テリファー 聖夜の悪夢 : インタビュー
「テリファー」アート・ザ・クラウン、日本では「怖いけど“可愛い”」 監督に「この反応どう思う?」って聞いてきた
「テリファー」シリーズの最新作「テリファー 聖夜の悪夢」。同シリーズは、殺人鬼アート・ザ・クラウンが巻き起こす惨劇を描いた人気ホラー映画となっており、第3弾にして、物語の舞台は“クリスマス”となっている(第1&2作は“ハロウィン”)。
前作「テリファー 終わらない惨劇」は、全世界で嘔吐、失神者が続出したことで話題に。日本では、1作目は劇場未公開ながら、2作目を劇場公開したところ、その過激さとアート・ザ・クラウンのどこかキュートな佇まいが話題となり、スマッシュヒットとなった。そして「テリファー 聖夜の悪夢」は“全米首位デビュー”を果たし、しかもわずか数日でシリーズ最高興収を叩き出している。
ここまで人気を博した理由は? “アート・ザ・クラウン”の魅力とは? 全シリーズで監督を務めているダミアン・レオーネ監督にオンラインインタビューを実施し、その秘密に迫った。
【「テリファー 聖夜の悪夢」概要】
不気味で残虐非道な殺人鬼“アート・ザ・クラウン”がもたらす恐怖を描く人気ホラー「テリファー」シリーズの第3弾。ハロウィンの夜に現れて殺戮の限りを尽くした“アート・ザ・クラウン”が、今度はクリスマスに姿を現し、新たな惨劇を巻き起こす。
ハロウィンの大虐殺を生き延びたシエナとジョナサンは、トラウマに苦しみながらも人生を立て直そうと日々奮闘していた。しかし、町がクリスマスシーズンを迎えたある日、アート・ザ・クラウンが再び姿を現し、聖夜を祝おうとする住民たちを絶望のどん底に陥れる。
●全米で大ヒット! これって何故?「“アート・ザ・クラウン”は、ある意味“空白”を埋めている」
――全米では首位初登場、シリーズ歴代1位のオープニング成績となりました。この結果を受けてのお気持ち、そしてここまでの人気シリーズとなった要因はどのような部分にあるとお考えですか?
このような状況になったことは、とても信じられませんでした。キャストやスタッフは大喜びでした。全員がこの映画に心血を注ぎ、一生懸命に取り組みましたから。私たちはこの映画の可能性を信じていました。そして、ファン層が拡大し続けていたのも知っていましたが、まさかこんなことになるとは……。「この映画が全米で首位初登場になる可能性は?」と聞かれたら、私は「絶対にあり得ない」と答えていたでしょう(笑)。
このようなタイプの映画では、通常は起こり得ないこと。観客の皆さんは、私が認識しているよりもさらに大きな“何か”に触れたのでしょう。
この主な理由は“アート・ザ・クラウン”のキャラクター性にあると、私は信じています。なぜなら、私たちの文化には、このようなタイプのキャラクターへの“大きな愛”があるからです。
私が子どもの頃、マイケル・マイヤーズやフレディ・クルーガーを崇拝しながら育ちました。そう、彼らは私のスーパーヒーローでした。私の部屋には模型のキットが置いてあり、いたるところにポスターやマスクが貼ってありました。私はそれらのコンテンツをたくさん消費していました。“悪魔の目”を見つめるのが大好きだったんです。そして、モンスターのスリルを体験するのも大好きでした。私にとっては、とても魅力的なものでした。
だからこそ、そのようなものを新しい世代のために作り出すということは、最もやりがいのあること。私が子どもの頃に感じていた喜びと恐怖を、新たな世代に与えることができるのは、とてもクールなことだと思います。
“アート・ザ・クラウン”は、ある意味“空白”を埋めているのです。そのような存在が、かなり長い間失われていましたから。
私は“アート・ザ・クラウン”をアイコンだとは考えていないんです。つまり「私はアイコンを作った」と言いながら歩き回ったりはしません。(アイコンとなったかどうかの判断は)ファンの皆さんにお任せします。
