話に固執している。
ママも少し言葉は聞き取りにくいが優秀な人で、晩年ボケてきても、ボケているなりに「推理」して「論証」して「侵入犯の行動原理について仮説を立てようとしている」ことにけっこう驚いた。
こういうご両親がいったん「娘はああ見えてまともだ」という物語を組み立てて、「医者に診せる必要はない」と結論付けて、娘を隠しこもうと決め込んだとき、それを変えさせるのは、傍から思うよりも何倍も大変なことだったのではないかと思う。
娘が妄言を口走ろうが、うろうろしはじめようが、「ほとんどなかったことのようにふるまう」パパとママ。
観ていて、とてもおそろしいシーンだ。
これは創作ではない。実際にあったことなのだ。
彼らは、「見たくないこと」は「見ない」。
都合の悪いことは、認識の外に追いやる。
そうやって、娘は「そこそこまとも」で
「医者に診せる必要も治療の必要もなく」
「今でも医者を目指して勉強している」
という「仮想の物語」を守り抜いていく。
それは、幹線道路沿いに住んでいるうちに騒音がまったく気にならなくなったり、どぶ臭い家のにおいがだんだんわからなくなったりするのと同じ、精神の自衛機能だ。
娘の異常性が、日常に溶け込んでいく。
見えなくなる。気にならなくなる。感情がオフになる。
こうして、「昭和・平成の座敷牢」が生み出される。
なにより、この「座敷牢」は、実在しただけではない。
20年以上維持された、どこまでも堅牢でゆるぎない、筋金入りに実体的な「座敷牢」なのだ。
僕は弟さんにこの現状が変えられなかったのは、そうおかしなことではないと思う。
何よりこの「座敷牢」は、それなりに安定して、落ち着いた状態を保っていた。
少なくとも維持されている間は、なんの事件も起きなかった。
安寧が約束された、ある種の「失楽園」だった。
言い方は悪いが、動物園の平和と変わらない。
親御さんにとっての、偽りの安息所。
この均衡が崩れたら、「パパは死んでしまう」とママはいった。
実際、無理に現状変更を図って壊してしまったほうが、何が起きるかわからない。
弟さんにとっても、一歩踏み出せない状況が長く続き、
長く続けば続くほど、余計に動けなくなった。
そういうことではなかったか。
― ― ― ―
弟さんという「観測者」の立ち位置も、実はこの映画ではけっこう重要なファクターだったりする。
監督は、単なる傍観者でもなければ第三者でもない。
れっきとした家族であり、最も身近な間柄であり、事態に一定の責任をになう存在だ。
しかも、特定の見識を家族に持ち込み、「混乱を生じさせている」張本人であるともいえる。
表面上、ある種のバランスをとって平穏に過ごせている三人のところに、ときどき帰ってきては延々ヴィデオを回し、姉に質問をくどくどと投げかけては、発作を引き起こすトリガーになっているわけだから――。
彼がヴィデオを回すこと自体が、両親の行動や姉の症状に影響を与えている可能性もある。
彼がドキュメンタリーを記録することで、取材対象者自体になんらかの変化をきたしていることだって、十分に考えられるわけだ。
一方で、疾患のせいで感情表現がうまくできず、親への怨念を抱えながら、静かに座って怒りを秘めたまま、じっと時間が過ぎるのを待っていた姉にとって、弟の来訪とカメラを通じての呼びかけは、大きな喜びであり、支えであり、心のよりどころであった可能性もある。
実の家族によって行われたこの取材行為が、いびつな家族の在り方にどのような影響を与えたかについては、結局のところ誰にもわからない。
ただ、監督がこの件に関しては単なる取材者ではなく、れっきとした「プレイヤー」だったことは疑いようのない事実であり、映画を撮るという行為自体が撮られている内容と不可分の影響関係にあったこともまた、無視できない現実である。
― ― ― ―
その他、思ったことなどを箇条書きにて。
●統合失調症を患っているあいだ、お姉さんの見た目は驚くほど若い時のまま変わらない。それが、3か月の治療が奏功して「ある程度まともにやりとりできる」ような状態になって戻ってきてからは、年相応にだんだんと老け込んでくる。
まさに、お姉ちゃんの「停まっていた時が動き出した」のだ。
●また北海道か、というとえらく怒られそうだが、ススキノの「あの事件」を想起せざるを得ない部分はどうしてもある。親御さんの職業、抱え込んで悪化させる流れ、孤立無援で煮詰まっていく様子、娘に言われて占星術の本を出版しているあたりなど、あまりにいろいろと両者には類似しているところが多くて、考えさせられる。「あれ」の悲惨なカタストロフィと比べると、本作の場合はまだ「軟着陸」できたケースなんだな、と率直に思う。
●ある日、実家に帰省したら「南京錠」が玄関につけられていた。あるいは、連動した「鳴子」のような仕掛けが付されていた。それを見つけた弟は、さっそくカメラを取り出して撮影を始める……いろいろと怖すぎる。非日常が日常化する恐怖。
●ママが明らかにおかしくなって(認知症というより、統失っぽい妄想だった)、何度も部屋に突入してくる母親に刺激されて、お姉ちゃんまで金切声を上げ続けているくだりは、まさに映画としての恐怖の頂点――「この世の地獄」とでも言いたくなるような「こわい瞬間」だった。
