「黙っていれば自分の範囲は狭くなり、気がつけばどこにも逃げられ無くなってしまう」HAPPYEND Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
黙っていれば自分の範囲は狭くなり、気がつけばどこにも逃げられ無くなってしまう
2024.10.8 MOVIX京都
2024年の日本&アメリカ合作の映画(113分、 PG12)
卒業間近の不安定な高校生と大人の関わりを描いた青春映画
監督&脚本は空音央
物語の舞台は、近未来の日本のどこか(ロケ地は兵庫県神戸市)
地元の高校に通うユウタ(栗原楓人)とコウ(日高由起刀)は、音楽研究部に所属し、アタちゃん(林裕太)、ミン(シナ・ペン)、トム(ARAZI)たちと青春を謳歌していた
ある日、校長(佐野史郎)のスポーツカーにイタズラを仕掛けた彼らは、それによって校長の逆鱗にふれてしまう
やった証拠はなくても疑われ、様々な理由をつけては嫌がらせをされていく
校長は生徒の安全管理と称してAIシステムによる監視設備を導入し、それによって生徒の行動が束縛されるようになった
また、古い機材に発火の恐れがあると言う理由で音楽研究部は部室を追い出されてしまう
そんな折、コウはクラスメイトのフミ(祷キララ)の行動に興味を持つようになり、担任の岡田(中島歩)たちの会合に参加するようになった
岡田たちは現政権に不満を持っていて、可決された緊急事態条項に対する反対デモを行っていたのである
映画は、顔認証システムが進化し、個人の情報が統合されている近未来を描き、昨年あたりに話題になった「緊急事態条項」の危険性を訴える感じに流れになっている
感じというのは、映画内で緊急事態条項に関する詳細がほぼ描かれていないので、映画内外でその法律の危険性をリンクさせているのかわからないからである
物語としては、ユウタとコウの価値観の違いが浮き彫りになって、このままではダメだと思うコウは行動を開始し、どうせ死ぬなら今を楽しもうと考えるユウタが描かれていく
どちらが正しいとかではなく、この世界でどうやって生きるかを問うている感じになっていて、自分たちの権利や主張をしていくコウと与えられた世界で生きていくことを決意するユウタと言う対比になっていた
主義主張を唱えるだけで物事が変わるのか、それとも変わらない大きな流れには逆らわず、自分の生きたい世界を探し続けるのか
それは、この国に留まり続けなければならないと言う鎖を持っているかどうかだけの違いで、言葉の壁を越えて行けるのならば、ユウタはどこにでも行ける存在なのだと思う
また、コウはこの世界の枠組みの中で少しでもマシなポジションを目指すレールに乗っているのだが、それが幸せかどうかはわからない
大人たちに感化されて行動を起こしていくものの、その道も「結局は自分の頭で考えたのかわからないもの」であり、「自分の頭で考えることと、何かの影響を受けることの間にある絶望的な距離感」と言うものが描かれているように感じた
いずれにせよ、青春の1ページを描いた作品で、ユウタとコウのどちらの行動も正解ではないように感じられる
自分で考え行動すると言うことは責任が伴うのだが、未成年である彼らはその領域に足を踏み込めない
なので、彼らの生きている時間は「自分で考えて行動を起こすために源泉を磨きあげる時間」であり、そこでお金が必要ならば稼ぐ準備をし、それ以外の能力を高めるためならば、それを行う必要があるのだろう
同世代が観るとどのように感じるのかはわからないが、大人目線だと「良い人に見える大人には騙されるなよ」とか、「言葉の先にある思想を見破れよ」というアドバイスを送ってしまいたくなる映画だったと感じた