過去20年ほどをさかのぼってみると、ゴーストフェイス(「スクリーム」シリーズ)、ジグソウ(「ソウ」シリーズ)が代表的なキャラクターでしょうか。「ソウ」シリーズに関しては、ご存知の通り、オリジナル(=第1作)ほど典型的なスラッシャー映画ではありません。ジグソウは肉切り包丁を持って歩き回っていませんよね。そう、彼はもっと複雑な人物です。そして、処刑方法は、はるかに複雑で精巧です。
“アート・ザ・クラウン”は、80年代スラッシャー映画への回帰ということになります。特にフレディ・クルーガー(「エルム街の悪夢」シリーズ)が注目されなくなってから、大きな“空白”が生じたと思っています。
フレディはスラッシャー映画の王様です。大きな理由の1つが、スラッシャー映画の中で最も立体的で、最高のユーモアのセンスを持ち、最も人間味が溢れているからです。私たちは“アート・ザ・クラウン”を通じて、それらを少しだけ実現しているんです。
“アート・ザ・クラウン”はとても風変わりで魅力的、カリスマ性があります。そして、面白い。彼はあなたを笑わせてくれるので、あなたは友達になりたくなるでしょう。そしてしばらくすると唐突に、彼は想像し得る最も卑劣で、不快で、非難されるべきことをするんです。劇場を出て行きたくなるほどのことを――彼は、我慢できなくなってしまうのです。観客は“アート・ザ・クラウン”の感情のジェットコースター感や予測不可能な一面が大好きだと思っています。さらに彼の“殺人アート”は観客の期待に応えています。これは非常に重要なことです。
●物語の背景を「ハロウィン→クリスマス」にした理由は?「この環境&設定に放り込むのが“パーフェクト”だと思った」
――ストーリーの背景をクリスマスにした理由を教えてください。これでアート・ザ・クラウンは「ハロウィン」という限定期間を抜け出し、より自由に活動できるようになったと感じました。
“アート・ザ・クラウン”は、特定の設定や季節に行動を制限されたりするべきではないと思っています。彼をどんな状況においても、ヒステリックで不安な気持ちにさせてくれるはずです。たとえば西部開拓時代に連れて行っても、彼は状況を最大限に活用するだろうね(笑)。
私は“クリスマスホラー”というサブジャンルに個人的に親近感を持っています。私は「暗闇にベルが鳴る」が大好きなんです。子どもの頃は、狂気のサンタクロースを描いた「And All Through the House」(邦題「殺人ゲームはサンタと共に」/「ハリウッド・ナイトメア」の1エピソード)が大好きでした。
そして、今“アート・ザ・クラウン”を“狂気のサンタクロース”に変えるチャンスがあると気づいたのです。
クリスマスは、ハロウィンと並んで、私の2番目に好きな休暇です。ファミリー向けの休日であり、お祝いや贈り物に関する休日。“アート・ザ・クラウン”とはまったく逆に位置するようなものです。私は、彼をこの環境&設定に放り込むのが“パーフェクト”だと思いました。
理由はただ一つ――多くの堕落を引き出すためです。その一方で、彼を登場させることで、大いに軽快に、大いに笑わせることができるような状況がたくさんあります。もしも“アート・ザ・クラウン”が突然、ショッピングモールのサンタクロースに成り代わり、子どもたちに囲まれたらどうなるだろうか? “アート・ザ・クラウン”を本物のサンタクロースだと思っている人物に出会ったらどうなるだろうか? そのやりとりはどのようなものになるのか?
この映画にできるだけ多くのユーモアを注入するのが大好きです。そうすることで、単調で暗い時間ではなく、楽しい時間になるからです。暗い雰囲気というのは、私が作品作りで目指しているようなものではありませんから。
特定の休日や特定の状況に制限しないということは、フランチャイズを新鮮に保てるということも意味しています。私は同じ映画を何度も繰り返し観続けることは決して望まないタイプです。なぜなら、私にとっては面白みがなく、非常に陳腐なものになっていくからです。ですから、私はできる限り新鮮さを保つように努めています。
●“アート・ザ・クラウン”は日本のファンの間で「コワ可愛い」 これってどう思う?
――日本のファンの間では「アート・ザ・クラウンは怖い。けど“可愛い”」という意見が多数あります。この反応についてどう思いますか?
