劇場公開日 2025年2月28日

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN : インタビュー

2025年2月27日更新

ジェームズ・マンゴールド監督が語る、ボブ・ディランの初期の5年間に見出した“映画で描くべき寓話”

ジェームズ・マンゴールド
ジェームズ・マンゴールド

映画「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」(2月28日公開)は、無名の若者だったボブ・ディランがフォーク界期待の新星になり、やがてエレクトリックサウンドに転向して世界に衝撃を与えるまでの5年間(1961~65年)を描く音楽青春映画だ。

ジェームズ・マンゴールド監督の新たな代表作であり、3月2日に授賞式を控える第97回アカデミー賞では8部門にノミネート。同賞のノミネート数としては「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」の5部門、「フォードvsフェラーリ」の4部門を超えるマンゴールド監督作の過去最多で、いまだ手にしていない作品賞、監督賞、主演男優賞(ティモシー・シャラメ)での受賞にも大いに期待がかかる。

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そんなマンゴールド監督が日本公開に先立ち来日した際に、インタビューする機会を得た。

若かりし頃の音楽との出合いやフィルムメーカーを志したきっかけに始まり、本作でボブ・ディランの人生のうち1960年代前半の5年に絞って描いた意図や、ディランを演じたティモシー・シャラメへの演出スタイル、演奏場面に真実味を持たせる細部へのこだわり、日本人俳優として唯一出演した初音映莉子の起用理由と演じたトシ(ピート・シーガーの妻)の映画における役割などについて聞くと、終始なごやかな語り口で、ときには身振り手振りも交え答えてくれた。(取材・文/高森郁哉)

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●音楽との出合い、フィルムメーカーを志すきっかけは?

――ジョニー・キャッシュの半生を描いた「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」(2005)から20年ぶりに、実在のミュージシャンを主人公にした2本目の映画を作られました。最初に、1963年生まれの監督が若い頃どのように音楽に出合ったのかを教えていただけますか。

音楽好きだった父親の影響でポピュラーミュージックを聴くようになり、ボブ・ディランの曲を知ったのも父のおかげなんだ。最初に買ったレコードはボストンの「モア・ザン・ア・フィーリング」(1976)で、イーグルスやブルース・スプリングスティーンのアルバムも買ったし、7年生(日本の中学1年に相当)の頃からはクラシックやジャズ、映画音楽 も含め幅広いジャンルを聴きまくった。しばらくして、ピート・シーガーやスティーブ・マーティンの影響でバンジョーを弾くようになったよ。

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――なるほど、監督ご自身も楽器弾きということで、映画の演奏場面を極めてリアルに描く理由の一端をうかがえたように思います。続いて、映画との出会いや、フィルムメーカーを志すきっかけを教えていただけますか。

まず、両親がともに画家で、私も若いうちからアートの世界でキャリアを築きたいと考えるようになった。ただし、絵画という分野は描く人も少ないし鑑賞する人も少ない、つまり非常に狭い世界だと感じていたし、私は自分の世代の大勢に何かを伝えたいと思った。それにもっとシンプルな理由として、70年代のヒーローと言えば、ジョージ・ルーカススティーブン・スピルバーグマーティン・スコセッシミロス・フォアマンといった映画監督たちで、あの頃映画の世界で起きていることに衝撃を受けたんだ。

振り返ってみると、それからの道のりは奇跡的だと自分でも思うよ。コロンビア大学映画学科ではフォアマンに師事したし、今やルーカスとスピルバーグとも既知の仲だしね。そうした名監督たちの共通点として、世界の映画を研究して自作に反映させたことも挙げられる。彼らを通じて私もフランス、イタリア、そして日本の映画に触れて学んだし、今なお学ぶべきことが大いにある。

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●映画の内容を1961~65年の5年間に絞った理由に“寓話”があった

――ではここから、「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」についてうかがっていきます。原作は2015年のノンフィクション本「Dylan Goes Electric!」(邦訳題「ボブ・ディラン 裏切りの夏」、K&Bパブリッシャーズ刊)で、本の主題がディランのエレクトリック転向なのは明らかですが、映画のストーリーとしては幼少時代や60年代後半以降を補足して語る選択肢もあったはず。しかしあえて1961~65年の5年間に絞ったのはなぜでしょうか。

私は映画で語られる寓話(fable)が好きなんだ。私のどの映画にも寓話がある。この物語は、無名の若者が街にやってくるところから始まる。新しい名前を作り、音楽活動をスタートさせる。当時すでに有名だったウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズらに出会い才能を認められるが、2年も経つと彼らを超える大スターになっている。(フォーク・リバイバル運動の中心人物だった)ピートたちはディランを必要とするが、彼はとどまらず前に進むことを選び、旅立ってしまう。つまり、どこからともなく若者が登場し、事を成して世界を変え、また新しいどこかへと旅立つという構成に、描くべき寓話を見出したんだ。寓話の物語構造はシンプルで力強い。だからこそ、多くのことを効果的に伝えられるんだと思う。

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――ディランが独創的な天才であり若くして大スターになったがゆえの孤独を、彼を取り巻く人々の思いや感情と対比させて描いています。才能はあるがディランほどの天才ではないミュージシャンや業界人たち、恋人シルヴィ(エル・ファニング)のように関わった普通の人々が、彼にさまざまなことを期待し、要求し、それがかなわないときに取り乱したり離れていったりする姿が描かれることで、ディランの苦悩や孤独感が一層伝わってきます。そうした周囲の人々の悲哀が丁寧に描かれている点が、私を含む一般の観客の共感を呼ぶ重要なポイントであり、天才の内面をうかがい知るのにも大いに役立つと感じました。