パンフによれば、われわれ観客が「あれ? ママ、娘の首絞めてるのかな」と思わずビビったあたりで、監督もまたビビッて、いったんカメラを置いて部屋に入ろうとしていたらしい。
●逆に「言葉」を取り戻したお姉ちゃんが、家の前で花火を見るシーンは、眠り姫が王子のキスで目覚めるくらいの高揚感があった。母親のいなくなった家で、ある程度の「機能」を取り戻したお姉ちゃんが、家事の実権を握り、好きなものを買いにフリマに赴き、人としての「威厳」を取り戻してゆく。
たとえとしてはひどいもので申し訳ないが、実家で多頭飼いしていた犬たちのあいだで、一頭死ぬ毎に如実にパワーバランスが変化したのを思い出した。いままでいじめられていじけていた子が、一席「空く」ことで生き生きと力を得て、群れのなかで新たな地位を得る。生物である以上、そこは人も同じなのだなあ、と。
●お棺にあふれかえる趣味のものと占いの呪物。あの過剰な死出の装いには、周りの人の「申し訳なさ」が反映してるんだろうなあ。
●全体として、あまりプロっぽくないカメラワークと、ほとんど素人同然の語り(でもとても聞き取りやすい)が、ドキュメンタリーというより「ホームムーヴィー」を見せられているような感覚を与え、お話の親密度というか、リアリティというか、生々しさを高めているように思う。
●テアトル新宿の朝10時の回、客席は満席! パンフを買う列にも行列が出来、明らかに他の映画とは別次元の「何か」が起きているような熱気だった。
この映画は、監督にとって「告発」の映画であると同時に、「身内の恥」の映画でもあり、「家族をネタに商売をする」映画でもある。あるいは、20年以上に及ぶ「私怨」を「人々にさらしものにする」ことによってはらす、「私的復讐」の映画でもある。
きっとつくるには、並々ならない苦悩と、逡巡と、うしろめたさもあったに違いない。
それが、この思いもよらぬ大ヒットで、少しでも報われたらと思わざるを得ない。
完全にホームビデオや録音だけでできており、ドキュメンタリーというよ...
完全にホームビデオや録音だけでできており、ドキュメンタリーというよりはある家族の記録という方が正しい。もちろん載せていない記録や場面もあるだろうから、ドキュメンタリーとしての編集は免れないのだろうが。エンドロールが監督本人ともう1名程度だったのが非常に印象的だった。家族同士の執着、世間への見栄、なによりも奥に間違いなく横たわる愛情がますます問題を複雑にしていく様や、喧嘩とまではいかない小競り合い、諦めにも似て、理論で片付かずに時間が過ぎていく様子などが非常に身に迫るものだった。いつ自分やその家族もこうなっても不思議ではないと感じながら見ていた。冒頭の母の怒鳴り声、なんで私にばかり恥をかかせるのか、なぜうちから分裂症が出ないといけないのか、という言葉が根本的なコンプレックスを象徴しているように思った。世間の目を気にすることが家族が抱える問題と向き合うことへの足枷になっていたのだろうか。南京錠は姉だけでなく家族を家に閉じ込めていたのだろうか。父、母、監督、姉、叔母、それぞれの人間らしい想いが生々しく垣間見える。晩年お姉さんが治療により意思疎通や生活を取り戻し穏やかになっていく様子がとても印象的だった。本人が少しでも楽しい時間を胸に旅立ってくれていればと思う。
家族というのは残酷なほどしんどい関係だと思う。
予告編を見て、両親が姉の精神疾患を認めず、家に閉じ込め姉を追い詰めていく酷い状況を想像していた。
しかし、家族の記録は想像よりも穏やかだった。両親は両親なりに姉や家族のことを思っていると感じられた。姉が奇声を上げても両親は声を荒げることなく受け入れ対応している。前半は家族で外出もしていて、閉じ込めるようになった時は姉の状態が悪化していたと想像できる。鍵のかけ方が衝撃的だが両親の性格を反映しているのだろう。
タイトルは、過去に遡って、「どうすればよかったか?」という疑問や後悔が感じられたが、それぞれがその時出来る精一杯をしていたと思う。
弟さんとしてはもっと早く受診させてあげたかったという思いもあると思うが、25年かかったが、両親は姉の病気を受け入れ治療に至った。(治療後の姉が激変した様子は衝撃的だった。)最後の姉の病気は残念だが、穏やかに治療を受けられている様子に安心し、棺の中の花は姉が愛されていた証に思えた。
「どうすればよかったか?」というタイトルはこれまでの経験があったからこそ、今ならどう思うかという問いだと思った。
2024年120本の映画を観た。No.1。精神が崩壊した人、とその家族の40年
ポレポレ東中野。 1日2回で 平日も 満席。
両親が医者で研究者。長女は医学部に入るが、途中で発症。
両親は 精神病では無いとして 精神科を受診させず。
だんだん 悪化して20年して 精神科入院させると かなり軽快。
自宅に帰る。母親が他界。
本人はステージ4肺癌が発覚。
60歳で他界。 父親も90で 衰弱。
今思えば 早めに受診すれば良かったのか。
そもそも 優秀で快活な姉がの精神が崩壊していったのは
両親の期待を まともに 受け、応えきれない自分を責めたから?