“アート・ザ・クラウン”には、人々の心に訴えるカリスマ性があると思います。彼は、すぐさまグロテスクな存在になるわけではありません。その外見にはどこか魅力的なところがあって、子どもたちは、その外見に引きつけられます。たとえ映画を見ることが許されていなくても、“アート・ザ・クラウン”の外見には慣れている。何か印象的なものがあるんです。
最も奇妙なことのひとつが、女性の方が“アート・ザ・クラウン”を愛する傾向があるということ。これを掘り下げて、ある種の分析をして、フロイト的にそこに飛び込んでみれば……しかし、その時間がないようです(笑)。
このキャラクターには、魅力的であると同時に、恐ろしい部分も備わっています。それがこのキャラクターを機能させているバランスだと思います。
私たちが作品を作る際、非常に意識していることは、このキャラクターには非常に優れた“軸”があるということ。私は常にその軌道に留まるように努めています。つまり、軌道から外れすぎたり、安っぽくなりすぎたり、コメディに頼りすぎて恐怖感が失われたりするようなことは、決してしたくはないんです。
その一方で、彼をより立体的で人間らしく見せるために“魂のない殺人マシン”にさせてしまうような方向に深く入り込みたくはありません。ですから、私たちは常にそのバランスをとろうとしています。
●ヴィクトリア・ヘイズの“復活”、“アート・ザ・クラウン”の相棒について
――第1作「テリファー」のヴィクトリア・ヘイズの“復活”も注目ポイントです。
先ほども言ったように、「テリファー」シリーズでは常に特定の条件をチェックしています。何よりもまず“アート・ザ・クラウン”が自分の役割を果たしているかどうかを確認するんです。そして、それらの項目をチェックしたら、私は自分自身に一定の割合のスペースを与え、新しいアイデアを探求し、大胆なリスクをおかしながら、このフランチャイズを面白くするための手法を見つけていきます。
ヴィクトリアについては、今作で怪物のような殺人マシンに変えました。私がずっと興味を持っていた“最初のテリファー”です。なぜなら(ホラー映画において)最終的に生き残る女性には、通常そんなことは起こらないからです。最後に残る少女は、普通の場合、生き残るか、殺されるかのいずれかになります。
だからこそ、ヴィクトリアを興味深く、新鮮な状態にすることで、私が取り組むことができるものがわかりました。どこまでできるかわかりませんでしたが……彼女はポルノのようなもの、あるいは、パズルの重要なピースのようなもの。つまり“アート・ザ・クラウン”が彼女を壊し、何らかの痕跡を残した。そのため“悪”が利用できる存在になっているだろうと。
私たちは“超自然の世界”へと世界観を切り拓き、憑依などのアイデアを持ち込んでいましたから、ヴィクトリアに悪魔が侵入できる可能性があるということがわかっていました。ちなみに、彼女のキャラクター性がとても好きなんです。
「テリファー 終わらない惨劇」では“リトル・ペイル・ガール”というキャラクターを登場させました。悪魔のような存在で、現世とあの世の狭間、もしくは次元の狭間に生きているような存在です。しかし、私はこのようなキャラクターを“現実世界”でも生きさせたいと思っていました。究極の悪がこのキャラに憑依し、“アート・ザ・クラウン”にサイドキック(相棒)を与える絶好の機会だと思っていたのです。
しかし同時に、私はそれを望んでいませんでした。“アート・ザ・クラウン”に伝統的な相棒は不要だと思っていたのです。彼に相棒を与えることは、賛否両論を呼ぶことになるかもしれません。
「テリファー 聖夜の悪夢」では、“アート・ザ・クラウン”を復活させた“悪”とは何なのか。その目的は? それらを物理的な形に落とし込むことが、私にとって非常に重要なことでした。
そして私は、ヴィクトリアを演じたサマンサ・スカフィディにその機会を与えることに興奮していました。なぜなら、彼女はもっと多くのものを生み出せると感じていたのです。彼女と一緒に仕事をするのは楽しかったですね。
彼女はある種のダークなものが好きで、このキャラクターに飛び込み、それを探求することにとても興奮していたようです。撮影をおおいに楽しむだろうし、女優として普段は開けない扉を開けるということもわかっていました。「テリファー」の脚本を初めて書いたときから、私は彼女にすべてのアイデアを伝えていました。このキャラクターについて、私が考えていることを伝え、彼女がその方向で進んでいくことに抵抗がないかどうかを確認していました。彼女はとても協力的で、とても興奮していました。
新しいキャラクター、特に“新しい悪役”を創造し、それが観客の共感を呼ぶかどうか。それを試すのがいつも楽しみにしていることなんです。