ボウリング・フォー・コロンバイン : 映画評論・批評
2003年1月15日更新
2003年1月25日より恵比寿ガーデンシネマにてロードショー
退屈なサバービアは暴力をたぐり寄せている
マイケル・ムーアは、その体格や風貌も計算に入れた巧みな突撃取材を展開し、おとぼけのなかに鋭い視点を散りばめ、銃社会に迫る。なかでも特に興味深いのが銃乱射事件とボウリングの結びつきだ。ムーアは若者たちが事件の前にボウリングを楽しんでいたことに着目し、マリリン・マンソンが非難されてボウリングが非難されないことに首を傾げる。
事件の舞台となったようなサバービアは、それが皮肉や屁理屈で片づけられない次元に踏みだしつつある。例えば、セラピーとしての狂気という未来像を提示するJ・G・バラードの小説「スーパー・カンヌ」には、この事件が会話に出てくるだけでなく、狂気を実践する集団はボウリング・ジャケットを着用している。
ムーアはアメリカのテレビが、貧しいマイノリティが暮らすインナーシティの現実を歪め、視聴者の興味を引く犯罪や暴力ばかりを過剰にクローズアップしていることを明らかにする。その結果、セキュリティに対するパラノイアや銃の需要が生まれるわけだが、これは突き詰めれば、退屈なサバービアが暴力をたぐり寄せていることにもなる。この映画が掘り下げる銃社会の向こうには、バラードに通じるビジョンが見えてくるのだ。
(大場正明)