父親も 母親も 穏やかで、きつく叱責して追い込むタイプには見えない。
答えは無い。
もともと 発症する運命だったかも。
統合失調症は 現在は かなり薬物治療が 有効らしい。
一旦 精神科 入院して 加療後は
奇行は減り、穏やかで 会話や 調理など 日常生活も可能。
しかし 肺癌で60歳で 死去。
約40年間の 統合失調症の患者と その家族の 記録。
今年120本みた 映画で No1
〝情操〟の必要性
(僕は統合失調症の当事者である。)
「どうすればよかったか?」を観ました。
〝どうしたいのか〟が根本的に無い家族だなと思いました。
何で子供の幸せを願わないなのだろうと思いました。
情緒不足でご両親は何を言っているのか殆ど分かりませんでした。
監督も気の毒だよ。ここまで自分で(カメラを)回さないと自立出来ないんだもの。
お姉さんのお葬式の際、ご親戚の方なのか、「もっと楽しめばよかったね」と小さく言われていたのは本当にそう思ったよ。
どうすればよかったか?
1、詩や物語、新聞や雑誌などを声を出して交互に読み合う
2、市や区の役所に連絡して、地域との繋がりを持ち、訪問看護やケアをしてくれる人を探し依頼する。
3、共に工作などをして楽しむ
ふつふつと怒りが湧くよ。ご両親は限界なんだろうけど、こういう家庭は日本に幾らかでも多いんじゃないかと思う。なんとも言えない怒りが湧くよ。
寄稿された著名人(たち)のコメントにも腹が立つ。「どうすればよかったのか?と思う」とか沢山書かれていて、そういう受動態の考えが駄目なんだよ馬鹿が、と思う。
(ここは少し書き過ぎたと思う。けれども、観た直後、こうした感情があったことを記しておこうと思う)
〝論文で認められたい〟ということも受動態である。〝されたい〟ということしかご両親の頭の中には無いように感じた。そもそも何かを〝したい〟ということさえ忘れてしまっているのではないかと思う。
子供の幸せ、身近な人の幸せを願えない人間に(科学上でも)方程式のひとつも解かれたくない。
だいたいあの神棚の祈り方は何なのだ(言いたか無いけど)
インテリアって大事なんだな、と思った。
(…)
研究機材などごちゃごちゃに置いておくぐらいだったら売るか捨てれば良いと思った。
日本人のアウトプットには〝情緒〟が必要なのだと、とてつもなく感じた。
三ヶ月で退院出来たのは早い方です。
薬が合っていたのだと思います。
僕はこの映画は監督の自立、アイデンティティーの為に作られたと思った。
(日本人には)子供の頃から童謡など、子供でも感じ取れる、情緒や情操のあるものに接する機会が必要なのだと強く思った。
(ご両親の)会話が情報のやり取りでしか無い。ただの自慢話であり、プライドで出来た人たちなんだと思う。
お姉さんのアメリカ行きを(まるで)自慢話のように話すお母さんがよく無いなと思った。危ないことであるのに、得意げに話すのは自身のプライドにおける話題だからなのだと思う。
雑記的に書いてみた。
映画として観れば、丁寧な作りでは無いとは思うけれど、内容に関しては、今まで社会が触れることのなかった題材でもあり、そうした意味でも貴重な映像記録作品であると思った。
(追記 2024.12.13)
これから未来に於いて、「精神障害」というものはスタンダードになると思う。
「どうすればよかったか?」(映画)に於いても、もしかしたら、そうした先見性を見てしまっての、「障害では無い」という現在の精神医療との誤差を生じさせたまま閉じ込めてしまったのかもしれない。
タイトルなし
撮らせよう、撮らせてもいいとなっていた時点で本当はわかってたんだよね。/最後の論文の扱いにすべてが凝縮されていた気がする。あんなに首元にぎゅうぎゅうと。/パンフは必読。
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