まさにその通りで、周囲の人々を描くことによって天才とはどういった存在かを理解しようとしている。また、天才を描く方法として私はそういうやり方しか知らないとも言える。ボブ・ディランが私に直接、天才の秘密を明かしてくれることはない。天才である理由を心理的に解き明かすことは不可能だろう。だから、周囲から向けられる視点や感情を描いて、天才の内面を想像させるやり方が、映画として有効なんだ。天才と周囲を対比させて描くという意味では、(師のミロス・フォアマンの監督作で、宮廷作曲家サリエリの視点からモーツァルトの天才性に迫った)「アマデウス」に近いものがあると思うよ。

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●“単なる物真似”ではなかったティモシー・シャラメの演技について

――主演のティモシー・シャラメについてうかがいます。数多くある演奏シーン、ギターを弾きながら歌うパフォーマンスがどれも抜群で、しかも単なる物真似ではなくて、ディランの曲の魅力をシャラメの演技で表現していることに感銘を受けました。演技の際に、ディランらしさとシャラメらしさのバランスのようなものについて、監督からアドバイスなどはあったのでしょうか。

それについては確かに2人で議論したけれど、知的に分析するようなことではなかったかな。感覚的なものというか。演技を見て、「ちょっとボブを見失った気がする」とか、逆に「もう少しティミー(ティモシー)を残して」といった具合に調整していった。

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――ボーカルはもちろんのこと、ギターを弾く演技も実に素晴らしかったです。パンデミックとストライキの影響で5年ほど製作が停滞した期間、シャラメが歌と演奏を猛特訓できたと聞きました。たとえばネック側で弦を押さえる左手の指にしても、単にコードフォームが正しいだけでなく、音程を変化させるハンマリングやプリングといった奏法の動きまで正確なので、ミュージシャンが観てもきっと感激するでしょう。監督ご自身も楽器を弾くとうかがいましたが、やはり演奏シーンにはこだわりがあるのでしょうか。

そう、些細なポイントをリアルに描写し、それを積み上げることで、そのシーンが真実として観客に伝わるんだ。(「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」の企画段階で)25年前ジョニー・キャッシュに映画化の許可をもらうために会ったとき、アドバイスされたことがある。俳優にギターを赤ん坊や貴重品のように抱えさせるな、ギターはただの道具なんだから、と。そして、(マンゴールド監督、おもむろに席を立って歩き出し、片手をだらっと下げて)彼はこんな風にギターを乱暴に(ブーン、ブーンと擬音を口にしながら)引きずってみせたんだ!つまり、細部を忠実に丁寧に演じる、描くことによって真実が宿るというのがジョニーからの教えで、今も忘れずに守っているよ。

――監督ご自身によるジョニー・キャッシュの貴重な再現演技!(笑)ありがとうございました。

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初音映莉子の起用について「トシ役にパーフェクトだった」

――素晴らしい共演陣のことも詳しくうかがいたいのはやまやまですが、日本の映画ファンとして特に気になる、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)の妻トシを演じた初音映莉子について聞かせてください。まず、彼女を起用した理由は?

エリコはトシ役にパーフェクトだった。古風というか、昔の日本映画に出ていた日本人女性の凛とした雰囲気、尊厳のようなものを感じさせる。それは現代の日本人女性から、特にアメリカで長く暮らす日本人女性からは失われた気がする。一方でエリコには、あたたかみや包容力のようなものもある。実際、シーガー夫婦と子供たちが暮らす山小屋風の家は、ディランが都会に出てきてから最初に落ち着く場所で、あたたかみを表現しているんだ。当時のフォーク音楽には社会主義的な考え方があり、まったくのよそ者でさえあたたかく迎えるのもよくあること。今に比べて国際結婚がそれほど多くない時代だったから、ピート自身が偏見なく多様な人を受け入れる性格だったんだろうね。ともあれ、あの場面でディランが、そして映画の観客もまた、フォーク音楽のファミリーに迎えられるわけだ。

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――ファミリーに迎えられるという説明が腑に落ちました。ピートがディランの才能を認めて成功を後押しする姿は疑似の父親のようで、終盤のエレクトリック転向をめぐる衝突は、保守的な父親と革新を求める息子の親子げんかそのもの。疑似の母親であるトシは2人を見守るだけでなく、変わりゆく音楽状況をも俯瞰し、夫ピートの暴走を止める形でディランの転向を陰から支えますね。

その通りで、当時のフォーク人脈とディランの動向を俯瞰しているトシは、映画の眼差しでもある。ピートはフォーク音楽を大切に守る思いが強すぎて、状況を客観視できず、自らを見失ってしまう。そんな夫をいさめるトシにふさわしいパワフルなルックがエリコにはあるし、彼女の瞳からたくさんのことを読み取れると思うよ。

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――物語上重要な役に日本人俳優を起用し、印象的な見せ場まで描いていただいたことに、改めて感謝の念を強くしました。それでは最後に、日本の映画ファンに向けてメッセージをいただけますか。

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」の映像はもちろん、音楽の素晴らしさも大いに楽しんでもらえると思う。ぜひ、音響設備の良い大スクリーンの劇場で観てもらいたいな。

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